第36話
しっかりと睡眠を取り、オーウェンと朝食を摂ると、すぐに出立となった。
聖女部隊と共に転移陣に向かう。昨日、寝る前にオーウェンから聞いたが、今回向かうのは王都から東にある領地だ。直線距離だとかなり離れているらしく、被害に遭ったのは周囲一帯を森に囲まれた小さな集落らしい。
転移陣が置かれている領主邸のある町から集落までは数日かかるため、馬車で移動する。数日分の食料や飲み水、着替えを積んだ馬車に乗り込み、出発だ。
「疲れてないか?」
「大丈夫」
正直に言えばお尻が痛いが、自分はただ座っているだけだ。馬車に順番に魔力を込めている聖女部隊ほどではない。
途中の町に寄り、一泊してまた出発するらしい。街を管理している貴族の邸に到着し、家令に部屋に案内された。
「こちらになります」
「え……」
聖は室内を見回し、隣のオーウェンに視線を移した。オーウェンは聖の言いたいことがわかったのか、一つ頷きにこりと微笑む。
「ありがとう」
オーウェンは家令に言葉をかけると、聖を室内に招き入れた。
「婚約してるから、同じ部屋なんだね」
「まだ、大々的に婚約発表は行っていないが知っていてもおかしくない。気を利かせてくれたんだろうな。俺と寝るのは、もうだいぶ慣れただろう?」
「慣れたけど、びっくりしちゃって。今までは別だったから」
毎日同じ部屋で過ごすうちに、オーウェンが隣で寝ていることには慣れてきた。
彼は言葉通り聖に指一本触れてこないから、なんの期待もせずに済むし、執務が忙しく部屋に来ないときもある。
「風呂の準備ができたみたいだぞ。あとはやるから、お前も下がれ」
「はい、失礼します」
オーウェンがこの邸の侍女に声をかけると、侍女は部屋を出ていった。
「疲れただろう? 先に風呂に入れ」
「ううん、私は座ってただけだから。私は時間がかかるし、オーウェンが先にどうぞ。早く寝られた方がいいでしょ?」
「なら、一緒に入るか?」
「入りません」
冗談だとわかっているが、いちいち心臓に悪い。聖の返す言葉を聞いたオーウェンは笑いながらバスルームに入っていった。
「……私が、一緒に入るって言ったら、どうするの」
一人部屋でぼやくと、お湯が流れる音が聞こえてきた。
期待などしないが、自分ばかりが意識してしまっているみたいではないか。
しばらくするとオーウェンは濡れた髪のまま部屋に戻ってきた。貴族の邸にはだいたい属性の魔石が用意されており、それを使用して髪を乾かすのだが、面倒だったのだろう。
「次、いいぞ」
「うん、ありがとう。先に寝ててね」
「そんなに柔じゃない。セイこそ、風呂場で寝るなよ?」
「寝るわけないでしょ!」
疲れてはいるが、いくらなんでもそんな危ないことはしない。
「そういえば、オーウェンってなんでも一人でするよね。王族って、普通なんでも侍従や侍女にやってもらうんじゃないの?」
聖はこの国の貴族とほとんど話したことがない。けれど、この世界について勉強したときに一応一通りのことは教えてもらった。
聖自身が一人で風呂に入ることに慣れているため、今まで気にもしなかったが、高位貴族ほど服の脱ぎ着さえも侍女にやってもらうのだ。けれど、オーウェンは違う。バスルームに誰かを付けることもなく、着替えもなんでも一人でこなしていた。
「ほら、前に言っただろう? 騎士団に所属する騎士は遠征で鍛えられるんだよ」
「鍛えられていても、仕事以外では侍従にやってもらうのかと思ってた」
「あー、王城ではそうしてる。仕事を奪うわけにいかないからな。遠征で鍛えられているから、今では料理もそこそこできるようになったぞ」
「へぇ~オーウェンの料理、食べてみたいな」
「じゃあ、そのうち作ってやる。そうだ……次のデートの約束も、まだ果たしてないしな」
そういえば以前、オーウェンに指輪を贈られたとき、また来ようと約束したのだ。もう果たされることはないと思っていたのだが、覚えていたのか。
「うん、楽しみにしてるね」
聖は本心から、楽しみにしていると言えた。
この世界に来て、楽しみなことなど何一つなかった。けれど、オーウェンに出会って、次の約束をしたときだけはほんの少しだけ心が弾んだ。
今は、次のデートの約束も、料理を作ってもらうことも、楽しみだと思える。
聖はバスルームに足を踏み入れ、湯船から湯をすくい身体に掛ける。石けんで髪と身体を洗い、湯に浸かった。
元の世界のバスタブよりもだいぶ大きく、足を伸ばしても反対側には届かない。縁に頭を載せて深く息を吐くと、疲れが取れていくようだ。
バスタブの縁に腕をかけて目を瞑ると、うつらうつらしてくる。ここで寝てはだめだと思うのに、疲れのせいか目が開けられない。
湯の温かさが心地好く、徐々に意識が遠退いていった。
「セイ! 起きろ!」
ぱちぱちと頬を叩かれて、聖は目を開ける。目の前にはひどく焦ったようなオーウェンの顔があり、頭を彼の膝の上に乗せているようだった。
いったいなんなのだろう。
「気づいたか……よかった……」
オーウェンが安心しきったように息を吐く。聖は頭を支えられ、バスルームの床に足を伸ばして横になっている。
「よかった?」
視線の先には湯が張られたバスタブがある。湯はすっかり冷え切っているのか、湯気がまったく出ていない。
(あれ……私、お風呂に入ってなかった?)
ふと、自分の身体を見下ろすと、ローブを羽織っていた。首がやたらと寒く、ぶるりと全身が震えた。それもそのはずで髪はまだ濡れたままだった。
「なんで……オーウェン、あれ、私」
徐々に意識がはっきりとしてくると、自分が風呂に入ったまま寝入ってしまったのだと思い至り、なぜこんなことになっているのかを察して頬を真っ赤に染めた。
「み、み、見たっ!?」
胸元を隠しながらオーウェンに聞くと、彼は真剣な目をして、聖の肩を引き寄せてきた。
「今はそんなこと言ってる場合じゃないだろう! 君は溺れかけてたんだぞ!」
「溺れ……っ、うそ」
「うそじゃない。声をかけてよかったよ。顔が半分ほど湯船に沈んでいたんだ。身体を見たのは悪かったと思うが、不可抗力だ」
「それは……そう、だね。ごめん」
「苦しくはないか? 具合は?」
「大丈夫。助けてくれてありがとう」
心配してくれるオーウェンを責める気にはなれない。むしろ、オーウェンが気づいてくれなかったら死んでいたかもしれないのだ。
「今度同じことをやったら、いやがっても一緒に風呂に入るからな」
少し怒っているような口調で言われているのに、不思議と嬉しかった。つい頬を緩めてしまい、オーウェンの眉がますます不機嫌そうに寄る。
「なにを笑ってる。死ぬところだったとわかってるか?」
「ごめん……心配してくれたんだなって思ったら、嬉しくて」
「当たり前だろう!」
「うん、聖女だからだとしても、嬉しかったの」
聖が言うと、オーウェンは苦虫を噛み潰したような顔をして、聖の両脇に手を入れて、そのまま身体を持ち上げた。急に脚が浮いたことに驚き聖が彼の首にしがみつくと、支える腕の力が強まった。
そっとベッドに下ろされて、オーウェンが真上から聖の顔を覗き込む。
「君が聖女だから、心配したんじゃない」
「え……?」
「もちろん……聖女としての君も大事だ。この国にとって、聖女はなくてはならない存在だから。でも、セイを助けたとき、国のことはいっさい頭になかった。ただ、セイを失いたくないと思ったんだ」
信じられないと思うが。
オーウェンは切なそうに目を揺らしてそう続けた。
「信じるよ」
聖が言うと、驚いたような表情を向けられた。
「信じる。オーウェンのことが、好きだから」
聖は彼を信じたいのだ。たとえまた騙されていたとしても、それでいいと思える。
本当は、自分の気持ちを伝えないつもりだった。これ以上彼に重荷を背負わせるわけにはいかないと思ったから。
ただ、何年この国の貴族を騙せるかはわからない。自分の命は常に危ういところにあるのだと気づくと、なにもオーウェンに伝えないまま死ぬのはいやだと思ったのだ。
(もし私が聖女として動けなくなったとき、どうせ殺されるなら……オーウェンに殺されたいな)
その日が来たら、あなたに殺されたい、なんて。そうすれば、彼はずっと自分を覚えていてくれるだろう。そんな風に考えてしまうのはずるいだろうか。
「ふふ……困ってる?」
目を見開くオーウェンの顔がおもしろくて、聖はベッドに横になりながら、彼の頬に手を伸ばした。
一人で湯を使っているため保湿などはしていないのかもしれない。少しかさついた頬に、手のひらに感じるヒゲのざらりとした感触。
「いや……違う。驚いただけだ。俺も、セイを愛しいと思っていたから」
「え?」
聖もまた驚いた顔を返すと、オーウェンがおかしそうに笑った。
「困るか?」
「困るわけないよ」
たとえ婚約者であっても同じだけの想いを返してもらえるとは思っていなかったし、それを望んでもいなかった。
(愛しいって……言ってくれるんだ)
彼は王族でこの国を守る義務がある。そして、これ以上不幸な聖女を生みださないようにしたいという望みも。
そんな彼の横に自信を持って立てるように、聖もまた覚悟をしなければならない。この国の未来が、オーウェンの双肩にかかっているのだ。その重みを自分も引き受けたい。
彼が自分を守ってくれるように、聖もまた彼を守りたい。
「ねぇ、オーウェン、お願いがあるの」
聖が願いを口にすると、オーウェンは驚いた顔をしながらも聖の望みを尊重してくれた。
「わかった。でも……無理だけはするなよ」
「うん」
つい頬を何度も頬に触れていると、手を取られて、唇が指先に触れた。
目と目が合って、どちらも逸らさない。聖が目を瞑ると、彼の唇が重なった。背中に腕を回すと、オーウェンの心臓の音が触れあった胸元から伝わってくる。
はだけたローブを直す気にはならなかった。互いに言葉はいらない。彼の熱い身体を全身で感じると、愛おしさがますます大きく膨れ上がっていく。
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