暗闇の追及者
Ito Masafumi
序章/堕ちた刑事
【1】
季節が秋から冬に移り変わるころ、その日の夜は暗かった。雲が月を覆い隠しているせいか、一面の空は漆黒と化していた。しかし、新宿歌舞伎町の街並みは闇夜を照らし、
「足りねえじゃねえかよ!おい!」
横たわる黒スーツの若い男の脇腹を臓器が破裂するほど何度も強烈に踏みつけ、罵声を浴びせているその男は、黒髪をウルフカットに整えたミディアムヘアに、細いが筋肉質の
「すいません・・。今月、女の子が少なくて・・。売り上げが・・、そんなにないんですよ・・・」
若い男はせき込み、
「明日また来るからな。それまでに金、用意しとけ」
真田はさらに脅しをかける。
「じゃなきゃ、お前が未成年雇って野郎の“アレ”しゃぶらせてたこと、所轄の
凄みを利かせた真田は、痛みに悶(もだ)える男をそのままに立ち去って行った。
翌日の朝、真田は警視庁内の喫煙所でタバコを吸いながら、スマートフォンで誰かと会話をしていた。
「はあ!?本当かそれ?」
半ば呆然とした様子の真田が、続けて送話口に問いかけた。
「今どこにいる?」
相手からの返答を聞いたあと、電話を切った真田は煙を吐き出すと、火を灯したばかりのタバコを角型のスタンド灰皿に放り込み、足早に喫煙所を後にした。
その三十分後。港区にある五階建てのビル。誰も利用していない廃墟と化したビルを警視庁組織犯罪対策部の十数人の捜査員が、ワイシャツとネクタイの上に防弾チョッキを着用して周辺を取り囲んでいた。数日にわたる内偵捜査の末、このビルで
「真田!?なんでお前がここにいる?」
管轄外なのになぜこいつがこの場所にいるのか。つい声を上げた牧村には驚きと疑問が交差していた。
「岩内組、来てんだろ」
ビルを見上げて真田がポツリと言った。
「逮捕の邪魔だ。お前は帰れ」
今度は声を抑えて牧村が促した。部外者の真田がいては、この検挙が失敗してしまうと思っての発言だった。
「あの組、前に殺しやっててさあ。実行犯はまだ見つかってないんだよねえ」
「殺し?俺は知らねえぞ」
自分にそんな報告は届いていない。牧村は疑いの眼差しで真田を見つつ催促した。
「いいから帰れよ」
気が立っている牧村には、真田の言っていることの意図が読めない。
「犯人がいるかもしれないから、俺が先に様子見てくるわ」
出入り口のガラスドアを開けた真田の腕を、牧村が咄嗟に手で摑んだ。
「お前、なに企んでる。だいたい一課には情報流してないぞ。誰から聞いたんだ」
睨みつける牧村の手を真田は強引に振り払い、一瞬厳しい目つきで睨み返したが、すぐに
「ちょっと見てくるだけだよ。すぐに戻ってくる」
牧村の詰問に答えず、涼しい顔でそう言った真田は、さっさとビルの中に入っていく。
「おい!」
小声で牧村が呼び止めても、真田の耳に届くはずもなかった。
「ったく!なんなんだよあいつは!」
真田は自分たちの足を引っ張るつもりなのか。牧村は怒りで青筋を立てた。
エレベーターで最上階まで昇った真田は、両手に黒の革手袋をはめながら出てきた。狭いフロアの奥に目を遣ると、またも見張り役だろうか、スチールドアの前で手を後ろに組み、肩幅に足を広げて立っている上下ジャージ姿の若い男がいた。その男、岩内組組員の
「もういんのか?」
真田が太田に訊いた。ドア越しにわずかだが話し声が聞こえる。
「はい」
太田がうなずくと、真田は右の手のひらを差し出した。合図とばかりに頭を上げた太田は、上着のポケットから自動拳銃を取り出して丁寧に真田に手渡した。真田は弾倉を抜いて弾が装填されているのを確かめると、再び拳銃に差し込んだ。それから素早く
「開けろ」
見下した態度で指図した真田に、太田はやや顔を顰(しか)めながらも一気にドアを開いた。真田は即座に部屋の中へ入る。
「全員動くな」
拳銃を両手に構えた真田が言った。窓もない手狭な部屋にはスーツを着た四人の男がいた。右側にはパイプ椅子に腰掛けた男と、後ろに男がもうひとり立っている。残りのふたりは左側に立っており、ちょうど対面する形になっていた。中央にある丸いダイニングテーブルには、閉じられた中型のアルミケースがふたつ置いてある。唐突の状況に固まっていた四人だったが、椅子に座っていた肥満体の男、岩内組幹部の桜庭(さくらば)は真田を見て笑顔を見せた。
「なんだ。真田さんじゃないですか。急にどうし・・・」
桜庭が言い切る前に、真田は男たちに向けて拳銃を連射した。身体中に銃弾を浴びせられた四人は反撃する間もなく次々と倒れていく。それは瞬く間に起こったのだった。
その音は外にも漏れ響いていた。
「班長。銃声じゃないですか?」
牧村の後ろにいた捜査員のひとりが言った。もう少し様子を見たかった牧村であったが、やむを得ず判断を下す。
「これから突入する。だが慎重にだ。まだ事態がわからない。配置についてる奴らにもそう言っとけ」
「はい」
捜査員は防弾チョッキに取り付けた無線マイクで、各捜査員たちにその旨を伝えた。
「行くぞ」
牧村がドアを開けて入って行く。その後を捜査員たちが
部屋の中は硝煙が充満していた。弾はすべて撃ち尽くされ、遊底が後退したまま止まっている。ひとつ息を吐いた真田は、背後で微かに震えている太田に訊いた。
「電話でしてたあの話、本当なんだよな?」
「は、はい」
今朝、真田がスマートフォンで会話をしていた相手は太田だった。
「まさか桜庭が裏切るとは思わなかった」
無数の銃創を付けて横たわる桜庭を見ながら真田は呟いた。
「こいつ、誰にもしゃべってないだろ?」
拳銃で桜庭を指して、真田は太田に続けて訊いた。
「ええ。警察にはなにも」
太田は答えると、真田に問いかけた。
「俺はこれからどうすれば?」
「え?ああ・・・」
真田は太田の胸ぐらを摑み、部屋の中に押し込んで放すと、手に持っていた弾切れの拳銃を太田の近くに投げ落とし、桜庭に歩み寄った。
「桜庭、いつも銃持ってたよな」
そう言いながら、真田が桜庭のスーツの上をまさぐる。
「はい・・。腰の後ろに・・・」
怪訝そうな面持ちで太田は答えた。桜庭のズボンのウエストに挟んである拳銃を見つけた真田は、それを引き抜くと右手に構えて銃口を太田に向けた。
「ちょっと!?」
太田は叫び、両手を挙げて命乞いをした。
「俺は桜庭のカシラとは違います!真田さんのこと、警察には話しませんよ!」
しかし、その訴えは真田には通じなかった。
「チンピラの言うことなんか信用できるわけねえだろ」
真田は太田の胸に二発撃ちこんだ。太田はくずおれるようにうつ伏せに倒れ、動かなくなった。そのあと、真田はすぐに偽造工作に走った。今の銃声で牧村ら捜査員たちが必ずここに踏み込んでくると見越しての行動だった。急いで持っていた拳銃を桜庭に握らせる。まだ捜査員は来そうにない。真田は様子を窺いつつ、ふたつあるアルミケースの中身を見た。ひとつは覚せい剤と思しき白い粉の入ったビニール製の小袋が、もうひとつには、約一千万円はあろうかという一万円札の札束が帯封に巻かれて敷き詰められている。すると、複数の足音が近づいてきた。じきに捜査員の一団がここに到着する。今朝の電話で太田から取引の内情を聞いていた真田は当初、現金には手をつけない予定でいた。あとで露見してしまうだろうし、時間的な余裕もないと考えていたからだ。しかし、大金を目の前にして、つい欲が湧きだした。
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