雪景色に小麦粉をまいて

〈過去〉


「ねえ。お母さん。私の結婚式はチャペル式で挙げてもいいかな?」

 古寺美奈こでらみなは上目遣いで言った。

「うーん。本音は神道でやってほしいけど、美奈の結婚なので、好きにすればいいよ」

 古寺良子こでらりょうこは渋々承諾した。古寺家は、代々、宗教上の理由で神前式結婚式を挙げており、キリスト教式の知識は皆無だった。

「やったー。じゃあ、お母さん、盛大に祝ってよね」

「はいはい」

「それでね。私が教会から――」


 *


 **


 ***


〈現在〉


「小麦粉を撒く老婆の話って、知っている?」

 講義終了後、唐突に杉中彩花すぎなかさいかが言った。

「え、知らない。なにそれ」

 道重小夜みちしげさよはかぶりを振った。

「この前、大雪が降ったでしょ? あの時、道路に小麦粉を撒いているお婆ちゃんがいたんだって」

「融雪剤じゃなくて?」

「うん。大学を右に出て、一つ目の信号手前あたりで撒いていたんだって」

 彩花は手振りを交えて説明した。

「認知症で、小麦粉と融雪剤を間違えただけなんじゃないの」

 道重の指摘に、

「その可能性は大かもね」

 彩花は納得した。


 大学を出て、道重はアルバイト先のケーキ店に向かっていた。

 雪は降っているが、積雪はしないと天気予報士が告げていたので安心していた。帰宅の際に電車が止まるようなことはなさそうだ。

「きゃっ」

 突然、白い粉が目の前に舞い散り、慌てた。

 近くに小麦粉の袋をもった老婆が立っていた。

「なにするんですか!」

 道重は憤ったが、老婆はぽかんと虚空を見つめていた。

「ごめんなさい。大丈夫ですか?」

 若い男の声が聞こえた。

「はい。大丈夫です。あれ!?」

 道重は男の顔を見て、驚きの声をあげた。同学部生の古寺達也こでらたつやだった。

「あ、道重さん。ごめんなさい。うちの母が……」

「いえいえ。わざとじゃないみたいですし、お母さんはその、えっと」

 道重が言葉に詰まると、達也は頷き、

「母は今年で六十歳ですが、すでにアルツハイマーになってしまっていて」

 と申し訳なさそうに言った。

 道重は愕然とした。達也の母は七十歳には見えるからだ。

「言いたいことはわかります。僕には二歳上の姉がいたのですが、彼女が死んでからというもの、母はすっかり老け込んだのです」

「そうなの……。って、なんで敬語? 同い年なのに」

「あ、いや、僕は道重さんに憧れているので」

 達也は、はにかんだ。

「いけない。遅れちゃう」

 道重はスマートフォンで時刻を確認し、

「古寺くん。またね」

 アルバイト先に急いで走った。


 *


「古寺くんって知っている?」

 翌日の大学構内にて、道重は彩花に聞いた。

「古寺くん? ああ、知っているよ。彼がどうしたの」

「実は、例の小麦粉の老婆が、古寺くんのお母さんだった」

「えっ。そうなの」

 彩花は目をパチクリさせた。

「結局、理由はわからなかったけど、古寺くん曰く、認知症の症状みたい」

 道重は思案顔になり、

「ところで、彼にはお姉さんがいたんだね」

 と言った。

「そうだよ。古寺くんのお姉さんはうちの姉と同級生だからよく覚えている。噂によると、結婚詐欺師に騙されたみたいで……」

「結婚詐欺師……」

「それが原因で、自殺したみたい」

 彩花は沈痛な表情で言った。

「そういえば、古寺くん、最近大学来ていないのは、お母さんが認知症になったからかな」

 道重もつられて沈痛な面持ちになった。

「多分、そうじゃないかな。古寺くんが小学生の時に両親は離婚しているし、お母さんと二人暮らしのはずだよ」


 道重はアルバイトを終え、夜道を歩いていると、思いがけない出会いがあった。

「あれ?」

 古寺達也が鬼気迫る顔で歩いていた。雪がちらほら降っており、冷えこんでいるが、彼は家から飛び出したような薄着のファッションをしていた。

 なんだろうと小首を傾げながら帰路を進むと、次は呆然と立っている古寺良子がいた。

「古寺くんのお母さん、こんばんは」

 声をかけたが、彼女は一点を見つめたまま、道重の存在を認識していない。

(もしかして、徘徊しているお母さんを探して、古寺くんは家を飛び出した?)

 このまま一人にさせるのは危険と判断し、道重は良子に付き添い、古寺家に向かった。


「こんばんは」

 古寺家の玄関ドアを開け、挨拶をするが、返答はない。

「お邪魔します」

 道重は良子の腕を引っ張りながら、玄関に入った。

「どうしよう」

 達也の連絡先を知らないので、呼び出すことはできない。仕方なく、道重は良子と共にリビングに行く。

 良子を座らせ、家庭用電話機の受話器を持った。

 ディスプレイを操作し、調べてみると、電話帳機能に『古寺達也』の携帯電話と思われる登録番号があった。選択し、通話を試みる。

 プルルルルと呼び出し音は鳴るが、相手は出ることなく、そのまま留守番電話サービスに繋がった。

「もしもし。道重です。さきほどお母さんを発見したので、自宅まで一緒に戻りました」

 メッセージを残し、通話を切った。


「ごめんなさい。ありがとう」

 三時間後の深夜に達也は現れた。遠くから、消防と警察車両のサイレンが聞こえていた。

「遅かったね。何していたの?」

 道重は憤慨を抑えて言った。彼の長袖シャツの袖口は、朱色で汚れていた。

「本当にごめんなさい」

 彼は再度謝罪した。

「留守番に伝言を入れていたから、お母さんを探していたわけじゃないよね」

 道重は眉を顰めた。

「ごめんなさい」

「もう謝らなくてもいいよ。お母さんは私が保護したし、その安心感があるうえで、優先すべきことがあったのでしょう?」

「……」

 達也は沈黙した。

「最初は恋人と会っているのかと思ったけど、それなら、ここに連れてくればいいだけの話だよね。だから、私は、それとは違う想像をしていた」

「……」

「寒空の中、薄着で、母親を放置して優先すべきこと。それは、あたかも、仇をとる時のような行動……」

 道重は憂いを帯びた顔で言う。

「たとえば、自分の姉を騙した相手を見つけた時」

「ごめんなさい」


 ***


 **


 *


〈過去〉


「私が教会から退場する時、お母さんたちに盛大に祝ってほしいの」

 古寺美奈は目を輝かせた。

「どんな感じで?」

 良子が聞くと、

「こんな風に、フラワーシャワーしながら、ワッーって祝ってね」

 美奈は身振りを交えて言った。

「ええ。わかったわ。フラワーシャワーね」

 良子はそう答えたものの、疑問があった。

(フラワーシャワーって、何かしら? フラワーって、小麦粉のこと?)


〈了〉

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道重小夜の関わった事件を三つ紹介します。すべて冬の出来事です。 むらた(獅堂平) @murata55

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