【3】

 辺りが夕方になる。警視庁の取調室では、ふたりの男が座っていた。ひとりは真田。正面にいるのは、かつて七節区役所の主査で、現在はただの犯罪者と化してしまった日下部拓雄くさかべたくおだった。三十から四十代といった痩せ型の顔に、黒く細いフレームの眼鏡をかけている。かっちりと整えていたのであろう髪型は乱れており、どこか消極的な表情になっていた。真田は机の上に、顔写真が載せられた用紙を数枚並べて見せた。

「日下部。あんた、これら写真の女の個人情報を調べるよう、誰かに依頼されたか?」

真田が訊いた。日下部は前のめりになり、写真に目を遣る。

「あっ」

日下部が小さく声を上げた。刑事じゃなくてもわかる。この男には心当たりがあるのだと、真田はすぐに察した。

「知ってるんだな?」

再度訊くと、途端に日下部は口をつぐんだ。余罪が暴かれるのを恐れている様子だった。真田が交換条件を出す。

「刑事だって人間だ。話のわかる奴もいる。ここには俺とあんたのふたりきり。正直にしゃべってくれれば、そのことは黙っててやってもいい。もしくは、捜査協力してくれたから減刑してくれって裁判所に恩赦を求めることもできる。個別恩赦ってやつだ。ムショに行かずに済むかもしれないぞ」

「本当にそうなんですか?あそこで誰か見てるんじゃないんですか?」

真田の後ろにあるマジックミラーを、日下部は睨んで示した。真田はそこを一瞥し、返した。

「いや、刑事はいないよ。俺が個人的に訊きに来てんだから」

「嘘じゃないでしょうね?」

「黙秘するならそれでもいい。でも、そうなるとあんたは確実にムショ行きだ。さっき事件の調書を見たが、あんたは小遣い稼ぎのつもりで故意にやっていた。となると、最低でも二年は出てこれないだろうなあ」

脅しにかかる真田に、日下部は生唾を飲み込んだあとに言った。

「わかりましたよ」

刑が軽くなるなら。眼鏡の山を中指で上げた日下部は迷った末、仕方なく答えた。

「人数が多かったし、女性ばかりだったので覚えています。たしか、二か月前くらいに依頼がありました。前金で百万、住所などの詳細な情報がわかったら、あと百万くれるっていうんで引き受けました。いつもはネットバンキングを通じて金銭の授受をしているんですが、その人とは直接、金銭の受け渡しをしました」

「そいつと会ったのか?」

「いえ。直接会ったという意味ではありません。七節町の駅前に、古いコインロッカーがあるんですけど、そこに調べた資料を入れて、鍵をロッカーの天井にテープで張っておくんです。次の日に、その鍵でロッカーを開けるとお金が入れてあるという方法を取っていました。だから、どこの誰かは知りません。その人とは主にメールでやり取りしていて、そこのコインロッカーは付近に防犯カメラがないので、取引にはちょうどいいと、向こうから提案してきたんです」

「そいつとやり取りしたメールは残ってんのか?」

「あるわけないでしょう。取引が成立したら履歴はすべて削除していますから。復元ができないよう、完璧に抹消しています」

得意満面な表情の日下部に、真田は質問を重ねる。

「そこまで徹底してんなら、なんで逮捕されたんだよ?なんかミスったんじゃねえのか?」

日下部の顔つきが変わる。

「違いますよ。あなたがご存じかどうか知りませんけど、取引相手のひとりが逮捕されましてね。彼が私のことを洗いざらいしゃべっちゃったんですよ。わざわざ私に繋がる証拠まで提示して。それで結局このザマ。こっちはある意味被害者ですよ」

不満をぶつける日下部に向かって、真田が口汚く罵る。

「なに言ってんだよ。てめえのしたのだって悪りぃじゃねえか。ふざけたこと抜かしてんじゃねえぞ」

日下部は顔を引きつらせた。本来ならば、真田は偉そうに大口を叩ける立場ではない。この男も裏でいろいろと悪事を働いてきた。それがわかっていながらも、つい罵倒してしまったのだった。ため息を吐いた真田は話題を戻した。

「で、そいつには具体的になにを教えた?」

たじろいだ日下部は、やや声を落としながら答えた。

「氏名と顔はその人が送ってきた情報でわかっていたので、私はそれを基に、相手の住所と職場や学校、報酬が良かったんで、サービスで個人番号もセットで教えてあげました」

「つくづく見下げ果てたよ。あんたには」

真田が軽蔑的な言葉を漏らすと、イヤフォンからカナトの声がした。

―話はもういい。戻ってこい。

それを受けて、黙って席を立った真田は振り返り、マジックミラーをノックして言った。

「聞いてたか?そういうことだから、あとは任せる」

察した日下部が声を荒げる。

「やっぱり嘘だったんですね!刑事がいたんじゃないですか!」

日下部を見た真田は飄々とした態度で返した。

「嘘じゃねえよ。刑事はいない。いるのは検事」

真田がマジックミラーを指差すと、締めくくるように語を継いだ。

「実は俺、話のわからねえ男なんだよ。それに刑事でもねえ。あと、警察は恩赦を求めることなんてできないから。悪いな」

「あなたのしたことは、虚偽と脅迫ですよ。違法行為だ。不当な取り調べになります」

怒りを秘めながら訴える日下部を真田は鼻で笑い、軽い調子で答えた。

「だってこれ、正式な取り調べじゃねえもん。ただの世間話。それをたまたま担当検事が耳にして、改めて捜査し直す。あんたがベラベラしゃべったのがいけなかったんだよ」

日下部が目をつり上げて叫ぶ。

「お前のせいじゃないか!」

真田はその叫びを無視して取調室を出て行く。日下部は後悔の念に駆られ、拳を握り締めて歯噛みした。


 施設に戻った頃には、すでに夜になっていた。真田は管理室に行かず、まっすぐ独房へと向かった。独房内の女は、まだカナトのままのようだ。

「憶測、当たってたな」

モニターを見つめるカナトに真田が言った。そして続けざまに話す。

「犯人は日下部を使って被害者の居場所を突き止めた。そして、なんらかの方法で近づき殺害、遺体をどこかに運んでバラバラにした・・。んー・・、どうやって近づいた?それにバラバラにしたのはどこなんだ?本当にチェーンソーを使ったんなら、誰もいないような場所になるよなあ・・・」

徐々に独り言になっていく。考え込む真田に対し、カナトが口を開く。

「近づく方法ならいくらでもある」

「例えば?」

「夜道を襲う。警察官になりすまして声をかける。あと、被害者のファンだと偽る」

「そうか。被害者はSNSや動画サイトで顔出ししてたもんな」

「自分のファンだと知れば、警戒が少しは緩む。相手が好意的に話をすればなおさら」

真田はカナトにもうひとつの謎を問う。

「じゃあ、どこでバラバラにした?」

「それは今調べてる。犯人の行動半径からして七節区内、遺体を車で運べるどこか。誰にも見られず、聞かれず、切断した部位の保存が利く場所を踏まえて考えると、そう適した場所はない。おそらく、区内の一か所で全てやってるんだろう。そのほうが却って好都合だ。ひとつだけなら発見されにくい。あれだけ何人も殺して解体してるとなると、犯人にとって慣れ親しんだ所かもしれない」

カナトはモニターを操作しながら真田に言った。

「お前はもう帰っていい。あとは明日だ。ずっと俺のままだったから、美鈴も疲れてる」

口を結んで二度うなずいた真田は、いとまを告げる。

「わかった。それじゃ」

真田はイヤフォンとカメラを天童に返却すべく、管理室に歩みを進めた。今までの言動から、カナトは美鈴に気を遣っている。美鈴を守ろうとしている。まるで姉や妹の面倒を見る弟や兄のようだ。あくまでそういう気がするだけなのだが、四年前の殺人事件も、カナトの主張を信じるならば、美鈴のためにやったのではないか。真田は頭の中で深慮するのだった。


 真田は自宅に戻らず、警視庁の資料室で四年前の事件の調書を読んでいた。その事件について関心を持ち始めていたからだった。そこで真田は、今まで気にも留めていなかった美鈴の過去を知ることになる。


 同じ頃、モニターに表示された七節区の地図を見ていたカナトは首を傾げていた。なにか引っかかる。しかし、そのなにかがはっきりとしない。妙な感覚を抱いていたのだった。


 翌日、真田は施設にやってきた。歩きながら独房内に目を遣ると、女がベッドに座り、モニターを見ている。画面には、三毛猫が毛づくろいをしている姿が大きく映っていた。どうやら動物番組のようだ。真田は女の様子から、すぐに美鈴だとわかった。カナトがこの状況で猫の映像を見るとは思えなかったからだ。それに、顔がほころんでいる。女性の顔つきだ。カナトではない。受刑者とはいえ、一定時間であればテレビを見ることは許されている。どこの刑務所でも同じだ。そう脳裏をかすめながら真田が管理室に入ると、天童が近づいて来て、すぐさま報告を始めた。

「これからカナトにも伝えますが、犯人と思しき人物から、庄司志保と飯島智花の遺体が写された写真が先ほど警視庁に届きました。以前と同じ封筒に入った状態で。送付状も添えられており、こう書かれていました。≪これで終わりではない。誰も自分を止めることはできないようだ≫と。投函されたのはおとといだと考えられ、七節区内にあるポストからのようです。あと、これも依然と同様、マスコミにも送られていたそうです。よって、捜査本部は澤部道哉をシロと判断しました」

「理由は?確かにあいつはシロかもしれないけど、なんで向こうもそれがわかったんだよ?」

「お話します」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る