第19話
そのときノックの音がして、外から「オーウェン殿下がいらっしゃいました」とエンベルトの声がかかった。
「どうぞ」
聖は読んでいた本を閉じて、オーウェンを出迎えた。珍しく彼は騎士服を着ておらず、いつもよりも若干ではあるが地味な格好をしている。
真新しいシャツにズボンという出で立ちで、フロックコートを腕に掛けている。地味な格好をしても溢れる気品は隠せないものなのだな、とぼんやりと見つめてしまった。
オーウェンをテーブルに案内し、聖も向かい側に腰かける。
「邪魔をしたか?」
「ううん、次の場所が決まったの?」
「いや、まだだ。ずっと王城に閉じこもっているのも暇だろう? セイがよければ王都を案内しようかと思って来たんだ」
オーウェンの言葉に侍女であるケリーの目がきらりと光る。
聖はいつも、ワンピースのような服の上に聖女の白いローブを羽織るだけの格好をしているため、用意されたドレスも宝飾品もほぼタンスの肥やしになっている。
ケリーに言われてドレスに袖を通してみたものの、苦しくてしょうがなかったのだから仕方がない。
普段家ではほぼジャージで過ごしていた聖は、そもそも着飾った経験がないし、ヒールのある靴を履くのもかなりキツい。
結局、この世界に召喚されたときに着ていた白のローブが一番楽だということに気づき、同じようなものを複数用意してもらった。
ローブは聖女としての正装らしく、王城内を歩くのにも適している。
「うーん、そうだね」
「気が乗らないか?」
気が乗らないとは言いにくいが、その通りだった。
自分が元の世界を忘れて、こちらの世界に馴染んでいくのが怖いのだ。楽しいと思ってしまうと、諦めに繋がるのではないかという不安もある。
だから、聖女の仕事以外で王城の外に出ようとは思わなかったし、ましてや観光なんてするつもりもなかった。
正直にそれを言うと、ケリーは悲しそうな顔をした。だが、オーウェンは顎に手を当てながら「ふむ」と逡巡し、聖を真っ直ぐに見つめる。
「やはり、行こう」
「なんで?」
「セイが帰ったとき、この国にいやな思い出しかなかったら寂しいだろう」
そう言われて、この世界に来てからのことを思い出す。
聖の生活は城と森で完結していた。瘴気を祓うために街に寄ることはあっても、観光はしない。瘴気が発生する森の近くにある街や村は、魔獣の被害に遭った少ない食料を民で分けているため、聖たちが長居をするわけにはいかない。
つまり、オーウェンの言うとおり、聖は城から見える王都にさえ下りたことがなかった。
「いやな思い出か……」
魔獣を討伐する聖女部隊の姿。瘴気を祓う自分。この世界での聖の記憶はそんなところだ。血なまぐさい思い出ばかりである。
「セイの恋人も、君が殺伐とした日常を送るよりも、帰る方法を探しながらでも楽しんで笑ってくれていた方が安心するんじゃないか?」
オーウェンの言葉に納得する。
陽一にこの世界の話をするとき、森で魔獣と戦っていた話しかできないのでは、たしかに困る。心配させてしまいそうだ。
「うん……なら、行ってみようかな」
「では、早速準備を始めますっ」
すると、待ってましたとばかりに、ケリーが目をキラキラさせながら衣装室の扉を開け放ち何着ものドレスを取りだした。
冬とは言えいったい何枚着せるつもりだろう。よほど嬉しいらしいケリーの様子を見ていると、今まで彼女の腕を磨く機会を奪っていたことを申し訳なく思った。
聖は嘆息しケリーに「お願い」と伝える。
「なら、俺は外で待っていよう。用意が終わった頃にまた部屋に来る」
手を取られて、簡単にひょいと立たされる。痩せて見えるのに彼の力強さには驚かされるばかりだ。聖を抱き締める腕の太さを思い出し、頬に熱が溜まった。
(なに思い出してるの……)
いたたまれなさに聖がオーウェンから目を逸らすと、案じるような目で見つめられ端整な顔が近づいてくる。
「どうかしたか? 顔が赤い」
「な、なんでもないからっ」
「そうか、可愛くしてもらえ。待ってる」
やたらと甘ったるい微笑みを向けられると、どうしていいかわからなくなる。
彼に向ける自分の感情が、陽一に向けるものと同じ種類のような気がして、混乱するのだ。そんなはずがないのに。
オーウェンは聖女だから自分に優しくしてくれるだけ。
そもそも彼には婚約者がいるのだから。
そうやって必死に彼への想いを誤魔化していないと、陽一への想いが揺らぎそうになる。
(何ヶ月も陽ちゃんに会ってないからだ……寂しいから、そんな風に思うんだ)
こんなに長い間、陽一と言葉を交わさなかったことはない。なにせ生まれたときから一緒に過ごしているのだ。だから、この世界で優しくしてくれたオーウェンを心の拠り所にしてしまうのも仕方がないのかもしれないが、陽一を裏切りたくはなかった。
(元の世界に帰れば……なにもかも元通りになるんだから)
けれど、元の世界にはオーウェンはいない。そう考えると寂しさにも似た感情が生まれて、動揺が胸に広がった。
(違うってば……違う、違う。だって……オーウェンには婚約者がいるんだから)
いくつものドレスに着替えさせられる間、聖の頭の中は混乱を極めていた。知らず知らずのうちにため息が漏れて、疲れていると勘違いしたケリーが申し訳なさそうに、ウェストのコルセットの紐をぎゅうぎゅうと絞った。
カエルの鳴き声のような声が漏れても、ぐいぐい紐が引っ張られる。そもそもこの身体はまったく太っていないというのに、こんなにも細く見せる必要があるのだろうか。
「そ、そんなに……引っ張らなくても……ぐぇっ」
「殿下の前でそのような声は出さないようにお気をつけくださいね。セイ様はスタイルもよろしいですし、とっても可愛らしいですから、ついつい腕が鳴ってしまうのです。はい、コルセットは終わりです。あとは……お忍びですので、こちらのドレスを」
身体の前にドレスを当てられて、姿見を見る。
「流行とは少し外れてしまいますが、セイ様は甘いお顔立ちなので、こういった裾が広がるタイプのドレスがお似合いになると思うのです。貴族が着るドレスにしては質が落ちますが、商家のお嬢様という設定ですから。いかがですか?」
いつの間にその設定が出来上がったのか疑問だが、聖は逆らうことなく頷いた。
ケリーが自信満々に手にして広げたのは、いかにも少女っぽいドレープが幾重にも重なったプリンセスラインのドレスだ。外側はレース、ベース部分は厚い生地を使用しているようで温かそうだ。
(こういうドレスに憧れはあったけど、絶対に似合わないって思ってた)
今の自分の外見ならおそらくぴったりだろう。これを着てオーウェンと歩くなんて、デートではないかと考えてしまい、頭の中が沸騰したように熱くなる。
「お気に召さなければ……」
「あぁ、違うの。ごめん。それで大丈夫!」
「そうですか! では早速着替えましょう!」
「はいはい」
ケリーは嬉々として聖を着替えさせると、化粧を施し、髪を整えた。終わる頃にはぐったりしてしまったのは、ドレス選びからすでに二時間は経過していたからだろう。
「きっとオーウェン様も可愛いとおしゃってくださいます!」
やり遂げて満足したのだろう。ケリーは頬を紅潮させながら、鏡に映る聖を見つめた。
これほど喜んでくれるのなら、ドレスに着替えるのは辛いがまた機会を作った方がいいかもしれない。ケリーに侍女を辞められてしまうのは困る。聖にいやな感情をぶつけてこない相手は貴重なのだ。
すると、まるで見ていたようにドアがノックされて、外からエンベルトの声が聞こえた。どうやらオーウェンが迎えに来たらしい。
「じゃあ、行ってくるね」
「はい、行ってらっしゃいませ!」
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