第12話 スター誕生
アルマーニのスーツを着こなした「影山」がプライベート・ジェットを降りると、タラップの前には数台の黒いリムジンと武装した軍用ジープが待機していた。
米兵とSPを従えたスーツのアメリカ人たちは、影山と笑顔で握手を交わすと、彼を紳士的に送迎車へと促した。
アメリカ合衆国バージニア州アーリントン郡。ロナルド・レーガン・ワシントン・ナショナル空港を出た車列は、米国国防省に向かってフリーウェイを走った。
「ミスター八代、アメリカは初めてと聞いておりますが?」
「そうですね。最初の渡米で国防省のみなさん直々にお迎え頂きまして光栄です」
「国務長官もミスター八代との会食を心待ちにしておりました」
影山は流暢な英語で談笑を続けながら、マイスターQに感謝と敬意を表していた。絶望にのた打ち回っていた自分を、わずか1年数カ月でコンピューター工学と国際政治社会のVIP・八代誠一として華麗に変貌させてくれたのだから。
語学の才能などあるはずもないと思っていた影山は、マイスターQが指導する特殊なカリキュラムによって6カ月間で英語を習得していた。
画期的な人工知能のプログラミングとプロトコルを開発した天才日本人・八代誠一は、非公式に国防省に招かれ、非公式な契約を締結するためにアメリカに来た。
勿論、「影山」にその分野の専門知識も技術もなかった。すべてはマイスターQから与えられた台詞で演じている。長年、役者をやって来た影山にとって、英語学習もコンピューター工学の知識も、台詞と思えば自然と吸収できた。
「おれはスターだ!」―「影山」の心は踊っていた。
「日本でおれを小馬鹿にしていた連中のことなど、もはや思い返す必要さえないんだ。演劇をやっていたときには、ステージのど真ん中でライトを浴び、観客のスタンディング・オベーションを贈られることが夢だった。それが主演の、スター俳優の姿だと。でも違うんだ。本物のスターは、大衆の眼にさえ届かないところにいる。広大な世界の向こう側にいる。名前と写真では知られていても、本物は見たことがない。そういう存在こそがスター俳優だ!おれはまさにその初舞台を踏んでいる!これから発表される軍産複合企業の新会社設立によって、おれはセイイチ・ヤシロとして歴史にその名を刻む。地球人類のほぼすべてがおれの名を知るだろう。でも、生身のおれには触れることもできない!そうなのだ!おれはこれから、世界を支配する限られたメンバーの一員として歓迎されるのだ!劇団の座長?映画のプロデューサー?バーのオーナー?スポンサー?馬鹿馬鹿しい!あんなやつらは、蚊の寝床くらいの小さな世界でリーダーを気取っている無知な家畜なのだ!結局のところは、カネがないやつを馬鹿にして、カネを持つ存在に媚びへつらいながら、エサを食っているだけの無用の人類なんだ!おれはどうだ?75円しか持ってなかったのに、世界を動かすアメリカ軍事産業からスカウトされたんだぞ!神に選ばれたんだ!」
国務長官との会食を終えた翌朝。
八代誠一はテック・ディメンション・アライアンス設立記念パーティーの主役としてワシントンDCに招かれた。
その席上、隣に座った国防省秘書官が影山に耳打ちした。
「ミスター八代、写真撮影は禁止と窺っておりますが、我々にとって記念すべき日です。メンバーとの記念写真として一枚だけでも収まって頂けたら光栄なのですが」
『影山様、写真一枚なら問題ありません。後で多少の画像加工をしておきますので』―影山の無線イヤホンにマイスターQからの指示が届いた。
「Why not! (喜んで)!」と、八代誠一は応えた。
その写真が撮られた日―2001年11月22日、世界を覆うカーテンの裏側で、人類史を塗り替える画期的な人工知能の開発者として、八代誠一は誕生した。
各国の経済誌やテクノロジー専門紙には、短い記事だけが配信された。
『―詳細は公開されていないが、米国で新たに設立されたテック・ディメンション・アライアンスは、主に人工知能の開発分野で地球規模の環境整備事業に寄与するとしている。
具体的には、統計学と歴史学、生物学、人間行動学を網羅したジェネラル・データに基づいて、今後100年間の世界人口係数を予知的に計算し、水資源や自然エネルギーの需要と供給を国際社会の実態に即して分配するモデルを構築する人工知能のプログラミングが完成されたと同社代表兼CEOの八代誠一氏が発表した。
同氏は、これにより天然資源の支配権を巡る国家間の紛争や戦争を抑止し、最終的には2045年までに、世界総人口に占める貧困層の割合を1%未満にまで減少させることが可能としている。』
八代誠一となった「影山」は、それから数週間ごとに滞在地を移動する目まぐるしい日々を送った。すべてはマイスターQの指示通りだが、それを苦痛に感じることなどなかった。どこに出向いても極秘の重要人物として、各国各所の要人に歓待されては、最高級の接待を受けた。
ただひとつだけ気になったことは、日本に一切帰国しなかった点だ。
1年に一度の頻度で、八代誠一を訪ねて来る日本政府の要人と会食することはあったものの、特別な話題が出るわけでもなかった。
「この何年も、世界のVIPたちと豪勢なメシだけは食っているけど、これが支配者層の生活なのかな…」
だが、そんな疑問が過るときには、八代の心中を読み取ったかのようにマイスターQからの声が届く。
『影山様は、いわばロングラン・ヒットの舞台劇の主演俳優なのです。客席には選ばれた観客しかいない。世界の無益な人間には価値も理解できないステージに、影山様はひとりで立ち続けておられる。あなたはご自分の手で世界を支配する必要などありません。あなたの存在そのものによって、すでに世界の多くの部分は私とあなたで生かされています。同じような毎日に見えて、あなたの輝きと重要性は年々大きくなっているのです』
八代になった数年後には、「影山」はマイスターQが高度な人工知能であるのだろうと理解していた。
それでも八代誠一に矛盾はなかった。
「考えてみれば当然だ。人工知能は膨大な客観的事実のデータに基づいて、世界で最も価値ある人間のひとりとして、おれを選んでくれたんだ。主観と欲だけで他人を蔑(さげす)む、愚かな人間の判断とは比べものになるはずがない。あのまま、おれが自分の判断と人の言うことに流されていたら、いまのおれの配役はあり得ないんだ。これを退屈だと思うのは間違いだ。神に選ばれし者に、自己表現なんて無用なのだ!言われた通りに生きることが、価値の証明になるのだ!」
2017年の12月31日深夜―新年へのカウント・ダウンに沸き立つ人々が路上を埋め尽くす香港・中環の高層マンション最上階の部屋。
八代誠一はクリスタル・グラスに注いだシャンパンを手に、メイン・ダイニングの広いガラスから一望する夜景を、ひとり眺めていた。
『影山様、いかがですか?世界最高級のシャンパンと称されるグー・ド・ディアモンの味わいは…』
八代誠一が誕生する以前、「影山」が日本からいなくなるときに宅急便で届けられた無線イヤホンに、いつもより抑揚のある声調で、マイスターQが囁いた。
「うん…美味しいですよ」
『その1本で2億4千万円以上する、まさに世界の支配者層の舌を潤すに相応しい最高峰の美酒ですよ』
「うん…」―虚ろな「影山」の眼が、百万ドルの夜景を広げるガラス窓に映った。
『どうかなされたのですか?影山様』
「影山」は階下の群衆を見下していた。
「ねえ、支配者って友達はいないのかな…」
マイスターQの次の言葉までに、3秒あった。
『友達…で、ございますか?』
「うん…友達とか、仲間とか。そういうの」
『友達、仲間…それは、どのようなものなのでしょうか?』
「うん…説明できないよね」
『影山様、雑念は振り払いましょう。実は、あなたが世界中の観客を前に姿を見せる、クライマックスが近づいているのです』
「…え?!」―八代誠一の眼に精気が漲(みなぎ)った。
『このカウント・ダウンを私と一緒にお祝い致しましょう。そして、日本に戻るのです!』
2018年1月1日0時0分を迎えた瞬間、群衆の歓声は40階にある八代誠一のマンションにまで吹き上がった。
「乾杯!」
『乾杯』
八代とマイスターQも、2人だけで祝杯を挙げた。
八代誠一が、プライベート機で米軍横田基地に到着したのは、新年が明けて間もない日曜日だった。
八代を迎えたアメリカ人将校と部下の数人は、八代を基地内の一室に案内した。
「ミスター八代、命令を受けております。今後、新たな指示があるまで、このパスポートを携行するようお願い致します」
将校から渡されたパスポートを開くと、八代誠一の顔写真の横に『TAKUMI KAGAYAMA(影山巧)』のローマ字があった。
『これから本番までの短い間、影山様は劇場支配人・影山として潜伏生活をして頂きます』
マイスターQが影山に告げた。
『以前の影山様ではありません。しかし、八代誠一のまま東京で生活すればサプライズの効果が希薄となります。世界を驚かせ、影山様の伝説を完成させるために最後の役作りをお願い申し上げます』
「もちろんです!いままで世界のあらゆるトップと会ってきた、おれの価値が今度は一般大衆にも知らされるんだ!おれを見限った女たちなんて仰天するだろうな!楽しみだよ!」
基地のゲート前まで見送りに来た将校に、影山は一言だけ尋ねた。
「ところで、将校は誰からの命令で、私にこの手配を?」
「私は軍人ですから、命令に従うことが仕事です。誰からの命令かという疑問を抱くことは無意味です」
その後、影山はマイスターQの指示通りに劇場を開館させ、小演劇界で注目されていた劇団山根組に公演依頼を申し込み、そして、予定された公演初日の2週間前にキャンセルした。
それから10日経った、その夜。
影山は18年前に出た、古いアパートの一室にいた。
壊れたエアコン、ラーメンを煮た薬缶、唯一の安息の地だった炬燵…自死を決意したあの日の夜と何もかも同じだった。
「…不思議と、懐かしいとは思わないな」
『当然ですよ、影山様!』―イヤホンのマイスターQが、影山を称賛する。
『なぜなら、今のあなたは、あの夜の影山様とは、まるで違うのですから!社会の底から、世界を支配する一員に生まれ変わっているのですから!』
「よくがんばってきたよな、おれ。こんな部屋で…ひとりで」
影山は、18年前には見覚えのないものを、炬燵の上に見つけた。
それはキラキラと輝く透明なガラスの小瓶だった。
マイスターQの声がする前に、影山はその小瓶を手に取った。
「これを、飲むんですね?」
『その通りです、影山様』
「…死ぬんだね?」
『その通りです、影山様』
「世界の八代誠一が日本で死体となって発見される!確かに、最高のクライマックスだ!」
『その通りです!影山様!この日のために、これまでのあなたの最高の演技が積み重ねられて来たのです!』
「これは毒薬?…苦しいのはやだけど」―影山が自虐的に歪んだ笑みを浮かべる。
『まったく苦痛は感じません。それに服用してから、72時間は生きていられます。それをお飲みになってから、衣装に着替え、そして劇場に行って下さい。そこで本当の幕が開くのです!愚かな大衆たちが、謎に満ちたあなたの伝説に振り回され、そしてあなたは人類を新たな夜明けに導いた偉人として、永遠に歴史にその名を刻むのです!』
「…永遠に」
『その通りです、影山様』
「マイスターQ…あなたのことを親友だと思っていいかな」
『親友…でございますか?』
「そう。おれなんかのために、ここまで手を差し伸べてくれた存在。いつでもおれを見守ってくれて、道を間違えようとしたときに正してくれて、損得なしに助けてくれた存在。そういうのを、人間なら親友っていうから。おれには、親友なんていなかったから」
『ありがとうございます、影山様。新しい概念を学ばせて頂きました。影山様は、ワタシ・ノ・シンユウです』
「…ありがとう」
影山は恍惚の表情で小瓶の液体を飲み干した。
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