【5】

 沈黙したままの美鈴は顔を少し上げ、上目遣いでふたりを見た。その眼光鋭い瞳は、もはや“美鈴”ではなく、“カナト”であった。

「カナト君」

天童がそれを確かめた。真田は生まれて初めて人の人格が変わった瞬間を目のあたりにし、唖然としているのを他所に、カナトは眼球を動かし天童を睨みつけた。

「天童。無理やり俺を引き出しやがって。美鈴殺す気かてめえ!」

真田の耳に入ったカナトの第一声は、とても荒々しいものだった。その声色は少し低くなっているように聞こえる。柔和な顔は消え去り、眉間に皺(しわ)を寄せた今の顔は、まるで猛獣のような威圧的なオーラを感じさせた。「俺」という一人称を使っているので、天童の言うとおり、カナトという人格は男だ。しかし外見は女。しかも、つい先ほどまで礼儀正しい優しげな女だった。この大きな差異に真田は目が点になり、言葉を失った。

「今の会話は聞いていたね。彼が真田さんだ。きみの手足となってくれる」

天童は落ち着いた語調で改めて真田を紹介した。なぜまたそんなことするのかと疑問に思っている真田に、カナトは恐ろしく冷たい視線を投げる。

「お前が真田か・・。んだよ。オッサンじゃねえか。本当にこいつで大丈夫なのかよ」

吐き捨てるように言ったカナトに、真田は怒りを覚えるよりも、カナトと天童のやり取りの意味が理解できず、この状況に動揺していた。二重人格者とはどういう人間なのか、どういった脳内なのか、判然としない真田にとっては仕方のないことだった。その様子を見た天童が解きほぐす。

「美鈴さんから聞きました。最初の頃は人格が切り替わった際、そのときの記憶がなかったそうなのですが、現在では切り替わった状態でも意識があり、記憶もありますが、視界は真っ暗で、外からの声や音が聞こえているようです。私が今まで話してきた限りでは、美鈴さんになっているときは、カナトもおそらく同じ状態なのでしょう」

カナトは呆れた表情で壁板から離れ、手持ち無沙汰に房内をふらふらと周り始めた。天童はひとつ付け加える。

「医師によれば、彼女特有の症状らしく、医学的には説明しづらいとのことです」

「は、はあ・・・」

何度かうなずいた真田を見て、多少は理解を得られたと思った天童は、壁板をノックしてカナトに訊ねた。

「カナト君。昨日言ってましてよね。犯人は被害者を選んで犯行に及んでいると。具体的に説明してもらえますか?」

カナトはうつむいたまま、房内を左右に行ったり来たりしながらその問いに答えた。

「被害者は皆、自分の顔や身体、要は外見にコンプレックスを持ってた・・・」

「コンプレックス?」

真田が聞き返した。

「SNSに書き込んだり、動画の投稿サイトでしゃべってた。本題じゃなく、余談程度にな」

そう言ったカナトはふたりに目もくれない。真田がそのカナトを指差し、天童に訊いた。

「あんた。こいつにそんなモンまで見せたのか?」

真田には信じられなかった。受刑者に捜査させているとはいえ、そこまで被害者についての情報を閲覧させているのかと。

「捜査情報や関係者情報ならば、カナト君の要望次第でなんでも見せますよ。早期解決のためです」

天童は当然のように答えた。今ひとつ納得ができない真田だったが、カナトに刑事らしく問う。

「じゃあ、犯人はそのコンプレックスを持ってる女を狙ったってのか?」

「ああ。警察はそれに気づいてない」

カナトはひと言言い添える。

「あともうひとつ、選んだ理由がある・・・」

「なんだ?」

真田が訊くと、カナトは足を止めて顔を上げ、真田を横目に見た。

「その前に真田、お前は本当に被害者がコンプレックスを持ってたかどうか訊きに行け」

「あ?」

呼び捨てされ、「お前」と言われ、タメ口をたたかれ、いきなり命令口調になったカナトに、真田の憤りが募り出す。

「裏付け捜査ってやつだ。お前刑事だったんだろ。俺の考えたことが本当かどうか確かめたい。話の続きはそのあとだ」

カナトの見下したような態度に、真田は怒りを飲み込んだ。今の自分は反抗できる立場にない。そう言い聞かせながら、その怒りをなんとかコントロールする。

「わかったよ・・。けど、ひとつ答えてくれ」

真田は了承すると、カナトを見据えて問いかけた。

「四年前の事件。あれ、本当にお前がやったのか?」

カナトは真田から目線を逸らした。そして不敵な笑みを漏らし、冷酷な瞳で答えた。

「そうだ。俺だよ」

当時を思い浮かべるようにカナトは語を継ぐ。

「あいつらはクズだった。クズに生きてる価値はない。だから殺した」

真田にとって、その言葉はどこか意味深に感じた。カナトは真の悪魔なのかと疑念が生じてきた。

「では一旦、管理室に戻りましょう。いろいろと準備しなければなりません」

話を切り上げた天童は、真田を管理室へ促そうと背を向けたところで、カナトが呼び止めた。

「待て」

カナトは再度、壁板の方へ近づくと、射るような眼差しで天童に確認させる。

「忘れてないよな。これが終わったらここから出すこと」

「ええ。忘れていませんよ」

穏やかな笑みで返した天童に、真田は違和感を覚えた。隠れて様々な不正を行った真田だからこそわかる違和感だった。天童にはなにか目論見がある。そう思えてならなかった。カナトの表情からも、それに勘づいているように見えるが、確信が持てないのか、それとも天童を少しでも信じたい気持ちがあるのか、口には出さずにいるようだった。


 管理室に戻った真田の前で天童は、両手にそれぞれ、タブレット一台と小さなシルバーのツールケースを持ってきた。ツールケースをテーブルに置くと、タブレットを示して言った。

「タブレットには事件に関する情報、被害者に関する情報。カナトが選んだ聴取対象者の情報資料などが入っています」

天童がタブレットの電源を入れて真田に手渡す。そのタブレットの画面はロックされており、四桁のパスワードの入力画面が表示されている。

「パスワードは?」

真田が訊いた。

「あなたの誕生日で設定してあります」

天童が答えると、真田は自分の誕生日の月日を入力した。するとロックが解除され、ホーム画面になる。そこに表示されているいくつかのフォルダのうち、≪聴取対象者≫と表記されフォルダをタップしたところ、聴取相手のリストが出た。そのまま指先で画面を操作しながら、氏名などが記載されたデータを順に見る。

「仕事の取引先に被害者の夫、職場の上司と、あとは大学の友達か・・・」

真田が呟くと、天童が付け加えた。

「被害者の配偶者や親交のある方、最後に被害者と会った方がほとんどです」

次に天童は、ツールケースの蓋を開けて真田に見せた。中には片方だけの黒いワイヤレスイヤフォンと、同じく黒で、丸く薄いカメラがひとつずつ、スチロール製の型枠にはめた形で入っている。いずれも超のつくほどに小さかった。

「なんだよこれ?」

ファイルを持ったまま不思議そうに眺める真田に、天童は説明した。

「このふたつは、科警研が事件捜査用に開発した新型機器です」

天童はそれらを示しながら詳説を始めた。

「まずはイヤフォン。これは中央のボタンに触れると相手側と通信ができ、マイクが内蔵されているので、そのまま会話も可能です。次にカメラ、これは襟章のようにスーツの襟に装着できるように設計してあり、通信および音声受信機能も備わっていますので、リアルタイムの映像と音声がこちらでも見聞きすることができます」

続けて天童は要点を話す。

「カメラの映像をカナトに見せ、音声も聞かせます。真田さんはカナトの出す指示をこのイヤフォンで聞き取り、その指示に従ってください」

天童は補足説明を加えた。

「房内に設置してあるマイクスピーカー。あれに連動させてありますので、そこからカナトが音声を聞き、指示を行います」

そして天童は締めくくるように言った。

「これはカナトからの要請です。私たちとしても、あとで報告する時間が省けますし、それに、真田さんがきちんと捜査を行っているのか監視するために必要だと判断し、許可しました」

天童は白衣のポケットから自動車のスマートキーを取り出し、真田の前に差し出した。

「シルバーのセダン。移動用の車両です。裏の駐車場にありますので使ってください。くれぐれも私的に使わないように」

真田が天童からスマートキーを受け取る。

「ガソリン代は持ってくれるんだろうな?」

問うた真田に、天童は笑顔でうなずく。

「ええ。警察が負担します。領収書を忘れないでください」

そして天童は促すように言葉を投げる。

「では、早速向かってください。イヤフォンとカメラはすでに電源が入っています」

真田はスマートキーをズボンのポケットに入れると、一旦タブレットを置き、イヤフォンを右耳に嵌め、カメラをスーツの襟に取り付けた。出発の準備を整えた真田だったが、天童に訊きたいことがまだ残っていた。

「質問、いいか?」

「なんでしょう」

「美鈴ってのが、カナトになってる時間。どのくらいなんだ?」

天童は曖昧な答えを出す。

「はっきりとは言えません。三分で美鈴さんに戻ったこともあれば、丸々二日間、カナトのままになっていたこともあります」

真田は少し沈黙したあと、もうひとつ問う。

「なんで俺なんだ?」

それは自分にとって一番腑に落ちない点だった。詰め寄るように真田は語を継ぐ。

「俺より優秀な捜査員はほかにもいるだろ。なんで俺なんだよ」

両手を後ろに組んだ天童は、神妙な面持ちで語りかけた。

「殺人犯の指示に従って捜査をする警察官などこの世にいません。しかし、真田さんは違う。あなたは密かに数々の不祥事を働いてきた。その“足枷あしかせ”が付いたあなたに、“帳消し”という餌をぶら下げておけば必ず食いつき、命令を聞かざるを得ない。それに、あなたには刑事としてのノウハウがある。そんな真田さんだからこそ、この任務に適任だと刑事局長は判断したのでしょう」

「なるほどね・・・」

蜂須賀の尊大そんだいな笑顔が浮かぶ。見事なまでに、あの刑事局長の手中に落とされた。真田はそのような気がした。

「行ってくる」

真田はタブレットを手に取って脇に抱えると、管理室を出た。

「お気をつけて」

天童は微笑みながら真田を見送った。

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