第24話 鍛錬と休息


★シアン・イルアス



 昼食後、シアンはムクドリに連れられて二人で宿を出た。


 ムクドリに誘導されるまま、サンセマムの外壁がある方へと歩いていく。大きな通りから離れていくことで、周囲を歩く人の数がどんどん減っていった。


「お、おい……どこに行くんだよ?」


「人の少なそうなところよ」


「……え、なんで?」


「ちょっと相手してほしくて」


 変わらない素っ気なさで、前を歩きながら返してくるムクドリ。腰には今も、『疾刀しっとう風束しづか』がある。


「ああ、変な意味じゃないからやらしい期待とかしないでね」


「しねえよ。しねえけど、会って間もない男を人のいない場所に連れ出すお前もどうなんだ」


「大丈夫よ。仮にあなたが不埒な感情を抱いて私に迫ったとしても、シャルマが飛んできて守ってくれるもの」


「たしかにあいつ、幼女の危険を本能で察知するぐらいはできそうだな……」


 どこまで本気かわからないが、ある程度の信用は得られているのだろうか。


 白い外壁までたどり着いたところで、ムクドリは立ち止まった。


「この辺りでいいかしら」


 そこは、家屋が建ち並ぶ中に生じた小さな広場だった。通りの形と外壁の位置の問題で、ここだけ家を建てられなかったようだ。外壁に面した、何もない空間だ。


 ムクドリは広場の真ん中に立ち、シアンの方を振り返った。


「シアン。あなたの足運びは、『民』の一部が習得する技なのよね? じゃあ、リウやロシルバも使うの?」


 足運び。『魅魁みかいの民』の中で学んだ、敵の認識から逃れる独特の技術だ。初めてムクドリと会った時にも、少しだけ見せた。


「リウは派閥が違うから使わねえけど、ロシルバは使ってたはずだぜ」


「そう。じゃあ話は決まりね。あなたの足運びを、改めて私に見せて」


『風束』の柄に手を添え、鋭い視線を向けてくる。先ほどスイーツを食べていた時とはまるで目付きが違った。


「私は、慣れておく必要がある。この流派の技を、『民』に届かせるために」


「……なるほど、たしかに必要な修行だな」


「ま、もしリウもロシルバも同じ足運びをしない場合でもこの鍛錬はするつもりだったけどね。あなたの動きを見るのは、間違いなく私の能力向上に繋がるもの」


「はっ、相変わらずすげえ向上心だ」


 苦笑するが、ムクドリの表情は緩まない。


 息を吐き、こちらも上体を低くして構える。ムクドリの向上意識は、決して過剰ではない。『魅魁の民』の化け物達と戦うなら、むしろ妥当な思考だ。


「いいぜ、付き合ってやるよ。お前が強くなってくれた方が、オレとしても助かるからな」





 二時間ほど、ムクドリの鍛錬に付き合った。


 お互い、直に攻撃はしない。シアンは血の刃を手のひらから突き出し、ムクドリは刀の柄を握った状態で、攻撃のフェイントを繰り返すだけだ。シアンは斬られてもいいと言ったのだが、ムクドリが遠慮したのだ。


「ふう……今日はこれくらいにしておくわ」


 ムクドリはそう言って、広場の外へと歩き出す。「今日は」ということは、明日以降もやるつもりのようだ。シアンとしても、断る理由はない。


 二人は通りへ移動し、見つけたベンチに腰を下ろした。


「本当に不思議な動きね。右に行ったかと思ったら左にいて、近づいたかと思ったら遠ざかってて。翻弄されている感覚が常にあって、すごくやりづらかったわ」


「そういう技だからな。でも本当に刀使わなくてよかったのか? 直接攻撃した方がより実践的な訓練になるだろ?」


「なにあなた斬られたいの? マゾなの?」


「ちげえよ! 純粋な親切心を性癖扱いすんなよ!」


 身近にシャルマという変わり者がいる所為で、人への見方が屈折しているのではと心配してしまう。


 だがムクドリは少し言いづらそうにトーンを落とした。


「そうは言っても、『痛いのが平気』って常人からしてみるとかなり異質なのよ。シャルマじゃないけど、あなたも自分の特異性を自覚した方がいいと思うわ」


「うぐ……」


 割と真面目な口調で諭されてしまった。確かにシアンの悪い癖が出ていた。昔から痛みに慣れすぎている所為で、ついそれを当たり前に思ってしまう。


「……それも、『民』の中で育ったが故なのよね。ねえ、奴らの隠れ家ってどんなところなの?」


「ん、ああ。隠れ家っつうか、町だけどな。地下にあるとはいえ、すげえ広いし」


 二年前まで暮らしていた場所を思い出す。良い思い出などほとんどない、息苦しい町だった。


「一応、『エクリプス』っつう町の名前もあるんだぜ。当然、『民』以外には知られてねえけど」


「『民』って、百人ぐらいの集団なんでしょ? そんなに広い町なの?」


「ああ。天井も高いし、住居以外にも施設が豊富にあったぜ。トレーニング場とか、模擬戦場とかな。あいつら、技を鍛えたりそれを見せつけるのが大好きだから」


「人をするは修羅のさきがけ」。『魅魁の民』の理念だ。極められた戦闘や殺人の技術こそが、最も人を魅了するという歪んだ価値観である。


「技を鍛えること自体は私も肯定するけど、人殺しを素晴らしいこととして扱うのは理解に苦しむわね」


 ムクドリは膝の上に置いた『疾刀・風束』を撫でる。


閃風流せんふうりゅうの技も、人を殺せる力よ。でもだからこそ、刀を振るう重さは常に意識してるわ。斬るべきなのは人を襲う獣や私利私欲に生きる悪人であり、流派の使い手が欲のために技を利用してはならない……それが、閃風流の教えだから」


「力は欲に繋がりやすいからな……。技術だけ高めた悪人がひしめいてる大陸の現状を考えると、そういう教えも必要だってわかるな」


 ムクドリが閃風流を大切にする理由が少しわかった気がする。ただ両親の遺志を継いだだけというわけでもないようだ。


「さすが、ただ力を求める『民』とは大違いだ」


「ええ、立派な強い意思と膨大な研鑽の上に成り立っている流派なのよ――庭園堂のミルフィーユの層の数と同じようにね!」


「わざわざ喩えてもらって悪いけど、全然わかんねえ……」


 甘党の間では有名なのかもしれないが、スイーツに詳しくないシアンには全く伝わらなかった。ムクドリもムクドリで、知識や嗜好の偏りを自覚した方がいいかもしれない。


「私はべつにスイーツ好きなんかじゃないからね!?」


「そんなこと一言も言ってねえけど」


 何を察したのか顔を赤くして叫ぶムクドリに冷静に返す。


 ムクドリは咳払いをして誤魔化すと、真面目な表情に戻った。


「話を戻すけど……エクリプスって地下にある町なのよね? 隠れ潜んでるってことは、太陽の光とか全く入ってこないの? 暗いの?」


「照明器具が十分備わってるから生活には困らねえけど、地上と比べたら確かに暗いな。初めて地上に出た時は、太陽の眩しさにビビったのを覚えてるぜ」


「明るくて感動する、とかじゃなくて驚きが勝っちゃうのね」


「むしろちょっと怖かったぜ。こんな強力な光が絶え間なく降り注いでるなんて、想像もしてなかったからな」


 手で庇を作り、明るい空を見上げる。


 今ではもう慣れたが、『魅魁の民』から逃げ出してからはしばらく落ち着かなかった。昼間は世界の明るさの所為で満足に休息が取れなかったほどだ。まあ、当時は眠れてもすぐ悪夢にうなされるので結局回復量は乏しかったのだが。


「ワープストレイを持ってる上位の『民』達なら、基本的に地上で行動してるからいちいち太陽に驚いたりはしねえだろうけどな」


「確かに、リウはほとんど地上で活動してるみたいだしね。あなたが倒そうとしてる『涅槃ネハン』っていう人もそうなの?」


「どうだろうな……長については、会ったことねえから全くわかんねえ」


「長なのに、他の『民』と顔を合わせることないの?」


「ああ。エクリプスの中には長が住む城があって、絶対にそこから出て来ねえんだ。城には上位の『民』しか入れねえし、中がどうなってるのかもわかんねえ。リウからワープストレイを奪ったら、初めてそこに乗り込むことになるな」


 長と戦う流れについても、一人で立ち向かおうとしていた時とは状況が変わっているので、リウを捕らえることに成功したら改めて作戦を練り直すことになるかもしれない。そのためにもキィの協力がほしいところだ。


「いずれにしても、まずはリウを倒さないことには始まらないわね」


「キィと手を組めたら、それもやり易くなるかもしれねえしな……とりあえずは明日の夜の通話が勝負だな」


 キィと接触できる時間が決まっている以上、焦っても仕方がない。軽く伸びをして、腰を浮かせる。


「そろそろ、ユキア達と合流するか」


 シアン達が鍛錬をすることは、シャルマのグスフォにムクドリから連絡を入れて伝えている。彼らはリウの行方について訊き込みを行っているらしい。こちらも休んでばかりはいられない。


「あ、ちょっと待って。おやつの時間過ぎてた」


 そう言って、ムクドリは懐から板チョコを取り出した。封を開け、先ほどにも見た小瓶から蜂蜜をかける。更にスティック型の容器をどこからか出し、中身を板チョコに振りかける。砂糖のようだ。


「…………」


 鍛錬中も、ずっと懐に入れていたらしい。まさかとは思うが、先ほどユキアと戦っていた時にもずっと持ち歩いていたのだろうか。


 シアンがちょっと引き気味で見つめる先では、甘味の凶器と化した物体にムクドリがかぶりついている。明らかに頬が緩んでいた。


 ものの数秒で食べきると、ほうと息を吐く。そして顔を上げたところで、シアンと目が合った。


「――べつに甘い物なんて好きじゃないんだからね!」


「だから何も言ってねえよ!」


 どう考えても無理があるが、そこだけは譲れないらしい。


 鍛錬による疲労とは別の疲れを感じながら、ムクドリと二人サンセマムの町を歩く。


 ――そういえば。


 エクリプスについて話していたことで、ふと思い出した。


 ルサウェイ大陸の、どこに行っても語られている伝承。人類の歴史について。


 二百年前、神様の使者であるエンディとセレネが地上に現れた。二人が愛し合い生まれたのが、今の人類の始まり。二人の使者は、全人類の祖である。


 


 エクリプスでは、エンディもセレネも、神様の存在すら、語られたことはなかったのだ。


 ――ま、『民』のほとんどは地上に出ることすらねえし、わざわざ人類の歴史を教え込む必要もねえんだろうけど。


 深く考えることもなく、シアンは思い出すのをやめる。


 その裏に潜む真実を、想像することもなく。

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