【4】

 天童はAIを懐疑的に捉えている様子だった。その言葉をつまらなそうな顔で聞き流していた真田は私見を述べた。

「なあ。捜査のことだけど、そこまでわかってて見方も一緒なら、これやってる意味ないんじゃねえのか?」

真田の言うことはもっともかもしれない。しかし、それを耳にした天童はまたも奇異な笑みを浮かべ、タブレットをテーブルに置いた。

「この先からは、カナトと警視庁の意見が食い違っている点になります」

天童はここが大切なポイントとばかりに強調して話し始めた。

「まず、犯人は七節区在住の女性という共通点以外は、無差別に殺害しているというのが警視庁の見解ですが、犯人は相手を選んで殺害したとカナトは言っています。次に、なぜ遺体の部位が違うのかという点ですが、警視庁は犯人の趣味嗜好、こだわり、または捜査の撹乱かくらんと見ています。しかし、カナトはそうではなく、別の理由から遺体の部位をすげ替えたのだと言っていました。そして動機に関して、警視庁の分析では性交の痕が見られないことから、犯人は女性恐怖症、あるいは女性嫌い、つまり「ミソジニスト」であり、女性への不快感や嫌悪感から犯行に及んだのだと判断していますが、カナトはそれを否定し、動機においてはもっと単純なものだと言っています」

なぜか天童は、自分の推測でもないのに得意げな顔をしていた。よほどカナトという人格に狂熱的な関心があるのか、この運用試験という名の捜査を楽しんでいるのか、想像以上に陰険な性格なのかもしれない。それを見た真田はそう思った。

「言ってるとか言ってたとか、そのカナトってのは具体的になんて言ってんだよ?」

話の一端が婉曲的に聞こえた真田は、少しれつつ天童に問うた。

「それなら直接訊いてみますか。あの悪魔に」

「悪魔?」

「彼女が起こした事件。カナトは「全部俺がやった」と主張していました。もし、それが本当ならば、カナトは十人もの人間を惨殺した。言わば悪魔です」

カナトの人格性を言い切った天童は真田に訊ねる。

「どうしますか?」

「訊くよ。じゃなきゃ始まんねえだろ」

真田はすげなく返したが、どうやら腹を決めた様子でいた。天童は上着の内ポケットからカードを一枚取り出し、真田に差し出した。

「その前にこれをお渡ししておきます。施設に出入りするためのICカードです。この部屋にも出入りできます。ただし、房を開けることはできませんので覚えておいてください」

「ああ・・。わかったよ」

天童からICカードを受け取った真田は、そのカードを上着のフラップポケットに入れ、席を立った。


 真田と天童は管理室を出て、数メートル先の独居房へと向かう。その途中で、天童の後ろを歩く真田が問いかけた。

「このこと、特捜本部は知らないんだよな?」

「もちろんです。秘匿ですから」

ふたりが独居房の前に着いた。ちょうどノートパソコンの置いてある机の辺りだった。天童は真田の左隣に立つと、両手を後ろに組んで語を継いだ。

「事件の追及について例えるならば、警視庁は光であり、こちらは闇・・。暗闇と言ってもいいでしょう」

独居房の中では女が椅子に座り、机の上に曲げた両腕を置いて顔を埋(うず)めている後ろ姿が見える。真田は分厚いプラスチック板で出来た独居房の壁板に手を触れて天童に訊いた。

「なあ。これでどうやって話すんだよ」

先ほどもざっと見回したが、独居房に通声穴らしきものは確認できなかった。もしや房に入って相手と話すのだろうか。だがそうでないと、この状態では声が届かず会話ができないだろう。真田は疑問に思うと同時に、もうひとつの疑問が浮かんだ。

「それにあの女、ちゃんと息してんのか?」

真田は女を指差した。独居房は内部の大型モニターと、外部のノートパソコンのケーブルを繋ぐための細い横長の角形の穴が開いているのみで、あとは隙間なく密閉されている。そんな空間では換気も悪く、空気も汚れているだろう。だから女はけだるそうに見えるのかと真田は思った。

「ご心配なく」

答えた天童は、そのふたつの疑問を解消させる。

「房の中と外、それぞれ地面の四隅に小型のマイクスピーカーを備え付けてあります。それによってこのままでも会話が可能です。そして施設の地下には空調設備を設けていますので、そこから吹き出し口を伝い、施設や房内の空気を循環させています。冷温風を送ることもできますので、エアコン代わりにもなっています」

真田が内部の地面を見ると、確かに中央部分にライン型の吹き出し口が三つ並んでいた。だとすれば、少なくとも女は息苦しくてそんな体勢になってはいないことがわかった。真田の当ては外れたようだ。

「真田さんが来る前はカナトの人格になっていたんですが、今はどうでしょう」

天童は女を呼ぼうと壁板をノックするように軽く叩いた。眠っていたのか、それとも放心していたのか、その音にビクッと肩を跳ね上げた女は、上体を起こして振り返り、ふたりの男の姿を捉えた。そして、やおら席を立つと、ふたりのもとに近づいてきた。

「あー、美鈴さんでしたか」

女の顔を見て察した天童はどこか残念そうに呟くと、女が柔らかい声で訊ねる。

「天童さん。どうしました?」

その女、文月美鈴は、黒髪を胸が隠れるくらいにまでストレートに伸ばし、前髪は眉にかかるほどの長さで切り揃えている。子どものように黒目が大きく見える丸い目、鼻筋が通っており、輪郭がはっきりした口元の、純粋無垢じゅんすいむくでおとなしそうな印象を与える顔つきをしていた。よもや大量殺人で収容されているとは信じられないほど優しそうな雰囲気があるが、そういった殺人犯を、真田は今まで数多く逮捕してきた。そして犯人たちは逮捕後に必ず、怒りや恨み、悪意や敵意を言葉や表情、態度で見せる。しかし、美鈴にはそれらが感じられなかった。そのため真田は、本当に別人格が殺人を犯したのかもしれないと思えたのと同時に、一体カナトはどういう人格なのかと、徐々に関心を抱き始めていた。

「こちら、先日話した真田猛さんだ」

天童は隣にいる真田を手のひらで示して紹介した。

「はじめまして。文月美鈴です」

美鈴は丁寧にお辞儀をした。異形な独居房に収容され、監視されながらの生活環境に精神的なストレスが蓄積しているせいなのか、体躯が細く、やや憔悴しているように見える。

「は、はじめまして」

思っていた以上に誠実な対応に、真田は戸惑いつつも軽く礼をして返した。挨拶を交わしたふたりを見た天童が、日常会話でもするかのような淡々とした口調で美鈴に報せる。

「美鈴さん。事件についてカナト君に話があります。悪いですが、“スイッチング”させてもらいますよ」

天童の言葉に美鈴の顔が蒼ざめていく。真田は訊き返した。

「スイッチング?」

天童は口角を上げると、白衣のポケットから小型のトランシーバーを取り出して、簡潔に説明した。

「人格を切り替えるんです」

美鈴は慌てると共に怯えた様子で、迫るように身体をさらに近づけ、両手を壁板に当てると必死に訴えた。

「やめてください!“あれ”をされると、すごく頭が痛くなるんです。自然と変わるまで待ってくれませんか。お願いします」

懸命に申し出る美鈴に耳を貸さず、天童はトランシーバーのマイクに向けて指示を出した。

「曲をかけてもらえますか」

その直後、クラシックの音楽が大音量で流れ出した。ベートーヴェンの『月光第三楽章』だった。美鈴は両耳を手で塞いで後退りながら、苦悶の表情で大声を出した。

「お願いします!止めてください!やめて!」

音楽が響き渡るなか、美鈴は顔を伏せて、うずくまるようにしゃがみ込んだ。それを指差した真田も声を張り上げて天童に訊いた。

「おい、なんか苦しんでるぞ。大丈夫なのか?」

小さく呻いている美鈴の両手が、耳から頭へと移って行く。

「問題ありません。理由は不明ですが、ベートーヴェンの曲を流すとカナトに切り替わりやすいことが、最近になってわかったんです」

天童は真田の耳元で事情を話した。なにも発しなくなった美鈴は、自らの頭を強く摑んでいる。その手には力が込められ、今にも押しつぶしそうだった。

「美鈴さんの言うように、曲をかけなくてもひとりでに切り替わることがありますが、いつかいつかと待っているよりかは、このほうが効率的でしょう?」

そう続けた天童は奇妙な笑みを浮かべた。やがて美鈴は手を放し、両腕を下げながら黙ってゆっくりと立ち上がった。伏せたままの顔は髪の毛に隠れて見えない。

「もう結構です」

美鈴の様子を見た天童は、トランシーバーに呼びかけた。すると音楽が途中で止まり、屋内はしんと静まり返る。曲の音響が大きかった分、その静けさは粛然たるものだった。

「切り替わったようですね」

天童がさらに笑みを深めた。どこか異質で独特な存在感を美鈴は放っている。明らかに違う。変貌している。やや恐怖感さえ覚える。真田の顔はそれを物語っていた。

「しっかり見ていてください。美鈴さんとカナト、かなりギャップがありますから」

真田に対して天童がそう言ったときだった。美鈴がうつむきながらひっそりと歩を進め、壁板越しに立つふたりの前まで来ると足を止めた。そして右手で拳を作り、その拳の側面を壁板に向けて壊れるほどの勢いで叩きつけた。

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