5:追憶、二

「僕が、勇者?」


 そう問うと目の前に座った銀髪を揺らすドレス姿の少女がゆっくりと頷く。


 彼女の話によればこの世界で人間と対を成す存在――魔族の中に魔王が誕生したらしい。

 それに対処するため、古の魔術である勇者召喚を行い、現れたのがぼくということだ。


「マツサト様、どうかこの国を――いえ、世界をお救いください……」


 そう言って美少女がぼくの手を取って懇願してくる。

 ここは【オクトレアス王国】という国の王城。そして、目の前の彼女は第一皇女のエリアナ姫と名乗った。


 そんなことを言われても、とぼくは困惑する。

 

 色んなことが頭の中でぐちゃぐちゃに思い浮かんでは消えて、なにを言えばいいのかわからなかった。

 

 その間にもエリアナはぼくの手を愛でるように優しく触れてくる。

 前かがみになったエリアナの豊満な胸の谷間はほぼ見えてしまい、ぼくは思わず視線を逸らした。


 今はそんなことに気を引かれている状況じゃない。

 世界を救う? なにも取り柄がないぼくが? 喧嘩もしたことがないぼくが?

 

 ついさっきまで、死に場所を探していたぼくが?


 できるわけない。ぼくはぼく自身のことだって救えない弱い人間なんだ。

 生きることからも逃げようとした人間なんだ。

 

 そう思った瞬間、視界の端で何かが光る。

 ぼくの左手首だ。そこで、先ほどつけられた腕輪がわずかに輝いていた。


 そして、その輝きは一直線にぼくの頭上に飛び出し、パッと大きく散る。


「わっ……!」

 

 その勢いにぼくは思わず手を引いて、首をすくめた。


『はじめて。松里アキ。マスタ』


 すると、エリアナとは違う声音が頭の中で響く。

 顔を上げると、そこには長身の――いや、長身と括れるほどの大きさではない。

 

 身長二メートルはあるかと思われる女性がいた。

 

 しかも彼女は半透明であり、奥にエリアナの姿が見える。

 女性は足元まである青い髪を揺らし、喜怒哀楽の読めない無表情でこちらを見下ろしてきた。


「え、えっ……?」

『ソフィア。私の名。その腕輪、に宿る。人格』


 人格……?

 ぼくが呆気に取られているとエリアナが不思議そうに尋ねてきた。


「マツサト様? 何かがお見えになっているのですか?」

「は? え、だって、この女の人……」


 ぼくは頭がパンクしそうになり、エリアナとソフィアを交互に見る。

 すると、ソフィアは顔を横に振った。


『見えない。マスタ、以外にはソフィア。今は』


 その言葉で、ぼくはいったん落ち着いてから、エリアナに自分の状況を話した。


「それは賢者の腕輪と言って、勇者が持つべきと定められた腕輪です。ですが……」

 

 彼女によればそんなことは文献には書いていなかったそうだが、ソフィアのことを腕輪の精霊と解釈したようだ。

 勇者の召喚にはまだわからないことが多いらしい。

 

 けれど、ぼくが勇者であることに間違いないと、エリアナは嬉しそうに微笑むのだった。



 ◇   ◇   ◇

 

 

「マツサト様もまだ混乱なさっているようですし、まずは落ち着く時間が必要でしょう」


 エリアナはそう言って部屋を出る。


 ぼくに割り当てられたらしいこの部屋は大きめのベッドや椅子、テーブルが揃っていて、一人で過ごすには落ち着かない広さだった。


 窓から見える景色は鬱蒼とした森に、霞みがかるほど遠くに見える山々――そこにはビルや道路、標識の類も一切ない。


 やっぱりぼくは違う世界に来てしまったんだ。


 追いつかない思考にふらふらとベッドに腰かけると、ソフィアがゆっくりと隣に座る。

 座高だけでもかなりの差がある彼女に寄り添われると、アキは全身に暖かさを感じた。


 そして、耳元でソフィアは囁いてくる。


『マスタ。戸惑い、不安?』


 相変わらず表情の読めないソフィアだけれど、その手を僕の手に重ねてくれた。


 死ぬためにバスに乗っていたのに、どうしてこうなってしまったんだろう。

 それとも死んでしまった結果、違う世界にやってきてしまったのかもしれない。


 どちらにしても、そんな僕に何ができるっていうんだ。

 

 俯いたぼくの頭を、ソフィアが優しく撫でてくる。


『普通。できなくて、なにも。ソフィアも、同じ』


 ゆっくりとぼくが顔を巡らせると、そこには変わらず無表情のソフィアがいた。

 けれど、その瞳だけは優しく揺れている気がした。


『けれど、違う。二人なら。できる。なんでも。だから一緒。ずっと、一緒』


 ソフィアの豊かな胸に、ぼくは頭を抱えられる。


 もうそんな慰め方をされるような歳じゃないけれど、それは妙に心地よかった。

 感触はないけれど、温かくて、そしてお日様のような香りがする。


 勇者なんて役割を背負う気持ちにはなれない。

 けれど、今はとりあえず、このぬくもりに触れていたいと思った。

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