【2】

 そろそろ目的地に到着するといったところで、天童が言った。

―最後にもうひとつ。血痕のDNAの中に、身元不明のDNAがありました。女性のものです。そうなると犯人は、あともうひとり殺害している可能性があります。捜査本部は、最近行方不明になった女性から、犯人が狙いそうな該当者がいないか捜査を進めています。現在わかっている被害者の情報を、そちらのタブレットに送っておきましたので、確認したうえで聴取してください。

真田は了承し、ひと言返した。

「わかった」


 大谷の勤めている<SSグループ>の本社ビルは大手だけあって、ロビーだけでも桁違いな広さがあった。そこの応接スペースで、真田と大谷は向かい合っていた。

「大谷さんは原田さんと組んで、新規事業のプロジェクトを立ち上げていたとか?」

真田が口火を切る。

「はい。原田だけでなく、ウチの部署が総出で進めていました」

「それが突然、原田さんがいなくなった」

「数日も無断欠勤するなんて今までありませんでしたから。自宅にも帰っていないみたいでしたし、心配になって警察に相談したんです。それに、会議に使うデータ類などを彼女が持ち帰っていまして。あれがないと、プロジェクトが進められなくなってしまうのもあって」

スーツ姿の大谷は素直に受け答えた。

「そうですか」

真田は語を継ぎ、本題に入った。

「ところで、原田さんは身体のどこかコンプレックスはありました?」

「はい?」

事件となんの関係があるのか。急に振られて大谷は戸惑った。

「どうなんです?」

真田が問い詰めると、大谷は一瞬首を傾げる。

「さあ・・、どうでしょう・・。仕事上の付き合いだけですので、個人的なことはなんとも・・・」

と言ったあと、視線を左上に向けた大谷が言った。

「そういえば、いつも長袖の服着てましたね。夏場の熱い時期でも長袖で。タトゥーでも入れてるんじゃないかと怪しんだんですが、ある日、同僚の女性から聞いたんです」

そして、左下に視線を移して続ける。

「彼女、腕が細いみたいで、それを他人に見られるのを嫌がっていると。べつに細い分にはいいと私は思うんですが、本人はとても気にしていたようです」

被害者にコンプレックスがあったのは確かなようだ。真田が話題を変じる。

「原田さんがネット上で動画を投稿していたのはご存じでしたか?」

「ええ。この会社の場合、少額利益ならば副業が可能なので、彼女もそうしていました。名前も顔も出していたので、社内では有名人みたいな存在になっていましたよ」

大谷は、半ば呆然として言葉を重ねた。

「まさか殺されるなんて。未だに信じられません」

その間、真田のイヤフォンからはカナトの声は一切しなかった。この聴取を見聞きしているのは確かなのだが。特に大谷に質問したいことはないのだろう。被害者の持つ劣等感さえ検めることができればいいのかもしれない。


 真田が施設に戻ると、独房内で女が腕を組んでモニターを見つめている。立ち方からしてカナトだった。管理室に入った真田に天童に言った。

「警視庁に封筒が届きました。事件の犯人からです。中には、原田三穂子の遺体が写された写真と、送付状が一枚、≪もうすぐ完成する≫とだけ書かれていたそうです。投函されたのはおととい、永田町内のポストからです。これはおそらくですが、犯人は遺体を遺棄したその日に出したものではないかと。カナトには伝えてあります」

そのとき、室内のスピーカーから叫び声が聞こえた。

―真田っ!

びくりとした真田は何事かと思い、管理室を出て独房へ駆け寄った。

「どうした?」

カナトの様子がおかしい。目を見開き、頭を掻きむしっている。

「わかった!犯人が遺体を区内に一体ずつ遺棄した理由が!」

興奮している様子のカナトに、真田が訊く。

「なんだよ?」

カナトが真田の目を見て放つ。

「エイト・クイーンだ!」

なにかの名称か。聞き慣れぬ言葉に真田が訊き返す。

「エイト・クイーン?」

「地図だ!七節区の地図持ってこい!それとペンもだ!」

カナトの気色が高ぶっている。いつもの冷静さがない。真田が怪訝な顔つきになっていると、天童が大きな紙と赤いマジックペンを持って足早にやってきた。柱にカードをかざし、スライドドアが開いた。

「どうぞ」

天童が差し出したふたつを奪うように受け取ったカナトは、急いでテーブルに紙を広げた。それは七節区の拡大地図だった。カナトがその地図にペンで格子状の線を書き込む。

「第一の遺体発見場所がここ。第二がここ・・・」

カナトはボソボソ呟きながら、地図にバツ印を数点付けていく。

「エイト・クイーンってなんだ?」

真田が天童に問いかけた。

「わかりません」

天童は両手のひらを上に向けて肩をすくめた。印を付け終わったカナトが、その説明をする。

「エイト・クイーンは、チェス盤と駒を使ったパズルのことだ。盤上にクイーンの駒を置いて動かす将棋みたいなゲームだよ。基本解は全部で十二種類」

カナトは広げた地図を持つと、プラスチック版に張り付けるように当て、真田と天童の前に見せた。地図上に書かれた赤い格子の中に、七つのバツ印が点在している。

「七節区は七節町を中心に七つの町が取り囲んでいる。区をチェス盤として、遺体が駒。遺体が発見された場所をそれぞれ当てはめると、エイト・クイーンの基本解のひとつになる。送付状にあった『完成する』はこういうことだったんだ。犯人は、警察や俺たちが知らないところで、遺体を使ったパズルをしてたってことだ」

地図を放ったカナトが、理解したように語を継ぐ。

「だから七節区に限定したんだ。この区がエイト・クイーンに適してたから・・・」

もっと早く気づくべきだった。悔やんだ表情のカナトを見て、真田が疑義を呈する。

「なんでそんなことする必要がある?意味あんのか?」

カナトがひと言答える。

「面白いから」

「それだけか?」

「ああ。前からそうしようと考えてたのか、偶然思いついて取り入れようとしたのか、どちらにしても、そのほうが面白いだろ。ただ適当に遺棄するよりかは」

そして、カナトは言葉を重ねる。

「犯人は心のどこかで楽しんでる。こいつに罪悪感や現実感なんてあるわけがない。当事者意識だって低いだろうな。俺と同じだ」

カナトは痛切に垂れた。真田も同等だと思った。自身も汚職警官だ。悪事に手を染め、罪悪感なんて覚えなかった。だが、一点だけ犯人とは違う。楽しんでやったことなど一度もない。捜査一課にいた頃、快楽殺人者は何人か逮捕してきたことがあるが、こいつらとは性質が異なると常々感じていた。そのためか、異常心理を持つ人間が理解できない。相手が狂人なのだから当然なのかもしれないが。

「天童の話じゃ、犯人はもうひとり殺してるかもしれないんだったな」

カナトが鋭い目つきで言った。

「はい」

天童は落ち着いた態度で返した。

「もしそうだとして、犯人がその遺体が遺棄したら、それ以上の殺人は起こさない」

カナトの言葉に、真田が問いただした。

「なんでわかるんだ?」

「遺体は八つ目の駒。それが置かれたことによって、パズルが完成するからだ。犯人にしてみれば完遂したことになる。でも一時的だろう。快楽を得られたんだ。期間を置いたらまたやるかもしれない。でもな・・・」

カナトはそう言うと、房の外にいるふたりに告げる。

「エイト・クイーンのチェス盤、つまり、七節区内で駒がないのは七節町だけ。犯人が最後に遺体を遺棄するのはそこだ。いつ、どこで遺棄するのか、俺にはわかってる。現行犯で逮捕できるぞ」

謎めいた笑みを浮かべるカナトに、真田が詰め寄る。

「どこだ?」

カナトの笑みが消えた。

「条件がある」

鬼のような形相になったカナトがふたりに近づき、プラスチック版を右の拳で強く叩いた。衝撃で板が振動する。

「俺を、いや、美鈴を今すぐここから出せ!」

目に角を立て、声を張り上げるカナトに向かって、天童が平然と返した。

「それはできません」

カナトは天童を睨みながら、この男の心情を吐露する。

「お前、この事件が解決しても美鈴を閉じ込めておくつもりだろ。すました顔してもわかってんだよ。お前が興味あるのは俺だ。俺をここで一生、実験台に使おうとしてるんだろ。てめえの私利私欲のために。約束なんて最初から守る気なかったんだろうが!」

真田が天童を見て問いかける。

「そうなのか?」

「なにを言っているのだか。約束は守りますよ。事件が解決すれば、医療刑務所に戻します」

カナトが怒鳴る。

「嘘つけ!美鈴は弱ってる。このままじゃ美鈴の人格が死んで、俺の人格が侵食しちまう。それがお前の目的なんだろ!」

真田は天童の表情を見てわかった。虚言だ。学問や科学的な見解ではなく、刑事として、幾多の人間と接してきた経験がそう囁いている。だから確証は持てない。しかし、妙な自信はあった。

「行きましょう」

わめくカナトを無視し、天童が管理室に戻ろうと歩き始めた。カナトにどう声をかけていいものか。真田は当惑したまま、天童について行こうとした。ふと独房に目を遣ると、カナトが真田に見せつけるかのように、プラスチック版を指でなぞっている。なにやら文字のようだが、真田はその意図を瞬時に摑んだ。

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