第二章/ふたりの眼

【1】

 駐車場で該当の車を見つけた真田は、タブレットを車のルーフに置き、上着の内ポケットからタバコの箱とジッポライターを取り出した。そして箱から一本抜きとると、口にくわえてタバコに火を灯した。それから煙を大きく吸い込み、ゆっくりと口から吐き出す。今まで我慢していた分、少しはこの時間を楽しみたい。こんな状況だが、タバコが吸えるだけまだマシだなと考えていると、イヤフォンから冷たい声がかかった。

―お前、タバコ吸ってんのか?

カナトの声だった。真田がイヤフォンのボタンに触れて応答する。

「だったらなんだよ」

―そんな暇あんなら、さっさと行けよ。オッサン。

真田は苦虫をかみつぶした表情で、吸いかけのタバコを地面に落とし、片足で踏み消した。

「一服ぐらいさせろよな」

呟いた真田の小言は、カナトの耳にもしっかり入っていた。

―聞こえてるぞ。

「はいはい。行きますよ」

ふてくされた様子の真田はタブレットを取ると、画面に聴取相手のリストを表示させた。

「まずは・・、こいつから当たってみるか」

最初に聞き込む相手を決め、颯爽と車に乗り込んだ真田の悪い目つきは、さらに悪くなっていた。


 まず真田が訪れたのは、第一の被害者である藤本涼子(ふじもとりょうこ)と最後に会った人物、浅宮純あさみやじゅんの自宅のあるマンションだった。純が真田を部屋に招き入れたとき、真田は襟に付けられたカメラを一瞥した。カナトが今、これを映像として見ているのだろう。まるでスパイ映画かなにかだと思っていると、右耳のイヤフォンから、そのカナトの声が流れてきた。

―形式的な質問はしなくていい。もうほかの刑事が訊いた。俺も聴取した内容を知ってる。

カナトの指示を聴きながら、真田は書斎らしき部屋に入った。質素な机の上にはデスクトップパソコンがあり、隣には背の高い本棚が三台、隅には加湿器が一台置いてあるだけのシンプルだが殺風景な部屋だった。

「浅宮さんはプログラマーをされているとか?」

「ええ。フリーランスでやってます」

真田の問いに、純はハスキーボイスでうなずいた。胸が開いた長袖のTシャツにスキニージーンズを身につけ、スラッとした体形をしている二十代半ばといった純は、黒いベリーショートの髪型に、中性的な顔をしていた。同性からも好かれそうな女に見える。

「プログラマーって言ってもいろいろありますけど、なんの?」

本棚に目を遣り、さらに真田は問うた。

「主にゲームです。最近はアプリゲームが多いですね」

「ゲームってこれですか?」

真田は見ていた本棚の一部を指差した。そこには盤上で行うボードゲーム関連の本が並んでいる。

「はい。それで<アビココ>を通じて藤本さんと知り合って」

「アビココ?」

知らない名称に真田が聞き返すと、純は説明を施した。

「スキルマーケットです。簡単に言えば、自分の得意とするものを互いに売り買いするサービスのことで、アビココはそのひとつです」

「ああ。最近ありますね。そういうの」

全く興味のない真田はつれなく返事をした。純が経緯を話しだす。

「ご存じでしょうが、藤本さんは個人でゲームのクリエイターをしていて、現代的なバックギャモンのアプリ制作のために、スタッフをアビココで募集していたんです」

「で、浅宮さんがプログラミングの担当になったと」

真田は純に身体を向け、手のひらで指した。

「はい。私、その手のボードゲーム大好きなんですよ。昔のものから新しいものまで。自分で制作したのだってあるくらいですから。それで、そのことを藤本さんに伝えたら採用していただいたんです」

そう言うと純はうつむいて語を継いだ。

「でも、まさかこんなことになるなんて・・・」

純が憂い顔になったとき、真田の耳にカナトの声が飛んできた。

―おい、オッサン。さっさと訊けよ。

いちいち癪に障る言い方をする奴だと感じながらも、真田は純に訊ねた。

「ところで、藤本さんは外見にコンプレックスはありましたか?」

「コンプレックスですか?外見って顔とかの?」

「はい」

その質問に、純は身体の向きを変え、思い出す表情になり、ジーンズのポケットに左手を突っ込むと、右手で唇を隠すかのように触れながら、やがて答えた。

「なんか、それらしいことは言ってましたかね。具体的には知りませんけど、悩んでるみたいな話はしてました」

「そうですか・・・」

今ひとつ要領を得ない答えではあったが、カナトの言うことはあながち間違ってはいないと真田は思えたのだった。


 次に訪れたのは、第二の被害者である内村菜緒うちむらなおの夫、内村公輔こうすけの暮らす戸建て住宅であった。リビングのテーブルを挟んで内村と向かい合うように、真田は椅子に腰を下ろした。やや後退した前髪を七三に分け、垂れ目で童顔、チェック柄のシャツにチノパン姿の小柄な体格をした一見すると小心者の印象を与える三十代後半といった内村は泣き伏し、悲しみに暮れている。よほど妻を愛していたのだろうか、その顔は涙と鼻水でくしゃくしゃになっていた。その内村は行方不明者届を出したあとも度々、所轄署どころか、管轄でない本庁にまで妻の所在を問い合わせていたらしい。

「内村さんは・・、食品会社にお勤めで?」

タブレットを見て真田が訊ねると、内村は涙を拭き、鼻をすすって答えた。

「はい・・。<ミツバ食品>で経理を担当しています」

「奥さんは主婦以外にもなにかお仕事をされていたんでしょうか?」

真田の持つタブレットの画面、被害者の職歴データに≪執筆業≫とある。具体的になんなのか訊いてみることにした。

「ネットでブログを書いてました。主婦ブロガーってやつです。ウチは子どもがいないので、趣味や好きなものなどをブログに載せたり、動画を添付したりしていました。悩み相談もしてたみたいですし、私もたまに出させてもらったりして、それなりに人気はあったみたいです」

そう言うと、内村はまたしても泣き始めた。真田はなだめながらも問いかけた。

「奥さんに悩み事はなかったんでしょうか?特に顔や身体に」

「えっ?」

内村はその質問に目を腫らしたままキョトンとした。どうやら意図が摑めないようだった。

「心当たりありませんか?」

真田が再度訊いた。内村は目線を左に向けると、回想するように述べた。

「たしか・・、胸を気にしてました。『大きくて嫌だ』と。以前、笑い話程度で『私の胸目当てに結婚したんでしょ』って言ってたくらいですから」

「胸、ですか」

呟くように真田が言ったとき、カナトの声がした。

―ここはもういい。次だ。

内村はその情景が浮かんできたせいか、き上げてしまっていた。


 真田は内村の自宅の近所に住む女を訪ねた。唯一、犯人らしき人物を目撃した細貝典子ほそがいのりこという女だった。カナトは「寄らなくていい」と言っていたが、念のため話を聞きたかったのだ。ベリーショートの髪を赤みがかった茶色に染め、ボーダーの長袖Tシャツにデニムのバギーパンツ姿の五十から六十代といった典子は、目立つ頬のほうれい線を浮かせながら証言した。

「時間ははっきりわかんないんだけど、夜に見たの。パートの帰りに。街灯の明かりで菜緒さんの顔は見えた。それは絶対。で、その人、菜緒さんをお姫様抱っこって言うの?そんな抱え方してたわ。あと、黒っぽいウィンドブレーカー着てた。でも顔は全然見えなかったのよ。フード被ってて。私が横から見てたせいかもねえ。最初、旦那さんかと思ったんだけど、本人は違うって言ってたし。だとしたらあれ、誰だったんだろう」

不可解な面持ちの典子に真田が訊いた。

「背格好はどんなでした?」

「うーん・・。普通か、ちょっと細いか・・。太ってはいなかったわね。身長は・・、わかんない。全身見たわけじゃないから」

ややおぼろげな答えであった。だが、真田は質問を続けた。

「どこで見ましたか?」

「裏に公園があって、その公園沿いに歩道があるの。そこで」

「どっちに行ったかわかります?」

「さあねえ。ちょっと目を離したら、いつの間にか消えちゃってたから」


 真田はカナトの呼び止めにも応じずに早速、目撃された場所に行ってみた。住宅街の中に小さな公園があり、確かに沿道もある。付近に防犯カメラはない。真田が周辺を見渡すと、数メートル先にフェンスに囲まれた駐車場がある。近づいてみると看板が立てかけてあった。どうやら月極の駐車場のようだ。空いているスペースが点在している。

「犯人がこの辺りの人間でないなら、ずっと被害者を抱えたまま移動するのはリスクがあるし重労働だ。としら、ここに車を駐車してたのかもしれないなあ。夜間で一時的ならバレない」

腰に手を当てた真田が独り言を呟いたとき、カナトの声が飛んできた。

―だからそんなことはわかってんだよ。さっさと次行け。

その物言いに真田は眉間を寄せた。


 真田が向かったのは、第三の被害者で、ファッションモデルの平井玲果ひらいれいかが所属していた<アストロジー>という芸能事務所であった。そこのモデル部門の責任者である宗方亜実むなかたあみに数分だけ面会することができた。その事務所は高層オフィスビルに入居していた。広い事務所内の応接スペースで真田が待っていると、タブレットを持ったパンツスーツ姿の女がひとりやって来て、素早い動きで真田の向かいの席に座った。

「手短にお願いします」

黒く長い髪を後ろで束ね、面長の顔に丸いメタルフレームの眼鏡をかけた四十代初めの亜実は腕時計に目を遣り、タブレットを操作しながら急かすように言った。突然来られて迷惑なのだろうか、真田に視線を全く合わせようとしない。客に対して失礼な態度だが、自分も似たようなことをしたことが多々ある。よほど多忙なのだろうと真田は思うことにした。

「ひとつだけ訊かせてください」

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