第32話 『スパイク・スパイン』


★シアン・イルアス



 仰向けに倒れ込んだ、リウ・ディートウィーア。


 身体を動かすことは、全くできないようだ。吹きかけたユメミトカゲの体液の効果は、絶大だった。


 元々、敵を殺さずに無力化するために持ち歩いていたものだ。それなりに高価だが、一吹きで確実に意識を奪うことができる。


 無論、もしシアンの血液に混ぜて直接体内に流し込んだりできれば、もっと楽に使用できる。だがこの体液は効き目が強すぎ、量を間違えれば命まで奪いかねない。そのため、確実に生かして捕らえるには専用のスプレーで顔面に吹き付けるしかないのだ。


「ク……ハハ。いくらか小汚いガキだとは思ってたが、ここまで大汚い奴だったとはな」


「はあ、はあっ……大汚いなんて言葉ねえだろ。つか、まだ意識あんのかよ……」


 気配遮断を解き、爆発寸前だった肺に酸素を補充しながらシアンは吐き捨てる。


 存在感を消した状態での戦闘は、全身に鋼鉄をぶら下げているような疲労感を生んでいた。正直立っているのがやっとで、シアンもシアンで今にも眠ってしまいそうだった。


「だが、ユメミトカゲの体液ってのはいただけねえな……。こんなもん使っちまったら、一瞬で決着がついちまうじゃねえか……。戦いを愉しむ、暇もねえ……」


「生憎と、オレにはそういうイカレた嗜好はねえんでな。殺さずに無力化させられんなら、どんな手段でも使ってやるよ。さっさと眠っちまえ」


 よく見ると、リウの口に傷があった。完全に脱力する前に唇を噛み切って、痛みで無理やり意識を保っているらしい。


 それも、僅かな時間稼ぎにしかならないが。あと数十秒もしない内に、リウの意識は落ちるだろう。その後は『硬線衣ルーズアーマー』を奪い、全身を拘束して尋問を行う。上位の『民』である彼ならば、シアンの知り得ない情報も持っているだろう。最終的にはキィ辺りに引き渡すか。


「……リウ」


 ユキアが、歩み寄ってくる。


「意識があるのなら先に訊いておこう。貴様はさっき、『掃滅偶人カームドゥーム』という言葉を口にしたな。それは、ボクのような人型ストレイを差す名称で間違いないか?」


「……、」


 リウの濁った瞳がユキアに向けられる。無精髭の生えた口角が、笑みに歪む。


「ああ、そうだ……その様子じゃ、相変わらず昔の記憶は全くねえようだな」


「昔……?」


 ユキアが身を乗り出す。やはりリウは、人型ストレイについて重要な情報を持っているようだ。


 リウの笑みが、更に引き伸ばされた。


「……


「…………なに?」


 ユキアが眉をひそめる。


「それは、どういう……」


「その先は地獄で思い出せ。先に逝くぜ、涅槃おやじ――――『スパイク・スパイン』」


 リウが最後に唱えたのは、聞き慣れぬ単語。ストレイの名前か。


 その瞬間――リウの身体は内側から無数の針で貫かれた。


「っ!?」


 黒い、巨大なウニのようなものがリウの体内から現れた。内臓ごと、腹も頭部も手足も全てが串刺しになる。大量の血液が撒き散らされ、地面を赤く濡らす。


 一瞬にして、リウは絶命した。


 ――自決用のストレイ!?


 情報の漏れを制限するための措置か。だが、それだけではない。


「っ、ユキア――!!」


 リウの近くにいたユキアの身体にも、針が突き刺さっていた。


 心臓や頭はかろうじて避けていたが、腹や喉、手足が貫かれている。指先が微かに震えているので、即死はしていないようだ。


「クソッ……!」


 躊躇なく、ユキアの身体を針から引き抜く。傷口から大量の血が溢れるが、構わず地面に横たえ、不死鳥の炎を全身にぶちまける。


 シアンの蒼炎は、生物の傷を治せる。だが蘇生できるのは、あくまで自分自身が死んだときだけだ。他の死体をいくら炙っても、生き返ることはない。


 すなわち、傷が治る前に出血多量でショック死してしまったら終わりなのだ。


 ――間に合えよ……!!


 両手から、爆発のような勢いで炎を出す。リウとの戦闘で死亡を繰り返したため残量が減っているが、あと数回蘇生できるぐらいは残っている。ユキアの傷を癒すには十分だ。


「……っ」


 幸い、ユキアの顔色は徐々に良くなっていった。血管を含めた傷口も塞がり、呼吸も安定してくる。


「う…………」


 ゆっくりと、ユキアの瞼が開かれる。


 目の前に広がる空を見上げ、自分を見下ろすシアンに気付く。


「……シ、アン……」


「ユキア、大丈夫か!? 身体に違和感ねえか!?」


「…………あ、ああ。どうやら、また助けられたみたいだな。すまなかった……」


 ぼんやりとした表情のまま答えるユキアに、ほっと胸を撫で下ろす。


 ストレイの身体にも不死鳥の炎が効くのは確認済みだが、これだけの重傷を負った者を救うのは初めてだった。ぶっつけ本番だったが、うまくいって良かった。


 ユキアの傷を全て治したところで、改めてリウ……というか巨大なウニに引き裂かれた後の肉隗に目を向ける。


 リウを尋問することは、もうできなくなった。こちらで利用することも考えていた『硬線衣ルーズアーマー』も、針に貫かれてバラバラになってしまっている。服としての形を成していないので、ストレイの効果で修復するのも不可能だろう。


「クソ……ユメミトカゲの眠気に数十秒耐えやがったことも含めて、なんて野郎だ。自分ごと周囲の人間を殺すストレイなんか用意してやがったとはな」


「…………あれは、『スパイク・スパイン』という自殺用のストレイだ。拷問や空腹などで極限状態に陥っても、最低限の思考だけで発動できるようになっている。ユメミトカゲの体液で思考を乱されていたのに使えたのは、そのためだ」


「え……? ……なんだよ、あのストレイのこと、知ってたのか?」


「いや……今、思い出した」


 質問に答えるユキアは、心ここにあらずという感じだった。言葉自体はしっかりしているのに、まるで用意された文章を読んでいるかのように感情が見えない。


「お、おい……なんかぼーっとしてる感じだけど大丈夫か?」


「ああ……大丈夫だ」


 素直な返答が、逆に心配に思えた。明らかに、平常ではない。先ほど死にかけたことで何かしらの後遺症が残ってしまったのではないかと不安になる。


 だがここで、上擦った少年の声がグスフォから響いた。


『シアンさん!』


「あ、シャルマか……」


 グスフォから聞こえてくる息遣いは、だいぶ荒い。狙撃ポイントから、こちらに走ってきているようだ。


「お前も負傷してたんじゃなかったか? あんまり激しく動かねえ方がいいんじゃ……」


『そんなことより、あなたの炎は他人の怪我も回復できるんですよね!? なら早く、ムクドリの傷を治してください! 僕はその後でいいですから!』


「っ、そうだった!」


 ムクドリも、結構な深手を負っていたはずだ。『風束しづか』による肉体強化があるとはいえ、長時間放置するのはマズい。


「所持品は全部破壊されちまってるみたいだし、一先ずリウの死体はこのままでいいか。ムクドリの所に戻るぞ」


「あ……ああ!」


 ユキアの声に、いくらかの感情が戻る。仲間が傷ついていることを思い出して、意識がはっきりしてきたようだ。


 彼女のことも気になったが、今はムクドリの治療が先だ。


 ユキアと二人、ネモフィラの街を走り出した。

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