【2】

 真田は焦りつつも冷静に、ケースから札束を数束抜き取り、上着やズボンのポケットに入れた。そして手袋を外し、札束の入った上着の内ポケットに無理やり突っ込むと部屋を出た。そこへ、拳銃を構えた牧村と捜査員たちが階段を駆け上りやってきた。真剣な顔を取りつくろう真田に近づいた牧村は、部屋の惨状を目にして問いただす。

「これはどういうことだ。なにがあった?」

転がっている複数の遺体を顎で指して真田が簡潔に答えた。

「男のひとりがこいつらを銃で撃ってた。けど相打ちになって全員死んだ。俺が見たのはそれだけ」

平然と嘘をついた真田は続けた。

「犯人らしい奴はいないみたいだし、俺は帰るわ」

真田にしては、早くここから立ち去りたくて焦燥しょうそうしていた。

「待て」

歩き出した真田の腕を、牧村は再び摑んだ。

「今の話じゃわからない。詳しく聴取させろ」

「そんな暇ねえんだよ。こっちもこれから仕事なんだ」

気がく様子で真田は理解を得ようとする。

「あとでちゃんと話すから」

そう言う真田に、牧村は訝しそうな目で摑んだ手を放す。

「今日中に聴取するからな」

「わかってるよ」

外へ出ようと真田が歩みを進めた。エレベーターの前に立ち、下りボタンを押した真田は、牧村が部下に指示を出している声を聞きながら、必死に頭の中で自己弁護の口実を考えていた。


 乗ってきた覆面パトカーのもとに戻ってきた真田は、辺りに誰もいないのを確認すると、トランクを開けて服に入れていた札束や手袋を取り出し、その中に放り投げた。トランクを閉めた真田は運転席に乗り込みエンジンをかけた。


 それから数十分後。真田は中央区にある日本橋警察署を訪れていた。二階の外階段で数枚の一万円札を数えている真田の後ろには、日本橋警察署の刑事、土屋航平つちやこうへいが深刻そうな表情で立っていた。

「もうこれっきりにしてくれないか」

すがるように言った土屋に、振り向いた真田が威圧的な態度を取る。

「そもそもお前が悪いんだからな。お前が女のスカートの中盗撮なんてしなけりゃ、こうはなんなかったんだよ。俺に見つかったのが運の尽きと思え」

真田は現金をふたつに折り曲げ、ズボンのポケットに入れると、土屋が楯突いた。

「確かに悪いのは俺だよ。でもな、あんたも自分がなにしてるのかわかってんのか?刑事が刑事脅してんだぞ。それだって許されないだろ」

睨みつける土屋の胸ぐらを真田が摑み、強面になった顔を近づける。

「変態が偉そうなこと言ってんじゃねえよ」

真田が土屋を思い切り突き放した。後退あとずざった土屋は、さらに睨みを利かせて威嚇した。

「あんたを道連れにしてやる」

どこか腹をくくった様子で土屋は踵を返した。その言葉に、真田は不穏な空気を感じて黙ってしまい、しばらくその場を動けなかった。


 警視庁に戻った真田は、牧村からの聴取を終えると、喫煙所でタバコを吹かしながらスマートフォンでネットニュースの記事を読んでいた。昨今の報道メディアは、都内の七節ななふし区で起きている連続猟奇殺人事件の話題で持ちきりだった。

「まだ見つかってねえんだ。この犯人・・・」

真田も殺人事件を扱う捜査一課の刑事だが、自分の担当している事件ではないからと、他人事のように呟いた。


 その頃、組織犯罪対策部の部長室では、牧村が組対部長の国仲くになかに、真田が絡んだ朝の一件に関して報告を上げていた。

「鑑識の調べでは真田の証言とおおむね一致しますが、おかしな点がありまして」

「おかしな点?」

自席に座る国仲が、正面に立つ牧村に聞き返した。

「岩内組が取引のために用意した金です。取り調べで組員が証言した金額と、実際に算定した金額とが合わないんです」

「その組員の勘違いじゃないのか?」

国仲の問いを牧村は打ち消す。

「いえ。取引前に数えて確認したと組員が証言していますので」

「と、すると・・・」

思案顔になった国仲が言わんとしていることを、牧村が代弁した。

「先に真田が現場に入っているので、もしかするとあいつが」

その先を国仲が引き継ぐ。

「かすめ取った」

牧村はうなずいた。

「可能性はあると思います。なにしろ真田ですから」

「本人はなんて言ってる?」

「『組の人間がケチったんだろう』、『俺は知らない』と否認していましたが、到底信用できません」

強く主張した牧村は続けた。

「それにもうひとつ。真田が四人を射殺したと証言していた男。太田と言うんですが、そいつ、ウチが抱えてるエスなんです」

「エス」とは警察の隠語でスパイ。つまり情報屋の意味である。

「今回の取引も太田の情報を基に捜査を進めていました。太田は組ではまだ若衆で、若頭の桜庭を殺すような動機も度胸もありません」

そう唱える牧村に、国仲はまたも思案顔になる。

「じゃあ殺しをやったのは・・・」

「真田の証言が嘘だとしたら、殺しをやったのはあいつ本人か、もしくは別の誰か」

牧村の推測を受けて国仲が疑問をぶつける。

「とするならば、お前たちが張ってる状況下でなぜ、そんなハイリスクなことする必要があるんだ?」

「わかりません。それに金や殺しに関しても、真田が関わっているという証拠がありません」

うつむいた牧村の胸中は、犯罪者を検挙できなかった悔しさと、真田への恨めしい気持ちでいっぱいだった。

「真田には悪い噂が多い・・。なにしろ、あの男は“邪鬼じゃき”だからなあ・・・」

椅子の背にもたれた国仲は独りごちた。

「ちなみに部長。真田は現場に来たとき、岩内組が殺しに関与しているとほのめかしていました。それは事実ですか?」

牧村は確認のため、国仲に質問した。

「確かに。武侠連合は最近、殺人に関与していた。だが岩内組じゃない。別の組だ。それに犯人はすでに逮捕されている」

真田に一杯食わされた。牧村は歯がゆい思いで呟いた。

「あいつ・・・」


 さらに次の日、警視庁に登庁した真田がロビーに入ってくるなり、スーツ姿の五人の男が駆け寄り、真田を取り囲んだ。

「なんだよ。誰だお前ら」

いったい何事かとロビー内がざわめいている。驚きを隠せない表情で真田が訊ねると、正面にいた男が一歩踏み出した。

「警務部監察官の荻窪おぎくぼです。真田猛警部補、あなたをこれから監察下に置き、聴取します」

その男、荻窪は手のひらをエレベーター側に差し出した。

「どうぞ。警務部までご同行願います」

「嫌だと言ったら?」

察した真田は反抗的な姿勢を見せた。

「あなたをこの場で逮捕します」

荻窪の落ち着いた言葉に真田は顔を背けた。ほかの男たちも警務部の人間なのか、抑圧的な視線を真田に向けている。小さくため息を漏らした真田が荻窪を見て吐き捨てた。

「行きゃあいいんだろ」

天網恢恢疎てんもうかいかいそにして漏らさず。そう感じた真田は、半ばあきらめた様子で男たちに連れられるまま、警務部へと身を運ぶのだった。


 警務部内にある一室。まるで取調室のようなその一室で、真田と荻窪は机を隔てて向かい合うように座っていた。

「日本橋署刑事課の土屋航平警部補をご存じですね?」

背筋を伸ばし、机の上に指を組んだ荻窪が早速、聴取を始めた。対して真田は背中を丸め、だらんとさせた手を膝に置いて荻窪を凝視し、口をつぐむ。黙秘するのは予測済みだとばかりに荻窪は真田に告げる。

「昨日、自殺しました」

真田の眼孔がやや開いた。それを見逃さなかった荻窪は続けた。

「ご存じなんですね。拳銃自殺だそうです。署内の個室トイレで頭を撃ちぬいたと聞いています」

「だから?」

投げやりに真田は答えた。睨み続ける真田を気にも留めず、荻窪が淡々と話を進める。

「所持していた遺留品の中に、遺書とICレコーダーがありました。明確な記述はありませんでしたが、遺書には自分が警察官としてあるまじき行為をしたと書かれていました。そして、その行為をあなたに知られ、それをネタに金銭を強請ゆすり続けられていたことも書かれています」

真田の顔の筋肉がこわばっていく。

「ICレコーダーにはあなたが土屋警部補を脅迫している音声が記録されていました」

荻窪はそう言うと、厳しい目つきで核心に迫った。

「真田警部補。あなたは本当に、土屋警部補から金銭を要求していたのですか?」

このまま黙秘を貫いても意味がないと思った真田は、けだるい態度でやむなく白状した。

「だったらなんだよ。俺は金であいつの生活守ってやってたんだぞ」

開き直った口調で言う真田に、荻窪は追及の手を緩めない。

「あなたはほかにも、違反行為の隠蔽、暴力団との癒着、捜査情報の漏洩など、余罪の疑いがあります。暴力団に関しては最近、金銭の窃取と殺人の疑いがあると組対部から報告が上がっています」

顔を上げて口を半開きにした真田は、ぼんやりと天井を見つめている。その姿に罪の意識は微塵みじんも感じられなかった。

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