第37話 涅槃に勝つために
★シアン・イルアス
シアンはユキアと共に、シャルマ達のいるキャンプへと戻った。
落ち着いた表情を取り戻したユキアを見て、二人はほっとしていた。なかなか戻ってこないシアン達を、かなり心配していたようだ。
その後、シアンとユキアは焼き魚を口にしつつ、ユキアが思い出した情報を共有した。
シャルマとムクドリは衝撃的な事実に息を呑みながらも、黙って話を聞いてくれた。
「――――ここまでが、ボクの思い出せた記憶だ。改めて、すまなかったな。君達にも、色々と不安を抱かせてしまった」
「いえ……そんな過去を突然思い出してしまったら、誰だって混乱しますよ」
項垂れるユキアに、シャルマがかぶりを振る。
「……ボクはかつて『民』に使われていて、人を殺していたこともあった。だがそれは、遥か過去の話だ。罪を忘れることなんてできないけど、ボクはもう全く別の存在なんだって証明するために、
「いいんじゃないかしら。私も協力者として、手伝えることがあれば手を貸すわ」
ムクドリも、すまし顔で頷く。
……ユキアが人を殺していたという事実にもう少し動揺するかとも思っていたが、シャルマもムクドリもそんな様子はない。シアンもシアンで、ほっと胸を撫で下ろす。
そんなシアンの心中を、シャルマは目敏く読み取ってくる。
「人殺しだった頃の記憶を取り戻したユキアさんが、例えば人殺しに肯定的になったり、命を軽く見るようになったりすれば、何も思わないではないですが……先ほどまでの悩み様を見る限り、そうではないのでしょう」
焚火に薪を追加しながら、シャルマは言う。
「記憶が戻ってからのユキアさんが別人のようになっているわけでもないですし、以前までのユキアさんなら、まだ短い付き合いですが悪い人ではないと理解しています。過去を知ったところで、距離を取ったりなんてしませんよ」
「そうか……助かる」
苦笑するユキア。人殺しであるシアンを受け入れたことといい、理性的な子供達だ。
「今はそれよりも、『
ムクドリが、人差し指を立てた。皆が口を引き結ぶ。
「もちろん、今まで『魅魁の民』を軽く見ていたつもりはないけど……予想より、スケールが段違いじゃない。かつて大陸自体を支配してたとか、今よりずっと優れた科学技術を有してたなんて」
「そう、だよな……。オレもガキの頃から聞かされてた話と全然違うから、マジでビビったぜ」
「それに」
シアンの同調に、ムクドリは更に言葉を被せてくる。
「神様が存在しないって……何? 私達は、神の使者であるエンディとセレネが産んだ子供達の末裔……そのはずだった。でも神様が始めからいないんだったら……エンディとセレネって、何者なの? 私達は……何の血を引いているの?」
ムクドリの疑問は、尤もだ。
ユキアが思い出した事実は、人類の歴史そのものを覆すものだ。
エクリプスでは、エンディとセレネの話は教わらなかった。その理由は、三千年前から生きている涅槃なら、本当の歴史を知っているから……なのだろうか。神など本当は存在しないから、わざわざ嘘の歴史を仲間達に教えなかったのだろうか。
神も使者も嘘ならば、自分達は何から生まれたというのか。エンディとセレネは不老だったとされているが、ならば二人もユキアと同じ人型ストレイなのだろうか。
「…………」
静寂が生まれる。ユキアの顔を、残る三人が見つめるが、答えはない。既に話した通り、まだ記憶が戻っていないのだ。
「……、現時点では、わかんねえよ。気にはなるけど……とりあえずこの話は、オレ達だけで共有しとこう。キィにもまだ、話さない方向で」
「あ……そういえば、二十一時になりましたね」
腕時計を見て、シャルマが声を上げる。
元々、シャルマとキィが連絡可能になる時間として約束されていた時刻だ。朝にキィ側からかけてきた時点で約束が生きているかは微妙だったが、昼間にこちらからかけても繋がらなかったのでこれに懸けるしかない。
シャルマがグスフォを耳から外し、音量を上げて折りたたみ椅子の上に置く。そして操作盤を弄り、キィとの通話を始める。
すると、「プルルル……」という高い音が鳴り始めた。相手側のグスフォに通知が行っている時に流れる音だ。どうやら、着信拒否状態ではなくなっているようだ。
『……はーい、こちら情報屋『トラの威を借るイタチ』のキィだよ』
相変わらずの気が抜けるような軽い口調で、キィの声が聞こえてくる。若干脱力しながら、無事通話が成功したことにほうと息を吐く。
「ようやく繋がったか。手間かけさせやがって」
『あ、その声はシアンお兄さん。ゴメンゴメン、こっちも忙しくてね。リウとの戦いに関しての報告ってことでいいかな?』
「ああ。こうして生きて連絡できてる時点で予想はできるだろうけど……」
『なんとか勝利して『小窓』を手に入れたもののリウは自決用ストレイで死亡、その後は商人達をイキシアの衛兵に預けてから町を出発、今はイキシア北西の森でキャンプ中って感じだよね』
「予想どころか全部知られてる!?」
報告を全て先取りされ、思わず目を剥く。
朝に連絡が来た時もそうだったが、キィはどうやってこちらの情報を得ているのだろう。リウがいるネモフィラに予め人を潜ませておくことはできないだろうし、仮に決着間際に来たのだとしてもその後誰にも気づかれずここまで追跡するなど不可能だ。
「……、実はシャルマがこっそりキィと連絡取ってたとか言わねえよな?」
「言いませんよ。そんなことして僕になんのメリットがあるんですか」
疑いの目を向けられ、シャルマが口を尖らせる。
『うん? 君達、アタシが情報をどうやって仕入れているのか気になるの?』
「当たり前だろ。一方的に見透かされてるみたいで居心地悪いんだよ」
『うーん、なるべく話さないようにはしてるんだけど、今後の予定を考えたら君達には教えちゃってもいいかな』
思いの外あっさりと、承諾の返答が来た。
直後、折りたたみ椅子に置いてあるシャルマのグスフォの上に、突然白い小動物が現れた。
「うおわっ!? ネズ……あ、イタチか」
「ネズミじゃないとわかった途端に落ち着くのもどうなんだ……。目の前にいきなり現れたんだぞ」
シアンのリアクションに、ユキアが呆れる。そうはいっても、ネズミ嫌いのシアンにとっては重要な違いなのだ。
ともあれ、椅子の上に現れたのは白い毛のイタチだった。
『アタシの持ってるストレイは、イタチの使い魔を大量に放つことができるんだよ。君達の前にいるのはその内の一匹。視覚や聴覚をアタシと共有できるから、今アタシには君達の顔がばっちり見えてるよ』
キィが操っているのか、イタチは二本脚で立ち手を振るように前足を動かしている。
それを見下ろして、ムクドリが腕を組む。
「じゃあ、私達が話していないことをキィさんが知ってたりしたのは、このイタチが近くで話を聞いてたからってこと……?」
『そういうこと。さっきまでみたいに霊体化させることもできるし、イタチが見た情報を後から遡って見ることもできるよ。アタシが忙しいのは本当だけど、君達に付かせたイタチの記録をついさっき吸い出したから、リウ戦の顛末を知れたってわけ』
「僕達は『カスタネクト』でワープしたりもしてましたけど、ワープ先まで追跡できるんですか? というか、キィさんが忙しいならその間イタチはどうやって動くんですか?」
『使い魔はある程度の知能もあって、アタシが操作しなくても自分で行動してくれるんだよ。君達がワープする時は、霊体化したまま君達にくっついて一緒にワープしてたみたいだね』
「頭いいなこのイタチ……って、ん?」
つまりこのイタチは、見えないだけでずっとシアン達と一緒にいたのだ。会話の内容なども、全て聞いていた。
「……じゃあ、通話直前にオレ達が話してた内容も、聞いてたのか?」
『ああ、三千年前に『魅魁の民』が世界を支配してたとかって奴? うん、それはアタシでも知らなかったからびっくりしたよ』
「マジかよ……」
キィには話さないつもりだったのに、それも全て筒抜けだった。
「なんつうか、お前の前じゃプライバシーとか何もねえのな」
『情報屋のアタシにはもってこいのストレイだよね』
「おい。少しは悪びれろよ出歯亀クソ女」
『その罵倒は聞き飽きたよ』
「聞き飽きるほど言われてんなら自嘲しろよ!」
『アタシだって、あんまりプライベートなことまではなるべく見ないようにしてるよ。でもイタチが勝手に覗いちゃったのが目に入る分にはしょうがないでしょ。アタシと協力したいなら多少の情報露出は覚悟してね』
「クソォ、オレ達の目的に必要不可欠な協力者がなんでこんな奴なんだ……」
キィに対しては、リウ戦前に情報や助言を貰えたことへの感謝の念もあった。あったのだが、なんか礼を言うのが嫌になってきた。
頭を抱えるシアンを無視して、キィは話を戻す。
『三千年前云々の話については、さっきも言ったけどアタシでも知らなかった。こっちでも探ってみようとは思うけど、情報を漏らすような真似はしないからそこは安心してね。アタシも情報屋の端くれだし、情報の取り扱いには気を遣ってるんだよ』
「プライバシーにももう少し気を遣ってほしいけどな……」
『というわけでこの話は一旦置いといて……君達の今後について話そうか』
シアンの願望はやっぱりスルーして、キィは声音を硬くする。
『リウは死んじゃったとはいえ、当初の目的だった『小窓』は手に入ってる。これでいつでも涅槃に特攻仕掛けることはできるわけだけど……当然、涅槃はリウよりもずっと強い。リウ一人に苦戦してた君達だけじゃ、相手にならない』
「うるせえな、わかってるよ」
元々シアンは、自分の技で涅槃を殺せるかもしれないという僅かな希望に懸けて無謀な戦いを挑むつもりだった。だがユキアはシアンに死んでほしくないと訴え、涅槃との戦いに加わることを宣言した。故にシアンは、自殺紛いの挑戦ではなく確実に涅槃を殺す道を模索し始めた。
だが、ずっと頭を悩ませてきた一番の問題が、戦力不足だ。シャルマとムクドリの目的はロシルバなので涅槃戦には参加させられないし、仮に二人が加わっても涅槃には届かない。だから、キィの協力が必要なのだ。
「……ムクドリ達の故郷が襲われた時、お前の仲間が数人の『民』を一瞬で殺したって聞いたぞ。そいつの力を借りれば、どうだ?」
『そうだね。シアンお兄さんもリウとの戦いで相当レベルアップしたみたいだし、彼が合わさればかなりの戦力にはなるよ。でも、まだ足りない』
確信を持った声音だった。キャンプの空気が張り詰める。
『このルサウェイ大陸にはね。アタシと繋がってる『民』敵対者がそれなりにいるんだよ。そいつらを集めて、一気に涅槃のいるところに飛んで、確実に仕留めるんだ。ワープ直後に涅槃から『小窓』を奪って停止させれば、他の『小窓』持ちが飛んでくるのも防げるし』
「……なるほど」
シアンやシャルマ達のように、『魅魁の民』の存在を知り敵対している者が他にもいるのは予想していた。そしてイタチの使い魔を広範囲に放てるキィなら、大陸中でそれらの人間を見つけるのも不可能ではない。
戦力不足は、解決できるのだ。
『可能なら、そのままエクリプスを攻め落とす。涅槃を倒せるほどの戦力なら、『小窓』も持ってない『民』達なんて物の数じゃないだろうしね。各地にいる『小窓』持ちの対処はその後かな』
「……ちょっと待って」
と、ムクドリが片手を上げた。
「シアンの話じゃ、ロシルバも普段エクリプスにいるのよね? 彼女も『小窓』を持っているんだから、そっちも押さえないと増援を防げないわよ」
『ああ……そういえば、ロシルバってエクリプスにいるんだっけ。となると戦力を分散させてロシルバにも同時に特攻することになるのかな……。まあ細かい部分を練るのは、全員集まってからにしようか』
「……そういや、どこに集まるんだ?」
『合流場所はもう決めてあるよ。大陸の中心にある都市『ルナビオン』。君達はまず、『小窓』を持ってそこまで来てもらう必要がある』
ルナビオン。行ったことはないが、大陸でも有数の大都市だ。
シアン達がいるのは大陸全体で見ると南東の端の方なので、大陸中心にあるルナビオンまではかなり距離がある。
『言うまでもないけど、もし他の『民』に『小窓』を奪い返されたら計画はご破算。責任重大だよ』
「……おう」
『小窓』を持っていれば、いつでも涅槃を攻撃できる。そんなものを奪われたのだから、『魅魁の民』達は血眼になって探し出そうとするだろう。
リウがシアン達と戦うことを、他の『民』に伝えていたかはわからない。だから今『小窓』を持っているのがシアンであることは、『民』に知られていない可能性もある。
だがもし知られたら。そして、居場所が見つかってしまったら。
リウのように団体行動を好まない『民』ばかりではないし、複数の『小窓』持ちに囲まれたりしたら、シアン達では勝てない。
ルナビオンに着くまで、命懸けで『小窓』を守り通さなくてはならないのだ。
『アタシは他の協力者達にも声をかけていくよ。そんなわけで君達は、『民』に見つからないようにルナビオンを目指してね。……検討を祈るよ』
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