13:血臭

 鮮血という言葉があるが、魔物を狩っているときにはその表現は使えない。

 

 なぜなら魔族の血は暗い紫で、お世辞にも鮮やかな色とは言えないからだ。

 アキは眼球に銃撃を食らって破裂する【牛頭】の顔を見ながら、そんなことを思う。

 

 体の動くままに任せるアキの思考は、もはや無意識に近い。

 巨大な手を伸ばしてくる【一つ目】を、こん棒を振り上げる【牛頭】を、ただただ効率的に斬り続けるだけだ。

 

 そうしていればいずれ終わる。

 

 とはいえ、臓物と血の濃厚な臭気は不快極まりない。

 腹に刺した剣を斬り上げて頭まで真っ二つにした【牛頭】を最後に、魔物の集団はすべて骸として地面に横たわった。

 

『敵性存在、殲滅』

「この程度か。しかし、なぜここに魔物がいる?」

『不明』

 

 ソフィアでもこの状況はわからないらしい。

 そして同時に、アキは異常なほどに冷静な自分を俯瞰する。

 

 剣をどこで学んだのか。敵の体を斬り飛ばすこの膂力はなんなのか。異形の化け物に恐れを抱かないこの心は、この意識はなんなのか。

 

 すべては自分が勇者だから、という答えに帰結してしまう。

 

 それ以上の答えはいらないのかもしれない。けれど、それはおかしい。自分はそんな冷めた人間だっただろうか。

 

 自問自答の末に、やはり鍵は自分の記憶であることをアキは悟った。

 アキがここに来たタイミングで偶然、魔物が現れるわけはない。

 そこには恐らく理由があるのだろう。

 

 だから、ここに来たことは無駄ではなかった。今はそれでいい。

 

「アキくん! 怪我はない⁉」

 

 戦いを終えて立ち尽くしていたアキに槇原が駆け寄ってくる。

 魔物の死体を踏み分けてくる辺り、彼女も戦い慣れているのだろうとアキは思った。

 

「ああ、問題ない」

「――⁉ す、すぐに逃げるわよ! ここにいたら巻き込まれる。――長渕、武田、先に退け!」

 

 耳元を抑えながら槇原が叫ぶと、気配を感じていた場所で一瞬だけ何かがチラっと光る。

 あれは噂程度に聞くスコープの反射か、と思っていると、どこからかヘリのローター音が響いてきた。

 

「くそっ、始まる! 急いで!」

 

 槇原に手を引かれながらアキが振り返ると、四機のヘリが巨大な花の魔物を囲むのが見える。

 そして、一斉にヘリの機銃が火を噴き、耳をつんざく射撃音がこだました。

 

 再び雄たけびをあげる魔物が、その花弁を振り回す。

 すると、何かキラキラと光る粒子が舞うのを見て、アキの背中に冷たいものが走った。

 

「ダメだ! ヘリを遠ざけろ!」

「えっ⁉」

 

 ――間に合わん。

 

 そう思ったアキは槇原の手を振り払って、左手をかざす。

 瞬間、凄まじい爆風がアキたちを襲った。



 ◇   ◇   ◇

 


『ぐっ! ハンマーゼロツー、操縦不能! 墜落する!』

『こちらセイバーゼロワン! 高度を維持できない!』

 

「ぐっ……」

 

 インカムから聞こえる無線に焦りと混乱の怒号が響く。

 槇原は痛む体を歯を食いしばって賦活させながら、アスファルトに手をついて上体を起こした。

 

『アリエスリーダー、応答してください。アリエスリーダー! 槇原二尉!』

 

 自分を呼ぶ声に槇原は返答しようとしたが、ぐらりと視界が傾いでその場に倒れる。

 

 無線が聞こえる辺り、鼓膜は無事なようだ。だが、衝撃に脳震とうを起こしている。

 そう冷静に判断しながら、槇原は周囲を目だけで見回した。

 

 あの少年は無事だろうか。

 任務だから、というだけではない。大人として、子供を守ることは責務だ。

 

 すると、急に槇原の体が何かに持ち上げられる。

 

 内心ギョっとして見ると、探していた少年の顔が思いのほか近くにあった。

 

 自分を抱えているのは、松里アキだったのだ。

 

 いくら男の子とはいえ、脱力した人間一人を抱えるのは厳しいだろうに。

 そう思ったが、アキは軽々と跳躍して、森の中に槇原の体を下ろす。

 

「アキ……くん」

「槇原さん、すまない。少し行ってくる」

 

 ――少しってなに? 行ってくるってどこに⁉

 

 口が上手く動いたのならそう叫んでいたところだったが、あいにく槇原の体は自由に動かない。

 アキはその場に槇原を置いて、雲に爆発の光が反射する方向へ走っていくのだった。

 


 ◇   ◇   ◇

 

 

 自分はあれと戦ったことがある。

 

 腰から生える翼――【霊翼】による加速を受けつつ、アキはトンネルを疾走する。

 明確な記憶はない。だが、その姿や音からくる既視感がそう叫んでいる。

 

 そして、この場に自分がいることに、アキは形容しがたい運命のようなものを感じていた。

 

『マスタ。戦う必要、ない。義務、も』

「……ああ」

『質問。なぜ? 戦う』

「わからん」

 

 ソフィアの質問にそう答えると、怒ったような顔の絵文字が視界に表示される。

 今の絵文字はこういうのものなのか、と思いつつ、アキは言葉を続けた。

 

「わからないが、戦えばわかる気がしている」

『わからない。そのまま、駄目?』

「それでも構わない。戦った先で、なお明らかにならないのなら。だが……」

 

 戦ってほしくない。

 ソフィアの言葉には、そんな気持ちをアキは感じる。

 

 きっと自分のことを案じてのことで、彼女は自分を本当に大事に思ってくれているのだろう。

 

 だが、アキは止まれない。一度は止まろうとした自分が異世界に行って、何を成し、何を見たのか。

 それをアキは知りたい。大事なものが、そこに在る気がする。その答えが、このトンネルの先にある気がするのだ。

 

 戦うのは怖くない。だが――。

 

「立ち止まるのだけは、ごめんだ」

 

 アキは花弁がこちらに向くのを見上げながら、剣を構える。

 腰の翼が大きく開いて、発光した。

 

「だから、俺は――」

 

 アキは言う。

 その声が山に響くのと、巨大な花から伸びた蔓に体を弾き飛ばされるのは同時だった。



 ◇   ◇   ◇



『CP! こちらハンマーゼロワン。戦闘区域に民間人を視認、射撃の可否を……あぁっ! くそッ!』

『死んだ。木佐貫、攻撃を続行するぞ』

『くそくそくそっ! 了解!』

 

 指令室に現地のヘリパイロットの悲痛な声が響く。

 大木は巨大なモニターに映された戦術情報を見ながら、オペレーターに声をかける。

 

「槇原はどうした?」

「バイタルは確認していますが、応答ありません」

 

 先ほどから繰り返し槇原に呼びかけていたオペレーターが振り返り、渋い顔で答えた。

 大木は頷くと、もう一人の銀髪を揺らすオペレーターに確認する。

 

「今の民間人は……保護対象人物パッケージか?」

「はい」

 

 その言葉に、他のスタッフたちから痛ましそうな声が上がった。

 大木は深くため息をつく。だが、すぐに顔を上げると、全体に指示を出した。

 

「ハンマー、セイバーは退避。偵察部部隊は任務を続行、特科の射撃で様子を見る。槇原は長渕と武田に回収させろ」

 

 目標は相変わらず、その巨大な花弁を振り回して雄たけびを上げている。

 それをモニター越しに睨みつつ、大木は朝に顔を合わせた少年の顔を思い浮かべた。

 

 しかし、ふと先ほどの銀髪のオペレーターを見ると、その顔に予想していたような動揺はない。

 

 むしろ、何かを確信しているかのように口元をきゅっと結んで、凛とした表情をしている。

 大木は彼女が何を考えているのかわからない。

 

 目の前で渇望していた人物が殺されたというのに、あの表情はなんだ。

 

「いや、まさか……」


 良い予感と悪い予感、その矛盾した予想を思いながら、大木はモニターへと振り返る。

 そしてパッケージが殴り飛ばされた先――その粉塵の中で少年が立ち上がるのを見た。

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