お札
青空あかな
第1話
「お札って怖くないですか?」
その一言から取材は始まった。
地方都市のA駅から、徒歩十三分の場所にある狭いカフェ。
そこで、フリーのライターである私は、とある男と取材の約束を交わしていた。
男の名は佐藤大樹。
細長い黒目と常に笑っているような表情が特徴的で、薄っすら茶色に染めた髪がどことなく軽薄な印象の男だった。
名刺には知らない会社の係長と書いてある。
年の頃は三十代前後だろうか。
使いこまれた四角いカフェテーブルへ乗せたノートには記載せず、心の中のノートにメモる。
「私は別にお札を怖いと思ったことはありませんね」
今日は怪談話の取材だった。
いつも仕事を貰っている出版社より、ホラー系の記事を書いてくれ、と依頼があったのだ。
注文内容は、身近に起こった体験談。
普段、私はそういった記事を書かない。
幽霊や怨霊などが怖いわけではなく、単純に興味がないからだ。
どうせ書くなら、もっと世間的に価値のありそうな記事がいい。
断ろうかとも思ったが、今後の関係を考え渋々受けることにした。
だが、困った。
書けない。
未だかつて、心霊体験など一度もない。
しかし、ネタが無ければ記事が書けない。
しょうがないので、慣れないSNSで募集をかけたところ、佐藤からコンタクトがあった。
話を進めるうちに、偶然A駅の近くに住んでいるとのことで、一度会って話をすることになった。
まぁ。本当にたまたまかは謎だが……。
「一応言っておくと、お金の魔力だとか金の欲に飲み込まれるだとか、そういう話じゃないですよ。だって、記者さん……失礼、ライターさんでしたね、は怖い話を聞きにきたんでしょ? ネット記事に載せるとかで。そんなありきたりな話するわけないじゃないですか」
「だといいですが」
この取材は外れかな。
コーヒー代は二人合わせて千二百六十円。
謝礼代わりに、私が支払うことになっていた。
おまけに、佐藤はコーヒーより高いサンドイッチも頼んでいる。
確定申告には経費として申請できるが、あまり無駄な金は使いたくなかった。
金を払った挙句、大した話が聞けなかったらと思うと、憂鬱な気分になる。
私の暗い雰囲気を感じ取ったのか、佐藤は慌てて話し出した。
「ほ、本当に怖いんですからがっかりしないでくださいって。お札が怖いっていうのはね……だって、他人の顔が描いてあるんですよ?」
「……いや、お札なんだから当たり前じゃないですか」
この男は何を当たり前のことを言っているのだ。
お札……いわゆる日本銀行券には、昔から偉人の肖像が描かれている。
理由はいくつかあるが、主に偽造防止の仕組みだった。
人間の脳は、顔の判別に優れた性能を持つ。
故に、少しでも肖像に異変があれば、偽札だと判断できるわけだ。
理由については別として、お札に顔が描かれているなんて、それこそ幼稚園児でも知っているだろう。
「お待たせしました。ホットコーヒーでございます」
「ありがとうございま~す。ライターさん、めっちゃうまそうですよ」
会話が途切れた間に合わせて、ウェイターがコーヒーを持ってきた。
黒いポニーテールに薄化粧の女性。
やや口紅の赤が気になるが、佐藤よりずっと実直な雰囲気だ。
制服はベージュっぽいシャツに黒系のエプロン。
どうやら、スタッフはこの女性だけらしく、マスターは奥のテーブルでグラスを拭いていた。
グレー寄りの白髪に黒縁の太いメガネをつけていることが見え、顔に刻まれた皺が優し気だ。
店内に流れるBGMは一昔前の歌謡曲なこともあり、カフェの中は時代から取り残された空気が漂っている。
客も他にいないので、ゆったりと過ごせた。
この店を見つけたのが一番の収穫かもしれない。
そんなことを頭の片隅で考えていたら、佐藤の声で現実に戻ってきた。
「知らない人……まぁ、人によっては知り合いかもしれませんが、全然自分と繋がりがない人の顔写真を持ち歩いているって考えたら普通に怖くないですか?」
「はぁ……別に考えたこともないですね。それを言うなら、アイドルの写真をスマホの待ち受けにしている人だってたくさんいますよ。お札は顔写真って考え方は面白いと思いますが……」
面白い考え方というのは本心だ。
お札を顔写真と捉える人間に初めて出会った。
たしかに、そう考えると怖い一面があるかもしれない。
しかし、お札は顔写真ではない。
お札はお金だ。
そして、お金は物を買うための道具。
私はそのような認識が強い。
いや、他の人もほとんどがそう思っているんじゃないか。
納得できない様子でコーヒーを飲んでいると、佐藤はポケットをまさぐり出した。
「すみません……実際に見た方がいいですよね。お札が怖いというのは、こういうことですよ」
そう言って、佐藤は白い財布を取り出した。
たぶん皮製だ。
なぜなら、革財布によく見られるひび割れがあるからだ。
そう…………血のように赤いひび割れが。
「ほら、このお札を見てください。見たら絶対、震えあがりますから」
「え、あ、はい」
佐藤から見せられたのは千円札。
何の変哲もない、ただのお札だ。
ある一点、その顔に異変がある以外は。
「しゃ、写真を、撮って、もいい……でしょうか?」
「ええ、もちろんいいですよ。好きなだけ撮ってください」
テーブルに千円札を置かれる。
佐藤の顔は見えない。
私は震える手でスマホを取り出し、カメラを起動した。
お札を映すが、様子がおかしい。
枠が出ないのだ。
人の写真を撮るとき、いつも現れるはずの、ピントを合わせるあの四角い枠だ。
佐藤と会う前、試しに自分のお札で写真を撮ったときはちゃんと反応したのに……。
「ライターさん、固まっちゃってどうしたんですか?」
「あ、いや……」
突然、不気味な静寂に気が付いた。
いつの間にか、店内のBGMは止んでいる。
きっと、曲と曲の単なる間だ。
もう少しすれば、また別の曲が始まるはず。
そう思うのに、一向に曲は始まらない。
「五千円札と一万円札はもっとすごい顔になってますよ」
「あ……」
千円札の上に、五千円札と一万円札が滑るように置かれた。
佐藤の顔は見えない。
「お待たせしました。サンドイッチでございます」
「あっ! ありがとうございま~す。ライターさん、めっちゃうまそうですよ」
佐藤の顔は見えない。
お札 青空あかな @suosuo
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