第一章/悪魔と共存する女
【1】
翌日の朝。千代田区内の歩道を真田がひとり歩いている。蜂須賀の権限で一時、警務部の監察室から身柄を解放されたのだ。スマートフォンの地図を頼りに、蜂須賀の指定した住所へと向かっている。地図にはその住所以外の情報は表示されてなく、どういった場所だか全く見当がつかずにいた。心中穏やかでない真田は、官庁街やオフィス街を抜けて、緑の多い閑静な地域に入ったところでスマートフォンが振動し、足を止めた。地図には≪目的地に到着しました≫と通知が出ている。
「ここかあ?」
真田の傍らにあったのは、墨色の巨大なドーム構造の建物だった。隣接する建物がなく、コンクリートの広い敷地に一棟だけ深沈と建てられている。スマートフォンを上着にしまった真田はその建物に近づくと、不審そうな顔を上下させながら、しげしげと一周して外観に目を遣る。窓が一切見当たらず、一見するとプラネタリウムかなにかの施設と勘違いしてしまうかもしれない。そう思った真田は唯一ある出入り口に足を運んだ。その出入り口部分は、そこだけ矩形状にへこんでおり、少し奥行きがあった。真田がへこみの先にある開き戸型のドアの前に立つ。真上にはドーム型の監視カメラが設置されている。レンズがこちらに向けられているだろうと感じつつ、真田がドアハンドルに手をかけてみたが、施錠されているようで開かない。ふと、右横の壁にカメラ内蔵のドアフォンが取り付けてあるのに気づいた。その隣には、同じ形の黒いパネルの付いた機器があるが、それがなんの機器かはわからない。真田は訝るような
―どちら様でしょうか?
男の太い声がした。真田は上着から警察手帳を取り出して開き、カメラレンズに向けて示した。
「警視庁の真田だ。警察庁からここに行くよう言われてる」
―お待ちください。
直後、ガチャンという音が鳴り、警備員らしき制服を着た屈強そうな男がドアを開けて現れた。その男はカードホルダーを首から下げているが、中に入っているカードは職員証ではなさそうだ。手には先端が輪の形をした金属探知機を持っている。
「警察庁の方から伺っています。どうぞ、こちらへ」
男は真田を招き入れた。そこは左の隅に事務机と椅子が置かれた狭い部屋だった。正面には重厚感のある両開きの自動ドアがある。頑丈で耐久性が強く見えたが、ガラスではなく、全面鋼鉄製で出来ているせいか、そこから奥がうかがい知れない。
「念のため、身体検査をさせてもらいます。腕を上げてください」
ここはどういう場所なのか。真田は怪訝に思いながらも男の言うとおりにした。男は金属探知機で真田の身体を検め、不審物を持っていないのを確認する。
「結構です」
男の声に真田は腕を下ろした。そのあと男は、自動ドアの脇に取り付けてある機器にカードホルダーをかざした。小さな電子音がしたあとすぐに、低く大きな音を響かせて自動ドアが開き、建物内の全体像が明らかになる。
「あちらでお待ちになっています」
手のひらで自動ドアの向こうを指して男が言った。真田はこのミステリアスな建物の深部にある空間に足を踏み入れた。
その空間は、先ほどの部屋とは大きく違い、競技場に匹敵するほどの広さがあり、非常に高い天井に設置された複数のランプが、コンクリートの床を照らしている。ゆっくりと自動ドアが閉まると、真田は静寂した屋内を眺めようと歩き始めた。そしてすぐに異様な光景を目にした。
「なんだあれ・・・?」
屋内の中央部、白い四角に広く区切られたスペースのさらに中央に、無色透明の大きな長方形の“箱”があった。真田はゆっくり近づいて立ち止まり、その箱を眺めた。材質はアクリルかプラスチックか不明だが、厚みがあるように見えた。箱の形に添うように、銀色の太く四角い金属製のパイプが左右に一本ずつ通っている。内部を覗くと、真田から見て正面の手前、左の隅にシンプルな机と椅子がこちらに向けられている。右端にはパイプベッドが枕を右の外側に向けて配置してある。奥の左端、机と椅子の後ろには、工事現場などで見かける仮設トイレと小さな手洗い器がドアを正面に向けて据え置かれ、そこから右に離れた位置、ちょうど中央の壁面に黒いスタンド式の大型モニターが設置してあった。テレビにしては画面のサイズが大きい。だが、モニターのみでリモコンが見当たらない。机と椅子、ベッドとトイレは、ほぼ白に統一されている。そして、一番に気になったのは箱内部の中央、十畳ほどある広さの床に、裸足で白いパジャマ姿の若い女が大の字で手足を広げ、仰向けに寝そべっていたことだった。眠っているのか、気絶しているのか、それとも死んでいるのか、女は目を閉じたまま動かない。その女がいることで、この透明の箱は質素なドールハウスに見えた。
「ほんとにこれ、なんだよ・・・」
懐疑的に呟いた真田は、次に近辺を見渡した。外側には真田の立っている面と左右の面をそれぞれ、箱を監視するようにビデオカメラが三脚に据え付けられ、一台ずつ立てかけてある。ビデオカメラがない面に回ろうと右側を歩くと、その右側の面にドアの形状をした角形で透明の板が一枚付いているのが目に入った。傍らには銀色の四角い柱が設置されており、柱の先端部には丸いマークがついた液晶画面があった。真田はそれらを見て、おそらくだが、板の正体は自動ドアで、柱の液晶画面をなにかしら操作することで開閉する仕組みなのだろうと推し量り、まだ見ていない面へと回った。そこには、箱内部と同様、シンプルだが色が黒い机が幕板を箱に密接させる形で左横に配置されており、机の上には閉じられたノートパソコンが一台置いてあった。箱の下には、横に長い角形の穴が開いており、そこから、背面に位置する内部の大型モニターのケーブルが数本伸び、ノートパソコンに繋げてある。
「まさかこれって、
そう見なした真田の背後に声がかかった。
「おっしゃるとおり」
真田が振り返ると、チェック柄のワイシャツに茶色のニットベスト、ベージュのズボンを身に着け、白衣を羽織った男が近づいてきた。首には先ほどの警備員と同じカードホルダーが下げられている。だがやはり、中身は職員証ではないカードだった。
「独居房ですよ。強化プラスチックで造った特別製のね」
その男は、黒と白が混じったオールバックの髪型に、細く小さい目の上からブロー型の
「真田さんですね。どうも」
男は右手を差し出した。どうやら握手を求めているらしい。
「私は
真田は天童の長い肩書にやや唖然とした。疑念が拭えないながらも、黙ってその手を緩やかに摑む。
「蜂須賀刑事局長から真田さんのことは伺っています。お話は向こうで」
天童は一旦、自分の後方に目を遣り、また戻した。
「ご案内しましょう」
摑んだ手をやおら放した天童は、屋内のさらに奥へと先導して歩き出した。真田はようやく詳説が聞けると思い、その後をついて行った。
天童の言う独居房から数メートル離れると、墨色の大壁で仕切られた場所に行き着いた。屋内の最深部はその先にあるように見える。壁の左側には開き戸型のドアがあり、右隣には横長の四角い窓が壁の一番端まで続いている。真田が垣間見ると、最深部は部屋になっているようだ。天童はドア脇の壁に備えてある機器にカードホルダーをかざす。電子音がすると、ドアレバーを握ってドアを開けた天童が先に入り、真田を招き入れた。
「どうぞ」
真田が踏み込んだ部屋は小中学校の教室ほどの広さがあった。右を見ると大型モニターが六台、上下三台ずつ壁に据え付けてある。そのうち上部の三台のモニターにはそれぞれ、独居房の映像が三方面に分けて映し出されている。先ほど見たビデオカメラの映像に違いない。下部の三台のモニターにはなにやら数値やグラフといったデータらしき画像が表示されているが、真田にはそれがなにを意味するのかわからない。モニターの手前には、天童と同じ研究員だろうか、白衣姿の男女が数名、横並びに席に座って、机の上のデスクトップパソコンを操作しながらモニターとパソコンの画面を見比べているような背中があった。その後ろで、警備員の制服を着た男が二名、同様に並んでパソコンを睨んでいる。さらに後方、真田から見て左側の壁際には、書類を入れるためであろうグレーで大型のキャビネットが二台と、会議に使用するためか、長方形の黒いテーブルが一卓と、左右に椅子が二脚ずつ配置され、その間側、テーブルの幕板の辺りには、スタンド式の同じく黒い大型モニターが設置してあった。部屋の中は外と同様に静かで、キーボードを叩く音とマウスのクリック音しか聞こえてこない。
「お座りください」
天童は椅子を薦めた。
「ここ、どういうとこなんだ?」
真田は質問すると椅子に腰掛けた。
「警察庁と警視庁が合同で管理している試験場です。元々は機動隊の訓練施設として建造されたんですが、それが取り消しとなってしまい、持て余していたところを、我々がある運用試験のために改築し、利用させていただいています」
天童は立ったまま両手を後ろに組んで返答した。
「それが超法規的特別捜査ってやつか?」
今の真田には訊きたいことが山ほどあった。
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