【3】

 カナトと純のやり取りを聞いて、真田が言った。

「母親の小言がうるさかったからってだけで殺したのか?」

純が気色ばんで叫んだ。

「俺にとっちゃ地獄だったんだよ!」

真田が眉をひそませて言い聞かせる。

「お前なんかより、もっと地獄のような生活をしてきた人を俺は知ってる。けど彼女は、決して相手を殺そうなんて真似はしなかった。それどころか、自分が置かれてる状況を悟られまいと笑顔まで見せてた。俺は気づけなかった・・。俺は最低のクソ野郎だ・・。けど、お前はクソ以下だ」

純が怒号を上げる。

「うるせえ!お前に俺のなにがわかんだよ!」

そんな純を、カナトは睨んでいる。その眼には怒りがこもっていた。犯罪者に対する怒りではない。こいつのせいで美鈴は、研究用のかごのような場所に閉じ込められたのだ。自身も危うく実験の犠牲になるところであった。全ての元凶は犯人の純にある。

「カナト。お前、いつそこまで調べた?っつーか、犯人わかってたんなら、なんで俺に言わなかった?」

真田は先ほどから引っかかっていた。全く知らない情報ばかり話すカナトの言動に。カナトは簡潔にその種明かしをした。

「美鈴と違って俺は、事件を調べる意外にやることがなかった。だから、お前が帰ったあとも調べを進めてた。それに俺が言えば、天童が必要な情報を持ってきてくれてた。その点では不自由しなかったよ。お前に言わなかったのは、ただ訊かれなかったからだ。訊かれたら俺だって話したさ」

「なんだよそれ。じゃあ、天童もこいつが犯人だってわかってたのか?」

「いや、ほかの人間の情報も要求したからな。参考人程度にしか思ってないだろう」

自分がいない間に捜査を進めていたなんて。果たして自分の必要性はあったのだろうか。真田は蚊帳かやの外に置かれたように感じつつも、純に告げた。

「浅宮純。殺人、死体損壊、および遺棄の容疑で逮捕する」

「これでチェックメイトだ」

カナトも最後通牒を出した。だが直後、視界がぼやけ始める。

「どうした?」

ふらついているカナトに、真田が声をかけた。

「ヤバい・・。美鈴に戻るみたいだ・・。真田・・。あと・・、頼んだぞ・・・」

カナトは目を閉じ、仰向けに倒れ込んだ。意識を失ってしまったらしい。突然の状況に、真田は視線を外してしまう。その一瞬を狙い、純はポケットからサバイバルナイフを取り出し、真田に向かって駆け出した。しかし、すぐに気づいた真田は、拳銃を片手に構えて発砲した。弾丸は胸に穴をあけ、純はくずおれた。咄嗟に撃ってしまったが、生かして捕まえるべきだった。しかしもう遅い。真田は拳銃を持ったまましゃがみ、カナトを抱きかかえた。

「おい!大丈夫か!」

真田の呼びかけに、カナトが瞳を開く。だが、その眼光はカナトではなく、美鈴であった。本当に元に戻ったようだ。

「あれ・・、私・・・」

美鈴が朦朧とした小さな声を出す。緊張が解けたかのような表情になった真田が伝える。

「もう終わった。これからきみを空港へ送る。立てるか?」

真田が美鈴を起こそうとした。そのときだった。真田の背後に影が迫っているのが美鈴の視界に入った。その手に握られている物を見て、瞬時に目が覚めた美鈴が叫ぶ。

「真田さん!」

美鈴の目線の先が気になり、真田は振り向こうとした。その動きが止まり、持っていた拳銃を落とす。身体中に激痛が走った。後ろには、殺気立った純がいた。死んでいなかった純は、ナイフで真田の背中を深く刺していたのだ。真田は苦悶の表情で半身をひるがえし、純の肩を摑みながら、やおらに立ち上がる。一度ナイフを抜いた純は、次に真田の腹を刺した。美鈴が悲鳴を上げるなか、純は幾度も真田の下腹部にナイフの刃を突き立てた。真田は口から血を噴き出しつつも、美鈴を危険に晒すまいと、ナイフが刺さったままの状態で純に抱きつく形で押さえ込み、持てる力を振り絞って方向転換した。そして、純を強引に押しやると、教会の玄関近くまで遠ざけた。そこで力尽きたのか、ナイフが腹から離れた真田が倒れる。仰向けとなった真田に馬乗りになった純が、息を荒くしてナイフを両手で握り、とどめの一撃と振り上げた。その瞬間、一発の銃声が響いた。純のみぞおちに弾痕が付き、血が飛び散る。さらに一発の銃声。今度は純の頭を撃ちぬいた。肌を伝うように血が流れ出し、その血で顔を染めた純は、瞳孔を開かせたまま横倒れになった。銃口から煙が出ている。撃ったのは美鈴だった。割座となり、拳銃を握る両手は震え、目に涙を浮かべている。拳銃を持ったのは初めてだ。言うまでもなく、撃つのも初めてである。純に弾丸が二度も命中したのは奇跡だ。もしかすると、これは天助なのかもしれない。美鈴は心が落ち着かず、拳銃を絨毯の上に置いて立ち上がると、真田のもとに駆け寄った。


 純は二脚の長椅子の間で横に倒れたまま、微動だにしない。頭の下には血だまりが広がり始めていた。すでに事切れている。ついに純は死んだのだった。美鈴は両膝を屈めると、血で赤く色づいた真田の身体に触れて必死に呼び立てた。

「起きて!死なないで真田さん!」

美鈴の涙の粒が真田の顔を濡らした。この男には、まだわずかに息があった。

「怪我・・、ないか・・・?」

真田が今にも消え入りそうな声で訊いた。美鈴がうなずいて言う。

「大丈夫です。でも私、私、人殺しちゃった・・・」

不安と恐怖で押しつぶされたかのように泣き腫らす美鈴に、真田は微笑んだ。

「気に・・しなくていい・・。きみは・・、俺を守ろうとして・・やったんだ・・・」

真田は弱くなった手で、ズボンのポケットからある物を取り出し、美鈴に見せた。それは二個の銀の指輪だった。

「これ・・、千恵子に会ったら・・、渡してくれないか・・・」

美鈴がそれを受け取ると、真田は語を継いだ。

「早く行け・・。じきに警察が来る・・。きみが捕まったら・・、今までしてきたことが・・、水の泡になっちまう・・・」

しかし、美鈴は踏み切れないでいる。このまま放って、ひとりだけ逃げるなんてできない。躊躇していたのだった。

「でも・・・」

美鈴の思いを察したのか、真田が唸るような声を上げた。

「お前にはちゃんと生きててほしいんだよ!だからさっさと行け!」

真田は尽き果てたのか、ひと言呟いた。

「生きてくれ・・・」

その言葉を最期に、真田の命は露と消えた。らぬ別れである。

「真田さん!真田さん!」

美鈴は真田を強く揺さぶった。しかし、真田はもはや不帰の客となっている。亡き人ということだ。教会の窓から朝日の光が差し込んでくる。どこか神秘的と化した空間で、美鈴は悲しみに打ちひしがれていた。血で汚れた指輪を手に握りしめて。


 美鈴は喪失感を抱きながら教会を出た。そして、車の後部座席のドアを開け、ボストンバッグを取ると、両手に持ってその場を離れる。遠くからパトカーのサイレン音が聞こえる。美鈴は涙をすすり上げ、パジャマの上に真田のコートを羽織った姿のまま、誰もいない道を弱々しく歩いていった。


 一時間後、教会内は刑事や制服警官、鑑識課員らが占めていた。外も警察車両が数台、赤色灯を光らせて停まっている。現場の鑑識作業中、安永は牧師の男から聴き取りを行っていた。その牧師の証言では、離れの住宅で仮眠中、破裂音が数回聞こえたので起床し、恐る恐る聖堂に行ってみたところ、大きなバッグが置いてあり、中にはバラバラにされた身体の部位が詰め込まれていたため腰を抜かした。そして、辺りを見渡すと、倒れている真田と純の遺体を発見した。それ以外に不審な人物などは見ていないという。


 聴取を終えた安永に、鑑識課員の岡本おかもとが声をかけた。この岡本は常に険しい顔をしている。そのせいか、庁内では臆する職員も多いが、安永はさほど気にしてはいない。

「安永、ちょっといいか?」

「なに?」

「これ、もうひとりいたな」

「もうひとり?三人目がいたってことか?」

「あれ見ろ」

岡本が真田と純の遺体を指差し、説明する。

「ふたりが倒れてる位置。あの位置からして、おそらく真田の上に、相手がまたがっていたんだろうな。そこを誰かが撃った。その証拠に、こっち見てみろ」

今度は絨毯を指差す。その上には拳銃が置かれていた。

「射入口と角度から推定すると、使われたのはあの銃だろう。けども、あんな離れた場所にある。真田は身動きが取れない状態にあった。となると、第三者がいたって考えるのが自然だろ?」

岡本の指摘に、安永は同意した。

「確かに、状況的にはそうなるな・・・」

腰に手を置いた岡本が付け加える。

「それと銃から指紋が出た。見た感じふたり分だ。多分ひとりは真田のだな。もうひとりは手袋してたから」

「じゃあ、もうひとつはその三人目の指紋」

安永が言うと、岡本はうなずいた。

「前科者データに該当する奴がいないか、そっから始めてみる。あの真田のことだ。仲間かもしれない。どっかのヤクザか、もしくは半グレか」

「わかった。頼む」

岡本と別れた安永は、真田の遺体の前にしゃがみ込む。安らかな死に顔を見つめ、ボソッと呟いた。

「すっきりしたみたいに死んでんじゃねえよ・・・」


 その日の午後、警察庁の刑事局長室にふたりの男が立っていた。天童が松葉づえで身体を支えている。白衣ではなく、スーツ地のジャケットを羽織っていた。その正面で、蜂須賀がズボンのポケットに両手を入れて背を向けたまま、窓に映るビル群を眺めている。

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