第18話

 第五章



 この世界に来て二ヶ月が経った。

 春が近いのか、最近は朝晩の冷え込みが幾分かマシになっている。

 聖はいつものように自室で聖女関連の本を読みながら、何度かの遠征を思い返す。

 この二ヶ月、週に一度のペースで転移陣を使い遠方に赴き、聖女として瘴気を祓っている。魔獣の存在にはやはりまだ慣れないが、オーウェンも聖女部隊の面々も非常に強く、魔獣を倒すのも危なげない。

 ただ、問題があるとすれば一点だけ。

 聖魔法を何度使用しても魔力切れは起こり、立てなくなるたびにオーウェンに抱きかかえられていることだ。しかも、そのまま眠ってしまい、彼の腕の中で目覚めたこともある。

 聖は思い出すだけで熱くなりそうな頬を片手で仰ぎながら、ため息を漏らした。

 あれは一週間前。

 例のごとく、オーウェンは魔力切れを起こして立てなくなってしまった聖を抱き上げた。

『すごく……助かるんだけど、この体勢はどうなんだろう』

 お姫様抱っこで抱えられるとすぐ近くにオーウェンの顔がある。細身に見えるのに、彼の腕は思っていたよりもがっしりしており、聖を抱えて歩くのにも危なげない。

『下は冷えるから、こうしていた方がいい』

 彼は聖を心配してくれているだけ。わかっていても動揺は抑えられなかった。恥ずかしさから彼の顔を見られず目を瞑っていると、次第にうつらうつらしてくる。

 聖はいつものようにぐっすりと寝入ってしまった。

 身体に感じる重さと温かさで目を覚ますと、ぼんやりとした明かりが見える。

 今回、魔獣の被害に遭った村は、民の半数がやられ、さらに家の大半が壊されており、とても自分たちが宿泊できる状態ではなかった。そのため行きも帰りも村の一角にテントを張り、交代で見張りをつけながら過ごしている。

 ここまで運んでくれたのもオーウェンなのだろうが、いったいこの状態はどういうことだろうと、聖は半ばパニックになりながら自分を抱き締める男の顔を見つめた。

(寝てる……)

 焚いた火の明かりにオーウェンの端正な顔が照らされる。長いまつげに縁取られた目、高い鼻筋、触り心地の良さそうな髪。彼を見ていると、顔立ちにも品性が宿るのだなと感じる。口を開かなくとも、寝ていても、その高貴さは隠しきれない。

 聖のすぐ近くでオーウェンの寝息が聞こえる。彼の腕は聖の身体に回され、少しでも動けば起こしてしまいそうなほど身体が密着している。

(なんで、こういう状態になってるの)

 それに、水魔法で多少綺麗にしてもらったが聖は一昨日から風呂に入っていない。同じ状態のオーウェンからは多少汗の匂いがする程度だが自分はどうだろう。

 オーウェンを起こさないようにそっと彼の腕から抜け出そうとすると、もともと眠りが浅かったのか、オーウェンが目を覚ました。

 起こしてしまったことは申し訳ないが、聖はこの状態からようやく解放されることにほっと胸を撫で下ろす。

『起きたか?』

『うん……なんでオーウェンと一緒に寝てるの?』

 周囲はしんとしていて、風でさわさわと揺れる木々の聞こえるくらいだ。テントの外に声は聞こえないだろうが、聖も小さな声で話した。

『しがみついて離れなかったんだよ』

 オーウェンがなにかを思い出したように小さく笑った。

『そ、そんなわけない……』

『また元の世界の夢を見ていたんじゃないか? うなされていたぞ』

 聖がうなされながらオーウェンをがっしり掴んでいたから、仕方なく共寝をしてくれたらしい。

『ありがとう……もう平気だから、離して』

『まだ起きるには早い時間だ。それに寒いだろう。このままでいい』

『私はよくない……っ』

『なぜ? 陽一に悪いと思っている?』

 それももちろんあるが、そもそもオーウェンには婚約者がいるのに、ほかの女性を抱き締めて眠るだなんて、いくらなんでもその相手に申し訳が立たないだろう。

『なんとも思ってない相手に、普通はこういうことをしないものなの。こっちの世界の人は違うのかもしれないけど』

『そうだな、俺も同じだ』

 オーウェンはそう言って、ますます腕の力を強めると、聖の髪に鼻を埋めてくる。叫ぶわけにはいかないが、叫びたい心境だった。

(え、俺も同じってどういう意味!?)

 恥ずかしさと混乱で身体が一気に熱くなり、汗がじんわりと滲む。

 俺も同じ、という言葉は、聖を憎からず思っていると言っているように聞こえる。が、彼には婚約者がいるのに、それはないだろう。

『ほら、もう寝ろ。疲れている騎士たちを起こしたいか?』

『そうじゃ、ないけど』

『おやすみ、セイ』

 とても眠れるような状態ではなかったのに、赤子をあやすように背中をとんとんと叩かれると、不思議なことにうつらうつらとしてくる。

 目を瞑ると、額になにかが触れたような気がしたが、それがなにかを考える前に聖はふたたび眠りに落ちていたのだ。

(ほんと、あのときは衝撃だった……っ)

 しかも、抱き締めてくれる腕を陽一と勘違いしていたのか、聖は目覚めたとき、オーウェンの背中にしっかりと腕を回していたのだ。しがみついてきた、というオーウェンの言葉はうそではなかったと自ら証明してしまい、一概に彼だけを責められない。

(でもだめでしょ。ほかの男の人に抱き締められて目が覚めるとか……浮気だよ)

 聖は考えながら、本のページを捲った。文章などまったく頭に入ってこない。

(それに、婚約者の女性だって、いい顔しないよ、絶対)

 そのことを考えるとイライラしてしまうのは、きっとオーウェンの婚約者の気持ちになって考えてしまうからだろう。

 自分だったら、好きな人がほかの女性を抱き締めるなんて絶対に許せない。

 読んでもいないページを捲りながら、聖はぼんやりと窓の外に視線を向けた。

 聖女としての呼び出しがなければ、穏やかな毎日だ。数え切れないほどのドレスや宝飾品を与えられて、日がな一日だらだらと過ごしている。忙しければ考えずにいられたかもしれないが、無為に過ごす時間は否応なしに元の世界を思い出させる。

 いったいいつになったら自分は帰れるのだろう。オーウェンに聞くと、召喚魔法を新たに使うにはそれなりに時間がかかると言われる。

(それなりって半年? 一年……? それとも十年?)

 どのくらい時間がかかるかはわからないと言われると、先の見えない不安に押しつぶされそうになるのだ。

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