第3話 お兄ちゃんになった日

 俺、いちじょうしんは当時、普通の高校生だった。

 ある日――父親が再婚相手を連れてくるまでは。


「初めてまして。翠です」


 再婚相手の母親が――娘を連れてくるまでは。




 ***




 自らの義妹となるその少女を見た時――俺の脳に電撃が走っていた。

 ――神経が、シナプスが爆発するように、ビビビッという強烈な電撃が。


 妹はあまりにも可愛らしく、まるで天使だった。

 その時、理解したのだ。

 ――自分の生まれてきた、意味というものを。


「俺、お兄ちゃんになるために生まれてきたんだ」

「……? 何言っているんだ、息子よ……怖いぞ」


 新しい家族ができた。

 みどり……妹は最初こそ他人行儀だったものの、俺が全力で甘やかしているうちに、段々と遠慮なく接してくれるようになった。

 俺もまた、それが喜びになっていた。


 ――そうしてある日のこと。

 妹は俺に秘密を打ち明けてくれたのだ。

 それは……彼女が重度のオタクであること。

 アイドルやモデルに関わらず、アニメやラノベ、Vtuberといった、二次元三次元問わないらしい。

 彼女は、自分のことを地雷だと言っていた。


 俺は思った。

 妹は、心を打ち明けてくれたのだ。

 きっとそれは、俺を――兄として認めてくれたのだと、そう思った。


「こんなの――俺も、お兄ちゃんをするしかないだろ!」


 冴えない男子高校生にしかみえない俺にもまた、実は一つ秘密があった。

 それは――かつて「一条蓮」という名前の子役であったこと。

 長い前髪に手入れして、髪型をセットすれば俺の顔はそこそこ悪くない。

 もしかしたら、今からでも俳優としてやり直せれば、妹を喜ばせられるんじゃないかと思った。


「蓮さん。私は信じていました。それもこんなに格好良くなって……復帰、全力でサポートします」


 そうして復帰の段取りはすんなりと開始した。

 かつて俺に目をかけてくれたマネージャーさんが、今でも俺に期待してくれたからだ。

 ――しかし、そこで問題が発生した。


「お兄ちゃん、この人すごくカッコよくない? イケメンって見ているだけで幸せ」


 ある日、妹はそう言って読者モデルの雑誌を見せてきた。

 ――見ているだけで幸せ。

 ――見ているだけで幸せ。

 ――見ているだけで幸せ。


 キュピーンッときた。

 見ているだけで幸せを与えられるなら、態々俳優になる必要はない。

 実は、俳優になるには一つ悩みがあったのだ。

 当然、ドラマ撮影に時間がかかるのは子役時代に重々承知していたし、ロケが地元とは限らない。


 デイシーンのみの順どりなら日帰りもありうるが、リテイクやインサートはこの業界じゃ当たり前に行われる。

 即ち、俳優をやり出したら、妹といる時間が無くなってしまうではないか。


 そもそもの話。

 妹の趣味は三次元に関わらないのだから、俳優業だけで済むとは最初から考えていなかった。


「蓮さん……どうして俳優ではなくモデルに?」

「俺がお兄ちゃんだからです」

「蓮さん……意味がわかりません」


 そう言いつつも、マネージャーさんは俺の要望通りモデルとして活動することを許してくれた。

 マネージャーさんは優秀な人だ。

 結果として、まったく滞りなくモデルタレントとして再スタートすることができたのだから。


「でもやっぱり勿体ないですね。蓮さんは声も格好いいのに、モデルだと声は――」

「……ッッ!!」


 久々の撮影を終えた時、マネージャーさんの一言で、また一つの転機が訪れた。

 そうなのだ。

 モデルならば、声までは使わない。

 そして……妹は言っていた。


「この声優さん。すごくカッコいいの!」


 妹の推しは、一人じゃない。

 人間誰しも、推しは沢山いて然るべきものだ。

 果たして、その一人になったところで、それはお兄ちゃんと言えるだろうか。

 いいや言えないだろう(因果崩壊)


「マネージャーさん。俺、声優になります」

「――はい? あの、蓮さん……?」

「俺は本気です! お兄ちゃんなので!」


 マネージャーさんの伝手を使って声優になるのは、とても簡単だった。

 何しろ、子役時代に一度アニメ映画の収録を体験していたことも大きい。


 そうして俺は、全力で取り組んだ。

 モデル活動も、声優も……どちらもすぐに結果が出るわけじゃないが、スタッフさんが皆、成功を確信していると鼓舞してくれたので、俺も安心した。


 だが、そんな時……俺は気付いた。


「あれ? 妹の好みに合わせてくるお兄ちゃんって……?」


 本当は、雑誌の刊行日か、アニメのティザーが出るタイミングにでも、すべてを妹に明かすつもりだった。

 とはいえ、もしかしたら気持ち悪がられるかもしれない。

 俺は――声優として別名義をもつことにした。


 やがて、妹の目は雑誌に写る一条蓮や、主人公より目立っているらしいサブキャラ声優の二条ロンへと向き始めた。


「俺が……お兄ちゃんだ!!」


 そこから先の経緯は、忙し過ぎてうろ覚えだ。


「お兄ちゃん、この神絵師さん見て?」

「……ッッ!!」

「お兄ちゃん、このラノベ面白いよ!」

「……ッッッ!!!」

「お兄ちゃん、このVtuberずっと見ちゃう!」

「……ッッッッ!!!!」


 そうして俺は、モデルとなり、声優となり、イラストレーターとなり、ラノベ作家となり、Vtuberとなり――お兄ちゃんになったのである。

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