第3話 時間に正確な死体

「Well…どこから手をつけようか?」

ミックが手を叩くと、デカが誰かに携帯電話をかけた。

「まずは、さっきホトケさんから採取したサンプルの鑑定だ。条件では事件についての守秘義務はあるが、外部に応援を頼んではいけないとは言ってない…」

そう言うとデカは、どこかにつながった相手に話した。

「…おれだ。久しぶり。まあ、そう言うな。今回は完全におまえひとりだけで処理してくれるか?そうだ…毒性の陽性反応だ。夕方までには、いつものルートで現物を届ける…」

デカは電話を短く切り上げると、右手に巻いた腕時計に目を落とした。

「…?」―ミックは違和感を覚えた。

普通、男の腕時計は左手首に着けるものだからだ。代わりにデカのスーツの左袖には、くすんだ光沢を湛える銀のブレスレットが覗いていた。

「おれは“草(くさ)”との接触で夕方には一度ここを出る。それまでは、諸君に協力しよう」

「Sorry, 日本の警察用語には弱いんだけど、草って?」

「警察官ではない、一般市民の協力者だ。まあ、それなりの費用はかかるがね」

「I see ! 英語で言うならSleeper agent (スリーパー・エージェント)だね」

ミックがガムで風船を膨らませてパチンと割って、デカが厭そうな顔をする。

「そのアメリカ流は、なんとかならんのか」

「異文化を尊重しようぜ」

そう言って微笑んだミックに、再び口を開きかけたデカは、キヨカの作業に目を留めた。

キヨカが絵画の裏の装置を外して、小型のデバイスに接続していたのだ。

 覗き込んだジョーの問いを察するように、キヨカが説明を始める。

「電子回路の型番だよ。これはGPS搭載の通信機…民間利用の信号じゃない。詳しくはまだ判らないけど、軍事用だってのは明らかだな」

「軍事用とは面妖な」

デカとミック、ネギも、キヨカを囲むように集まった。

「マイスターQは、どこから指示を発信したんだ?」

「この手のやつ中東やロシアのややこしい地域の基地局をループで経由させてるから、やってみないとわからない」

キイ…と、バネの軋む小さな音がした。

ミックたちが音のほうを振り向くと、客席にへたり込んだままだった影山がおずおずと立ち上がるところだった。

「あの…私はどうすれば」

影山は額に浮いた汗を手の甲で拭った。

ミックが舞台の前に歩み出る。

「そうだな。申し訳ないけど、事件が解決するまでの48時間、おれたちのコンシェルジェってことでお願いしますよ」

「なんなりと。私も殺されたくないですし、ただでさえ客が来ない芝居やってるのに、こんな事件が表沙汰になれば廃業です。みなさんに賭けるしかありません」

「Thank You !」

「それなら、まず頼みたいことがある」

デカはキヨカの作業に目を留めたまま片手を挙げた。

「ない、なんでしょうか」

「とりあえず、コーヒーをくれないか。ブラックで」

「かしこまりました。勿論、みなさんの必要なものは、極力手配させて頂きます。ただ、私もこの事態で劇場のスケジュールを調整しなければなりませんので、用事の際には出てもよろしいでしょうか?みなさんのお邪魔にもなるでしょうし」

「特に邪魔にはならんよ。気を悪くしないで頂きたいんだが、影山さん…」と、デカが体ごと影山に向いた。

「あなた、昨日から今朝まで、どこでなにをしてましたか?」

影山に不安が過る。

「え…?まさか、私がこの事件に関与しているとでも?」

「恐縮ですが、この手の事件では、第一発見者を疑うのが定石でして」

「私が犯人だとおっしゃるのですか?」

「申し訳ないが、現時点ではその可能性も否定できない」

「そんな、馬鹿な。私は脅迫されて…!」

「おれは影山さんを疑っても意味はないと思うね」―デカの背中にミックが言葉を投げた。

「ほう?アメリカの警察には、事件の発見者から洗うって基本もないのか?」

「あのさ。あんた、さっきからアメリカになんか恨みでもあるの?影山さんを疑う意味がない理由?それは、依頼内容とは無関係だからだ」

「どういう意味だ?」

「マイスターQは、犯人の逮捕をおれたちに求めてはいない。もし、影山さんが犯人だとしても、その結論だけをマイスターQに報告することが今回の仕事ってことになる」

「左様。影山殿が下手人ならば、マイスターQが影山殿を脅かす理由はござらん!警察を動かせる力があり申すなら、影山殿を人殺しの咎(とが)にて捕えればこと足りよう」と、ジョーがミックに加勢する。

デカがまた首を回した。

「君たち、ホントに調査のプロかね。どうやら、合同捜査には向かないメンツが集まったようだな」

「いや、あんたの協調性のなさほどじゃないけどね。ミスターSP」

 デカはミックの憎まれ口を無視すると影山に向き直った。

「影山さん。率直に言わせて頂くが、やましいことがないなら、あなたが無実だと確証が得られるまでは、なるべくここを離れないで欲しい。無論、私は警察官じゃないし、拘束する権限も令状もない。だけど、この状況で外に出れば、ほかの探偵さんがどう考えようと、私はあんたを疑いますよ」

「ずっとここにいろとの御指示であれば従います。ただ、メールくらいは許可を頂ければ助かります。私との業務連絡が途絶えて、ここに誰かが訪ねて来るようなことがあれば、極秘の捜査にも差し支えると思いますし」

「メールも電話もご自由に。しばらくは客席にでもいて頂ければ結構です」

「わかりました」

 愛想の良いミックが、初めて苛立ったように舌打ちした。

「ジーザス!デカさん、あんた、いつからおれたちのボスになったんだい?」

「初動捜査の基本に則っているだけだ」

「ぶっちゃけ言わせてもらえるかな?」

デカがミックの真似をするかのジェスチャーで“どうぞ”と促す。

「日本の警察官はみんなこんな感じだ。昔、USで仕事してたときのことなんだけどさ。殺しのヤマで日本の刑事とFBIとの合同捜査があった。アメリカの大企業の重役が日本で殺害されて、その息子も行方不明になった。被害者がアメリカ人ってことで、FBIはおれたちを日本での捜査に飛ばしたってわけ」

「FBIに、日本での捜査権はないはずだ」

「Right (その通り)! だからおれが来たんだよ。おれたち行動分析ユニットってのは、実は捜査官じゃないからね。条件を満たせば民間の要請で活動できるんだ。それでおれは特殊能力者を連れて来日した」

「特殊能力?」

「超能力者さ」

「ハッ!」―デカが、大袈裟に失笑してみせたが、ミックは真剣な表情で語りだした。

「合衆国では、犯罪捜査に超能力者を参加させることも珍しくはない。数多くの事件を解決した凄腕の透視能力者に犯人を追わせたんだ。そして、行方不明の息子と犯人の居場所を特定した」

「真(まこと)、千里眼と申すか」と、ジョーが驚く。

「ところが日本の刑事たちは、あえておれたちの報告を無視した。犯人を挙げることより自分たちの縄張り意識のほうが重要だったわけさ。結果、どうなったと思う?」

ミックがジョーを学校の教師みたいに指した。

「神隠しにあった御子息が見つかり申したか?」

「正解。行方不明だった息子は、超能力者が特定した地点から、なんと、わずか30メートルの山中で、遺体で発見されたんだ。自殺した犯人と一緒にね。死後2か月。もしも日本の警察がおれたちの報告通りに現場に急行していれば、被害者は救われた可能性が高かった。彼を救えなかった悔しさが、あんたらに判るか?」

「…誰よりも知ってるつもりだ」―デカが皮肉な笑みを消して真顔で呟いた。

「は!そいつは結構!じゃあ、あんまり日本式の捜査方法にこだわらないことだな。特に、こんな劇場型殺人犯を追うならね」

ジョーがネギに囁く「どうにも、御両人は馬が合わぬようだな」

「まあ、全員で事件を引き受けたんは同じやろ。合同調査が水に合わへんかったら、それぞれやったらええやん。ほんで最後に結論出したらえんちゃう?」

「然り!奉公は争いごとなく、円滑、愉快に参らねば」

そう言って笑ったジョーの視界に、客席の八代が映った。

「…平に、ご容赦を」

「叶井君と言ったな?」

デカに不意を突かれたミックが自分を指した。

「あ、おれのことか?なんでしょう、ミスター警視庁の山崎様!」

「ネギ君の意見に賛成だ。私は独自に捜査を進める。少なくとも君とは主義が違うようだからな。捜査にはパートナーとしての信頼関係が必要なんだ。君は君でFBI仕込みでやりたまえ。私は日本の警察上がりだ。いまさらアメリカの流儀につきあえんよ」

「Okay, You gotta it.(わかった、了解)」

「あかん…こんなところで日米文化摩擦かいな」

ネギがスカーフで鼻をかむと、脇にいたジョーが半身を引いた。

「ネギ殿!ナマーをわきまえるが良いぞ!」

「え?ナマー?」

「礼儀作法は、ナマーではござらんか?」

「あの…マナーね、マナー」

「面目次第もござらん」

デカはアタシュケースを掴むと足早に劇場のドアに向かった。

「影山さん、コーヒーはそっちの名探偵に用意してやれ。アメリカンでな!私は鑑定を急ぐことにする」―そう言い残すと、デカは退場した。

ミックが自分の前髪を吹き上げて苦笑した。

「いまの “アメリカン”って駄洒落かな?アメリカ帰りのおれに引っ掛けてるわけ?」

 ジョーは、デカとミックの小競り合いを、まるで夫婦喧嘩を目の前で見せられたときの子供のような表情で見ていたが、小さな深呼吸をすると羽織っているマントをバタッと鳴らして柏手を打った。

「ミック殿、調べを進めよう」

「オーケイ。そうだな、ゴメン。ガキみたいだった」

「拙者は、西洋人のそれなる素直には」

「それはどうも…おれは日本人なんだけどね」

「そうか!」

 キヨカを除いた一同が、禊(みそぎ)のように軽い笑いを合わせると、場内は事件現場の空気を取り戻した。

 ジョーが座った死体を見つめたまま言った。

「気になっておったが、八代殿の亡骸は面妖ではござらぬか?」

「ござるわ!初めからヘンに決まっとるやないかい。こないに座ってはる死体、映画でしか見られへんやろ」

「否(いな)。その亡骸は、昨晩死んだのではないと申しておる」

ジョーの言葉に、ネギとミック、キヨカも顔を上げた。

ミックが舞台から客席に降りて、八代誠一の死体の前に屈みこんだ。

「…ジョーちゃん、いいところに気がついてくれたね」

ミックが八代の皮膚を手で撫でた。

「…影山さん」―ミックの真剣な声に、客席の影山が中腰で応えた。

「はい…なんでしょうか」

「八代さんの死体は、今朝になって、突然この客席に置かれていたんだよね?」

「そうです。昨日も、ここで公演予定の劇団の下見がありまして、勿論、私が立ち合っていますけれども、そんなものは…あ、いや、八代誠一さんの死体があるはずもなく…」

 舞台上のミックとネギが顔を見合わせた。

「でも、ジョーちゃんの言った通り、この八代さんの死体は少なくとも死後何日かは経過している皮膚なんだよね。おれも好きなわけじゃないけど、FBI時代の研修でこういうのやらされたから、すぐに判るよ」

「そういや…毒殺ゆうても、こんだけ穏やかな死に顔やったら劇薬やないよね?青酸カリみたいなんやったら、もっと苦悶の表情で死んどるやろし」

「ということは、毒殺だとしても本人も気がつかない内に毒を盛られた可能性が高いね。しかも、数日前に」

「ようやっと、わしの推理が冴えてきよったでえ」―ネギは客席に降りると、八代の死体を凝視した。

「これな、摂取してから死亡するまで何日か時間のかかる種類の毒で殺されたとするやんか?ええか?殺しの犯人ゆうのんは、相手を早(はよ)う殺したいわけや、基本的には。しやけど、殺したい相手が早う死んだら往生する場合もあるわけや。それは、被害者との関係が近い場合や。見ず知らずの犯人やったら、簡単には捜査網に引っかからへん。しやけど、関係の濃いやつが殺したら、わざわざ最初に疑うてくれんかー?ゆてるようなもんや」

「デカ殿が申された、第一発見者が疑われるという道理か」と、ジョーが頷く。

「せや。犯人は、自分が疑われるのを知っとった上で、なんらかのアリバイ工作するための時間が必要やってん。しやから毒を盛ってから、実際に八代さんが死ぬまでの時間が稼げる種類の毒殺を選んだっちゅうこっちゃ。ちゃう?」

ミックが親指を鳴らす。

「じゃあ、毒薬の種類は別として、八代さんは別の場所で殺害されてから、影山さんにも気づかれない一夜のうちに、ここに運ばれたというシナリオになるね。運ばれる前の八代さんの足取りが判れば、いろいろ見えるな」

「それなら、もう追跡してるよ」

キヨカがパソコンに目を留めたまま言った。

「八代誠一の会社、テック・ディメンション・アライアンスの役員情報にアクセスした。そこから八代の携帯電話番号のひとつを拾って、GPS履歴を追いかけてみた」

「さすが、天才ハッカーだね」

「このGPSは、民間には許諾されていない軍事用の信号とドップラーシフト測位を組み合わせてある」

「すまん。そっち方面、弱いねん。判りやすくゆうてんか?」

「いまどき誰でもスマホの地図なんかでフツーに使ってるけど、そもそもGPSってのはアメリカが運営してるんだ」

「知らんかった!ミックはん、ほんまに?」

「まさに。Global(グローバル) Positioning(ポジショニング) System(システム)の略がGPS。アメリカ合衆国が軍事目的で開発した技術を、全世界が無料で使わせてもらってるってわけ」

「地球をとりまく6つの軌道に全部で31の衛星があるんだけど。それぞれが1575・442メガヘルツと、12276.6メガヘルツの周波数による…」

「あー、専門的な解説は、わしらよう判らへんから、はしょってや!」

「つまり、八代誠一の携帯電話は、特殊な端末機器だってこと」

「それはわかるわ!」

ミックが、ポケットからサニタイザーを出し、八代の死体に触れた右の掌を消毒しながらキヨカに聞く。

「アメリカが民間に解放していない軍事用の信号を、八代さんは使ってたってことだよね?」

「ん?マイスターQちゃんの発信機も、民間の信号やないゆうてたよね?」

「ああ。マイスターQも八代誠一も、どうやらアメリカの軍需産業と仲良しみたいだな」

「それで?!その軍事用GPSなる奇天烈な装置で、ここに来る前の八代殿の動きがわかったの?!」

「ああ。超メンドクセーことがわかった」

「もったいぶらんと、ゆうたらええやんか!」

「八代誠一は…動いてないんだ。ここを一歩も」

ミックとネギ、ジョーが、一瞬息を呑んだ。

「どういうことだ?」

キヨカの言葉の意味が呑み込めていない影山が、一拍遅れて混乱した。

「どういうことなんですか?」

「その死体、まだスマホは持ってるはずだよ」

 ミックが自分のハンカチを手に巻くと八代を探った。死体が着ているジャケットの内ポケットから、スマートフォンはすぐに見つかった。

「これか…電源が入ったままだ」

キヨカが携帯電話の画面をちらりと見て、自分のパソコンから遠隔操作が可能になっていることを確かめた。

「八代誠一は他に2台の携帯電話を持っている。万一のために、GPSデータは、すべての端末とクラウドでつながっているから、ひとつのスマホから基地局、衛星波をたどって分析すれば行動履歴が判る。その結果…」

「…なんやの?」

「八代さんは3日前から、ここに座っていることになるんだ」

「いかが申された?」

「どういうこっちゃ?!」

 ミックは八代の携帯電話をステージの縁にそっと置くと、長い足を組んで客席に座った。

「影山さん。八代さんは、今朝になってここで発見された。間違いないんですね?」

 自分に疑惑を抱かれていると察した影山が、僅かに憤慨して声量を上げて答えた。

「もちろんです!先ほども申し上げましたけど、昨日は劇団の下見があったんですよ。当然、私も立ち合っています。その前日も3日前も、芝居の公演はありませんでしたけどスタッフや私は出入りしています。死体があれば…いえ、たとえ死体でなくとも部外者がこんなところに座っていたら、すぐに判ることです」

 ミックは黒い革靴のつま先をクルクルと回す。彼の思案中の所作であるようだった。

「すると、この劇場内のどこか、ビルのどこかに死体は隠されていたってことかな。キヨカ、そのGPSってどれくらい正確な位置情報が出るんだい?」

「高度な軍事用だからね。誤差はわずか1メートル以内」

「マジか!ほんなら、ここから動かしようがないやん!この折り畳み式の客席やったら、隠しようがあれへんもんな!押し込んどくのも無理やわ!」

「死人が三昼夜、ここに座しておられたと?面妖な!」

「影山さん、昨夜から今日まで、劇場に人がいなかった時間帯は?」

「はっきりとは覚えておりませんが…昨日、私がビルの外に施錠したのは夜の9時頃だと思います。それで、マイスターQからのメールが私の携帯に届いたのは、それから30分もしないうちです」

「それをすぐおれたちに転送したってこと?」

「ええ、そうなりますか。みなさんの極秘のメール・アドレスもそこに添付してありましたから。マイスターQの指示通りに…」

「あのー、ちょっとひとつ疑問があんねんけどね、影山はん。マイスターQのあのメールね。普通やったら、まず相手にせえへんよね?けったいなやつが送ってきよったスパムメールやんかと。なんで影山はんは、すぐ本気や思うてわしらに転送しはったん?」

「それは…」

「I get the hint. (察しはつくよ)。おれたちと同じく、影山さんにもマイスターQからキャッシュが振り込まれてたんだろ?」

「はい…仰る通りです。私の携帯宛てのメールとは別に、劇場の公式メール・アドレスに別のメールが。携帯のメールにも自動転送されてくるんですが…」

「これだろ?悪いけど、さっき劇場の通信環境とメール履歴はあらかた取らせてもらったから」

キヨカがパソコン画面上に新たなタグを開いた。


『追伸

 5人の優秀な探偵のみなさんへの御連絡代

理をして頂く手数料と致しまして、すでに影

山様の銀行口座に日本円で500万円送金さ

せて頂きました。

 ただし、お願い申し上げた連絡代行をこのメールの着信時間から15分以内に行って頂けない場合、明日、銀行から誤送金についての差財連絡が影山様に入り、お送りした500万円は組み戻しの為、銀行に返金されるこ

とになりますので、あらかじめ御承知おき下さい。

なお、本件について警察その他の部外者に

口外、情報漏洩なされたときには、影山様に回復不能の悲劇が訪れることにもなりますので、御注意下さい。』


 画面を覗きこんでいた一同の輪から、ネギが体を翻した。

「はっはー!気に入らんなあ、マイスターQちゃん!人の顔を札束で引っぱたくようなやりかたが好きなやっちゃで!」

「でもまあ。人がカネで動くのは、一方の真理だけどね。実際、影山さんはマイスターQの指示通り、おれたちへの招待状を送ったんだからさ」

「申し訳ありません!私も、根木屋様の仰る通り、初めは相手にしていませんでした。ただ、まさかと思ってすぐにネットバンキングで口座を見てみたら…」

「500万両の金子があった…」

「両ちゃうけどね。円や、円!」

「はい…本当はその時点で警察に通報するべきことですが、これが本当なら、本題のメールの内容も本物だろうと怖くなって」

「回復不能の悲劇…つまり、死」

「しやけど影山はんも、思わぬ大金もうて悪ない思ったんやろ?正味な話」

「申し訳ありません…それは否定できません。劇場経営も厳しく、それに私自身が犯罪に手を染めるわけじゃないんだからと…」

「まあ、法的には殺人幇助か共謀罪は成立すると思うけど。従属的立場だってことで実刑は免れるだろうけどさ」

「いまは、この後どうなるのかと…後悔しています」

「オーケイ。昨日の夜に戻ろうか」―ミックがステージの縁に寄りかかった。

「影山さんがおれたちにメールを送ってきたのが、昨日の夜9時半頃。でも、そのときに影山さんは劇場を確かめに戻ってはいないんだよね?」

「はい。もう電車に乗っておりましたし、第一、死体があるとは書かれていませんでしたから。まさか、こんなことだとは想像もしておりません。それでも気になって、いつもより早めに今朝の9時過ぎにここに来たら…」

「死んだ八代誠一さんがいた」

「はい」

「ほんなら、昨日の夜9時から今朝の9時までの、だいたい12時間以内に、誰かがここに死体を飾ったゆうわけや。そう考えんと辻褄が合わへんからね」

「拙者もそう心得る。然るに、スマーホが3日前からこの位置を示しているならば、隠してあったのは亡骸にあらず、そのスマーホでござるな!」

「スマホや、スマホ!無理してカタかな使わんといて、ややこしいから」

「Yes, ジョーちゃんの言う通りだろうね。犯人は、携帯だけを3日前からここに隠しておいて、八代さんの死体は昨夜の内に運び込んだはずだ。影山さん、この3日間、劇場の清掃はありましたか?」

「いえ。基本的にこういう芝居の劇場は、ここを借りて公演する劇団の人たちが、原状復帰ということで片づけたり、掃除するんです。役者も一緒に掃除をするのが普通ですね」

「…ちゅうことは、3日前の前日。つまり4日前にここを使(つこ)うてた劇団があれば、その関係者の誰かが、八代さんの携帯電話だけここに持ち込むことは可能やね」

「そうかもしれまん」

「いや。そいつは不可能なんだよ」と、キヨカが別の画面をパソコンに呼び出した。

「4日前には、八代誠一はこの携帯端末で国際通話をしているんだ」

「いやいや、キヨカちゃん。そんなん、八代はんが通話したとは限らひんやろ。八代はんから携帯を盗んで、アリバイ工作で通話記録を残したっちゅう線もあんで」

「だから、それが不可能なんだよ。この携帯端末は指紋認証を超える、虹彩認証システム搭載だからね」

「虹彩認証って、眼の網膜でロック解除するやつ?」

「そう。死んだ人間の虹彩では認証されず、起動しない」

「Wait a minutes. (ちょっと待て)。つまり、八代誠一は4日前までは生きていたってことか?」

「ああ。でなければ、この端末に通話記録は残らないんだ。そして、きっちり3日前からは、なにも通話履歴がない」

 ミック、ネギ、キヨカ、ジョーが、これまでで最も長く沈黙した。影山が不安な様子で、探偵たちそれぞれの表情を盗み見た。

「あの、なにか重大なことが…?」

「たぶん」―と、ミックが先陣を切った。

「ここに来て、みんな同じミステリーに突き当たっていると思うんだけど。この事件、どうも時間がおかしいって気がするんだ」

「拙者も、それを思案した」

「いや、わしもやねん。まず、わし個人のことをゆうたらな。影山はんからマイスターQのメールが転送されて来たんは、わしがシチリア島でランチ食うとったときや。イタリア現地で…せやなあ、午後1時過ぎあたりやろ。あ、携帯見たら正確な時刻が判るし…」

ネギはスマートフォンを取り出すと、メール履歴を確かめた。

「あ!せや。昨日の午後1時35分。日本とのイタリアの時差は8時間やから、影山はんがQちゃんのメールをわしに転送した日本時間の夜9時半ゆうのと一致するわ。しやけどな、こっからが、おかしいねん」

「今日、おれたちを呼んだ指定集合時間が…だろ?」

「ビンゴや!シチリア島から東京に飛ぶには、一般的にやで、島の首都パレルモから一度、ローマかミラノに飛んで、そっから直行便で東京ちゅうルートや。

乗り継ぎやら、なんやらで都合16時間はかかんねん」

「今日の指定集合時間は、午後2時。ネギちゃんは、それより早く到着してるよな」

「それや。わしも口座の100万ドルを確かめて、驚くちゅうより、なんやおもろそやなと思うて、すぐに現地を出た。それでも昨日の午後3時のフライトや。その頃、日本は昨日の夜11時過ぎ。そこから16時間やったら、わしは今日、なんぼ早よう着こう思うても、絶対に2、3時間は遅刻するわけや。空港の出入りなんかを入れたらな。しやけど、わし、来たやろ?しかも、一旦、日本の自宅に戻ってから余裕でここに来とんねん。影山はん、なんでか判る?」

「…いえ」

「わしが特別なフライトを使うたからや。ウチの実家が所有してんねんけどな。一般の民間旅客機の倍以上の速さ、マッハ2で飛ぶ超音速旅客機で」

「Wow ! もしかして コンコルド?」

「コンドルコンとは、何奴でござるか?」

「コンコルド!時速2千キロ以上の超音速で飛ぶ飛行機!コンコルド!」

「でも、コンコルドは、騒音や高額なコストの問題で、確か2003年には全線廃止になって、機体も解体、廃棄されたはずじゃないかな」

 ミックの疑問に、ネギが胸を張る。

「そこは物事なんでもウラがあるわけで、ウチの実家が内緒で持っとんねん。普通の空港では離着陸させてくれへんから、米軍基地を使わせてもうてんねん。つまり、出発はイタリアのアヴィアノ米空軍基地、着陸は横田基地や」

「さすが、スーパー・リッチの根木屋財閥だねえ」

「わしはただのドラ息子や。みんな、そう思うとるやろ?ま、ええわ。わしが言いたいのは、マイスターQはわしが超音速機を使えること、そのフライト時間も知っとって、今日の集合時間も設定したんとちゃうか?っちゅう疑念がわいてくるわけや」

「マイスターQは、おれたち5人の情報をかなり正確に収集しているってことか」

「然り、ネギ殿が伊太利亜国におられたことも承知ゆえ!」

「ミックはん、どういうことや思う?」

 ミックは、キーボードの操作を続けるキヨカを見て釣られたみたいに、自分の額を右手の指でトコトコと打った。頭脳に計算式を入力するかのように。

「うん。八代さんは4日前には生きていたと考えられる。そして、彼の携帯の通信履歴が3日前から途絶えているとなれば、やはり3日前には死亡していた。だけど、この死体は昨夜から今朝までの12時間以内に、ここに運ばれた。さらに、おれたち探偵は、八代さんの死体が運ばれるのと同時刻に、依頼の通知を受け取っている…」

 一呼吸おいてミックが言った。

「つまり、この事件は、八代誠一殺害事件の後で、おれたちが呼ばれたんじゃなくて、始めから計画されていたんだ。理由は判らないけど、この事件をおれたちに解決させるために」

「となれば…意味することは、ひとつやないか!」

「ああ。マイスターQ自身が犯人。または共犯者ってことだ」

 そう言うとミックは、キヨカの隣に身を寄せて囁いた。

「キヨカ、忙しいところ悪いんだが頼みがある」

「…なんだい」

「CIAのデータベースに潜れるかな?」

「…なんでまた」

「ちょっと 仲間の過去を知りたいんだ」

「潜入ね…CIAには悪いけど、ペンタゴンよりは簡単だ」―キヨカは複雑なコードをパソコンに書き込み始めた。

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