【3】
管理室に入った真田は椅子を戻すと、上着からスマートフォンを取り出した。天童がその姿を黙って見ている。「邪鬼」と呼ばれていた男だ。なにかよからぬことでも画策しているのではないか。懸念が頭をよぎる。杞憂に終わればいいのだが。何食わぬ顔でスマートフォンを操作する真田に、天童は眉を顰めた。
それから二時間が経とうとしていた。もう少しで半日が過ぎる。美鈴を苦しませたくないのか、真田は胸中落ち着かず、管理室内の窓から独房を見つめていた。すると、天童が真田を呼んだ。
「真田さん、カナトに切り替わったようですよ」
真田は目を凝らして独房をよく見る。距離が離れているのではっきりわからなかった。確かにどこか様子が違う。仁王立ちでモニターを睨んでいる。カナトだ。確信した真田は、急いで管理室から出た。なんとか美鈴を苦しませずに済んだようだ。
真田が独房へ近づいて行くと、カナトが気づいた。
「お前、美鈴に余計なことしゃべらせやがって。昔のことは関係ねえだろ」
カナトの表情は怒っている。美鈴の脳内でふたりのやり取りを聞いていたようだ。天童が話していたとおりだ。状況は見えずとも、声や音は届いているらしい。
「でも、これでわかった。カナト、お前は美鈴を守ろうとして生まれたってことが。お前の言う「クズ」ってそういう意味だったんだな。天童は「悪魔」だとか比喩してたけど、あの話を聞いてから思ったんだよ。微妙に
真田は、自分を睨みつけるカナトに続けて訊いた。
「そんで、俺に調べてほしいことってなんだ?」
「遺体を切断、保存した場所の大体の見通しがついた」
カナトがモニターを操作する。外のパソコンに七節区の地図が表示された。赤く丸い点が三つ点在している。カナトが説明を加えた。
「切断作業ができる広さ、部位の保存ができる環境、そして、他人に気づかれにくい場所はこの三つだ。ひとつは堂覇町のレストラン。もうひとつは磨地油町のリサイクル店。三つめは曽布衣町の水族館。これらは全部潰れていて、ほとんど撤去もされていない。そのまま数年間、廃墟の状態だ」
それら建物の外観写真が画面に表示される。真田にふと疑問が浮かんだ。
「潰れてんなら、電気も水も通ってないってことだろ?どうやって保存すんだよ?」
カナトが考えられる手段を出す。
「大量のドライアイス、真空包装、要は腐らせなきゃいいんだ。方法ならいくつもあるし、この三つには、部位を隠して保管できる設備がある。真田、お前はこれから、今俺が言ったとこ全部調べに行け。三つのどこかに痕跡があるはずだ」
自信ありげなカナトの言い方に、真田は懐疑心を抱いた。ほかにも場所があるのではないか。過信しているのではないかと。
「そこだって根拠はあんのか?」
「犯人は遺体損壊にエンジン式のチェーンソーを使用している可能性が高い。パワーが強いからな。でも、稼働時の音は九十から百デシベル。騒音レベルだ。切断部位の数から踏まえると、それなりに時間もかかってるだろう。近隣に人がいたら、まず気づく。最悪苦情が出て、警察が来るかもしれない。その確率が限りなく低いのがこの三つだ。これらの場所は近隣住民がいない。人も寄って来ない。空間的にも十分だし、犯人にとってはうってつけの場所ってことだ」
カナトは付け足すが、それでも真田には今ひとつしっくりこなかった。しかし、行かないことには本当かどうかわからない。真田は準備に取り掛かった。
最初に向かったのは、堂覇町のレストランだった。道路沿いにある一軒の店舗で、周辺に建物はなく、雑木林が生い茂っている。長らく放置されているのは目に見えて明らかだった。車を降りた真田は、木製の出入り口のドアに手をかける。施錠されていない。というより、壊されている。犯人が壊したのだろうか。真田は不審に思いながらも、慎重に中へと入っていった。
日が傾き始めた。レストランの中は蜘蛛の巣が張り巡らされており、埃(ほこり)も所々に溜まっていた。客席のテーブルと椅子がいくつか置かれている。カナトの言ったとおり、撤去はされていないようだ。しかし、特に変わった様子はない。整然としている。真田は奥の厨房へと歩みを進めたが、やはりなにもない。ステンレスの調理台には、血痕はおろか、それを拭き取った痕跡もない。凶器や遺体の部位を隠せそうな場所を探してみたものの、食器類が数点あるだけで、ほぼ
「ここじゃねえな」
イヤフォンに指を当て、真田がカナトに向けて言った。
―次だ。
カナトもそう思い、真田が襟に付けたカメラから映る映像を見ながら、ひと言告げた。
磨地油町のリサイクル店。そこは、工場街から少し離れた場所にあった。シャッター式になっている建物の出入口は半分開いていた。犯人が開けたのかもしれない。外が薄暗くなってきたため、真田は天童から預かったハンディライトを手に注意深く中に入った。
暗い室内に光を当てると、どうやら家具や家電などの大型の商品を扱う店のようだ。その商品と思しき物が、不法投棄よろしく乱雑に置かれている。かつての店主は、引き取らずにほったらかしたようだ。だが、ここならば凶器や遺体の部位を隠すことができるし、工場の近くならば、チェーンソーを使ったとしても、その工場の騒音に紛れさせることができるだろう。場所としては適している。もはや捨てられた状態にあるタンスやクローゼット、冷蔵庫や洗濯機の中を、真田は隈なく確認した。しかし、なにも出てこない。遺体を切断できそうなスペースも探しては見たが、砂埃が一面に広がっており、足跡さえなかった。ここでもないらしい。真田の疑念は大きくなった。やはりカナトの推理は間違っているのではないかと。
「なあ、次行く場所でも空振りだったどうすんだよ。骨折り損だぞ」
このままでは徒労に終わる。真田は不満を口にした。動き回っているのは自分だけ。文句を垂れるのも無理はない。
―まだ一か所残ってるだろうが。ウダウダ言うのはそれからにしろ。
カナトの冷たい声が飛ぶ。真田は怒りを飲み込み、車へと戻っていった。
曽布衣町の水族館に着くころには夜になっていた。テニスコート一面半といったところの小規模な水族館の周辺には、商業施設も民家もない。全盛期には多くの客であふれていたのだろうが、現在は寂しい場所になり果てていた。真田が出入り口のドアレバーを押してみると、ガラス戸のドアが開いた。ここも施錠されていない。ライトの光を正面に向け、静かに中へ入った。
辺りを見渡しながらゆっくり歩いて行く。当然ながら、水槽には水も魚も入っていない。異様な雰囲気ではあるが、館内にはなんの変哲もない。ここでもなさそうだ。カナトの見込み違い、当てが外れたのだろう。いくらカナトが冴えた人格であったとても、たまには間違うことだってある。無駄足だったなと真田が思ったとき、イヤフォンから天童の声がした。
―真田さん、先ほど警視庁の通報を傍受しました。
「わかった」
真田は声を抑えて応答した。このまま踵を返す手もあったが、そうすると、またカナトが口やかましくなるだろう。この際だ。徹底的に調べてから引き揚げよう。真田は奥へと進んだ。
スタッフの作業場のような場所まで行くと、なにやら物音がする。真田はライトの光を下に向け、忍び足となり、壁伝いに音のする方向まで身を運ぶ。そして陰から覗き込むと、数メートル離れた距離に、月明りに照らされた人影があった。ウインドブレーカーにフードを被った黒ずくめの人物がしゃがんで両手を動かしている。足元にはボストンバッグが置かれていた。見るからに不審だ。真田は飛び出し、ライトの光をその人物に当てた。
「誰だ!」
真田が叫んだ。フードの人物は咄嗟に左手で顔を隠し、右手で大きな物体を投げつけた。真田は瞬時に避けたが、ライトを手から離してしまう。と同時に、堅いものが勢いよく打ち当たる音が響いた。真田が見ると、それは大型のチェーンソーであった。危うく怪我をするところだった。真田が驚いている間、フードの人物はなにかをボストンバッグに急いで入れ、それを持って駆け出し、向こう側にある腰高窓を開けて外へと走っていく。
「おい!止まれ!」
気づいた真田は慌てて追いかけ、外へ出るが、すでに怪しき人物の姿はなかった。追跡しようとした次の瞬間、むせるほどの臭いが立ち込め、つい足が止まってしまう。真田は右の腕で鼻と口を塞ぐ。狭いコンクリート製の通路には、動物と思しき腐乱した死骸が散乱していたのだ。しかも、頭や足などがバラバラにされている。「見るも無残」とはまさにこの情景であった。遠くで車が走り去る音がする。取り逃がしてしまった。激しい悔しさを秘めながら、真田が室内に戻る。今まで不審者がいた場所へ行くと、床や壁に血痕が飛散している。真田は天童に判断を仰いだ。
「天童、見てたか?」
―見ていました。
「どうすりゃいい?本庁の連中、呼んだほうがいいか?」
―そうですね。致し方ありません。こちらで呼んでおきます。
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