第35話
第九章
「それに、私が魔力を込めればいいの?」
オーウェンがテーブルに置いた魔石は、手のひらよりも大きい。指輪の魔石と比べたら数十倍どころか数百倍はあるだろう。こんな魔石を体内に持っていた魔獣はどんな大きさなのかと想像しぞっとした。
各領地で討伐された魔獣の魔石は、一度、国が買い取り魔石研究所に渡される。魔道具としても使えないほどの小さな魔石を市場に卸しているのだ。
オーウェンは魔石研究所に渡される前の魔石を、秘密裏に部屋に持ち込んだようだ。
「あぁ、念のためセイには後方で待機してもらう必要はあるが、このサイズなら君を危険にさらさなくとも、聖女部隊だけで瘴気を祓えるはずだ。魔石に込めた聖魔法でも瘴気を祓えるとわかれば、セイの負担がかなり減るだろう?」
「わかった。やってみる……いつも瘴気を祓うみたいに魔力を込めればいいんだよね?」
「そうだ。瘴気を祓うように、魔石に聖魔法を向けてくれ」
聖は頷き、魔石を両手で抱えた。この方法が正しいかはわからないけれど、肌に触れている方が魔力の漏れがないような気がしたのだ。
オーウェンは聖の隣に腰かけ、手のひらの魔石を凝視していた。
「うん……大丈夫そう」
手のひらがじんわりと温かくなり、身体からなにかが抜けていくような感覚がしてくる。いつも、瘴気を祓うときよりもそのスピードはゆっくりだ。
(そっか……森では、早く祓わなきゃって思ってるから)
魔法は使うときの精神状態が大事だと言われている。つまりは、瘴気を祓いたい、人を助けたい、そういう思いで魔法が発動するのだ。
この世界を助けたいという感情はなかったはずだ。けれど聖は、元の世界に帰るために瘴気を祓わなければならないと考えていた。それに、聖を守っている聖女部隊の面々は命がけだ。彼らのためにも気が急いていたのだろう。
魔石から自分の魔力を感じる。気を失うことはないが、このまま眠ってしまいたいくらい身体は疲れていた。おそらく、ほとんどの魔力を魔石に移したのだろう。
「……終わった……と思う」
「わかった」
オーウェンは魔石を布袋に包み、席を立った。
「聖はゆっくり休んでいてくれ」
「うわ……っ」
身体がふわりと持ち上がり横抱きにされると、寝室へと運ばれた。ベッドに下ろされて、オーウェンの手のひらが聖の額に触れた。
「無理ばかりさせてすまないな」
「私を……守ろうとしてくれてるからでしょ。協力するって決めたのは私。だから平気」
聖が言うと、オーウェンは驚いたように目を見開き、ふわりと笑みを浮かべた。その笑顔をもっと見ていたいような気がして、無意識に手を伸ばしてしまう。
「あ……ごめ……っ」
慌てて手を引こうとするが、その前にオーウェンが聖の手を握っていた。手のひらを頬に押し当てられて、胸が詰まるほどの歓喜に泣きそうになった。
「君が眠るまでそばにいてもいいか?」
「うん……手、握っててほしい。こうしてると、落ち着くの」
彼は、聖に瘴気を祓うこと以外はなにも強制してこなかった。好きな人がいると言ったときも、帰りたいと言ったときも、聖の思いを尊重してくれた。
(いつか……報えるかな)
聖魔法を使えるのはこの世界に聖一人だけ。けれど、自分はいつも彼に守ってもらってばかりだ。
聖はこの世界で生きていくと決めたのだから、自分にできることをして行かなければならない。聖が森に行かなければ、彼らの安全にも繋がる。
聖が目を閉じると、指が絡められた。
魔力の回復を求めるように、意識が闇に攫われていく。それでも、彼の体温だけは夢うつつの聖の意識にいつまでも残っていた。
思いのほか早いタイミングでその日はやって来た。
オーウェンが部屋にやって来たのは魔石が完成してから一週間後のことだ。ノックの音と共に外からオーウェンの声が聞こえる。
「セイ、いいか?」
「うん……どうぞ。次の派遣先が決まったの?」
「あぁ、次は例のものを使用することにした。このことは聖女部隊にしか話していない。セイもそのつもりでいてくれ。出立は明日だ」
「わかった。ケリー、準備をお願い」
忙しかったのか、オーウェンはそれだけ言って出ていってしまった。
ケリーが早速準備に取りかかる。聖は大して忙しくはないが、聖女部隊や侍女のケリーは明日の朝まで休む暇もないだろう。
自分が動き回っては、忙しい彼らの手を煩わせてしまうため、聖は部屋で暇を潰すことにした。とはいえ、することは限られている。
聖は日課の筋トレをすることにした。
(けっこう体力はついてきたよね……次は、と)
空手の型でもやってみようか。
突然思い立ち、支度で忙しいケリーに気づかれないように衣装室へ行くと、なるべく動きやすそうなドレスを選んで着替えた。オーウェンと街に出るときのために、ケリーが用意しておいてくれたものだ。
ただ、首元のボタンだけが留められず、仕方なくそのままにしておく。背中が見えるわけではないし、べつにいいだろう。髪は紐で高い位置で結んだ。
「ふ……っ、ふっ」
腕や足を流れるように回し、ぴたりと動きを止める。足先や指の先まで血が巡っていくのがわかる。肌に汗がじんわりと滲んできて、頭の中が空っぽになる。
前の身体に比べたら動きは鈍いが、体力がついたおかげか思っていた以上に動ける。
夢中になって身体を動かしていると、いつの間にか一時間以上経っていたようで、気づくといつの間に部屋に来ていたのかオーウェンが愕然と聖を見つめていた。
「あれ……? オーウェン、いつ来たの?」
聖がぴたりと動きを止めると、皆、ようやく時間が動き出したみたいに我に返った顔をする。
「あ、いや……かなり前だ」
「へ? そんなに前から見てたの?」
恥ずかしさのあまり頬を押さえると、オーウェンはやや顔を赤くして熱の籠もった目を聖に向けた。
「その、なんだ、セイに、見蕩れていた。この国にも剣舞というものがあるんだが、さっきのはそれに近いのか?」
「これは、空手の型って言って、元の世界の競技なの。集中できるから」
「そうか。また、見たいな」
オーウェンは、聖の汗ばんだ頬に触れると、眩しそうに目を細めた。
「あ、汗かいてるからっ」
「じゃあ、拭いてやる」
懐からハンカチを取りだしたオーウェンは、聖の濡れた額や首筋を丁寧に拭っていく。ハンカチ越しとは言え、胸元に近い部分に触れられて、よけいに汗を掻きそうだ。
「あの、ハンカチ……汚れるよ」
「こういうときのために持っているんだ」
「ふぅん、モテる人は違うね」
ややふてくされた気持ちで言うと、それに気づいたのか、オーウェンが聖の耳に顔を近づけてきた。
「セイにしかやらないに決まってるだろ」
一瞬にして、聖の顔が真っ赤に染まり、空気に徹しているケリーやディーナの視線が生温かいものに変わった。
婚約をしているのだから、彼の態度はおかしくない。むしろおかしな疑いを持たれないように、積極的に仲がいいところを見せつけているだけだとわかっている。
(だって、二人きりのときは、絶対、私に触れてこないもんね)
けれど、自分だけが翻弄されているようで悔しい。人の気も知らないでと言いたくなるというものだ。
「仕事はいいの?」
「今日は明日に備えるために休息日だ。汗を流すなら、一緒に風呂に入ろうか。全身隅から隅まで洗ってやる」
「洗う!?」
ますますオーウェンの身体が近づいてくる。聖の頭の中はパニックだ。
元の世界の影響か想像だけは逞しいため、バスタブで身体を洗われているところを想像してしまい、頭に血が上る。
聖がふらふらと倒れそうになったところで、腰を支えられた。
「危ないな。頭を打つぞ」
「だって、オーウェンがっ」
「大丈夫。もう誰もいないから。気を利かせて出ていったんだろう」
オーウェンが囁くように言って、聖から身体を離した。つい名残惜しげに彼の手を追いかけるように視線を動かしてしまい、聖は慌てて目を逸らした。
「しまったな。風呂の用意だけケリーに頼んでおけばよかったか。一人でできるか?」
「で、できるから、平気」
ぎこちなくギクシャクと動きながらバスルームのドアを開けると、後ろからオーウェンの腕が伸びてくる。まさか本当に一緒に入る気ではとぎょっとしていると、違うというようにクスクスと笑われた。
「これ、ほかの男がいる前ではだめだぞ。ボタンは上までケリーに留めてもらえ。髪も、俺以外の男がいるところでは上げないように。そそられる男がいたら困る」
オーウェンの指先がうなじに触れた。首の後ろの一つだけ開いたボタンの部分を撫でられて、くすぐったさに身を捩る。
(困るって……)
違う。オーウェンはただ、貴族としての常識を教えてくれているだけだ。貴族女性たちは肌を見せないように首から足首までを隠しているから、はしたなく見えるという注意でしかないはず。
聖もこちらに来てからは、ずっとローブ姿だが、中に着ている服は足首辺りまであるワンピースだ。運動中でもなかったら、こんな薄着にはならない。
どこもかしこも隠しすぎではないかと思っていたのに、ただうなじが見えているだけのことが、今は恥ずかしくてたまらなかった。
「わ、わかった。お風呂……入ってくる」
聖は逃げるように風呂場に入った。
意識しているのがバレてはいないだろうか。
彼に気持ちを返してもらおうなんて思っていないし、これ以上の負担はかけたくない。
魔道具に魔力を込めてバスタブに湯を溜めると、聖は運動用の服を脱いだ。うなじにそっと触れては、悶えるような恥ずかしさに襲われていたのだった。
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