第2話 森での目覚め

 璃星が目を覚ますと、気を失う直前までに空を覆っていた厚い雲がはけており、月が大きく瞬いて見えた。視線を横へとずらすと、湿った大地からそそり立つ巨大な木々が群れており、濡れた葉が幻想的に輝いている。そして、風に揺れ、匂い立つ緑が鼻腔をくすぐっていった。

 ふと気がつくと、傍に巨大な生き物が立っており、璃星の事をそのつぶらな眼で見つめていた。

 その生き物はふわふわの毛に覆われたまるまるとした熊のような身体をしており、その身の三分の一は占めようかという顔には大きく真円を描いた瞳、頭には先の尖った大きな耳を持っている。そして、胸には三日月に似た模様。総じて言えば――羽根のない大きなミミズクのように見える何かだった。

 そのミミズクっぽい何かは、璃星を暫くの間見つめた後――何も考えていないようにしか見えないが――ふと何か思いついたように手を叩くと、おもむろに大きく息を吸い込み始めた。

 胸の模様が限界まで膨張した後、開かれた大きな口より音無き声が放たれる。璃星の耳には放たれたものが言葉であるのか、唯の遠吠えなのか判別がつかなかったが、それは森を駆け抜けていき、遥か遠くの何者かへと届いたようだった。

 数瞬が過ぎたところで、突然吹いた風が抜けると、黒い外套を纏った男が忽然と璃星たちの脇へと現れた。男の長い銀髪と外套が風に舞い踊り、幻想的な雰囲気に華を添える。涼し気な表情にある瞳は愁いを帯びながらも、心なしか楽し気に見える。

 そして何事もなかったかのように片手をあげると、ミミズクっぽい何かに話かける。苦笑いを浮かべつつも、その声もまたどこか楽し気だった。


「……全く、親友とは言えこの私を唐突に呼びつけるとは――。まあいい。

随分久しぶりだね。元気にしていたかい?まあ、君の事だから特に変わりは無いと思うが、一応ね。」


「何?そんなことはない?前に会った時から20キロも太ったって?

 それは食べ過ぎというものだ。もっと節制をした方が良いと私は思うよ。君はいつも食べては寝るだけの生活をしているようだからね。」


「で、だ。用件は何だい?別に親友である私と心温まるトークをしたいがために呼び出した、という訳ではないのだろう。まあ、私としては別にそれでも良いのだが。ちょうど、やる事もなく退屈していたところだからね。」


「何?遊んでばかりいないで仕事をしろ?

 君にだけは言われたくない台詞だが、私が暇だという事は後進がちゃんと働いてくれているという事だからね。実に喜ばしい限りだよ。正式に隠居出来る日も近いというものだ。

――話が逸れてしまったね。それで用件は何だい?」


 ミミズクっぽい何かは黙って指(爪)を横たわっている璃星へと向ける。


「ふむ?人間?の娘かな?

それと恐らく……、最近召喚されたという異世界の者の一人だろうか?随分とボロボロな様子だが。彼女がどうか――」


そこで何かに気が付いたように大きく目を見開くと、何か答えを導きだそうとするかのように視点を固定して静止する。

そして、暫くすると、何か納得したような表情で小さく頷くと、ミミズクっぽい何かに視線を戻した。


「――なるほど。君にはいつも驚かされる。良い仕事をしてくれた、とでも言えばよいのかな?知らせてくれて感謝するよ。」


「何?言葉だけではなくモノでも表せ、と?

 分かっているよ。いつものどん――なんとかという木の実で良かったかな?まあ、そんなだから体重が増えるのだと忠告はしておくが。」


「それと、済まないがちょっとそこで待っていてくれるかな?彼女と話しをした後にお願いしたい事があるんだ。」


 そこで男は璃星の方へと顔を向け、語りかけてきた。特に声を張る様子も無いにも関わらず、吐き出される言葉は心に語り掛けられているが如くはっきりと聞き取れた。


「さて、突然現れた上にペラペラとお喋りを聞かせてしまい申し訳なかったね。その様子では意識を保つだけでも苦しいだろうに。――で、だ。」


「引き続きで申し訳ないが少し話に付き合って貰えないかな?

 何れにせよそのままでは消えゆく命のようだし、最期の親孝行だとでも思ってくれると嬉しい。どうかな?」


 身体を動かすことのできない璃星は、その問いかけに答えるように瞬きを繰り返す。


「――ふむ?その様子だと言葉が発せられない?それに右半身も正常に動かせないか。

 川に流された衝撃で、という風にも見えないから何らかの原因で元々そうだったという事かな。

 ……なるほど。それで厄介払いでもされた、と。人間とは酷い事をするね。」


「それなら返事は首を動かす形でお願い出来るかな?

 YESなら縦に動かす、それで大丈夫かい?」


 璃星はどうにか首を縦に動かして答える。


「――ふむ。ありがとう。それではこのまま話を続けさせてもらうよ。

 ああ、そんなに長くはならない。君の苦しみを無駄に長引かせて愉しもうなどとは思っていないから安心してくれ。

 ――で、だ。さっそくだが君に提案があるんだ。」


 男がおもむろに片手を掲げると、虚空より球体が出現する。周囲を吸い込むかのような深い漆黒の中央に、朧気に浮かぶ人影が見て取れる。


「この宝玉を受け取って――と言っても、当然ただ手に取るという意味ではないが――貰えないか、というお願いだ。

 もし了承して貰えるのであれば、これを君の身体に埋め込ませて貰うことになる。」


「ここには私の娘の身体が封じ込めてあってね。私の娘は早く――そう、とても早く亡くなってしまったんだ。

 魂は何処かへと旅立っていってしまったが、どうしても諦めきれずにね。残った抜け殻を魔力で凍結し、封じ込めたんだ。

 君たち人間と違って永い生を持っているものだからね。もしかしたら再び娘の魂と巡り合う事があるかもしれないと思って。

 ――まあ、ただの根拠なき妄執とでも言うべきものだったがね。」


「もし運が――君の魂とこの身体との相性が良ければ無事に融合を果たし、君は生き長らえる事が出来るだろう。もしかしたらその不自由な身体も、その機能を取り戻すかもしれない。

 残念ながら相性が悪ければ――、この場所が君の墓標となる事だろう。」


「私もそろそろ待つのは終わりにしようと思ってね……。

 もし君が死のリスクを受け入れるというのであれば、これを受け取って欲しい。どうかな?」


 その問いかけに対し、視線を虚空に走らせながら思考に耽る璃星だったが、数秒もたたずに切り上げると視線を男へと戻し、再び首を縦に動かした。男はその返答を柔らかな笑顔で受け止める。


「ありがとう。それでは早速だが実行させて貰うよ。

 ……少し痛みを感じるかもしれないが、我慢をしてくれ。」


 男はそう言うと、宝玉を手にした腕を伸ばして宝玉を璃星の胸元に押し当てた。

宝玉は抵抗を受ける事もなくそのまま身体へと飲み込まれていき――かつて感じた事が無いような耐え難き激痛が全身を駆け抜けたところで、璃星の意識は深淵へと落ち込んでいった。

 昏く明滅を繰り返す璃星の身体を脇に、男はミミズクっぽい何かとの会話を再開する。


「さて、待たせてしまって悪かったね。是非、君にお願いしたい事あって――。

なに?言いたい事は分かっている。娘の面倒を見ろ、という事だろ?察しの良い友人をもって私は嬉しいよ。」


「そう、暫くの間――、彼女がこの世界で暮らすための最低限の知識と技術を得るまでの間、ここで面倒を見て欲しい。

 何?それは分かったから、報酬は弾め、と?分かっているさ。親しき中にも礼儀あり、だからね。

 そして、報酬いつものところに、だろう?承知した。いつものところに届けさせるよ。

 勿論、多めにね。」


「では、宜しく頼むよ。

 何?目覚めなかったらどうする、と?

 ……分かっているだろう?彼女は間違いなく目覚めてくれるさ。私の予想は大体当たる――良い方も、悪い方もね。」

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