最終章/自由への代償
【1】
事情がわからない美鈴が見ている前で、真田は拳銃の撃鉄を起こし、恫喝する。
「お前なら開けられるだろ。死にたくなきゃやれ!」
「あなた・・、こんなことして・・。取り返しがつかなくなりますよ。わかってるんですか」
「わかってるからやってんだよ。いいから開けろ!」
天童はやむなく、柱の液晶画面にICカードをかざす。独房の自動ドアが開くと、天童を突き飛ばした真田が拳銃を発砲する。弾丸が天童の左大腿部に被弾した。激痛に顔を引きつらせながら転倒する天童を後目に、真田が独房の中へ入っていく。
「こっから出るぞ」
真田は美鈴の右腕を摑んだ。
「出るって・・?なにがどうなってるんですか・・・?」
面食らう美鈴の問いに答えず、真田は黙って強引に連れ出した。真田は美鈴を脱獄させたのだ。
警報音が大きく響くなか、真田には緊張感が見える。拳銃片手に美鈴を導きつつ、十分な注意を払ってこの場所から逃れようとする。そこで美鈴は、警備員がもだえている姿が目に入った。膝を押さえて倒れており、床には血しぶきが飛んでいる。これも真田がやったのだろうか。ふと脳裏をよぎりながらも、真田に引っ張られる形で施設の外へと出たのだった。
駐車場まで来ると、真田は車の前で辺りを見渡した。誰も追ってはこない。拳銃を収め、コートを脱ぐと美鈴の背後に回った。
「これ着ろ」
真田はそのコートを美鈴の腕に通した。美鈴はパジャマに裸足である。この状態では寒いだろう。真田なりの気配りであった。
「私、ここ出ちゃっていいんですか?」
落ち着かない美鈴は懸念を示した。あとで大変なことになりはしないか。いや、絶対にそうなる。大事が起きるのではと不安になる美鈴に、真田が穏やかな物腰で答える。
「いいんだ。隣に乗れ」
真田は車のドアを開錠させ、運転席に乗り込んだ。美鈴は心に迷いが生じながらも、言われるままに助手席に乗ろうとすると、席の下になにかあるのに気づいた。
「靴下と靴だ。それを履け」
確かに真田の言うとおり、黒いハイカットスニーカーと、その中にグレーの靴下が置いてある。真田はエンジンをかけた。そして、美鈴が席に座ってシートベルトを締めた途端に急発進した。美鈴は走る車内で靴下と靴を着用した。
夜となる。真田は極力、Nシステム(自動車ナンバー自動読取装置)が配備されていない道を選んで車を走らせていた。ここまでしたからには必ず、真田や美鈴に追手がかかるだろう。しかし、大々的に緊急手配をするとは思えない。美鈴が投獄されていたのは秘匿の場所。これまでの捜査も秘匿。一般に知られてはいけないのだ。今頃天童は、あのいけ好かない刑事局長に事の次第を報告していることだろう。なにか手を打ってくるはずだ。その前に全てを終わらせてやる。真田は再度、決意を固めた。
「後ろにバッグがあるの、わかるか?」
ハンドルを握る真田が後方に目配せする。美鈴が後部座席を見ると、ボストンバッグがひとつ置いてある。
「はい」
美鈴が答えると、真田が詳細を述べた。
「戸籍謄本にパスポート、それに保険証と年金手帳、マイナンバーカードが一式。あと、当面の生活資金と着替えが入ってる。戸籍と身分証はきみの名義じゃない。きみは文月美鈴としてはなく、別人として生きるんだ」
「え?」
「どこか遠く。連中が追って来れないようなところで、きみは第二の人生を歩むんだ」
「私が・・・?」
「そうだ」
真田は上着から一枚のメモ用紙を取り出し、美鈴に渡した。それには細かい住所が書かれていた。
「落ち着くまでそこで暮らせ」
言いづらそうに真田は語を継ぐ。
「
「奥さん?」
「ああ、元だけどな。それ失くすなよ。大事にしまっとけ」
美鈴はそのメモ用紙をコートのポケットに入れた。そして真田に問いかける。
「真田さん、なんでこんなことまでして私を・・・?」
少し間を置き、やがて真田は事実を述べた。
「天童はきみの人格を消して、最終的にはカナトの人格ひとつにしようとしていた。あいつは、これからもカナトに事件の捜査をさせるとか言ってたけど、そうじゃない。自分のエゴのために、死ぬまでモルモットとして利用するつもりだ。天童は見た目と違って、内心はかなり気が狂ってる。俺は、きみをあいつのおもちゃにしたくなかっただけだ」
真田の口から、天童の素顔を知った美鈴は色を失った。語調や態度から、親切そうな人物とばかり思っていたからだ。そのとき、真田が声をかける。
「これから空港に向かう。でもその前に、カナトに訊きたいことがあるんだ。だから・・、その・・・」
難しい顔をする真田を見て、美鈴は言わんとするところを悟った。
「いいですよ。やってください」
美鈴が微笑む。
「すまない」
車を脇道に停車させた真田は、スマートフォンを出して操作した。画面をタップすると音楽が流れ出す。ベートーヴェンの『テンペスト第三楽章』だった。目をぎゅっと閉じ、頭を抱えて苦しげな表情をする美鈴を、真田は辛そうに見つめる。やがて、脱力したように動かなくなった美鈴が、その目を開く。明らかに眼光が違う。カナトに切り替わったと感じた真田は、すぐさま音楽を止めた。
「カナトか?」
真田が訊く。
「ああ・・。美鈴を助けてくれたんだな。ありがとう」
カナトが真田を見て謝意を表した。この人格と遭遇してから初めての言葉である。笑みを漏らした真田はスマートフォンをしまい、車を発進させた。
高速道路を避けて遠回りしている車中、真田が問いかける。
「俺と美鈴の話は聞いてただろ?」
「聞いてた」
「空港へ行く前に、犯人がどこで遺体を遺棄するのか訊きたい。いつ遺棄するかはわかってる。明日だろ?」
真田はカナトを一瞥して続けた。
「お前が指でなぞってたのは≪タイアン≫。つまり犯人は、カレンダーの大安の日に遺体を遺棄してる。日付が変わってすぐの夜間に。その日が明日。でもなんでだ?縁起がいいからか?」
カナトはその疑問に答えた。
「大安は六曜の中で、やってはいけないことや、凶とされる時間帯がなにもない日とされてる。この場合、バラバラにした遺体を遺棄してもいい。犯人はそう勝手に解釈した。そんな奴だから、殺人も損壊も、大安の日にやってる可能性が高い」
「本当に勝手だな。で、場所は?」
「一緒に連れてくなら教える」
「なに言ってんだ!?お前の身体は美鈴の身体でもあるんだぞ。もし犯人がいたら危険だ。それはできない」
真田はカナトの要望を断った。
「お前、銃持ってんだろ?」
カナトは美鈴の脳内で銃声を聞いていた。それが真田によるものだともわかっていた。
「美鈴をこんな目に遭わせた張本人だ。ひと言文句言ってやりたい。お前が美鈴を守ればいいだろ。もしこのまま空港に行くなら、場所は教えない。犯人は捕まえられないぞ。どうする?」
汚い二者択一を迫られ、真田は考え込んだ。犯人が今日、七節町内に立ち寄ることはわかっているが、具体的な場所の見当がついているのはカナトだけ。あと十数分で空港に到着する。真田は思索を重ねた結果、意識が及んだ。
「わかった。連れてく」
真田はハンドルを切り、車をUターンさせた。
「教えろ。どこだ?」
そう訊いた真田に、カナトは笑みを浮かべて言った。
「七節町四丁目六番地一号。そこにある教会だ」
「教会か・・。カナト、文句は代わりに俺が言っといてやる。お前は車で待ってろ」
真田は注意を促すが、カナトはなにも答えずに黙っていた。
その教会は、十字架が据え付けられた三角屋根に、薄茶色の古びた外観の小さな建物だった。真田は門扉の近くに車を停めた。
「いいか、外には出るなよ」
真田はカナトに念押しすると、運転席から降りた。ホルスターから拳銃を抜き取り、敷地内に足を踏み入れた。教会によっては二十四時間開いている場合と、そうでない場合があるが、今回は前者のようだ。真田は拳銃の銃口を向けながら、玄関の扉を静かに開ける。もしかしたら、すでに犯人がいるかもしれない。と思われたが、内部の聖堂には誰もいなかった。正面の奥には、大きな木製の十字架が壁にはめ込まれている。両手に拳銃を構え、中央に敷かれた赤い
それから数時間が経過した。一向に誰も来ない。真田が腕時計を見る。そろそろ朝日が昇るころだ。カナトは確信的に言っていた。自分も期待したが、どうやら見当違いだったようだ。真田はこれからどうやって空港へ行こうか、ルートを考え始めていた。
同じ頃、カナトは窓枠に頬杖を突きながら、助手席でずっと門扉を見つめていた。そこへ、一台の軽乗用車が教会の敷地に入っていく。それを見たカナトは車から降りた。
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