第四章/紐解かれる記憶

【1】

 真田の疑問に、天童は説明を施す。

「澤部道哉はその日、就職活動の一環で一日中横浜にいました。帰ってきたのは次の日です。それからすぐ、捜査本部が彼を本庁に連行したんです」

「裏は?」

「ほかにも学生や、大学関係者が同行していたので確かです」

真田はこの際、とことん突き詰めようと訊いた。

「シロって考えてる俺が言うのもなんだけど、共犯者がいる可能性はないのか?殺してバラバラにしたのも、遺棄したのも、写真を撮ったのも奴で、共犯者があとでその写真を送ったって線は?遺体は死後十日以上経過してたんだろ?アリバイがない日だってあるんじゃねえのか?」

天童は首を振って否定した。

「それがあるんです。実は彼、一か月間病院に入院していたことが、のちの捜査で明らかになりました。どうやら、バイクによる交通事故で骨折したらしいです。しかも、その事故が彼の過失で、相手に大怪我を負わせたうえ、そのまま逃走したということがわかりました。バレるのが怖くて、言い出しにくかったんでしょうね」

事情を聞いて納得した様子の真田は、ポツリと呟いた。

「殺しで疑われるよりマシだろうだけどなあ・・・」

真田にとって素朴な考えであった。天童は穏やかに返す。

「彼は任意保険に加入していなかったそうですから、損害賠償やらなにやらで経済的に困窮してしまうと思ったのかもしれません。裁判沙汰にでもなればもっと大変なことになります。だから黙っていたんでしょう」

「そういうもんかねえ・・・」

腕を組んだ真田は、この話はもう終わりとばかりに天童に訊いた。

「なあ、一応来たけどさ。特になんにも指示がないんだよね。今日は俺、どうすりゃいいの?」

「あなたにぜひ調べてきてほしいことがあるとカナトが言っていました」

「なにを?」

「それは直接訊いてください。これからスイッチングさせますので」

部下に指示を出そうとした天童の腕を、真田は咄嗟に摑んだ。何事かと訝しい目つきになる天童に真田が訴えかける。

「自然と切り替わるまで待っちゃくれねえかな?」

「なにを悠長なことを」

「わかってる。わかってるけど・・、あいつ、苦しんでたじゃねえか。なんか嫌なんだよな。あれ見てると」

真田は頭から離れなかった。音楽が流れた途端に浮かべる美鈴の歪んだ顔を。まるで首を絞めつけられているような、なにかに強く圧迫されているような、息が詰まった表情。その姿が痛ましく感じてもいた。なぜそうなるのか自分でも定かではない。しかし、どうしても不快に思えてならないのだ。

「いつ切り替わるか、こちらではわからないんですよ。明日、いや、もっとあとになるかもしれません」

「それでもいい。俺は待ってる」

「あなたがそうでも、待っている間にまた被害者が出たらどうするんですか。犯人は犯行を続ける気でいるんですよ。寝ぼけたことを言わないでください」

天童は冷静に正論を振りかざす。真田は摑んだ手を放し、合掌するように両手を重ね、懇請こんせいした。

「だったら一日、今日だけ待ってくれないか。見ろよ、あれ」

真田が監視モニターを目で指す。天童がつられて向くと、独房内のモニターに映る猫の戯れに、微笑みをこぼす美鈴がいる。

「こんな環境に置かれてんのに、あいつ、あんな優しそうに笑ってんだぞ。それをまた嫌がるような真似するなんて、あんたがやってること、いじめと一緒だぞ。良心ってのがないのか?」

天童はやや当惑した。真田らしからぬ言葉だったからだ。

「忘れていませんか?彼女は受刑者なんですよ。しかも殺人罪。それに、これは断じていじめではありません。捜査に必須な手段です」

異を唱える天童は思った。もしかすると、真田は美鈴に情が湧いている。理由は不明だが、おそらくそうであろう。天童にとっては支障となる。今になって、真田に個人的な私意が入ると困るからだ。この男にはカナトの奴隷になってもらわなければならない。

「殺したのは美鈴じゃなくてカナトなんだろ。別の人格がやったんだから、あいつ自身に罪はないはずだ。なあ、いいだろ。頼む」

真田が説き落そうとする。目をぎゅっと閉じた天童は、やがて妥協点を示す。

「半日、半日だけ待ちましょう。時間を過ぎても切り替わらなかった場合は、こちらでスイッチングします。いいですね」

「わかった」

承知した真田は、監視モニターの美鈴に目を遣った。


 それから三時間が経った。新聞紙が何紙か置かれたテーブルの席で、真田は椅子に背を預け、そばのモニターでテレビを見ている。ちょうどワイショー番組が放送されており、自分が捜査している事件について触れていた。

―私だって殺してやりたい人いますよ。マネージャーとか。

コメンテーターである中年のお笑いタレントの女が真顔で言うと、スタジオ内にドッと笑いが起きた。真田には癪に障るほどくだらないコメントだった。芸人ごときに事件のなにがわかる。こういう連中にとっては対岸の火事に過ぎないのだろう。もっとまともなコメンテーターはいないのか。真田はリモコンを手に取り、テレビを消した。そして腕時計を見る。まだ時間がある。遠目から監視モニターに視線を移すと、様子からして美鈴のまま、切り替わってはいないようだ。おもむろに席を立った真田は、椅子を片手で持ったまま管理室から出ると、独房へと向かった。


 美鈴はベッドに腰掛け、文庫本を読んでいた。外からプラスチック版をコンコンと叩く音がする。その音に気づいた美鈴が顔を上げると、椅子を手にした真田が立っていた。

「カナトじゃないよな?」

真田が開口一番、声をかける。

「いえ。違います」

美鈴は答え、開いた文庫本を下に向けて脇に置いた。

「なに読んでんだ?」

真田はそう訊きながら、椅子を地面に置いて腰を下ろす。特に意味のない、なんとはなしの質問だった。プラスチック版を挟んで真田と美鈴が向かい合う。

「『アルジャーノンに花束を』って小説です」

美鈴は温和に微笑んだ。

「ふーん・・。そうか・・・」

小説に関心のない真田であったが、きっかけにはなったようだ。実は美鈴と話がしたかったからである。

「四年前の事件、調書見たよ。きみ、結構苦労してきたんだな」

真田は指を組んで前屈みになる。それを聞いた美鈴の顔つきが暗くなった。

「八歳の頃に母親を、十五歳の頃に父親を亡くし、それからきみは親戚のもとに預けられた。家裁の職員の証言によれば、その親戚は嫌々引き取ったそうだ。そのせいか、きみはそこで精神的虐待に遭った。特に、義理の姉からの扱いはひどかったみたいだね。家出したくても金がない。バイトしたくても許してもらえず、世間体を気にしていた親戚連中は、きみに対して勝手な行動をしないよう、常に監視の目を光らせていた。スマホを取り上げられて、友達にも連絡させなかったらしいじゃないか。そのうえ、進学した高校でも陰湿ないじめに遭っていた。いじめグループのリーダー格は、今言った義理の姉。担任教師に訴えても、そいつは自分の責任になるからと無視し、学校側もいじめを隠ぺいしていた。当時のきみには、居場所と言えるところがなかった」

美鈴は拳を握り締める。過去を思い出してしまったのだろう。真田は語を継いだ。

「それでもきみは我慢した。いつか解放されることを願って耐え続けた。けど、どこかで心の張りを失った。そして事件が起きた。自分をしいたげた人間を皆殺しにし、きみは殺人の現行犯で逮捕された。あれは本当にカナトがやったのか?」

真田が問いただすと、うつむいた美鈴は口を開く。

「わかりません。記憶がないんです。気づいたら警察署の中にいて」

以前に天童が話していた。美鈴は最初の頃、人格が切り替わった際、そのときの記憶がなくなっていると。それを踏まえれば、やはり犯行はカナトであろう。あの人格の主張は真実だったのかもしれない。だとすると、美鈴の犯行と結論付けた裁判所の判決も覆ることになる。真田の脳裏に思いがよぎった。

「そもそもカナトって人格はいつからいたんだ?子どもの頃からいたのか?」

真田はカナトという人格を知ってから気にはなっていた。どうしたら、もうひとつの人格が生まれるのだろうか。専門家でないこの男にはわからなかった。美鈴は言葉に窮した。なにやら迷っているようだ。

「話しづらいこと、なのか?」

真田が静かに訊いた。美鈴とは会ったばかりだ。素直に話せないのだろう。そう察した真田は美鈴に付言する。

「嫌なら無理にしゃべらなくていい。俺もちょっと突っ込み過ぎた。捜査してる事件とは関係ないもんな。悪い」

その配慮が届いたのだろうか、美鈴はほんの少しだが、胸襟を開き始める。

「カナトが初めて現れたのは・・、多分あのとき・・、四年前の事件のときです」

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