18:衝撃

 目の奥からうなじまで駆け抜ける電流のような感覚に、めまいを覚える。

 思わず後退ったアキは不覚を悟ったが、【B】はこちらを見て薄く笑ったままだった。

 

「……なにをした?」

 

 殴打された後のようなじんとした痛みを頭の奥に感じながらアキが聞くと、【B】はポケットからハンカチを取り出して差し出してくる。

 

「はい。鼻血出てる。ダサいから拭きなよ」

「一言多いとは思わんのか」

 

 なんとなく、ハンカチにまで警戒することにアキは屈辱を覚え、文句を言いつつも素直にそれを受け取った。

 女性用の柔軟剤らしい香りを感じながらアキが鼻血を抑えていると、【B】はしゃがんで顔を覗き込んでくる。

 

「だからぁ……キミに返したんだよ。キミの――記憶をさ」

「記憶だと……?」

 

 アキは【B】の言葉に眉をひそめた。

 それが本当だとして、なぜそれが魔物から出てくるのか。

 なぜそれをわざわざ自分に返すのか。

 

 【B】の意図をアキはまったく掴めない。

 

「じゃあもういっこ。ちょいコワ話をしてあげよう、少年!」

 

 どうせ放っておいても話すのだろう。

 アキはため息をついて、屈託のない【B】の笑顔から目を逸らした。

 

「その腕輪、初めてつけた時、痛かったでしょ。予想はついてると思うけど、あれって腕を通して脳への接続回路を形成してたんだよね」

 

 王女に腕輪を着けられた際、確かに腕からうなじにかけて激痛に襲われたことをアキは覚えている。

 特にソフィアから説明はなかったが、おおむね【B】の言う通りのことは予想していた。だからアキは口を挟まない。

 

「で、これはその腕輪のレプリカ。機能だけで人格はないけど、これもココに接続されてる。ヤバくない?」

「何がだ?」

 

 【B】は首を伸ばして襟をめくると、そこには赤い光沢を放つ首輪が嵌められていた。

 それから自らの頭をツンツンとつつく【B】に、アキは不機嫌に返す。

 

「や、だからさぁ、人間の意識――脳ミソなんて強心剤で興奮したり、鎮静剤で落ち着いたり、結局は化学反応の塊でしょ? 魂みたいに尊くて、手の届かないものじゃない。そんなところに勝手に接続されるって、ちょっと怖くない?」

 

 【B】は身振り手振りを交えて語り、ニヤニヤとした笑みを浮かべた。

 それが――いや、その内容になぜかアキは神経を引っ搔かれるような不快感を感じる。

 

 なぜだろう。

 

 無意識にアキは腕輪をかばうように半身を退いていた。

 

「もう慣れた」

「それそれ! ――どうして疑わないのかなぁ?」

 

 しゃがんでいた【B】が立ち上がる。

 すると、彼女は地面に生えていたらしい雑草を指先に摘まんでいた。

 

「キミの脳にはもうその腕輪から伸びる接続回路がびっしり根を張ってる。こういうのがいっぱいね。そんな腕輪に人格なんて別の存在が宿ってるんだよ? それってさ。脳に寄生する生き物と同じじゃない?」

 

 雑草の細い根から、土がぽろぽろと落ちる。

 アキは【B】の言わんとしていることに、自分が一定の理解を示してしまっていることへ苛立っていた。

 

「ソフィアは俺の相棒だ」

「そう思わされてるだけじゃない? ねぇ、思い出してみてよ。腕輪をつけた前後で、考え方は変わらなかった? 感じ方は変わらなかった? 君は君のままでいられたのかな?」

 

 雑草を掲げてゆっくりと距離を詰めてくる【B】に、アキは体が金縛りにあったかのように動けない。

 剣を振って遠ざけるのは簡単だ。だが、それ以上に彼女の言葉が冷たく心に侵入してくることを拒むことに精一杯だった。

 

 死ぬつもりだった自分が異世界に勇者などとして召喚され、なぜ言われるがままに戦ったのか。

 王女様が綺麗だったから? 城の人が優しかったから? 勇者である自覚が芽生えたから?

 アキは必死に頭の中できっかけを探したが、掴めない。頭が痛い。何かが邪魔をしている。記憶自体は確かなはずだというのに。

 

 ――それでも、俺は、ぼくは……。

 

「君はさ……」

 

 気がつくと、【B】は吐息を感じるほどの距離にいた。そして、耳元で小さく囁く。

 

「操られてただけなんじゃない?」

 

 その言葉に、アキの頭がカッと熱くなり、力任せに【無銘】を一閃させていた。

 手応えはない。

 

 だが、大きく飛びのいた女子高生の頬に、浅い切り傷が浮かび上がる。

 

「女の子の顔、普通に斬っちゃうんだ」

「ん……すまん」

 

 駄目だ。冷静になれ。

 そう己に命じて深く息を吐いた結果、そんな謝罪が口から出てきた。

 

 すると【B】は目を丸くした後に腹を抱えて笑い出す。

 

「あっはっは! お姉ちゃんの言った通りだ。おもしれー男!」

「お前もな。――魔物にしては、だが」

 

 【B】の傷口から垂れる血液は、だった。

 

 感づいてはいたものの、見た目では人間と変わらない魔物など初めてだった。

 

「そ? 割とウチら気が合う系? カラオケとか行くべ?」

 

 血をグローブで拭いながら誘ってくる【B】に、アキは呆れてため息をつく。

 

「行かん。そもそも行けないかもしれないぞ」

「どゆコト?」

 

 【B】は首を捻った。

 

 ――瞬間、彼女の右側頭部に赤いものが散る。

 

「こういうことだ」

 

 狙撃だ。アキは視界の端の気配から、【B】に対して銃口が向いていることを知っていた。

 彼らは撃つことをためらっていたようだが、彼女の血の色を見て射撃へと踏んだのだろう。

 

 素人のアキから見ても見事な狙撃だったと思う。

 だが、圧倒的に足りないものがあった。

 

 威力だ。

 

「は? 邪魔すんなし」

 

 【B】は少しよろめいたものの、首を軽く捻って撃たれたと思しき方向を睨みつけた。

 銃弾は何かしらの防御壁に阻まれていたのだ。

 

「アキくん、アタシが撃たれるの知ってたのに黙ってたの?」

「撃たれるだろうとは思っていたが、教えてやるほどの仲だったか?」

 

 アキが冷たく返すと、【B】は撃たれた箇所をポリポリと掻きながら「それもそっか~?」と不満げに納得する。

 

「んじゃ、そろそろドロンすんね。カラオケ楽しみにしてっから!」

 

 軽快に別れを告げた【B】は、凄まじい跳躍力で森の方へ飛び去っていった。

 アキは途端に疲れを感じ、その場に座り込む。

 

「奇怪な魔物だ。あんなやつが――いるんだなぁ……」

 

 そう呟くと急激な眠気が襲ってきた。

 駆け寄ってくる足音とヘリの音が近づいてくる。

 

 もうこのまま眠ってもいいのかもしれない。

 アキが全身に張っていた魔力を止めると、剣と霊翼が虚空へと散る。

 そして、首をもたげて深く息を吐くのだった。

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