【3】
真田は天童に訊ねた。
「このこと、あの女は知ってんのか?」
「人格が美鈴さんのときに概要だけ伝えました。ですが、現場や遺体の写真は見せていません。美鈴さんにはショックが大きいですから」
「そうか・・・」
管理室の窓から真田が独房に目を遣ると、腕を組んで仁王立ちした美鈴が独房内のモニターを見つめている。目つきが違う気がする。あれは美鈴ではないと思った真田が独房を指差して天童に言った。
「あれ、カナトになってんじゃねえか?」
それを聞いた天童が監視映像で確認して答えた。
「なってますねえ」
天童は映像を見ながらスタンドマイク越しに声をかけた。
「カナト君」
管理室からも音声が独房内へ届く仕組みになっているようだ。
―なんだよ。
その冷たい返事。確かにカナトに人格が変わっていた。カナトは昨日、真田が聴取した澤部の録画映像を眺めている。なにやらモニターをスマートフォンのように指で操作しているカナトの様子を監視映像から目視した真田はふと引っかかり、天童に訊いた。
「あの画面って、見せるだけのものじゃねえのか?」
てっきりそう思っていた真田の問いに、マイクから離れた天童は丁寧に説明した。
「あのモニターはタッチパネル式になっていまして、今までの捜査情報や事件資料のデータが入っています。よって、カナトはいつでもその情報、資料を閲覧することが可能となっています。カナトにだけ使用できるよう設定しました。美鈴さんは使えません。パスワードも美鈴さんに知られないよう教えました。ちなみに、ネットにも接続させてあります」
「いいのかよ?一応は受刑者だろ」
真田は目を疑ったが、天童は冷静に返した。
「彼女は受刑者ですが、捜査協力者でもあります。捜査を円滑に行うため、そして、この試験には最低限必要な措置です」
そのとき、カナトの声が飛んできた。
―おい。呼んどいて無視かよ。
天童はスタンドマイクに向かってカナトに訊ねる。
「新たに事件が起きたことは知ってますね?」
―ああ。
天童の言うとおり、人格が美鈴のときであっても、脳内に潜むカナトには声が聞こえているらしい。
「現場写真を送ります」
キーボードを操作した天童は画像を独房のモニターに届けた。と同時に、先ほど真田に話したふたつの事件の詳細を話した。すると、カナトから声が返ってきた。
―同じ犯人だな。目撃者は?
天童が答える。
「今のところいません。調べている途中です」
―庄司志保の旦那はなんて言ってる?
「彼は届けを出した翌日、仕事でエジプトのカイロに渡航しており、現在もそこにいるとのことです。連絡したところ、ただただ肝をつぶしていたと聞いています」
―いつ帰ってくる?
「はっきりとはわかりません。すぐに戻るとは言ってたそうですが」
―だったらほかに関係者は?最後に被害者と会った人間はいないのか?
「ひとり、該当者がいます」
白衣を着た研究員の男は、天童にそう言って顔写真が添付された画像を数台あるモニターのひとつに表示させた。見たところ運転免許証のデータのようだ。
「カナトにも見せてください」
天童の指示に従って研究員はその画像をカナトに送った。その男の名前は
「川島宏は被害者が務めていた衣料品店の従業員です。行方不明になる当日、職場から帰るのを見送ったと、数日前に所轄署の警察官が彼に聴取を行っていました。今日も出勤するかと思われます。辞めていなければですが」
―じゃあ、そいつから話を訊こう。真田はいるか?
「ええ。いますよ」
本人の代わりに天童が答えた。
―昨日と同じ質問をそいつにもしろ。ついでになにか不審な点はなかったかも訊け。それだけすればいい。
今日も変わらず命令口調のカナトに苛立ちを覚えながらも、真田は出発の準備を始めた。
真田はタブレットに表示された住所を頼りに、七節町にある衣料品店<シオール>を訪れた。車から降り、長方形でレンガ造りの建物を眺めた。店先には若者向けの婦人服ばかりが「トルソー」と呼ばれるマネキンに近い人型のツールに着せられ、ガラス越しに陳列されている。真田は出入り口に近づき、ドアレバーに手をかけると、片開きのドアが開いた。覗き込むように身体半分を中に入れた真田は店内を見た。アンティークと呼ぶべきか、ヴィンテージと呼ぶべきか、曖昧で個性的なその店内に、ひとりの男が背中を向けて作業をしている。どうやら開店準備をしているようだった。気配に気づいた男が振り返る。川島だった。スマートな身体に黒い長袖のワイシャツとベージュのジレとアンクルパンツを身に着け、茶色の中折れ帽を被っている。いわゆるアパレルショップの従業員だけあって洒落てはいるが、やはり顔はイマイチだった。
「すみません。開店は十時からなんです」
そう言った川島の低い声は色男だった。ただし、声だけは。真田が上着から警察手帳を出して掲げる。
「警察。きみに話があるんだけど、ちょっといい?」
真田は相手の了承も得ずにずかずかと店内に入っていき、目が点になった川島の前に立った。
「庄司志保ってここの店長、今朝、遺体で見つかったんだよ」
直球で切り出した真田の発言を耳にし、今度は目を丸くした川島は返答に窮した。
「は・・!?えっ・・・!?」
戸惑っている川島に向かって真田は訊いた。
「きみが彼女を最後に見たんだよな。なんか変な様子だったりはなかったか?」
「いえ・・、特にはなにも。いつもどおりというか、普通でした」
川島はたどたどしく答えた。上司の死を突然知らされて当惑しているのだろう。真田は重ねて問う。
「不審な奴とかはいなかったか?外から店を覗き見してた奴とか、周りをウロチョロしてた奴とか」
「いませんでしたよ。だいたい、そんな人がいたら通報してますよ」
少しずつ落ち着いてきた川島に対して、真田は要点に入った。
「店長さんさあ、自分の身体にコンプレックスみたいのなかったか?」
川島は首を振った。
「さあ?わかりません。私には仕事以外のことしか話しませんでしたから」
「身体のここをスッキリさせたいとか、顔のここが嫌だとか、誰かに話してるの聞いたりはしてないのか?」
真田が身振り手振りで質問すると、「顔」とう単語に川島が引っかかった。
「そういえば・・、店長が常連のお客様と話しているときに言ってたんですよ。自分はブサイクだから、お客様の顔が羨ましいみたいなこと。まあ、店長も十分美人だし、
「顔・・・」
呟いた真田は話題を変じた。事件とは関係ないかもしれないが、少し気になることがあったのだ。
「ここ、女物扱ってるみたいだけど、なんで男のきみが店員やってるの?」
その問いに川島は希望と失望が混じった話し方をした。
「私、デザイナーになりたいんです。特に女性服の。だからここで働きながら勉強してるんですけど、こういうお店って男がいると女性の方は嫌がるんですよね。服のサイズを知られたくないとか、たくさん買うのを見られるのが恥ずかしいとか、いろいろ理由があるみたいで、生理的に受け付けないってネットにも書いてありました。なので私は、主に“ランナー”として業務につかせてもらっています」
「ランナー?」
業界用語なのか、聞きなれない言葉に真田が聞き返す。
「商品の在庫を走って取りに行ったりなど裏でアシストする業務をそう呼んでるんです。あとは返品作業や片付けなどの男手のいる仕事をしていて、接客はほとんどしていません」
川島が言うと、真田は腕を組んで私見を述べた。
「そりゃあ、服買うんだったら、男よりも同じ女のアドバイスのほうがいいわなあ」
つい女性目線になってしまった真田に、川島はうつむいた。そのとき、聴取の一部始終を映像で見ていたカナトからイヤフォン越しに声がかかった。
―今はそれだけわかればいい。戻ってこい。
真田が店を出ると、スーツ姿の男三人が近づいてきた。見ると、三人とも襟に金枠の赤い丸バッジを付けている。本庁の捜査一課だと真田は一発でわかった。それはそうだ。自身も少し前までそこに身を置いていたからだ。
「真田か?お前、ここでなにしてる?」
そのうちのひとり、中央で先頭を切っている警部補の
「関係ねえだろ」
真田は冷たい目つきで答えた。真田と安永は捜査一課で同じ係にいたことがあり、その頃から折り合いが悪かった。
「お前、監察に拘束されたんじゃねえのかよ?」
安永には解せない。本庁で真田が警務部の人間に連れられていくところを見た。そのすぐあとに、逮捕されるかもしれないとの噂も小耳に挟んでいた。
「見てのとおり、俺は自由だ」
真田は両手を広げた。実際そうではないのだが、相手に弱みを見せたくないと虚勢を張った。
「今、こっから出てきたな。なにしてた?」
安永は顎で建物を指し、語を継いだ。
「まさか事件の捜査してんじゃねえだろうな。こっちは聞いてないぞ」
被害者が務めていた店に真田がいる。偶然とは思えない。安永は怪しんだ。
「だから、お前らには関係ねえっつてんだろ。俺の女にやる服探してただけだ」
やや声を荒げた真田は逃げるように車に乗り込んだ。自分のしていることが捜査本部に知られると厄介なことになる。下手な作り話だったが咄嗟のことだ。仕方ない。真田はエンジンをかけ、アクセルを踏んだ。
「あの邪鬼・・・」
走り去っていく車を睨みながら声を発した安永は
「行くぞ」
と後ろのいる部下のふたりに号令をかけ、聞き込みのため<シオール>の店内へと向かっていった。
真田が施設に戻ってくると、おそらくカナトであろうか、立ったまま独房内のモニターでなにかの画像を見ては画面を上にスクロールしている。写真と文章が映っているみたいだが、真田が歩いている場所からは遠くてはっきりとは見えない。少し気になりながらも管理室に入ると天童がやってきた。
「事件に関して新たな情報があります」
天童は早速、説明を始めた。
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