15:神隠し

『マスタ。Wake up。マスタ。Wake up!』

 

 懐かしく、良い夢だった。

 いや、記憶が蘇ったというべきだろうか、とアキは思う。

 

 ソフィアの声で目を覚ましたアキは、重い頭をもたげて周囲を見た。

 どうやら自分は吹き飛ばされたようだ。土砂に埋もれるように大の字になって、森の中に横たわっている。

 

『マスタ』

「どうやら死んではいないらしい。――ん?」

 

 姿を現してこちらを見るソフィアの顔に、少しだけ安堵の表情が浮かんだ。そして、視線がアキの傍らに向く。

 アキがその視線を追うと、そこには小さな少女がいた。

 

 手のひらほどの、浴衣姿で笠を被った古風な出で立ちの小人だ。

 

 彼女はその小さな手で、アキの指を引っ張っていた。

 何かを言いたげなその表情に、アキはソフィアに聞く。

 

「なにを言っている?」

『言語化――守る。お願い。森』

 

 きっと、ずっとこの森にいる古い神様なのだろう、とアキは直感した。

 

『えにし、ある。消えて、現れた。マスタと、この森』

「えにし……?」

『力、渡す。この天下唯一の益荒男へ』

 

 ソフィアが言い終えると、神様は深々とこちらに頭を下げる。

 すると、周囲の木々が揺れて、大地から淡い光が沸き上がった。

 

 ひとつひとつは目を凝らさなければ見えないほどの弱い光だ。

 

 だが、それらはアキの手のひらに集まり、やがて大きな雫となって舞い降りる。

 

 気がつくと、神様は消えてしまっていた。

 姿だけでなく、その気配をも、完全に。

 

「託された……のか」

 

 そう言うと、ソフィアが少しだけ悲しそうな顔で頷いた。

 アキは意を決して、その雫を掴む。

 

 光は手の中で棒状に広がっていき、やがて一振りの刀を形作った。

 

「俺が消えて、また現れた森……」

 

 アキの勇者としての力は、神や精霊など、神秘の力を武器として顕現させるものだ。

 もし、アキが消えたことで、この森に何かの神秘があるとすれば――。

 

『――霊刀【神隠し】』

 

 その刀の名は、賢者の腕輪により名付けられた。

 アキは体に力を込める。

 

 今の状態をクラウスたちが見たらなんというだろうか。

 いつまでもこんなところで寝そべっているわけにはいかない。

 

『マスタ。左大腿骨頚部骨折、左側頭部裂傷、他損傷軽微』

 

 ソフィアが人体図に怪我の部分をポイントした画像を網膜に映してくる。

 まるで機械のダメージコントロールのようだが、実に合理的だとアキは思う。

 

 壊れたのなら治せばいい。

 

 アキが回復の魔法のイメージを思い浮かべると、左手に魔法陣が形成された。

 

 それを折れた左足に集中させ、内部で音を立てて大腿骨が復元される痛みに耐える。

 そうして立ち上がったアキは、左手にもう一つの武器を顕現させた。

 

 ――精霊杖【青翠】。

 

 同じく森の精霊から受け取ったこの杖ならば、この場でも力を貸してくれるだろう。

 両手に精霊から託された武器を携えて、アキは斜面を駆け降りる。

 

 そして霊翼を広げ跳躍し、再び道路へと――花の魔物の前へと降り立った。

 それに気づいた敵は甲高い叫びを上げて体を捻じる。

 

「なんだ?」

『悔しい。殺した。思った。なのに、って』

「見た目によらず感性だけは一丁前だな。ああいうのは」

 

 アキは鼻で笑ってしまう。そして、こんな状況で笑う自分の感性の方が異常だな、と思った。

 

 その瞬間、アキは【神隠し】を斬り上げる。

 

 ゆったりと地面を這って不意を打とうとしてきた蔓が宙を舞った。

 

「二度も同じ手を食らうか。……戦うのも二度目か? なおさらだな」

 

 アキは曖昧な記憶に独り言ちながら、前へと駆け出す。

 その走りは先ほどとは違い、素早く、そして重かった。

 

 アスファルトで出来た地面を一歩ずつ、砕くほどの膂力でアキは敵へと迫る。

 そんな中、【青翠】により満身創痍の体に活力を満ちていくのをアキは感じた。

 

 そして――。

 

「速いな、こいつは」

 

 ――神隠しとは森や山で行方不明になったことを人ならざるもののせいにした呼び名だ。

 

 それは祀られる神様によるものとも、天狗や鬼などの妖怪によるものとも言われる。

 霊刀【神隠し】はその由来を辿り、をアキに授けていた。

 

 まだ蔓は何本も残っている。

 

 巨大な蛇のように迫るそれらを律儀に斬り落としていては埒が明かない。

 故に、アキは【神隠し】の力を開放した。

 

 勇者は神秘を剣へと具現化し、その伝承を力に変える。

 賢者の腕輪はその知を持って技を引き出し、その扱いを勇者にもたらす。

 

「人技【京八流刺突・八艘飛】」

 

 瞬間、アキの体は驚異的な速度で前方へ飛び込んだ。

 

 敵までの距離はおよそ百メートル。だが、それをアキはたった八歩で詰める。

 花の魔物が慌てて蔓を打ち下ろすが、そこにはアスファルトが砕かれた足跡しかない。

 

 アキは瞬く間に花の根元へとたどり着くと、【神隠し】の刀身を突き刺した。

 

 悲鳴のような鳴き声が上がる。だが、致命傷には程遠い。

 

 花の魔物は体を振って、再び煌めく花粉をまき散らした。

 同時に両側から挟むように振り回される蔓を、アキは後ろに飛んで避ける。

 

『警告。火属性魔力、検知』

「ああ」

 

 あの花粉は宙を漂う時限爆弾のようなものだ。

 まとわりつかれた状態で爆発されれば、いくら防御壁を張っていても黒焦げになってしまう。

 

 だが、アキは退かない。

 

「妖技【天狗風】」

 

 花粉がこちらに漂ってくる前に、アキは【神隠し】の大振りを一閃させた。

 天狗の力を帯びた刀身が、猛烈な暴風を生み出す。

 

 巨大な花をも傾かせるその風は、大量の花粉を押し戻していた。

 

 振りまいた花粉がそのまま返ってくるという事態に、花から驚愕じみた悲鳴が上がる。

 直後、花粉はそれを生み出した魔物を巻き込んで、空中で炸裂した。

 

 人など簡単に吹き飛ばせるほどの爆風を、アキは防御壁を張って凌ぐ。

 凄まじい威力だが、今の爆発で敵が死んだとは思えない。

 

 爆発する花粉を生み出す時点で、あの花は火に対しての耐性をある程度は持ち合わせているだろう。

 爆発の煙が完全に晴れる前に、アキはその場で飛び上がって【青翠】を振り上げた。

 

 そもそもこの花は見た目には花の化け物に見えるが、そうではない。

 花は蔦と同じく攻撃のための器官であって、こそが本体なのだ。

 

 だからこそアキは魔力を込めた【青翠】を――花の根元へと投擲した。

 

 地面へ深々と突き刺さった【青翠】は巨大な魔法陣の展開する。

 そして、地に降り立ったアキは小指と薬指を折り曲げた魔法表意マジックサインで、その発動を成す。

 

「【地槌爆榴陣イステラ・エス・エミシオン)】!」

 

 瞬間、地面に凄まじい衝撃が奔り、埋もれた花の根元を噴水のように噴き出す土砂が突き上げた。

 

 大地の精霊の力を借りた魔法が、地面を隆起させたのだ。

 アキの足元に巨大な影を作るほどのそれが姿を現す。

 

 ――球根だ。

 

 表面に怨嗟の表情のような模様を浮かべた球根が宙を舞う。

 アキの頭上に向けて。

 

 球根がこちらに落下してくるまでの時間は一秒も満たないだろう。

 

 だがアキはその刹那の合間に、【神隠し】を虚空に振るった。

 常人には見えないほどの速度で、それでいて敵を斬るときと同じく正確に。

 

 もしこの場にその刃を捉えることができる人間がいたならば、それを「舞い」と表現したかもしれない。

 舞いの終わり、上段からの振り下ろしと共にアキは後ろに足を擦って下がる。

 

 ――直後、一瞬前までいたアキがいた場所に、巨大な球根が落下した。

 

 表面の模様がさらに険しく歪み、より一層激しい叫びがアキの髪を揺らす。

 この魔物の言葉はわからない。だが、その叫びに込められた感情は理解できる。だからこそわかるのだ。死を直感し、必死に足掻くこの魔物の怒りと憎しみを。

 

 アキを叩き潰そうと蔓が振り上げられた。

 しかし、それは叶わない。

 

 アキはすでに【神隠し】を鞘に納めつつあった。

 その刀身を完全に収めると同時に、アキは呟く。

 

「――御業【神隠し】」

 

 金属音が、響いた。

 

 それは先ほどの魔法表意マジックサインと似て非なるものだ。起点としての役割ではなく、鈴の音や柏手に近い。

 芸能や金銭を奉納した際の一種の合図。或いは、力をくれた神たちに対しての金打きんちょうの音。

 

 この地を守ってほしいという願いに、アキは誓いを返すのだ。

 だからこそ、この刀は応えてくれる。

 

 刀身が完全に収められる音に対し、空間が歪む音が響いた。

 

 ――瞬間、球根が不可視の斬撃に切り刻まれる。

 

 先ほどアキが虚空へと振るった斬撃が、奉納した舞いが、今という世界へ一斉に帰しているのだ。

 

 いくら巨大な球根とて、内側を駆け巡る斬撃に成すすべもなくその紫色の血液をまき散らす。

 そして、最後に一瞬遅れて垂直に奔った斬撃が、顔を模した模様を両断した。

 

 もうその表情が歪むことはない。あえて言えば、それは顔のように見えていただけの、ただの模様だったかのように生気を感じないものへと変化する。

 

 やがて、花は萎れ、根や蔓は瑞々しさを失い、枯れ木のごとく静かに横倒しになるのだった。

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