第7話

「いただきます」

 聖は今までそうしていたように手を合わせる。

 ナイフとフォークで肉を切り口に運ぶ。水差しに入った水を銀製のカップに注ぎ一気に飲み干した。小食ではないのに、パンと肉を何切れか食べただけで満腹になってしまう。

 ある程度腹が満たされると、椅子に座ったまま眠れそうなほどの疲れがどっと押し寄せてきた。

(もうお腹いっぱい。これしか食べられないなんて……自分が自分じゃないみたい)

 聖はナイフとフォークを置き、立ち上がった。三面鏡の前に立ち、信じがたい気持ちでもう一度自分の顔を見る。

 頬を掴み、力を入れて引っ張ると、鏡の中の自分の頬も伸びている。

「いた……っ」

 痛みは感じるし、力を入れて掴んだ頬は赤くなってしまっている。諦め悪く何度も夢ではないかと考えてしまうのは、そうである期待が捨てきれないからだ。

「セイ様、いかがなさいました?」

 痛いという声が聞こえたからか、隣室に控えていた侍女がノックと共に部屋に入ってきた。

「ううん、なんでも。ちょっと自分の顔に驚いちゃって」

 聖が苦笑すると、斜め後ろに立った侍女が鏡の中で柔らかく笑った。

「お美しくあられますものね」

 やはり彼女からはいやな雰囲気を感じない。この部屋で過ごす間、おそらく一番近くにいるであろう相手から侮蔑の感情を持たれるのは気分がよくない。信用できそうな相手でよかったと、聖は胸を撫で下ろした。

「食事はもうお済みですか?」

「うん、あまり食べられなかったけど」

「大丈夫ですよ。では、そろそろ湯浴みの準備をして参ります」

「お風呂の使い方、見てもいい?」

「えぇ、もちろんです」

 浴室は六畳ほどの広さで、中央に一人用のバスタブがどんと置いてあるだけで、シャワーや水道の蛇口などはない。どこから湯が出るのだろう。

 不思議に思っていると、侍女がバスタブの隅に手を翳しただけで水道の蛇口もないのになぜかバスタブに湯が溜まっていく。

「これも魔法?」

「いえ、これは最近開発された魔道具というものです。このバスタブの端に水と火の魔石が埋め込まれていまして、ここに魔力を注げば誰にでも使えます。今までは水魔法と火魔法の使い手が、魔法で湯の調節をしていたので、すごく楽になりました」

「魔石って?」

「私も詳しくないのですが、倒した魔獣の身体の中にあるようです。魔獣討伐の際に、オーウェン殿下が偶然発見されたと聞きます。魔石にはどんな魔力でも蓄えられる性質があるようで、あらかじめ火魔法と水魔法を込めた魔石に、魔法を使う要領で魔力を注ぐだけで火と水の魔法効果が現れ、湯が溜まります」

「ふぅん、便利だね」

 と言っても、現代日本に住んでおり、もっと便利なものを知っている聖からすると、むしろシャワーがないのが不便である。

 温度の設定などはどうなっているのかと聞くと、火魔法の魔石に魔力を込めると温まり、熱かったら水魔法で調節をするという感じらしい。

「オーウェン殿下が私財を投じて立ち上げた魔石研究所が研究し明らかになったのです」

 部下に調べさせていくうちに、魔石には様々な活用方法があるとわかったという。そこでオーウェンは研究に腰を入れるべく研究所を立ち上げたようだ。とはいえ、彼は騎士団の団長であり第一騎士団の隊長でもあるため、今は部下に任せきりになっていると言う。

 侍女は目を輝かせながら、バスルームに設置されたランプを指差し、あれにも魔石が使われていると説明した。

(そうだ、私は聖魔法しか使えないんだもんね。魔石がなかったら一人でお風呂にも入れないんだ)

 この魔石によって、火と水の魔法が使えなくても魔力を注げば同じ効果が得られる。今までと同じとはいかなくとも、似たような生活ができると知り安堵する。

「じゃあ、この国ではみんな魔石を使ってるんだ」

「いえ……魔石は発見されたばかりなのです。王城の風呂場や調理場、ランプにしか使用されていませんし、研究段階と言われています。魔法を使えない民に早く広まればいいと、王城で働く者は皆待ち望んでいるのですよ」

「魔法を使えない人も魔石に魔力を込められるの?」

「貴族のほとんどは魔法が使えますが、使えない人の方が多いですね」

「魔力がないから?」

「いえ、魔力を保たない人は存在しません。でも、ある程度魔力が多くないと魔法は使えないので、民の生活は不便です。火と水の魔法が使えれば貴族の邸や裕福な平民に雇ってもらえますから、働き口には一生困らないと言われているくらいですよ。魔力の多い者は王城勤務も夢ではないですし」

「どうして貴族だけ魔法を使えるの?」

「貴族は、魔力の多い女性を娶り子を産ませますから」

「そうなんだ……ね、これって私にも使える?」

「えぇ、もちろんです。ですが、これは私の仕事ですから、セイ様が魔力を込める必要はございません。では、セイ様。失礼いたします」

 侍女はやや強引に聖のローブを剥ぎ取ると、中に着ていた脱ぎ方のわからないワンピースのようなものを脱がせていく。

「え、え……ちょっと待って」

「大丈夫です。お任せください」

「ま、任せてって~無理~!」

 気づくと聖は丸裸にされ、十六歳にもなって他人に身体を洗われるという恥辱に耐えなければならなかった。

 隅から隅まで磨き上げられ、保湿のために香油を全身に塗りたくられた。バスルームに置かれた鏡に映る聖は、女性らしい体つきをしていて、肌にはシミ一つない。日焼けをしておらず、透き通るような白さだ。

(女の子らしい見た目に憧れはあったけど……こんなに嬉しくないなんてね)

 もとの自分の身体はコンプレックスだらけだったけれど、それでもあの身体に戻りたいと心底思う。

 筋肉で引き締まっていた腕に触れると、ふにゅふにゅと柔らかい肉があるだけだ。太腿もふくらはぎも真っ白でシミ一つなく、柔らかい。この身体はいったい誰のものなのだろうか。そして自分の身体はいったいどこにあるのか。疑問は尽きない。

「このままお休みになれるように、お体を少し解しますね。ベッドに横になっていただけますか?」

「あ、うん」

 肌に馴染む薄手の寝衣は襟や裾にレースがあしらわれている。

 浴室でさらに疲労困憊になった聖は、喋る気力すら残っておらず、諾々とベッドに身体を投げだした。

(お風呂に入っただけで疲れるなんて……寝る前のストレッチやってないし)

 腕や足、腰をマッサージされる。疲れていたのもあるだろうが、うつらうつらしてしまうほど侍女の手は心地好かった。

 シーツに身体を沈めながら目を瞑ると、陽一の姿が頭に浮かんでくる。

(陽ちゃん……今、どうしてるのかな……私を探してる?)

 聖は学校帰りに陽一と勉強をする約束をしていたのだ。あの光に包まれたあと、学校では騒ぎになったはずだ。陽一は無事だろうか。

(会いたいよ、帰りたいよ、陽ちゃん)

 目が覚めたら、元の世界だったらいいのに。それが叶わないのなら、せめて夢でだけ陽一に会わせてはくれないだろうか。

 目を閉じると、あっという間に眠気がやってきた。

 シーツに吸い込まれるように身体が眠りへと沈んでいく。

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