第三章/閑話推論
【1】
真田がモニターのあるテーブルの席に座ると、天童がタブレットを操作した。モニターに被害者の顔写真が表示される。
「古馬土町で発見された遺体の身元が判明しました。名前は
天童が報告すると、真田が訊き返した。
「SNSってことは、インフルエンサーみたいなやつか?」
「はい。その中でもパワーインフルエンサーに該当するほど人気のある女性でした」
「最後に会った奴はわかってんのか?」
「投稿された彼女のSNSでは、フォロワーに会いに行くとだけ。それを最後に更新が途絶えています。おそらく、そのフォロワーではないかと」
被害者のSNSの画像を天童は表示させる。真田はそれを見ながら思案顔で重ねて訊いた。
「そいつが犯人の可能性もあるよな。フォロワーって誰だ?」
「わかりません。彼女のSNSのフォロワー数は世界中で十万人以上います。ひとりずつ調べるのは骨が折れますから、捜査本部は七節区在住者を中心に調べています。」
そこで天童はタブレットを脇に抱え、平然として言った。
「ですが、その作業の必要はないかもしれません」
「どういうことだよ」
「先ほど捜査一課が、ひとりの男性を重要参考人として引っ張ってきました。澤部道哉という創和大学の学生です。真田さんも昨日、彼に聞き込みをしたのでご存じでしょう」
「あいつが?なんでだ?」
天童がタブレットを操作し、モニターの画面を切り替えた。別のSNSの画像だった。そして、説明を加える。
「彼はSNSのあるコミュニティに入っていました。≪マンスプレイジア≫という女性偏見者が集まるコミュニティサイトです。彼は実のところ、かなり女性蔑視の傾向が強いようですね。女性を見下すコメントが多く投稿されていました。中には≪殺してやりたい≫、≪バラバラにしてやる≫なんて物騒なコメントもありました。警視庁はミソジニストの犯行だと主張していると言いましたよね。彼こそがそうではないかと推定し、SNSのコメントから、蔑視が殺意に変わり、実際に殺害したのでは考え、現在、取り調べを行っています」
澤部を聴取した際、なにか隠している様子だったのはそれが理由かと真田が思ったとき、管理室内のスピーカーから女の声が飛んできた。
―おい!天童!
美鈴ではない。声色から言ってカナトだった。天童はスタンドマイクがあるところまで行き、答えた。
「どうしました?」
―澤部って男の取り調べ、真田にもやらせろ。その様子を俺がここから見る。
真田はそれが耳に入って席を立ち、天童のもとへ向かう。
「カナトはもう知ってんのか?」
澤部のことについて、真田が天童に訊いた。監視モニターには、カナトが独房内を右へ左へと動いているのが映っていた。
「はい。あなたが来る少し前に伝えました」
―どうなんだ?できんのか?
カナトが返答を促す。
「できなくはありませんが、なぜです?」
天童が問うた。
―そいつに興味がある。犯人かどうか確かめたい。
「わかりました。少々時間をください」
会話を終えた天童は、上着からスマートフォンを取り出すと、真田に言った。
「そういうことですので、真田さんは警視庁へ向かってください。それまでに手はずを整えておきます」
「俺、なに訊きゃいいんだよ」
真田は急な展開に戸惑った。ここの連中は受刑者の個人的な要求にも応えるのか。一体どうなっている。警察組織の一部としては考えられない。
「まずはマニュアルどおりで結構です。あとはカナトが指示を出すでしょう」
天童の随分といい加減な
「イヤフォンとカメラを忘れないように」
そう言って、そばに置いてあったツールケースを片手で持った天童は、それを真田に手渡した。真田はやむなくテーブルまで戻り、支度を始めた。スマートフォンを耳に当てた天童は、電話がつながると口を開いた。
「蜂須賀刑事局長にお取次ぎ願いますでしょうか」
真田は警視庁の取調室へと向かっていた。廊下を歩いていると、取調室のドアの前に安永が壁に寄りかかって腕を組んでいた。まるで、真田が来るのを待っていたかのようだった。安永が真田をじろりと睨みつけ、言葉を発した。
「お前、コソコソなにしてんだよ。警察庁の、しかも刑事局長様が、お前なんかに取り調べを許すなんてこと絶対にあり得ない。もう刑事じゃないんだよな。監察から懲戒処分受けて拘束されてるはずだろ。なのに、自由に動けてんのも合点がいかない。お前なにした。なにやってんだよ」
不審がる安永に、真田は冷たく答えた。
「前も言っただろ。お前には関係ない。どけ」
安永を強引に押しのけ、真田は取調室に入っていった。安永の険しい目つきがさらに険しくなる。なんとも釈然としない。気になった安永は、取調室の隣の部屋に入った。
澤部が臆して座っている。正面の席に真田は腰を落とした。取調室にはこのふたりしかいないが、正確には、真田の上着の襟に付けられた小型のカメラ越しに、カナトが澤部を見ている。
「きみ、女が嫌いなんだって?」
真田が切り出した。うつむいて口ごもる澤部に、真田が語を継ぐ。
「さっきも刑事にしゃべったんだろ。同じことでいいから話してくれないかな」
世間話でもするかのように、真田は気軽に訊いた。すると、澤部はボソボソとなにかを呟いている。
「え?」
真田が耳を傾けて訊き返すと、今度はやや声を上げて澤部は捲し立てた。
「自己中でプライド高いくせに、いざとなると女だからとかほざいて弱いふりして。あの性格がムカつくんだよ。それに見た目でコロコロ態度変えやがって。そんなに俺じゃダメなのか。あいつらブスどもの顔を思い出すと吐き気がする」
澤部の発言は女性全般というよりも、特定の女に限っているように聞こえた。
「女が嫌いなのは、自分が女に好かれないから。そうなのか?」
真田の問いを受けて、澤部は黙ってうなずいた。次はなにを訊こうか考えていると、イヤフォンからカナトの声が流れた。
―真田、これから言うことをそいつに訊け。
カナトがした指示に、真田はしぶしぶと従った。
「ゆうべは外に出たか?」
「タバコ切らしたんで、近くの自販機まで買いに行ったぐらいです。あとは家で食事したり、ネットしてました」
「自販機に行ったのは何時だ?」
「七時をちょっと過ぎたくらいです。スマホの時計を見たんで」
「白石沙也加を最後に見たのはいつだ?」
「三週間ほど前です。午前中の講義で一度。彼女が俺の友達と話していたので覚えてます」
続けざまの真田の問いかけに、澤部は的確に答えた。
「事件には目撃者がいた。きみが事件の被害者と接触しているのを見られた可能性があるぞ」
真田が少し趣旨を変えた。澤部は正面を向いて首を振る。
「見られたもなにも、白石以外はニュースで知っただけで、全然知らない人です。会ったことありません」
真田は確認するように詰問を浴びせる。
「本当か?きみは殺してやりたいほどに女を憎んでたんだろ。SNSにも書き込んでたじゃないか。白石沙也加もそのひとりだったんじゃないのか?」
澤部はそれでも否定した。
「確かに女は嫌いです。白石もそうでした。でも、あれはその場の勢いで書いたというか、実際にやろうなんて思ってません」
しばらくの沈黙のあと、真田の耳の中でカナトが断言する。
―こいつはやってない。呼吸に乱れはないし、さっき俺が言った質問にも、間もなく即座に答えた。それに、嘘をついている仕草が一切見受けられない。こいつは犯人じゃない。ただの女嫌いだ。
カナトの言葉に、真田も胸中では同意していた。長年刑事をしていたからわかる。澤部の言動に嘘はない。どこか怯えているのも、犯人だと疑われるのが怖いだけだ。
「澤部」
真田は前屈みになり、語を継ぐ。
「きみは女運が悪いだけだ。もっと視野を広げてみろ。そうすりゃ考え方も変わる」
安永はそのやり取りを、隣の部屋のマジックミラー越しに見ていた。不信感を抱きながら。
施設に戻ってきた真田は、まっすぐ管理室へ向かった。その途中、独房に目を遣ると、表情からしておそらく美鈴であろうか、机の席で文庫本を読んでいる。管理室に入ると天童が待っていた。
「お疲れ様です」
天童はそう言って真田に歩み寄る。
「カナトが真田さんと話がしたいそうです」
「俺と?」
「以前、カナトが言ってたでしょう。被害者を選んだ理由がもうひとつあると。そのことではないでしょうか」
「でも、今のあれ、美鈴だよな」
真田が監視モニターを指差す。
「はい。ですので、もう一度スイッチングさせます」
「それなんだけどさあ、あいつ、相当嫌がってたぞ」
「切り替わるまで待っている余裕がありません」
天童は研究員にひと声かけた。
「曲をかけてください」
受刑者とはいえ、相手は女だ。いくらなんでも薄情ではないのだろうか。この男はやはり冷徹で容赦がない。真田は改めて思った。すると、施設内に音響大きく音楽が流れ始めた。ベートーヴェンの『交響曲第九番』だった。監視モニターに映る美鈴が両耳を押さえて苦しみ出す。席を立ち、なにかに抗うように身体を左右に動かしたあと、うずくまった。そして、腕をだらんと下に落とし、動かなくなった。
「切り替わったようですね。止めてください」
天童の指示で曲が止まり、施設内が静まり返る。
「さあ、行ってください」
管理室の出入り口まで歩いた天童はドアを開けた。真田は嫌気な目つきで天童を見ながら、イヤフォンとカメラを外してテーブルに置き、独房へと向かった。
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