4:追憶、一
汝、夢を見よ。
始まりを知るは己が力の根元なり。
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……
夕日の差し込むバスの中で、ぼくは遠慮なくイヤホンの音量を上げる。
いつもなら音漏れを気にして抑えめにしているけれど、今は関係ない。
もう終点に近いこのバスの中にはもうぼく以外の乗客はいないのだから。
それにぼくの目的地は終点駅だ。
だから車内のアナウンスを聞く必要もない。
二人用の席で隣に荷物を置いて、意外とキツいカーブを曲がるバスに体が傾いた。
背中を真っすぐにして前方を見ると、バスの行く先にトンネルがある。
終点は近い。このトンネルは知っている。事前に調べた通りだ。
汗ばむ手に視線を落としていると窓の外が暗くなった。
トンネルに入った証拠だ。
一定間隔で設置された照明の下をバスが通り過ぎる度、カウントダウンのように明暗を繰り返す。
ぼくはそれに苛立ちを感じた。
これはぼくの決めたことだから。ぼくが、ぼくに対して科した旅だから。その秒読みだって、他の誰にもしてほしくはなかった。
強く握った拳の中で、爪が手のひらに刺さる。
その時、窓の外が明るくなった。
ぱっと拳を開くと、赤く跡が残るだけで漫画のように血が出るほどのものじゃなかった。
そう。現実はそんなものだ。悔しさで自分を傷つけるのも中々難しい。空想とは違う。
神様が助けてくれたり、奇跡が起きて望む結果になることはほとんどない。
いいのだ。全部わかってる。わかっているからこそ、ぼくはここにいる。
もしそうでないのなら今すぐ、顔も判別できなくなった両親と、いまだ
誕生日に買ってあげた赤いブレスレットを気に入る、妹の――ハルの笑顔を返してほしい。
顔を上げると、一筋の涙がぼくの頬を伝った。
瞬間、音楽越しにもわかるほどの轟音と体を浮かすほどの衝撃がぼくを襲った。
――事故だ。
ぼくはそう思ったけれど、浮遊感の次に予感した痛みは来ない。
むしろ感じたのは【光】だ。
七色の光の奔流。
幾何学的で、生物的で、神秘的な何かが凄まじい速度で視界を流れる。
いや、流れているのはぼくの方なのかもしれない。
しかし、三半規管が振り回されるような感覚はなく、次に感じたのは熱だ。
体の中に何かが刻まれるような熱を感じた。
目に映る模様に似た何かが胸を駆け巡り、全身に蔓のように伸びる。
不思議とそれは苦痛を伴うものじゃない。
それよりも体に活力を……いや、もっと別の力が漲る感覚だった。
そして、光が晴れる。
気がつくと、ぼくは暗い場所にいた。
ぼくは一瞬で切り替わった風景に戸惑う。
目を惹くのは壁で揺れる松明の炎だ。光と一緒にわずかな熱を感じる。それによって、キャンプや冒険とは縁のないインドア派の僕でも、それが本物の火だとわかった。
なにが起こったんだろう。ここはどこだろう。それにしてもお尻が冷たい。手もだ。
そんな考えがやっと湧いてきた頃、足音と共に暗闇から人が出てくる。一人じゃない。ローブのような衣装を着た数人の大人がぼくをじろじろと観察するように近づいてきた。
「……成したか」
僕の囲む人々の中でも豪奢な衣装を着た男が誰かにそう言う。
すると、周囲の人々から肯定するような吐息で漏れて、豪奢な衣装の男は深く頷いた。
「――ならばあとは任せる」
そう言い置いて男は歩き去っていく。
なにがなんだかわからないぼくは、何かを聞こうとしたが、言葉が出なかった。
いつもそうだ。
怖いとき、不安なとき、わからないとき――僕は何を伝ればいいのか、何を聞いていいのかわからなくなってしまう。
だから周囲からは無口だね、と言われる。ときには相手を馬鹿にしていると思われる。そして、いじめの対象になる。
だってぼくは誰かに助けを求めたり、何かを言い返したりしない奇異な存在だ。鬱憤を晴らすために悪意を向けるには丁度いい相手なんだろう。
こんなときにも声を上げられないぼくは、どうなってしまうのか。
ぼくは胸の中で嫌な感覚が膨れ上がり、息を荒くして頭をもたげる。
けれどそのとき、後ろから柔らかいものに包まれた。
「大丈夫。ここには貴方様を害する者などおりませんわ」
耳元で優しく響く声音とその吐息に、ぼくの脳をぐらりと揺れるような感覚を覚える。
「こ、ここは……?」
誘惑に負けて背後の温もりに身を預けると、ぽろっとそんな言葉が出た。
ぼくの問いに後ろの女性は少しだけ笑うように鼻を鳴らして、抱擁する腕にぎゅっと力が入る。
「ご説明致します。その前に……こちらを」
そのとき、カキン、という金属質な音と共に、左手首に冷たさを感じた。
見れば、そこには細い腕輪のようなものが嵌められている。
そして――。
「ぐっ!? うああぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
――突如、左手首に突き刺すような激痛が走った。
それだけじゃない。
その痛みはまるで腕の中を突き進むようにして上へと移動している。
思わずぼくは右手で左腕を抑えるが、それは止まらない。
ついに肩を通って左のうなじに到達したとき、ぼくの頭の中に氷の粒が広がるような刺激が走った。
「はぁっ……。はぁっ……」
痛みが止む。
ぼくがぐったりと体の力を抜くと、体を支えてくれていた人物がゆっくりと身を退く。
ごつごつとした床に寝かされた背中が冷たい。
だが、そんなことよりもぼくは重大なことに気づいていた。
「さすがですわ。これに耐えたからには、貴方様は認められたということ……。ゆっくりとお茶を楽しみながらお話をしましょう。その前に、お洋服を用意致しますわね?」
ぼくはなんとか横に転がって体を縮める。
学生服を着ていたはずのぼくは、いつのまにかに全裸になっていたのだった。
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