14:追憶、四
勇者よ、夢を見よ。
体に覚える感覚、心に浮かぶ情動、すべてが変わらない夢を。
それを記したるは、汝の魂がために。
…………………………
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…………
……
「アキ、てめぇ馬鹿野郎ォ! ヴァルの射線に入るなっつってんだろうが!」
「ご、ごめん!」
――最悪だ。
こういうのが嫌だから運動部を中学でやめたのに。
ぼくがこの世界に召喚されて、一ヵ月ほどが経った。
その間に変わったことといえば、一番はお城からは書置きを残して、逃げるように出てきてしまったことだろう。
別に酷いことをされたわけではない。どちらかといえばお城の人は親切だったと思う。
けれど。
『ソフィア。嫌い。ここ。特に、王女さま。嫌い』
ソフィアのそんな言葉もあって、ぼくも何かと下手に出てくるお城の人たちを信用できなかった。
まぁ、正直、息苦しかったのだ。
誰も彼もが「勇者様」と呼んできて頭を下げられ、剣や魔法の練習ではぼくの覚えの悪さに残念そうな顔をされる。
別に好きで勇者になったわけじゃないし、何か特技があって選ばれたなんて話も聞いちゃいない。
勝手に召喚して勝手に勇者にされただけのぼくは、そんな状態に嫌気がさして飛び出してきてしまったのだ。
そして、近くの街で冒険者業をやっていたところ、今のパーティに拾われた。
きっかけは本当に些細なことで、パーティリーダーのクラウスから声をかけられたことだ。
冒険者ギルドでは日常茶飯事な揉め事で、クラウスが殴り倒した男のゲロがぼくの靴にかかった。
それだけで、なぜかクラウスはその日からぼくをパーティに加えた。
けれど、ぶっちゃけるとたまに……いや、結構な頻度で後悔している。
クラウスは人格者とは程遠い性格だったのだ。
そして、今日もぼくは彼に叱咤されながら、【腕狼】の背後に回る。
【腕狼】は見た目はオオカミだが、背中から二本の大きな人の腕が生えた気味の悪い魔獣だ。
オオカミ特有の俊敏さも脅威だが、その腕に掴まれば大怪我は免れない力を持っている。
すると、肩に軽い衝撃を感じて、生意気そうな声が聞こえた。
「邪魔!」
盗賊上がりのナナルが僕を踏み台にしたのだ。
邪魔なのはそっちだろうに、と思いつつ、【腕狼】の背中を斬りつける。
同時にナナルによる空中での短剣が一閃し、二本の腕が同時に斬り落とされた。
やった。今のはいい連携だった。
そう思った瞬間、それまでクラウスに向いていた敵がこちらに飛び掛かってきて、慌てて腕を前に出す。
「いッ!」
「アキ!」
ソフィアによる防御壁も間に合わず、左腕を噛まれ、バキバキとぼくの腕から音が鳴った。
ここで倒れたら喉元に食いつかれる!
激痛に視界がチカチカする。けれど、ぼくは歯を食いしばって、敵の腹に剣を突き刺した。
さらに横から飛んできた矢が【腕狼】の首元に刺さるけれど、まだ止まらない。
そのとき、盾を捨てて大きく跳躍したクラウスが見えた。
ぼくは意を察して両腕で踏ん張る。
「オラァ!」
逆手に持ち替えたクラウスの長剣が【腕狼】の体を深く貫いて、やっと僕の腕は開放されたのだった。
「大丈夫? 骨は繋がったと思うんだけど」
「うん。ありがとう」
戦闘後、腕を治療されて、ぼくは素直にお礼を言う。
ノエルは茶髪の丸顔が可愛らしい治癒術士だ。パーティに入ったばかりのぼくをよく気遣ってくれる。
もし残念なところがあるとすれば――。
「ノエル、あんま甘やかすんじゃねぇ。そいつがトチったんだ」
「感染症になったら大変でしょ。ほら、腕を洗ってきて、アキくん」
――クラウスと恋仲だというところかもしれない。
焦げ茶の短髪をガシガシと掻いたクラウスは「チッ」と舌打ちをすると、周囲の見張りに戻った。
まぁ、言い方はともかく正論だ。
相手の腕を斬り落としたあとにすぐ離れなかったぼくが悪い。
そして、離れないならソフィアが展開してくれる防御魔法を構えておくべきだった。
「へへっ、だっせー!」
そんなこと考えていると、猫のような耳が生えた少女の声が聞こえる。
ナナルだ。
ぼくは立ち上がりながら、彼女を睨んだ。
「はいはい。今日はゲームやんないんだね」
「はぁ!? 関係ないじゃん!」
ナナルとは毎晩のようにカードを使った遊びをしていて、割と彼女はそれを楽しみにしてる。
本気で言ったわけじゃないのに、僕の一言で地団駄を踏むあたり、だいぶ子供っぽい。
すると、長身で色黒の男、ヴァルフレイド――ヴァルに肩を叩かれた。
「気にするな。次は備えておけ」
なにを、とは聞き返さない。
寡黙で、ちょっとズレたところのあるヴァルだけれど、彼はよくアドバイスをくれる。
弓の射手であるヴァルだからこそ、傍目から見たぼくの戦い方の粗がわかるんだろう。
「うん。川にいってくるね」
「ねぇ、アキ! 謝るからゲーム!」
「冗談だからついてこないでよ」
そう言わなければいつまでもついてきそうなナナルを追い払って、川へと向かった。
その道中、ぼくはひとつの木に目を奪われる。
この森でも特段大きな木だ。
ぼくが両腕を伸ばしても囲い切れない太い幹に、高さも他の木とはまったく比にならない。
なにより周囲に淡い光が漂っていて、ぼくは思わずその木に触れた。
『マスタ。上方』
「えっ?」
ソフィアに言われて頭上を見上げると、木の枝葉に何かが見える。
小人だ。いや、種族をなんていうかわからないけれど、精霊の類だと思う。
彼らはこちらを見て、口々に何かを言っているように見えた。
『形式、解析。言語化――。マスタ、勇者か、否か。確認してる』
「そうなんだ。……こんにちは。お邪魔してごめんね。一応、勇者ってことになってるよ」
声をかけると、小人たちは嬉しいのだろうか。体を小刻みに揺らす。
その様子が可愛くて、ぼくはしばらく眺めていた。だが突然、小人たちが道を譲るように一斉に移動する。
彼らの間から降りてきたのは、髪の長い女性の形をした霧状の存在だった。
本当にあやふやな造形で、顔も目と口があるくらいしかわからない。
『魔力検知。およそ、精霊。敵意なし』
ソフィアの言う通り、魔物や魔獣のような邪気は感じなかった。
それは僕の周りをぐるっと回った後、手を差し伸べてくる。
迷うことはない。たまたま来ただけのぼくを歓迎してくれているなら、精霊と踊るのだって悪い気はしない。
ぼくはゆっくりとその手に触れた。
『言語化――勇者、認める。我、陽光と清水と共にあり』
触れた手から眩い光が奔る。
手に魔力の流れを感じた。
ぼくは意識的にそれを受け入れる。
魔力を扱う際に気をつけることは、心の持ちようだ。
強い魔法を使いたければその分強いイメージを思い描き、体を治癒するには労わるように魔力を流す。
だから、ぼくは認めてくれた彼女に対し、力を賜るために敬意を払うのだ。
――そうして気がつけば、手には緑色の杖があった。
捻じれた木の先に青い宝玉のついた杖。宝玉は水のように透き通っていて、握っていると足元から活力のようなものを感じる。
顔を上げると、精霊はいなくなっていた。
「力を貸してくれたんだね」
『
この森みたいに、生き物がたくさんいる場所だと力を貸してくれるってことかな?
ソフィアも頑張ってくれているとは思う。
けれど共通言語を話さない存在の言うことを、さらに彼女を通して聞くと概念を予想するくらいが精一杯だ。
「名前はどうしよう」
そう聞くと、ソフィアから悩むような思念が送られてくる。
正直、名前をつけるのはぼくの自己満足だけど、考えてくれるのなら任せようと思った。
しばらくすると、ソフィアは姿を現してちょっと自慢げに言う。
『精霊杖【青翠】』
ふふん、どうだ、と言わんばかりに腰に手を当てて、けれど無表情な相棒にぼくは笑った。
「いいと思うよ」
『褒めろ』
「よしよし」
近寄ってきて頭をこすりつけてくるソフィアを撫でる。そして、ぼくはその場を後にしようと振り返ると――。
「あ……」
――クラウスが立ち尽くした様子でこっちを見ていた。
目を見開いて驚いたような表情は、彼にしては珍しい。
「……み、見てた?」
「あァ……」
ぼくが声をかけるとはっとしたように、いつものクラウスの顔に戻った。
そして、すぐに振り返って歩き去ろうとする。
「ま、待ってクラウス。みんなには……!」
「言わねぇよ」
「え?」
短く発せられた言葉に、僕は思わず聞き返した。
クラウスはまた髪をガシガシと掻いて、こっちも見ずに言う。
「お前ェが何モンかなんて知ったこっちゃねぇ。冒険者なんざ貴族のボンボンから貧民街の盗み屋までなんでもござれだ。勇者サマが混じってても気にしねぇ。わざわざ言うことでもねぇだろ」
そう深くため息をついたクラウスの横顔は、どこか遠いところを見ているように感じられた。
「だからお前ェも気にすんな。俺ァは金を稼げりゃそれでいい。ただ、命を預け合ってるってことだけは覚えとけ」
「……うん」
「それよか、いい加減その軟弱な喋り方を改めやがれ」
「えぇ……? ぼくの話し方、駄目?」
意外な言葉に、ぼくは自分を指差しながら目を丸くする。
すると、クラウスは呆れた顔でぼくの胸を拳で小突いてきた。
「そのボクっつーのもやめろ。冒険者はナメられねぇことが肝要だ。年上だろうがなんだろうがお上品な口の利き方すんじゃねぇ。いいな?」
「う、うん」
「お前ェはよぉ……」
「あ、ああ。わかった。クラウス」
「ならさっさと腕洗ってこい馬鹿野郎」
ぼくは――俺は言われた通り、川に向かって腕を洗う。
その間、俺はなんとなく嬉しい気持ちでいっぱいだった。
俺はクラウスが勇者だってことを広めないことに安心したわけじゃない。
きっと、勇者だと知っても変わらない。気にしないって言ってくれたことが嬉しかったんだ。
勇者になって、痛い思いも、辛い思いも、寂しい思いもしてる。
けれど、今こうして俺にも仲間がいることを思うと、生きているのも悪くないと思った。
立ち止まらなくて、よかったと、俺は思った。
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