第31話 VSリウ③ 『消失した暗殺者』


★シアン・イルアス



『ねえ、シアンお兄さん。もしかしたら君は、その場から消えることができるんじゃない?』


『カスタネクト』の情報を提供してもらった後。キィはシアンに、そんなことを言ってきた。


「……? 敵の意識を逸らして隠れる技術のことか?」


『違う違う。違うけど、うーん、そのまま説明しちゃうのは良くないな』


「情報量でも取るのかよ」


『取らないよ。アタシとしてはお兄さん達には生き残ってほしいから、これは商売じゃなくて投資。ただ、一から十までアタシから伝えたら意味がない……こともないけど、効果が薄れちゃうと思うんだよね』


「言わんとしてることが全然わかんねえぞ」


『君自身が自分で気づくのが大切ってことだよ。他人からおんぶにだっこで掴まされた力なんて、不確かで脆いものだからね。だけどもし君が自力でその域にまでたどり着けたら……君は地上で活動する『魅魁みかいの民』とも、単独で戦えるようになるかもしれない』





 乱れていた思考が、澄んでいく。


 眠っていた神経が目覚めていく。胸に開いた穴が塞がっていく。溢れ続けていた血液が血管を流れ始める。


 ――オレ今、何回、死んだ……?


 心臓を貫かれ、蘇生を止められ、不死鳥の力をかなり消費させられた。生き返れるのは、あと精々三回か四回ほどか。身体を休めれば回復するが、それを許すリウではない。


 もしまた先ほどのように心臓を串刺しにされたら、その時こそ本当に死んでしまう。今も、槍から解放されるのがあと一分でも遅かったら終わっていた。


 ――助かったぜ、ムクドリ……。


 仲間の活躍に心から感謝するが、同時に恐怖も戻ってくる。


 ムクドリは生きていたし、シアンも蘇生に成功した。だが、状況は今もって絶望的だ。


 やはり、リウは化け物だ。四人で戦っても、返り討ちに遭ってしまった。更に今はシャルマも負傷し、ユキアは全身を縛られている。


 このまま先ほどまでと同じように戦っても、敗北は目に見えている。


 敗北……すなわち、シアンと仲間の死亡。


 ――それだけは……絶対に容認できねえ。


 死なせない。もう、シアンは誰の命も背負えない。自分が死んでも構わないと思っていた頃のシアンも、既にいない。


 勝って全員生き残る以外の選択肢など、ない。


 ――だからオレには、今リウを倒せるだけの力がいる……!


 ようやく、蘇生が完了しつつある。その時、近くで苦し気な悲鳴が聞こえた。


 首を捻って見上げると、身体の各部から血を流すムクドリが見えた。太腿と脇腹には、細いワイヤーの槍も突き刺さっている。


 そして彼女の心臓に、更なるワイヤーの槍が向けられる。数秒後の惨劇が、脳裏に浮かんでしまう。


「――――――――」


 引き伸ばされた時間の中、思考を巡らせる。


 身体は既にほぼ回復している。だが飛び起きてムクドリをかばおうとしても、間に合わない。リウの虚を突くような何かがない限り、攻撃が止まることもないだろう。


 今この瞬間にできる、敵の虚を突く、何か……。


 ――もしかしたら君は、その場から消えることができるんじゃない?


 キィの言葉が、一つの選択肢へと導いた。たどり着いたその瞬間、シアンは実行した。


「――――っ!?」


 リウの動きが止まる。トドメを刺そうとしたムクドリではなく、シアンへと向き直る。


 同時にシアンは飛び起きて、ムクドリとは逆方向に走り出す。リウはすぐに視線で追うが、困惑するように顔を歪めた。


「な……なんだ……!?」


 リウの視線は、走るシアンを捉えられなかった。捉えようとしても、まるで雲を掴もうとしているかのように、




 今、シアンの存在感は完璧に消失していた。




 姿が消えたわけではない。だが、シアンから発生する音も気配も全てが感じられない。誰もいない場所で、背景だけが動いているかのように感じられてしまう。


 物体があるから、人は対象に意識を集中できる。目で見て、場所を把握し、敵意を向けることができる。だが、物体として認識することができなければ、意識は集中することなく分散してしまう。


「――――」


「うっ!?」


 シアンから音もなく伸ばされる、血の刃。気配も敵意もないその攻撃を、リウはかろうじて躱した。


 動きに余裕などない。本気で身の危険を感じ、全力で回避行動を取った。そうしないと、避けられなかったのだ。


「てめえ、その力は……!?」


「――――」


 シアンは答えない。音など発さない。ただただ無音で動き、リウへ攻撃する隙を伺う。


 ……気配遮断。いつも身を隠す時に行う技術。それをシアンは今、完璧に使用した状態で戦っていた。


 こんなこと、今までできなかった。姿を現していながら消えたように見せるほど存在感を消すなど、不可能だと思っていた。


 殻を破ることができた理由の一つは、仲間の死を絶対に阻止したいという強い思い。キィによる助言も、必要なきっかけだった。


 加えて大きな要因は、シアン自身の命の危機だ。シアンは普段、不死身であるが故に捨て身で戦う癖がついている。それが実は、隠密技術の枷になっていた。


 だが繰り返し死に命のストックがなくなった極限状態に陥ったことで、無意識に作っていたリミッターが外れたのである。


「――――」


「チッ!」


 血液の斬撃を躱すため、リウは地面に突き刺していたワイヤーを切り離した。地中を通してユキアに取りついていたものだ。


 ユキアを地面に押さえつけていた拘束は解けたが、全身に絡みついたワイヤーは健在だ。このままでは這うことしかできない。今は無視して、リウへの攻撃を続ける。


 ――勢いで成功しちまったが、この状態もいつまで続くかわかんねえぞ……!


 リウを追いながら、シアンは内心焦りを押さえていた。


 今シアンは、身体の各部全ての音と気配を殺して行動している。呼吸などほとんどできず、消費される集中力も規格外だ。蘇生の繰り返しで精神力も消耗していたし、少しでも気を抜いたら気を失ってしまいそうだった。


 限界が来る前に、リウを仕留めないといけない。


 ……だが。


「っはは……いいじゃねえか汚いじゃねえか……! やればできるじゃねえかよてめえ!」


 リウは、心底楽しそうに迎え撃ってくる。


「狙撃手のガキがいる場所は把握してる。奴の射線を通すようなヘマはしねえ。着物のガキは十分深手を負わせたし、すぐには動けねえ。この状況で、てめえはまだ足掻いてくれるんだな!」


「――――」


 血の刃の連撃を躱しながら、リウもワイヤーを操って反撃してくる。建物の陰から絡みつこうとしてくる。束ねたワイヤーが蛇のように食らいついてくる。


 それらの狙いは、かなり不確かだ。リウにはシアンの姿を捉えきれないので、一つ一つの攻撃は大きく外れてしまう。


 しかし、数が多い。あらゆる角度から、いくつもの攻撃が連続して繰り出される。中にはシアンの身体を掠めるものもあった。


「ははははは……! それでこそ『魅魁の民』だ! エクリプスを出ていこうが、てめえの中には俺達と同じように涅槃おやじの血が流れてる! 戦わずにはいられねえ、修羅のさきがけに魅入られずにはいられねえんだ!」


 ――誰がだよ……! オレは、お前らとは違う……殺し合いを愉しむ心も、技を見せつけて悦に入る変態性もねえんだよ!


 ワイヤーを避けながら、こちらも血液を鞭のように振るう。だが、当たらない。リウもまた、シアンの攻撃に対応してきている。


「――――!」


 四方八方……どころではなく、全ての方向から、攻撃が来る。


 ワイヤーだけではない。トラップを遠隔操作して放った銃弾や矢も、囲い込むようにシアンを襲ってくる。


 一体どれほどのワイヤーを、同時に操作しているのか。目や脳が多数あるのではないかと錯覚するほどの、超人的な技。


 ――これが……リウの殺人技術の真骨頂……!


 圧倒的な空間把握能力。それこそが、リウを『魅魁の民』のトップにまで押し上げた要因。


 気配遮断を維持しながら、死に物狂いで連撃を躱す。狙いがブレていても、数の力により逃げ場がなくなる。いくつもの攻撃が身体を掠り、鮮血が舞う。


 ――チクショウ……これでも、勝てねえのかよ……!





★ユキア・シャーレイ


「く……っ」


 全身をワイヤーに縛られ、ミノムシのようになっているユキアは、力いっぱい身体を捻じって地面を這っていた。


 リウとシアンが戦っている方向にではない。傷を押さえて蹲るムクドリへと近づく。


「ムクドリ! 大丈夫か!?」


「っ、んく……」


 太腿と脇腹に刺さったワイヤーの束は、リウから切り離され傷口から垂れ下がっている。他の傷も合わせてかなりの深手だが、『風束しづか』の身体強化のお陰で致命傷にはなっていないようだ。


「ユ、キア……」


「怪我人に鞭打つようで悪いが、あと少しだけ動けるか!? 君の刀で、ボクを縛ってるワイヤーを斬ってほしい!」


 酷い事を言っている自覚はあるが、事態は一刻を争う。


 シアンが新たに会得したらしき力は、凄まじいものだ。あのリウと、正面から一人で戦えるほどに。


 だが、まだ足りない。本気になったリウには、及んでいない。シアンにはまだ、助力が必要なのだ。


 ――だったら……ボクが立ち上がらなくてどうする……!


「……まったく、人使い荒いわね……」


 ムクドリはふらつきながらも立ち上がり、刀の柄を握りしめた。


「キン」という納刀の音。直後、ユキアを縛るワイヤーの大半がばらりと切れ落ちた。肌に直接触れていない部分を狙って斬撃を放ったらしい。


 技を出したことで力を使い切ったのか、ムクドリは再び座り込んだ。飛び起きて身体を支えようとしたが、手のひらを向けて制止された。


「行きなさい……私は、大丈夫だから」


「……、すまない、助かった」


 短く礼を言い、リウとシアンが戦っている戦場へと走り出す。


 自分も戦いに参加しようと踏み出して……しかし、足が止まってしまった。


 ――これは……。


 それはまるで、戦争の真っただ中のよう。


 ワイヤーの鞭、槍、蛇、トラップの遠隔操作により飛来する矢と銃弾。夥しい数の攻撃が飛び交う中を、シアンは必死に駆け回っていた。時折血の刃でリウを攻撃するが、ギリギリで躱されている。


 そんなシアンの姿を、ユキアもはっきりと認識できない。おおまかな居場所はなんとなくわかるが、具体的にどこにいるのかが把握できない。


 立ち位置すらわからずに、連携を取るのは難しい。そして本気になったリウの攻撃はあまりにも激しく、闇雲に立ち入ってもあっさり拘束されてしまいそうだ。


 ……だからといって、ここで立ち止まっているなど論外だ。


 グスフォに手を添え、小声で囁く。


「……シャルマ。まださっきの建物にいる?」





★シアン・イルアス


 苦しい。


 頭が割れそうだ。全身が悲鳴を上げている。


 呼吸もできず、全力の気配遮断を維持した状態で、シアンは走り続けていた。


 腕や脚には、浅い傷がいくつも穿たれている。身体と精神が、疲労に埋め尽くされているみたいだ。


 今リウの攻撃を躱せているのは、気配遮断で狙いが逸れているからだ。一度でも今の状態を解除してしまえば、全方向からの攻撃に晒されシアンは間違いなく殺される。とっくに限界を迎えている極限状態でも、止まることは許されない。


 ――あと何秒、戦える……?


 回避の合間にリウへ血の刃を伸ばすが、当たらない。気配も敵意もない攻撃だが、リウほどの空間把握能力があればかろうじて躱せるようだ。


 ――このまま戦い続けて、勝機はあんのか……?


 いつかリウが回避に失敗して、シアンの攻撃が届く時が来るかもしれない。だがそれはいつだろうか。その前にこちらが力尽きる可能性の方が、圧倒的に高いのではないか。


 痛い。苦しい。大半の痛みを克服したシアンにも、はっきりと感じる。それほどの苦痛と疲労が、全身を襲っている。


 ――誰、か…………。


 その時、遠くで甲高い音が弾けた。


 百メートルほど離れた場所にあるビルの窓ガラスが、大量に割れたのだ。先ほどシャルマがいた建物の近くなので、おそらく彼が散弾銃をビルに向けて撃ったのだろう。


 シアンとリウの意識がビルへと向いた、その瞬間――――リウに背後から何かが直撃した。


「――ぐぅっ!?」


 ユキアだ。砲弾のような勢いで飛来し、飛び蹴りを叩き込んだのだ。


 さすがと言うべきか、リウは寸前で防御していた。束ねたワイヤーを盾にして、ユキアを受け止めていた。


 だが、ストレイの脚力を完全に防ぐことはできない。衝撃はリウにまで届き、僅かに動きが止まってしまう。


 明確な、隙が生じた。


「今だ、シアン!!」


「――――」


 ――おおおおおおおおおぉぉぉおお……!!


 最後の力を振り絞り、地を蹴る。血液を触手のように体外に出しつつ、背後からリウに接近する。


「っ――――」


 遅れてリウの視線がシアンの方へと向くが、姿を捉えることはできない。


 シアンの血液は空中で枝分かれし、六本の細い槍へと変化し―――




 ――――リウの四肢と背中、首へと突き立てられた。




「があぁあっ!?」


 赤い槍は、体内で蠢き神経を斬り裂く。血を吐き、だみ声を上げるリウの動きが止まる。


 重傷だが、シアンの炎なら死亡する前に治せる。今はまず、動きが止まったリウから意識を奪う。


 懐から取り出したのは、小さな小瓶。上部がスプレーになっており、それをリウの顔面に吹きかけた。


「っ…………こ……れ、は……」


 ガクンと、リウの身体から力が抜ける。


「はっ……はあっ……ユメミトカゲっつうキメラの体液だ。強制的に身体を眠らせる劇薬だぜ」


「……っ」


 リウの顔が大きく歪む。まとったワイヤーを操作しようとするが、思考が大きく鈍っているため僅かに震えるだけに留まる。


 ふらつくリウのズボンのポケットに、硬い膨らみを見つけた。血の刃で布を裂くと、中から折りたたまれた手鏡のようなものが出てくる。


碧楽へきらく繋ぐ小窓』だ。固体化させた血液で掴み、手元に引き寄せた。即座に機能を停止させる。


「ク、ソ……ッ」


 足からも力が抜け、リウの身体は地面へと倒れ込んだ――――。

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