【3】

 真田の反省の色が見えない態度に、荻窪は怒りを覚えたが、ぐっとこらえて先を進めた。

「先ほど罪を認めましたね。よって、これから裁判所に逮捕状を請求します。発行され次第、あなたをまず、脅迫及び恐喝罪で逮捕、送検します。それまではここで待機していてください」

荻窪は立ち上がり、真田を見下ろし言った。

「聴取はひとまずここまでとしましょう。あとでもう一度お話を伺います。その際に警察手帳と手錠、並びにバッジ等、貸与品を返却してもらいますのでご承知おきを」

そして、目に角を立てた荻窪は続けた。

「あなたの余罪は必ず私たちが明らかにし、再逮捕に踏み切ります。覚悟しておいてください」

宣戦布告とも取れる言葉を口にした荻窪は、部屋を後にした。真田は口を閉じると顔を上げたまま、険しくした視線だけを出入り口のドアに向けた。


 それから数時間が経った頃、真田はやることがなく、退屈を通り越して睡魔が襲ってきていた。椅子から立ち上がると眠気覚ましに部屋の中を動き回る。そのとき、ドアをノックする音がして足が止まった。そして、スーツを着たひとりの男が部屋に入ってきた。真田には見知らぬ顔だった。別の監察官が聴取するのかと思っていると、男はドアを閉めて身分を明かした。

「警察庁の久瀬くぜと申します」

探るような目で真田が聞き返す。

「警察庁?」

「刑事局長があなたにお話があるとおっしゃっています」

キャリアの警察官僚がノンキャリアの自分になんの用だ。真田に疑念が生じる。

「俺に話ってなんだよ?」

「それはご本人に直接訊いてください。私は使いを頼まれただけです」

怪しく思いながらも真田が問いかける。

「今からか?」

「はい」

久瀬はゆっくりうなずいた。

「でも俺、ここから出られないんだけど」

真田が事情を説明すべきか迷っていると、久瀬はそれなら存じ上げているかのように微笑を浮かべた。

「こちらの警務部には許可を得ています。参りましょう」

久瀬は部屋から出ると、ドアを開けたままにして道を作る。真田は突然の招きに釈然としないまま、そろそろと自身も部屋を出た。その脇で張り番であろう、制服警官の男が立っているのに気づいた。その制服警官は見て見ぬふりをしている様子で、真田に目もくれずにずっと前を向いていた。やおらドアを閉めた久瀬は先導しようと歩き始めた。真田は首を傾げながらもその後をついて行くのだった。


 真田は久瀬の案内で警察庁の刑事局長室に到着した。先に久瀬が室内に入る。

「お越しいただきました」

久瀬は奥の方に向かってそう言うと真田をその中に通した。そして真田に一礼し、局長室を出て静かにドアを閉めた。室内は広く、調度が整えられ、格式高く見える。取り残された真田がどうしてよいかわからず、眉をひそめて困惑していたとき、男の声がした。

「来たね。真田君」

真田が目を遣ると、警察庁刑事局長の蜂須賀史郎はちすかしろうが、最奥部にある木目調の自席に座って書類を通覧していた。グレーのスリーピーススーツに身を固めた蜂須賀は、中高年層といった印象で、なで上げた黒髪をきっちりと七三に分け、威厳と貫録を兼ね備えた顔をしている。

「そこに掛けなさい」

蜂須賀は中央にある応接ソファを目で指し、すぐに視線を書類に戻す。真田は怪訝な顔で蜂須賀を見ながらソファに腰を落とした。通読した書類を机の上に置いた蜂須賀は席を立ち、真田のもとへ歩み寄る。

「今、きみの経歴を読んでいた。真田猛、四十歳、独身、階級は警部補、警視庁刑事部捜査一課所属」

そう言いながら蜂須賀はドカッとソファに腰掛けてあしを組み、組んだ指を膝に置いた。

「きみが職場内でなんと呼ばれているか知ってるかな?」

問いかけた蜂須賀に、真田はおぼろげな記憶を手繰たぐる。

「あー、なんか異名があるとかなんとか聞いたなあ。けど誰も教えてくれないんで、俺は知らないんですけど」

真田は日頃から警察キャリアに嫌悪感を抱いていた。それにやがては逮捕され、警察官でなくなるせいか、自暴自棄になっているのも相まって、軽薄な調子で返事をした。

「「警視庁の邪鬼」だ。きみは警察にとって厄介者なんだよ」

蜂須賀は皮肉を込めて述べたが、真田はそんなこと歯牙にもかけない様子だった。

「現にきみは、裏で悪いことをたくさんしているそうだねえ。警視庁の話を聞く限り、絵に書いたような悪徳警官ぶりだ。よく今まで逮捕されなかったと逆に感心してるよ」

しかし、キャリア官僚の毒を含んだ言葉が挑発的に聞こえたのか、真田の表情が殺気立っていく。

「真田君はバレないようにしていたんだろうが、実はの監察がきみを数年前からマークしていたんだよ。なかなか逮捕に至る証拠が摑めなかったそうだが、今回やっとその証拠を摑むことができたと悦に入っていたよ」

事実を伝えた蜂須賀は語を継いだ。

「こうなったら芋づる式だ。これを機に、ほかの証拠や証言がぞろぞろ出てくるだろうなあ」

痛切に脅威を示した蜂須賀に、怒気を孕(はら)んだ目で真田は訊ねた。

「俺を責めたくてわざわざ呼んだんですか」

蜂須賀は目を閉じて口角を上げ、ゆっくり首を横に振ると、またその目を開けた。

「これまでの悪しき行い。チャラにしたくないかね?」

「は?」

こいつは急になにを言っているのか。真田は蜂須賀の発言の意味がわからなかった。

「つまり、警察庁権限できみを逮捕はせず、代わりに階級を巡査に降格させ、定年まで交番勤務とする。ということだよ」

そう答えて脚を組み替えた蜂須賀は、制約めいたことを申し立てた。

「ただし、必須要件を満たした場合のみだ」

「必須要件?」

訝しいと感じながらも、この悲運を少しでも免(まぬが)れるチャンスかもしれないと真田は考えた。

「警察庁と警視庁が合同で試験運用している新たな捜査手法の手伝いをしてもらいたい。我々は「超法規的特別捜査」と呼称している」

蜂須賀は説明を加えた。

「なんですそれ?」

真田が訊くと蜂須賀は一旦立ち上がり、上着の内ポケットから万年筆を取り出して、机にある卓上メモの用紙になにやら書き込むと、そのメモ用紙をちぎって戻ってきた。

「明日、ここにある場所に行きなさい。詳しい説明はそこで聞いてくれ」

蜂須賀がメモ用紙を真田に手渡した。そこには住所が記されていた。

「もしこれを断れば?」

ソファに座り直す蜂須賀に、真田は文字を見ながら一応質問してみた。

「きみは逮捕。検察が起訴し、裁判では間違いなく有罪、執行猶予もなく即刻、刑務所行きだ」

蜂須賀はさらに脅しをかける。

「警察官が刑務所に収容されれば、どんな仕打ちを受けるかわかってるだろう。いくらきみでも絶対に耐えられない」

真田は蜂須賀に顔を向けるともうひとつ問うた。

「このこと、監察は知ってるんですか?」

「いや、知らない。なにしろこの試験運用は極秘だからね。知ってるのは一部の警察関係者だけだ。警視庁の警務部には『ちょっと借りる』とだけ言って、逮捕状の請求も保留にしておいた」

蜂須賀はなにかを思い起こす様子で先を進める。

「きみのところの、ほら、荻窪って監察官がいただろ。彼はかなり渋っていたと部下からは聞いている」

荻窪の自信に満ちた表情を回想した真田は失笑した。それから蜂須賀にとって懸念される要素をぶつける。

「もし俺がトンズラしたらどうします?」

蜂須賀はそれを聞いた瞬間、顔つきが一気に引き締まり、変貌していく。

「我々が総力を挙げてきみを追い詰める。海外に出ようが同じだ。逃亡なんて真似は考えるな」

閻魔えんまのごとき蜂須賀の目に、刑事として幾多の修羅場を潜り抜けてきた真田でさえ、表情には出さないものの、やや臆した。背中に嫌な汗が浮かんでくるのが伝わってくる。自分はすでに投獄されたも同じなのではないかと脳裏をよぎった。

「冗談ですよ」

真田は真顔でそう答えると、再度メモ用紙を一瞥し、そして肝を据えた。

「わかりました」

念押しさながらに真田は語を継ぐ。

「引き受けますが、さっき話した逮捕しないって言葉、あれ、絶対に約束してください。」

「ああ。約束しよう」

蜂須賀は一転、笑みを湛えた。どちらが本当の顔なのか判別のつかない真田は、自分以上に把握し難い男だと切に感じたのだった。

「まずは・・・」

ニヤリとした表情のまま蜂須賀が言った。そして、手のひらを差し出し続けた。

「バッジを返してもらうよ。きみはすでに、捜査一課の人間ではないからね」

真田は未練が残る様子で口を真一文字に結び、蜂須賀を見据えながら襟の丸い赤バッジを取り外すと、その手のひらに粛々と置いた。

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