第5話

「セイ、手を」

「え?」

 オーウェンは手のひらを聖に向けてくる。彼の手の上には、拳ほどの水の玉がうねりを上げてくるくると回っていた。水なのに重力の逆らうように手のひらの上で浮いている。

「え……なにそれ」

「水の塊をよく見てくれ」

 言われたとおりに目を凝らしていると、水が集まる中心部分にぼんやりとしたなにかの気配を感じた。オーウェンの身体からなにかが出て、手に集まっているような感覚。

「おそらく今、セイの目には魔力が見えているはずだ」

「うん、見える。これが魔法? 私もできるの?」

「いや、俺は水に適性があるから水魔法が使える。聖魔法ではできない。ただ、これと同じ要領で聖魔法を使えるはずだ。触ってみろ」

 聖が手を伸ばすと、水の固まりの中にじんわりと温かななにかを感じる。おそらくこれが彼の魔力なのだろう。

「これ、私はどうやって試せばいいの?」

「実際に瘴気を祓ってみればいい。これから魔獣を見に行こう。地下牢に捕らえてある」

 オーウェンが立ち上がり、聖に手を伸ばした。それを大丈夫だと言って断り、聖も立ち上がる。

「魔獣を?」

「あぁ、どういうものを相手にするかを先に知っておいた方が心構えができるだろう? それに、瘴気は聖にしか見えないし、感じられない。黒い靄のようなものに覆われていると言われているが、俺では上手く説明できないんでな。見てもらった方が早い」

「わかった」

 聖はオーウェンに連れられて王城内の庭を突っ切り、離宮へ向かった。先ほど部屋に案内してくれたときも一緒にいた男性が護衛としてついてくる。

 オーウェンは帰る方法を探してくれると言った。ならば自分も協力するほかない。

 オーウェンに連れていかれたのは罪人を入れるような薄暗い地下牢だった。強固な檻が左右等間隔に並んでおり、奥からはヴヴッとなにかのうなり声が聞こえてくる。

「ここだ。あまり牢に近づきすぎないでくれ。檻があっても爪や牙でやられたら死ぬこともある」

「う、うん」

 震えそうになる足を一歩ずつ前に出す。檻の中にいたのは、真っ黒いウサギのように耳の長い動物だった。だが、ウサギと決定的に違うのは、あり得ないほどに長い牙と長い脚の爪が生えていることだろうか。

「魔獣となった動物は、目が赤くなり、爪や牙が伸びる」

「これ、ウサギだよね?」

「元はな。人がいると怯えて近づいてこない動物でも、魔獣となるとこうなる」

 大きさは普通のウサギと変わらないのに、可愛さはまったくない。

(あれ、黒い……わけじゃないの?)

 よくよく見ると、汚れているが元の体毛は茶色だとわかる。黒く見えていたのは、魔獣の身体が黒いなにかで覆われていたからだ。

「これが、瘴気」

 肌に刺さるようなざわざわとしたいやな感覚がする。先ほどのオーウェンの魔法に触れたからか、自分がどうやってそれを祓えばいいかもなんとなくわかる。

「できるか?」

「……うん、たぶん」

 聖がまっすぐに腕を伸ばすと、檻の中にいる魔獣が怯えたように後ずさった。けれど、離れていたとしてもこの距離なら届く。

(この、靄を消せばいいんだよね)

 消えろ、消えろと念じていると、さらりと風に吹かれたような感覚がして、動物の茶色い体毛が見えてきた。あれだけ長かった牙と爪が短くなっている。そこにいるのは小さく可愛らしい一匹のウサギだ。いやな感覚はすっかり消え失せており、空気が綺麗になったような感じがする。

「できた?」

「そうだな……助かったよ、ありがとう」

「どうして、オーウェンがお礼を言うの?」

「俺たちでは魔獣を殺すしかないだろう?」

 聖ならば魔獣となった動物を元の姿に戻せる。オーウェンはそう言いたいらしい。

 討伐の要請があれば、人里に下りてきた魔獣を駆除するために王都から騎士団が派遣される。だが、元は人間の生活圏には足を踏み入れない臆病な動物も多いのだと言う。

「それに、魔獣となった動物は身体の内部から作り替えられるのか、その血は人間にとって毒になる。殺すしかないが、命をただ無駄にするのもな」

 血は毒に、肉は腐っており、とても食べられないらしい。魔獣の身体に魔石があるとわかったのはつい最近で、それまで命を無駄にするしかなかったとオーウェンは肩を落とす。

「オーウェンって、王子様らしくないよね」

 魔獣が食用にならないことを残念に思うなんて、王子様の言葉とは思えない。

「騎士団に入っていれば、これが普通になるんだ。野営だと保存食を持っていくが、その場で動物を捌いて食うのも珍しくない」

「オーウェンはお坊ちゃまじゃないの? それ、大丈夫なの?」

「お坊ちゃまは俺だけじゃないさ。騎士団の多くは貴族だから。でも、騎士団に入ってすぐ鍛えられるんだ」

 聖が召喚された部屋にいた貴族たちは、じゃらじゃらと装飾品のついた服に袖を通しており、聖が想像する貴族らしい貴族だった。そんな人たちが野営で動物を捌くなんてできるのだろうか。

「どうやって?」

「騎士団は、聖女を守る第一、王族の警護を主とする第二、王城の警護担当の第三、各隊に派遣される魔法騎士の第四、それと領主からの依頼で瘴気の発生を調査し魔獣を間引く役割の第五騎士団で成り立っている。新人騎士は全員、第五騎士団に配属される。第五に配属されてすぐ森の中に放り込まれ、一週間水と保存食だけで生き残れと言われるんだよ」

「それは……過酷だね」

「あぁ、俺も含めてだが、野外でなど寝られないって奴らばかりだったからな。最初は、風呂に入れないとか、保存食がまずいとか文句が出る。何日か経って文句を言う気力もなくなった頃、隊長がな、動物を捕まえて捌くんだ。で、俺らに見せつけるように焼いて食う。そのあと、保存食を囓ってた奴らが競うように食える獣を探し始める。そのおかげで今は動物が食い物にしか見えなくなったよ」

 そういえば聖も、公園に遊びに行くと祖父に連れだされて、山奥で修行をつけられたなと思い出す。陽一も一緒に食べられる木の実を探し、魚を釣り、鳥の捌き方を教わった。

 祖父はいったいなにを目指していたのか疑問だが、陽一と聖はいつ遭難しても大きな怪我でもしない限りそこそこ生き残れる程度には鍛えられたのだ。

「だから、安心していい。森の中で戦いながら、セイを守るくらいなんでもない。ただ、森の中をそれなりに歩くから、体力だけつけておいてくれるとこちらも助かるが」

 オーウェンは自信ありげに言った。魔獣に会わせたのは、聖が本当に瘴気を祓えるかの確認でもあっただろうが、突然聖女としての役割を求められた聖を安心させるためでもあったのかもしれない。

「森の中を歩くのはそれなりに慣れてるから。でも、この身体、筋肉全然なさそうだから、ちゃんと体力つけておくよ」

「そうか、期待してる。でも、無理はしなくていい」

 オーウェンは、そう言って聖の頭をそっと撫でた。おそらく背は以前より高くなっている。だが、顔立ちが幼いから、彼からすると子どものように見えるのかもしれない。

(この世界の人、みんな、身長高すぎなんだよ……)

 護衛のうち二人は女性だ。彼女たちの身長は聖よりも高い。オーウェンに至っては、百九十はあるのではないだろうか。彼らに囲まれていると、前も横も見えず閉塞感がある。

 聖を自室まで送り届けたオーウェンは、護衛の一人に扉を開けさせたまま、部屋には入らず話し始めた。

「今日は疲れただろう。もう休んだ方がいい」

「うん」

 時間はわからないが、室内は薄暗くなっている。夜ではないだろうが、この身体が軟弱なのか聖はすっかり疲れ果てていた。

 寝て起きたら、夢だったというオチならいいのに、という希望もあった。きっとそうはならないとわかっているけれど。

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