第8話 起点

ネギがハンカチで涙を拭い、ジョーは舞台に正座したまま厳しい表情で俯いていた。

キヨカは、顔を覆っていたフードを脱いで、客席からステージに注がれる照明を見上げていた。その並びには、座ったままの八代誠一の死体があり、反対側の列にミックとデカが座っていた。

デカの足元には、靴で踏まれた煙草の吸殻が数本落ちていた。

「…よく話してくれたよ、デカさん」―ミックが、デカに手を差し伸べた。

デカは、黙って握手に応じた。

「…へんな気分だな。おれの聖域みたいな思い出なのに、割と整理して告白できたようだ。あんたの聞き方が上手いんだろうな」

「あんた…じゃないよ。ミックと呼んでくれ」

「…わかった、ミック」

 ジョーが満面に喜びを広げ、ネギと目を合わせた。ネギも泣き笑いの顔で何度も頷いた。キヨカは再び、フードを被った。

デカが、座席から立ち上がった。

「その後、おれは傭兵として戦場に行った。ワイズマンに頼んで、悪名高いアメリカの民間傭兵会社に自分から志願したんだ。もう生きる気もなくなってな。アフガニスタン、イラク…そこで一緒になった傭兵たちの誘いで、最後には東南アジアの民族紛争にまで関わった」

「人を殺したのかい?」

「敵兵に向かって撃ったさ。でも皮肉なことに、どれも致命傷にはならないんだ。日本のSPとして射殺を避ける習性が染みついてたんだな。よく仲間に怒られたよ。殺(やら)なきゃ殺られるんだ!ってな。もちろん、人殺しに関わったことには間違いない。戦争だからな。でもな、敵だって、まともな人間でいるうちは人を殺したくなんかないんだ…」

デカは、八代誠一の死体を見やってから話を続けた。

「…おれがミャンマーの国境地帯の戦地に行ったとき、密林のジャングルで敵の小隊と鉢合わせになったんだ。密林の前線では、音もたてずに身を伏せて進軍するから、藪から頭を出すまで敵が見えない。それが、そのときは双眼鏡を覗きながら顔を上げると、目の前に敵の部隊がいたんだ。偶然にも敵兵も同じタイミングで体を起こしたときだったんだ。こっちは10人、敵もそれくらいだ。距離にしてわずか100メートルもない。それが互いに銃を構えたまま向かい遭った。どうなったと思う?」

「激戦になったのかい?」

「そう思うだろ?そうじゃないんだ。おれたちの部隊と敵の小隊は、どちらも互いを見なかったことにしたんだ。ここで撃ち合えば全員が死ぬと判っていたからな。部隊長だったおれと敵の大将は、なにも目線で示し合わせたわけじゃない。互いが、まるで通りかかった野生のゾウでも見かけたように、そのまま知らんふりをしながら離れていった。不思議だろ?」

「そないなこと、あんねんな…」―ネギがようやく口を開いた。

「アジトに戻った夜、おれは眠れなかった。直子を失くしたおれは、もう生きるつもりなんか、なかったはずじゃないのか?ってな。死に場所を求めて戦場を渡り歩いてきたんだろ?どうして、あそこで敵を撃たなかった?」

「…人の命を守りたかったんだろ?それが、たとえ敵の命であっても、人間だから」―ミックが無意識に両手を胸で合わせた。祈りのように。

 置かれたままで温(ぬる)くなったコーヒーを啜ってから、デカは答えた。

「いまから思えば、たぶんそれが正解だ。そのとき、忘れていた…いや、忘れようとしていた直子が、夢で見るように浮かんできた。おれは眠っていないはずなのに。彼女はただ、おれに笑顔を見せるだけでなにも言ってはくれない。それでおれは気がついたんだ。人間というのは、理由があって生きているんじゃないって。ただ、命が尽きるまで、誰かのために生きることだけが大事なんだ。おれは本当は、人の命を守りたかったんだ。それが誰であろうと。夫でSPだったのに、おれは直子を守れなかった。なのに自分から命を捨てに不毛な戦争へ駈け込んで、人を殺しているなんて。直子のことなんて、なにも考えてないじゃないか。自分のことばっかりだ」

「ほんで探偵になりはったんやね。人を助けるために」

「潰しが利かないからな、元SPで傭兵なんて。せめて身につけた技術と経験が使える仕事ならと思ってな。そうじゃないと、いつまでも直子が安心して天国に行けないって気がして」

「デカ殿、直子殿は、いまも夢枕に参上され申すか」

明るく尋ねたジョーに、デカは照れ笑いを見せた。

「そいつが…ここ何年かは出て来てくれない。最後の戦争から13年は経ってるし、探偵稼業も10年目だ。もうひとりで出来るでしょうって言われてんのかな」

デカが左手首にある、銀のブレスレットを見せた。

「それは、直子殿の形見にござるか」

「ああ。戒めだよ。おれが道を踏み外さないように、直子に見張っててもらいたいのかもしれんよ。孫悟空の頭の輪っかみたいなもんさ」

一同が笑った―キヨカだけを除いて。

 気づいたミックが声をかけた。

「キヨカ、どうかしたのか?」

「…いまの話。もしかしたら、さっきミックとデカさんが話してた、この犯罪の理由に関係するんじゃないかって」

「なにか見つけたのかい?」

「デカさんの話に出てきた、ホテルってどこ?…直子さんとエレベーターで初めて会った」

「東京のベイサイド・インペリアルだが。それが?」

「そのときのキー・カードの磁気異常と火災報知機の誤作動、たぶん、おれがやったんだよ」

「なんやて!?」―ネギが座席から飛び上がった。

「どういうことだ?」

デカの語気は、キヨカを問い詰めるかの響きを孕んだが、それに自分で気がついたデカが、すぐに言い直した。

「いや、君を責めることはなにもない。ただ、さっきミックとも話したように、いまここで起きている奇妙な事件と、おれたちが招集されたことには接点があるんじゃないかと考えていた。いま、ここでおれの過去と君の過去、点と点がつながるかもしれないんだ。聞かせてくれないか」

「わかった…いいよ」

キヨカはフードをより深く被ると、語り始めた。

「おれの親父は機械工学の博士でさ。コンピューターは専門じゃなかったけど家にはパソコンがあって、おれは幼稚園の頃には、もう簡単なプロトコルを理解していた。小学校にあがるときには、ハッキングの技術を独学で学んでたんだ」

「恐(おっと)ろしい…いや、優秀なやっちゃな!」―と、ネギが目玉を回す。

「おれが、たぶん7歳かな。1999年だったことは覚えているから。あの頃はネットのセキュリティなんか、あまり知られていない時代だったから、役所やホテルのネットワークに侵入するのは簡単だった。それで試しに、あのホテルの磁気カードデータの管理プログラムをいじった。うまくいったみたいだから、ついでに火災報知機も鳴らしたんだ。ガキのイタズラだよ」

「超えとるけどな、悪戯の範疇を」

「その何か月か後…テレビでやたらと2000年、新世紀の夜明けって言い出した頃。親父は外国の学会だとかで、母親も旅行気分でそれにくっついてった。まあ、向こうの文化じゃあ、そういう場所に奥さんを連れて行くのは、むしろマナーみたいなもんらしいけど。おれも来るように言われたけど、ガキの頃から引きこもり系でさ。学校は冬休みになってたし、おれだけ家に残って、おばあちゃんが来て面倒みてくれた」

ミックがパズルを解くような思案顔で手を挙げた。

「キヨカ、話の途中で悪いけど。お父さんが行った学会って、なんだったか判る?」

「知らないけど、場所はアメリカのアーリントンっていうところらしい」

「アーリントン…バージニア州だ」

「それは事故の後で外務省の役人が来て知ったんだけど」

「ちょっと待って、キヨカちゃん。事故ってなんやの?」

「おれの両親、死んだんだ。帰りの飛行機が墜ちて」

水を打った静けさが、劇場内に広がった。

「I’m so sorry…(すまない)」

「いや、子供のときだから、悲しいって記憶じゃないんだ。親父は研究でいつも家にいなかったし、母ちゃんも大学の講師だったから、普通の家庭よりもクールつーか、ドライな感じだったし。要点は、その前のことだ。親たちが帰国する前、2000年の年越しのことだよ。いつものように、おれがパソコンをいじってたら、へんな虫が出て来たんだ」

「虫…?」

「いまでいうコンピューター・ウィルスさ。おれは最初、これが2000年問題ってやつかと思ったんだ」

「すまん、そっちは弱くてウロ覚えなんやけど…西暦2000年と同時にコンピューターが暴走するとかゆうてた、あれかいな?」

「そう。Y2K問題って騒がれたやつだよ。旧型のプログラミング言語では、データ管理のための日付が下2桁でしか設定されていなかった、だから、2000年になると同時にコンピューターは下2桁の「00」を1900年と錯覚して誤作動を起こす危険があるって話」

「しやけど結局、大ごとにはならへんかったんやな?」

「ああ。マスコミが騒いだほどにはね。確かに一部ではちょっとした面倒があったみたいだけど、ハルマゲドンにはほど遠い。でも、2000年の年越しと同時に、パソコンにヘンテコなものが出てきたから、おれはそれが2000年問題の障害だと思った。実は違ったんだけどね」

「その、ウィルスってどんなものだったんだ?」

そうミックが聞くと、キヨカはバッグからメモリースティックを取り出した。

「アンケートだよ」

「アンケートって、英語でいうSurvey (調査)のことかな?」

「そうだ」と、デカが教える。

 キヨカはメモリースティックをパソコンに挿し込むと、古いファイルを開いて見せた。

「これが、そのときの画面を保存したものだ。消しても消しても、ディスプレイに次から次へと質問が表示された。削除しようとすると、バックグラウンドで稼働しているアプリケーションまで道連れにして削除するもんだから、回答しないとならなくなる。それが、こんなやつさ…」

 全員がパソコンを覗き込み、キヨカはディスプレイに「アンケート」を表示した。

 それは、白い画面にシンプルなゴシック文字で書かれた横書きの質問だった。


『おたずねします。夜は、こわいですか?』


「ん?なんやこれ?こんな簡単なやつかいな」と、拍子抜けした様子でネギが言うと、キヨカは画像をスライドさせた。

「まあ、先を見てよ。おれもいままで忘れてたんだけど…」

キヨカは画像を一枚ずつ送っていった。


『おたずねします。パパとママが、とつぜん、いなくなったら、かなしいですか?』

『おたずねします。コンピューターで、どんなことができたら、いいと思いますか?』

『おたずねします。しらない、人から、いちおくえんの、おかねをもらったら、なにを買いますか?』


 一同に緊張が漲り、ネギの声が裏返った。

「おいおい!ちょっと待てや、これって…」

続きを言おうとして言葉を探しあぐねるネギに代わって、ミックが言った。

「マイスターQだ…!」

 再び静けさの波紋が広がったが、今度はキヨカの両親への追悼ではなかった。

不気味な、そして邪悪な意思を予兆させる静寂だった。

「まさか…」と、デカが固唾を呑んだ。

「Artificial(アーティフィシャル) Intelligence(インテリジェンス).AI…人工知能」―ミックが絞り出すように、しかし明瞭に言葉を結んだ。

「ほんなら…西暦2000年の時点で、マイスターQがデカはんとキヨカちゃんをリンクさせよったんか?」

「いや、その時代にマイスターQを名乗る人工知能が生まれていたかどうかは判らない。ただ、偶然じゃないって気がする」

「いやいや、ミックはん!いまどきインターネットは地球上を覆い尽くしてんねんで?それにや、ホテルをハッキングしたんは人工知能やのうてキヨカちゃん自身やんか。単なる偶然ちゃうんかなあ」

 首をひねったネギに、ミックが人さし指を振って注釈を入れる。

「インターネットの開発ってのは1950年代から始まっているんだ」

「真か?!」

「始めは特定された電話局同士のコンピューターをつなげるような簡単なものだった。それが60年代に入ってプロトコルが開発されて、同じプロトコルを持つコンピューター同士なら世界中どこにでも接続されるようになる…そして」

ミックが一呼吸した。

「…インターネット通信網は、1981年、アメリカの国立科学財団が開発した技術で一気に拡張された。そのアメリカ国立科学財団は、バージニア州・アーリントンにあるんだ」

「キヨカちゃんの親父さんが学会で行ったとこかいな!」

「インターネットがいまのように普及し始めたのは、この20年。1990年代中頃から。仮に人工知能がインターネットを利用して、見知らぬ人間にも語りかけることを計画していたとすれば、90年代末頃まで待たなければならなかった、ということになる。その絶好の機会として、世界中のほとんどのコンピューターがプログラムを訂正しなければならなかった2000年問題を虎視眈々と狙っていたとしたら?しかも、キヨカのようにプログラム言語を熟知した人間が操作する端末を手始めにすれば、世界を動かしやすくなる…」

「人工知能が人間を操りだしたゆうの?」

「待ってくれ!じゃあ、八代誠一を殺害して、おれたち5人をここに集めた犯人は、2000年のコンピューター問題が生んだ人工知能だって言うのか?!18年も前に誕生した殺人プログラムが、いま頃になって起動して、この猿芝居を仕掛けたって?」

デカが一気にまくし立てると、ジョーも続いた。

「信じ難い!デカ殿とキヨカ殿は、西暦2000年で接点があるかもしれぬが、ミック殿やネギ殿、拙者は?某(それがし)など機械の電源さえ不明の至り!5人が人工知能に呼び寄せられたとは思えぬ!」

「Easy men!(みんな落ち着け!)…ここは大事なところかもしれない。Think twice(よく考えろ)…おれたちをリンクさせる過去を見落としていないか」

「ミック、君が言った原点に戻ってみよう。現場100回!そうだな?ここに八代誠一の死体がある。人工知能がどうやって人間に毒を盛るんだ?」

「おれの仮説だけど…人工知能によって操られた、または洗脳された人間が、実行犯として仕立て上げられたとすれば?」

「あり得るのか?そんなことが」―デカが乾いた唇を舐めた。

「角度を変えてみれば、現にこの世界はそうなっているじゃないか。インターネットやメールが空気や水のように普通になっている世界では、誰もネットからの情報や指示を疑わない。あの警察の無線記録だけど…」

「おれを殺人容疑で逮捕するってやつだろ。あれは元警察官のおれが聞いても本物だと判る」

「そこなんだよ。警察無線の記録は本物だろうさ。でも、おれたちは無線をやり取りする警官やパトカーを見たわけじゃない。その音声データを聞いただけだ」

「じゃあ、あの無線の音声も人工知能が偽造したと?」

「可能性はあるよ。本物の無線記録に人工音声を編集すれば、そこにデカさんの名前を張りつけて本物のように思わせることはできるだろ?」

「確かに、それは可能やろうね。それに、この男を殺さなおまえも殺すでと脅迫メールを大金と一緒に送られた人間が、八代はんを手にかけるゆうこともあり得るわな」

デカが拳を舞台の床板に叩きつけた。

「なんてことだ!コンピューターが、おれたち人間を騙したってのか?」

「まあ、そうだとしても謎は残る。なにかの理由で人工知能・マイスターQが八代誠一を殺す必要があったとして、おれたち5人を集めた目的が判らない。だけど、機械工学博士だというキヨカのお父さんが、インターネット開発の重要な拠点だったアメリカ国立科学財団に行って…その帰りに亡くなったってことは、とても偶然じゃないと思うんだよ」

「デカはんとキヨカちゃんは、リンクするかもしれへん。ミックはんも、アメリカFBI出身やってんから、どこかで関係したかもしれへんな」

「然(しか)れど、拙者はピューコンタなる面妖なものと関わりを持たぬ」

「なんやねん!ピューコンタって!そんなもん、わしかて知らんわ!コンピューターや!」

「いずれも、拙者が機械に呼ばれる道理はなかろう」

「ジョーちゃんは武術家の家系ゆうとったけど、先祖までさかのぼって、なんかアメリカと関係あらへんの?」

「先祖…」と、ジョーが珍しく小声で復唱した。

「実(まこと)や、戦後すぐの頃、昭和の武蔵と言われた武の師範について、拙者の祖父と父上からお聞きした…」

「昭和の武蔵?誰なん?その先生」

「國井先生と申す師範。我が国が先の大戦に負けた後、占領軍は日本の武道を御法度とした。ご存知か?」

「え、武道を禁止?ほんまに?」

「日本の武道精神は軍国主義を育てる邪(よこしま)なるものと禁じたのでござる!」

「そら、しらんかった!」

「ジョー君、待ってくれ。その國井先生というのは、まさか、國井善弥先生のことか?」と、デカが身を乗り出す。

「まさに、國井先生にござる!剣、空手、柔道と武芸百般の達人でおられた!」

「私も警察官時代から、その伝説を聞き及んでいた。教科書では教えない日本の歴史的な武道家だ」

「然り!米国に占領され武道が禁じられていた時代、日本武道を復活させるために、日本の政治家が占領軍にかけあって、國井先生と米軍との果し合いを申し出た」

「剣道と西洋銃剣術の決闘かいな?!ほんまの話?」

「歴史的事実だ」―デカが自分のことのように誇らしげに胸を張る。

「おっと、アメリカとつながったじゃないか」―ミックが指を鳴らした。

「はて…誠に!奇妙でござるな!」

「ほんで國井先生はどないしはったん?」

「米軍は、國井先生が勝てば日本の武道を認めると申しされた」

「そのへん、合衆国はフェアネスの精神があるんだ。自分が住んでた国だから持ち上げるわけじゃないけどさ」

「ミック殿、然るにこの果し合いは不公平至極!、米軍兵は真剣を使い、國井先生は木刀に限り一戦交えよという条件にござったのだ」

「No Way !(マジで!)。それはフェアじゃないね」

「しかも、果たして國井先生が死しても承知とした。果し合いの前から米軍に有利な条件」

「まあ…そら占領軍やからな。しやけど、日本人は殺してもかめへんって、それがわずか70何年前の話ゆうねんから、びっくりするわ」

「然るに!國井先生は、刹那、敵なる米兵を討ち倒された!相手は米国海軍最強の剣術士で、身の丈も体躯も國井先生を上回る大男!しかも、真剣でござる!しかし、國井先生は、ただの一度も木刀を銃剣と合わせることもなく、電光石火に敵を床に伏せたのでござる!」

「へえ!どないして勝ちはったん?」

「銃剣の一突きを國井先生がかわすと、米兵は連続した動きで銃剣の台尻で先生の顔面を打ちにかかった。然るに、先生はその動きを見切っておられた!顔面打ちも外された米兵は構えを崩し、前のめりに床に手を着いた!瞬時、背後に回った國井先生が、米兵の首を木刀で制した!その体勢では、いかに大男でも動きを封じられるのでござる!」

「Wow ! おれの立場、こういう場合、どっちに感心すればいいのかな」と、ミックが自虐の笑みを漏らす。

「然して、この世紀の一戦で、米国も日本の武道を見直すことになった!なぜか判り申すか?」

 デカが手を挙げる。

「敵を殺さなかったから…だろ?」

「然り!國井先生は米国に教えた!日本の武道は、人の命を奪うものに非ず、戦わずして剣を置くための技であると!敵を殺す軍国主義とは異なもの!いまでも日本の武道が西欧で尊敬され申すのは、この一戦があったゆえ。拙者の祖父は國井先生門下と親しく、この瞬間を見ておられた!感銘極まり、この後より武の道を志し、拙者の父上も武を継いだ」

「ほんで、ジョーちゃんに武道のDNAが受け継がれた、と」

「日本人として誇りに思える話だね!」―ミックがひとりで拍手する。

「…あ、そっちに落ち着きはったんかい…」

「まあ、とにかくさ。なにもコンピューターと関係がないと思っていたジョーちゃんも、おじいちゃんの代では、インターネットを開発したアメリカと、こんな関係があったわけだよね」

「なるほどな。インターネット開発が1950年代から始まったってことは、日本がまだ米国占領下だった時代から、いまのネット社会が生まれる種はまかれていたってことになる。そんな歴史的な武道家の薫陶を受けた武術家の血を引くジョー君となれば、人工知能がその情報を学習して、今回のメンバーに選んだってこともあり得なくはない話だ」

「選んだ…?そうか、デカさん、いい表現だよ。おれたちは、ただ呼ばれたんじゃなくて、2000年頃から人工知能に選ばれた人間だとしたら…?」

「…だとしたら、なんのために?」

「おそらくだけど…人間について学習するためじゃないかと思う」

「人工知能が人間様を支配するために、まず人間について勉強しよったゆうことかいな」

「さては、幼少のキヨカ殿に届いた面妖な問答も、人間の子供がいかに答えるのかを知るための情報収集にござったか?」

「それなら、得意分野が異なるおれたちが集められた訳もスジが通る。もちろん、人工知能は世界中で同じような学習対象を探したはずだ。結果的に日本人のおれたちに絞られたのは、八代誠一も日本人だということに関係するのかも。彼のテック・ディメンション・アライアンスも2001年に設立されてるし」

「いや、ほんなら、わしは?ゆうたらなんやけど、ウチとこの実家は大富豪や。そこに何億円積んだかて、なんもならんで。実際、わしは着手金で釣られたんやのうて、おもろい事件かもしれん思うて来たわけやし。なんで、わしが呼ばれたか、見当つかへんよ」

「いや、いまは見当たらなくても、なにかリンクするはずだ。…これは、なにかの因果で起きた犯罪なんじゃなくて、八代誠一の死体とおれたち5人の探偵、これこそが、すべての起点―始まりだと思う」

「本当の犯罪は、これから起きるってことか…?」

デカの呟きに応える者はいなかった。

 代わりにキヨカのパソコンがアラームを鳴らした。

「…こんな時間か。念のため、12時間ごとにアラームを鳴らすようにセットしたんだ。依頼の時間制限があるからね。もう2時を過ぎた。ちょっと眠いよ」

「みんな、少し仮眠しないか。八代誠一の手がかりになるはずのDNA型鑑定の結果も明日…もう今日になるが、昼には判るだろう。そこから今日の話を取りまとめてからでも時間はありそうだ」

「賛成や。わしも時差ボケで眠いし」

 ミックが学校の担任教師のように数回手を鳴らすと行動予定を指揮する。

「Okay ! 一休みしようぜ。万一に備えて、おれは舞台のソファで居眠りさせてもらうけど、みんなは外で宿泊してもいいよ。朝9時集合でどう?」

「そら、ありがたいわ。わし、パークハイアット東京のスゥイート予約してんねん。泊まりたい人おったら歓迎やで。ジョーちゃん、社会見学としてどないや?」

「拙者は立ったまま寝られるから心配無用!それに、スイーツは食べ申さん!」

「…それ、ボケやんな?ま、ええわ無理に誘わへんし」

「おれは…」―デカがアタッシュケースを手にした。

「劇団のことも調べておきたいから、また外に出るよ。どうにも足を使わないと

落ち着かなくてな」

「任せるよ」

 ミックに手で応え、通路から出口に向かうデカが振り向いた。

「そういえば、影山の動向は?」

 今度はキヨカが手を挙げた。

「影山の携帯はGPSで追跡している。都内にいるよ。ああそうだ、デカさん」

「ん?」

「劇団・七星野郎の関係者でパソコンを使っている人がいたら…まあ、いまどき誰でも持ってそうだけど、ラップトップならちょっと借りて来て欲しいんだ」

「掛け合ってみるけど、どう説明すればいいのかな」

「そうだね…この劇場で民事トラブルがあって支配人のメール履歴を調査しているとか?借りるのが無理だったら、メール・アドレスを聞いて欲しい。劇団代表のじゃなくて、そのパソコンを使っている誰か個人のメールを」

「なんとかするよ。じゃあ」

デカは再び手で応じると劇場を立ち去り、「ほな、おやすみ」とネギが続いて客席を後にした。

 残ったミック、ジョー、キヨカは、ステージと八代の死体を照らし出すライトを避けて、それぞれの場所で眠りに就こうとしていた。

 舞台上のソファに体を預けたミックの視線の先に、照明で青白く光る八代誠一がいた。

「マイスターQの親友…あんたに、なにがあったんだ?八代誠一さん」

 ミックは長い脚を木箱の上に伸ばすと、考えるのをやめて瞼を閉じた。

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