第2話 依頼人

「こ、この声です!私を脅迫したのは!」

影山は、顔面神経痛のように頬を引きつらせながら、自分の後ろにある座席にへたり込んだ。

「支配人、脅迫とは人聞きが悪いですね。私は、5人の探偵のみなさんへの御連絡を“お願い”しただけですよ」

声の主は、わずかに音声加工されたような声質で物静かに続ける。

「仰るように、私のお願いをお断りになるなら、あなたも死ぬことになりますとは申しましたが」

「Come on man (おいおい)!それを脅迫と言うんだ。アメリカなら、それだけでとりあえず逮捕だぜ。で、あんた誰なの?」

ミックが絵画に向かって微笑んで見せた。

「私は、マイスターQと申します。この件の依頼人です」

 5人の探偵全員が、一瞬、顔を見合わせた。

 ネギが帽子を脱いで頭をぽりぽりと掻いた。

「あのー。お名前、もっぺん言うてもうてええですか?」

「マイスターQです」

「マイスター…」と、復唱するミックをネギが継いだ。

「…ほんで、Qときよったで」

「失礼とは存じますが、私の素性は申し上げられません。ただ、みなさんにはすでに着手金をお支払いさせて頂きました」

「ああ、非常識に高額のカネをね」

絵画と面談するかたちで、ミックが対面のソファに座った。

「お目にかかれて光栄です、叶井三樹夫様。通称・ミック。元アメリカ合衆国連邦捜査局、FBIでトップのプロファイリング専門家でいらしたとのこと」

「プロファイリングとは懐かしい言い方だね。いまは、Behavior(ビヘイビア) Analysis(アナライシス). 日本語でいうなら行動分析というほうが今風だけど」

「お隣は、根木屋圭介様…」

「え?見えとんかいな?」

「御幼少の頃から、あだ名はネギ」

「お坊ちゃまとも人はいうけどね。苗字だけやのうて、大阪名物・ネギ焼きが大好物やっちゅう意味もあんねん」

ネギが、からかうように絵画に向かって胸を張った。

「ロスチャイルド家とも親しく、日本の近代史の陰のフィクサーともいわれる根木屋財閥の五代目という御曹司にして、大富豪でもいらっしゃる。財力を活かして事情によっては無償での捜査活動をやっておられるとか」

「ただ者ではござらぬな、ネギ殿!百万石の富豪にして正義の味方とは、さしずめ“コウモリ男”にござるな」

「それを言うなら “バットマン”やろ!君、ややこしい和洋(わよう)折衷(せっちゅう)をちょいちょい挟むのやめてくれへんか。なんやねん、百万石って」

「その現代の武人、矢作丈士様。失礼ながら、その外見と軽妙な語り口からは想像もつかない武術、格闘技の達人。暴力で抵抗しようとする犯人を一瞬で半死半生の目に合わせたこともある武闘派だと聞き及んでおります」

「無礼な。拙者は専守防衛でしか武術を使い申さん」

この間、デカはスーツのポケットに手を入れたまま、マイスターQを名乗る声が聞こえる絵画の脇に立っていた。

「さすが元SPの山崎耕平様。早速、私の声を録取されているのですね?」

デカがポケットから小型ICレコーダーを取り出す。録音中の赤いランプが点灯している。

「…声はここからだが、どこかのカメラで監視しているようだな」

「山崎様は警視庁SPだけではなく、国外での傭兵経験もおありで、あらゆる銃器にも精通されている射撃のプロフェッショナルでもいらっしゃる。取引に合意して頂くまでは、私も警戒致しませんと」

「私の過去は、当時の関係者しか知らない一種の機密情報だ…いろいろ調べたようだな」

「それは、これほどの事件を依頼させて頂くからには、慎重な準備は欠かせません。最後になりましたが、いま、私の声の発信源…すなわち、みなさんがすでにお気づきの絵画からではなく、生身の私がどこからメッセージを送信しているのかを追跡中の吉本清夏様…」

キヨカが、キーボードをたたく運指を一間だけ止めた。

「吉本清夏様は、機械工学博士のお父様の影響か、幼少期からコンピューターの神童と呼ばれた青年。かつてペンタゴン―アメリカ合衆国国防省のホスト・コンピューター中枢部にまで侵入した世界的な天才ハッカーでいらっしゃる」

ミックが口笛を鳴らす。

「ヒュー!ペンタゴンに侵入?よく無事でいるもんだな」

「ハッカーは侵入よりも、追跡されずに逃げ切る技術のほうが重要だ」

「私はキヨカ様の情報を捕まえましたけれども」

マイスターQの声に皮肉がにじんだ。

「それはどうかな」―キヨカが、バックパックから別の端末機器を取り出すと電源を入れた。

「こいつには入れないだろ?なにしろ、今朝初期化したばかりのデバイスだ」

「…」―絵画からの声が一瞬、途絶えた。

「お!マイスターQちゃん、黙りよったで!」

ネギが愉快そうに笑う。

「みなさんは、依頼人に敬意を払わないのですか?」

「Hey! What are you talking about ?(よう!なにを言ってるんだ?)。他人の銀行口座情報を調べて、いきなり100万ドルを送金する怪しさ満点のやつにマナーを注意されたくはないね」

「激しく同感や!Qちゃん、探偵はカネ積まれたからゆうて、はいそうでっかゆうわけにはいかんのや。罠もようけある業界やしな」

 マイスターQが、小さな咳ばらいをしてから抑揚のない声で告げた。

「支配人・影山様からお話申し上げたはずかと存じますが、100万ドルは着手金でございます。みなさんがここにお越し下さった時点で、私の依頼を引き受けて頂けると思ったのですが、そうではないのでしょうか?」

「Not yet agree with your offer. (まだ引き受けたわけじゃないぜ)。この状況を説明してもらわないとね」

「その死体…被害者の八代誠一は、みなさんご存知のように国際的に著名なIT企業の創立者ですが、私の親友でもあるのです」

「話が見えないな」

 デカが声を発する絵画の前に立った。

「マイスターQと言ったね?これが殺人事件だと思うなら、まず警察に通報するのが普通じゃないのか?どうして、私たち探偵を…しかも、5人も同時に招集する必要があるんだ?それも、自分の素性を伏せたまま」

「お答え致しましょう。まず、八代が何者かに殺害されたことが公になれば、彼を頂点とするテック・ディメンション・アライアンスは大きな混乱を生じるでしょう。企業イメージだけではなく、国際社会にも不安を招来します。捜査は非公式に進めるしかありません。それが警察に知らせず、みなさんに依頼する理由です」

「日本には5000社を超える興信所や個人の探偵がいるのをご存知かね?なぜ、私たちを集めたのかをお尋ねしている」

「引き続き、お答え致します。凡百の興信所ではこのような不可解な事件を敬遠されるでしょうし、第一、その調査、捜査能力にも欠けるでしょう。そこで、私は調査業の中でも極めて評価が高く、なおかつ高度な機密性を要求される案件を手がけて、それらを見事に解決されてこられたトップクラスの探偵を求めたのです。世界中の情報を辿って、複雑な演算もした結果、みなさんを依頼先に選択させて頂いたのです」

「ほめ殺しときたか」

ミックが追加のチューインガムを口に投げ込んだ。

「まあ、いいや。この事件の犯人を割り出せば、自ずと依頼人・マイスターQ

さんの正体も浮かび上がってくるだろ。それよりも、条件を聞こうじゃないか。この国際的な不況に、100万ドルの前金を気前よく送ってくれちゃうからには、そっちからの条件もタフなんだろ?」

「お察しの通りです。では、本題に入りましょう。私の親友・八代誠一を殺した犯人を割り出して頂きたいという依頼は先ほど申し上げた通りです。犯人の確保が理想ですが、みなさんは警察官ではありませんから、現行犯の緊急逮捕以外に逮捕権はお持ちではない。ですから、犯人を特定する情報を提供して頂ければ結構です。成功報酬は着手金の倍額をお約束致します」

ジョーが思わず声を上げる。

「いかが申される!では着手金と合わせて300万ドルか?」

「はい」

「犯人の情報を確定するくらいの仕事で、ずいぶんと気前のいい報酬じゃないかね?」―デカが、絵画を上目遣いに見据えた。

「いいえ。勿論この仕事には、非常識に高額な着手金と同じく、非常識な条件もございます。第一に、この場にいるみなさん以外に、この事件の情報を一切開示しないこと。勿論、警察機関にも内密です。そして、第二。これが重要なのですけれども、犯人特定までのタイム・リミットは48時間とさせて頂きます」

「What?!」

「なんやて?」

「48時間とは、二昼夜か?!」

ミック、ネギ、ジョーがほぼ同時に口を開いた。

デカが、肩こりをほぐすように軽く首を回すと舞台から降りた。

「話になりませんな。2日じゃ地取りもできやしない」

「デカ殿、ジドリとは?」

「聞き込みのことだ」

デカは面倒くさそうにジョーに答えると、視線を絵画に戻して続けた。

「マイスターQさん、私はお引き受けできませんな。他の探偵さんはどうだか知りませんが。着手金とやらはお返しします。返金口座の情報をメールに入れといてくれますかね。まあ、教えて頂かなくても銀行に送金元への返金は依頼できますがね」

「お望みでしたら、仰せの通りに致しますが。山崎様、このままお帰りになられるおつもりであれば、山崎様は殺人犯として逮捕されることになります」

「…」

すでに座席通路から出口に向かおうとしていたデカの足が止まった。

「いい加減にしろよ。どうして私が殺しでパクられるんだ?あんた、おかしなクスリでもやってんじゃないだろうな?」

「山崎様に限りません。もしも、私の依頼をお引き受け頂かないまま、この劇場を出れば、みなさんは八代誠一殺害容疑で警察に逮捕されます」

「おっさん、なにゆうとん?」

「そうなるように、私が手配致しておりますので」

ミックが舞台に立ち上がって、芝居のように両手を空(くう)に広げた。

「Excellent (素晴らしい)!ジーザス!脅迫ショーの開幕だぜ!」

「アメリカじゃ知らんが、法治国家の日本でそんなことがあるわけないだろ。無実の人間を、令状もなく殺人容疑で身柄を拘束できるか」

通路に立ったままのデカが、語気をやや強めた。

「デカさんよ、合衆国だって逮捕には令状が要るし、裁判では証拠が必要なんだ。あんた、アメリカ嫌いのようだけど、無知を恥じたほうがいいぜ」

「なんだと?」

 火花を散らせるミックとデカの間に、ジョーが割って入る。

「よさぬか!愚にもつかぬ口喧嘩をしている時ではござらんぞ!」

 デカは自制の溜息をつくと、絵画の向こう側のマイスターQに問い質す。

「警察を動かして、令状も無しに私を違法逮捕させる?どうして、あんたにそんなことが出来るんだ?」

「それを証明するということは、山崎様が現実に逮捕されることを意味します。そのときに山崎様は私の言葉を信じるのですか?」

「…それは」

「いいえ。きっと山崎様は、その現実に直面してさえ、こう思われるでしょう。そんな馬鹿な!これは悪夢だ!…と。そう、あの日、あの晩のテロ未遂事件のときのように…」

デカの表情が一瞬凍りついた。

「貴様!何者だ!」

怒号と同時にデカは舞台に駆け上がった。ステージに緊張が走る。

デカは、セットの絵画を両手で掴むと、そのまま床に叩きつけようと振りかざす。

刹那(せつな)、客席にいたジョーがふわりと宙を飛んだように見えた。

気がつけばデカの両手は、ジョーの右腕一本の、外受けの構えで制止されていた。ジョーの眼光は凛とした鋭さを放っている。

「痛っ…!」

デカが思わず顔を歪める。

「デカ殿、御免!」

ジョーが、心底、申し訳なさそうに表情を一変させる。

「ただ、それなる絵画は、なにかしらの証拠となり申す。壊してはならん」

ミックがデカに無言で手を差し出すと、デカは黙って絵画を渡した。

「すまん…自制を失った」

ミックが絵を裏返すと、薄い樹脂にプリントされた電子回路と、やはり薄いスピーカーがセットされていた。

「山崎様、大変失礼致しました。ただ、私もこの事件の解決をお願い申し上げたい一心だったものですから。お許し下さい。その上で、私の言葉が嘘ではない間接的な証明として、警察無線の通話記録をお聞き下さい。勿論、私からの開示では、捏造だと疑われるでしょうから、吉本様にお願い致します」

「え?キヨカはん?」

「…さっき、通信環境をこっちに引き込んだとき、ついでにこのビルの所轄警察署の無線記録も拾っといたんだよ。死体があったのは最初から判ってたから、警察がどういう動きをしてるのか探ろうと思って」

「優秀やね。しやけど、それもマイスターQはんは監視しとたんやな」

キヨカはノートパソコンの、膨大な量のファイルが重なって置かれたディスプレイを素早い操作で整理し、目的の音声ファイルを開いた。

「これを聞かせろってことか?」

キヨカが再生すると、雑音混りの、しかし明瞭な会話が聞えてきた。

「…から警視庁16号…こちら…容疑者が潜伏中との情報」

「場所は…2番7号…シアター・セブン・ビル…」

「シアター・セブンて、ここやんか」―聞き耳を立てながら、ネギが小さく口を突く。

「…容疑者は山崎耕平ほか4名…」

「…緊急…いいえ、マル・ニ・イチ・キュウ分…待機です。繰り返します…」

「警視庁8号、了解しました。命令があるまで巡回待機します…」

キヨカが再生を停止する。

デカが、舞台に注がれる照明の光源に視線を泳がせた。

「信じられない…おそらく、本物の通信だ」

「おれの技術に間違いはないよ。所轄の警察無線そのままの記録さ」

ミックが再びソファに身を預けた。

「つまり、謎の依頼人・マイスターQが警察を動かせる大物だって可能性は限りなくマジってことかな?」

「みなさんを脅迫する意図はございません。ただ、親友であった八代を殺された、私の悔しい気持ちを御理解頂きたいのです」

「マイスターQさん、ひとつ聞きたいんだけど」と、ミックが絵画を指さした。

「なんなりと」

「全員がこの依頼を引き受けたとして、48時間以内に犯人に辿り着けなかった場合。その後はどうなるんだ?」

「はい。その時はゲームセット。つまり、みなさんは解散してお帰り頂いて結構です。もちろん、みなさんの安全は保障しますし、着手金もお返し頂かなくて構いません」

「いかが申された!?」と、ジョーが驚いて頭一つぶん飛び上がった。

「ただし、みなさんにとって初めての、未解決事件という汚名を着ることにはなります」

 ミックが挑戦的な笑みを浮かべた。

「なるほど。おれたちを集めた理由はそれか」

「はい。私がみなさんに依頼した理由は、ただひとつ。それは、みなさんが、一件の未解決事件もないパーフェクトな探偵だからです。100%の成功率を誇る日本でトップ5の探偵が全員そろえば、この完全犯罪を暴いて必ず解決できるだろう、そう考えたのです」

「おもしろくなってきたよ。100万ドルの着手金を手にしたところで、この事件から降りたら、それ以上に、おれたちのキャリアとプライドにキズがつくってわけだ。みんなはどう?おれは、このゲーム受けて立ちたくなってんだけど」

「各々方!挙手で決めてどうか。拙者は当然(とうぜん)至極(しごく)、引き受けよう!」

ジョーが小学一年生のように勢いよく手を挙げる。

「わしも乗るで。シチリア島からわざわざ来てんから。わしらを頼ってゆうねんから、しゃあないやん。な?」と、ネギも軽く掌(てのひら)を開いて同意した。

続いてキヨカも無言のまま手を挙げた。

「…おれのハッキングが挑戦されてるんだからな」

一同が立ったままのデカを見た。

「And You ?(で、あんたは?) デカさん」

デカは挙手の代わりに、舞台に置かれたセットの木箱に腰を下ろした。

「いいだろう…話は気に入らないが、事件の真相を暴いてやりたくなった」

「OK, The show must go on!(始めようぜ)。やってやろうじゃないの」

「みなさん、取引成立ですね。ありがとうございます。では、48時間後まで

私との通信は遮断されます。みなさんの手腕に期待致します。支配人の影山様にも、後日、迷惑料をお支払いしますので、これまでの御無礼は御容赦下さい。

それでは…」

絵画の裏から聞えていたマイスターQの声が切れた。

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