第14話 ユキアVSシアン


★ユキア・シャーレイ



 ――消えた……!?


 一瞬前まで視界に捉えていたはずのシアンの姿が、消え失せた。


 近くには、いくつかの巨大な岩塊がある。そのいずれかの裏に隠れたのか。彼の独特の足運びなら、この至近距離でもユキアの意識外に逃れられるようだ。


 シアンが、サンセマムへと向かうユキアを止めようとしているのは間違いない。そのためにまず身を隠すというのは予想外だったが。つくづく、人の意識から外れるのを好む男だ。


 ――まあいい。どうせ人間の足じゃ、ボクには追い付けない。


 シアンの思惑はわからないが、ユキアはこの場を離れてさえしまえば確実に逃げ切れる。そしてストレイの身体能力ならば、長距離跳躍も容易い。


 地面を蹴る。目指すは近くの岩塊の上。数十メートルの高さがある高台へと、軽々と飛び乗り――――


「――――っ!?」


 ガクンッと、ユキアの身体が空中で止まる。右足首に違和感。血液でできた足輪みたいなものが岩陰から伸び、足に括りつけられていた。


 跳躍の勢いが死に、バランスを崩して腹から地面に倒れ込む。痛みはないが、肺が圧迫され若干の息苦しさを覚える。


「く……っ!」


 だが、ここで動きを止めるのはマズい。足輪を引きちぎり、シアンの接近を阻止するべく回し蹴りを繰り出しながら飛び起きる。


 間髪入れず、先ほど血液が伸びてきていた岩の後ろへと回り込んだ。


 ――いない!?


 岩に背中を向け、周囲に視線を巡らせる。青髪の少年の姿はない。


 巨大な岩が乱立しているため、シアンが隠れる場所はいくつもある。だが、どこにいるかが全く掴めない。完璧に音と気配を消しているのか、ユキアの耳でも捉えられない。


 ――ウサギの聴覚でも見つからないって、隠密能力高すぎないか……!?


 正直、シアンの技術を舐めていた。その気になればストレイの身体能力でどうにでもなると思っていたが、慢心もいいところだった。


 どうにかして岩塊の上まで上がりたいが、また転倒させられる可能性が高い。せめてシアンの居場所に当たりが付けられるまでは、うかつな行動はできなかった。


「…………」


 常に、周囲に目を走らせる。両耳を駆使し、動く者がいればすぐに把握できるようにする。


 落ち着け、と自分に言い聞かせる。この戦いは、ユキア側が圧倒的に有利だ。


 シアンの武器は、血液を硬化させる『紅滴腫こうてきしゅ』のみ。それでは、ユキアの身体に傷を付けることはできない。何らかの方法で拘束されたとしても、ストレイの腕力があれば力尽くで抜けられる。


 結局シアンに、ユキアを完全に止める方法などないのだ。


「……………………」


 ……それにしても、動きがない。


 動けないまま、時間だけが経過していく。風の音と、自分の心臓の鼓動だけがひたすら聞こえ続ける。


 これだけの時間、気配を完全に消し続けることは可能なのだろうか。本当にシアンが近くに隠れているのか、不安になってくる。


 ――いや……気を抜くな。そうやって集中が途切れるのを、シアンは待っているはずだ。


 意識を張り詰めさせておくのが、段々辛くなってくる。だがそれは、隠れているシアンも同じだろう。


 ならば、こちらが集中力を乱してやればいい。


「――――ふっ!」


 渾身の力で、背にした岩塊を殴りつける。轟音が鳴り、岩に大きな亀裂が走った。


 長い沈黙の中、突然の衝撃音だ。誰だろうと、驚きを完全に隠すのは不可能だ。


「…………」


 だが、そばだてた耳には誰の物音も届かなかった。


 変わらない静寂。全くの無反応。まるで癇癪を起こしたみたいで、居心地の悪さを感じてしまう。


 ――ほ、本当に誰もいないってこと、ないよね……?


 打ち消そうとしても、不安はどんどん強まっていった。


 集中の維持は、いよいよ限界が近づいていた。いるなら早く見つかってほしいと、気持ちが焦ってくる。


 心臓の音が、妙に大きく聞こえる。鎮めようと思っても、抑えることなどできない。


「――――!」


 その時、視界の端に灰色の服がチラついた。

 見慣れた色なので、すぐにわかった。シアンが着ているコートだ。


「そこか!」


 食いつくように向き直り――直後に動きが止まる。


 岩塊の向こうで閃いていたのは、脱ぎ捨てられたコートだけだった。風に乗り、空中を舞っている。意識を誘導されたと気づいた時には、もう遅い。


「――――」


 ユキアの細い首が、背後から鷲掴まれた。勢いよく地面に叩きつけられる。後頭部を強打しても痛みはないが、物理的に呼吸が止められ思考に隙ができた。


 強襲者はユキアの喉に体重を預けたまま、細長い物体を顔面に突き付けてきた。


「動くな」


 短く告げられる命令。シアンのものであることはすぐわかったが、冷たく感情の無い声だった。


「……っ」


 身体が、動かせなくなった。無感情な声にゾクリとしたのもあるが、突き付けられたものが何かわかったからだ。


 キラーキラービーの女王蜂の、毒針だった。全ては売却せず、一本だけ残していたらしい。それが今、ユキアの左目すれすれの位置で止められていた。


「あのコートは、最初に隠れた時に岩の向こうに投げ捨てといたんだ。この辺りは風の通りがいいし、しばらくすりゃ流されて姿を現してくれると思った」


「……っ」


 発せられた声も、組み伏せたユキアを見下ろす顔も、今までのシアンとは違う。まるで機械のように、無機質に思えた。


「オレのリアクション狙いで音立てんのも、想定の内だ。膠着状態が続けば似たような行動取る奴は多いしな。いずれにしても、オレには通用しねえ」


「……、大した隠密技術だな。だがその毒針、本当に振り下ろせるのか? 君は誰も死なせたくない臆病者だったはずだが」


「死なせたくねえのは事実だけどな、この毒針は精々お前の目から光を奪うだけなんだろ? だったら躊躇う理由はねえな。――指先一つでも妙な動きしやがったら、お前の左目を潰す」


「っ……」


 ゾッとした。心臓に氷でできた指を押し当てられたかのように感じた。


 冷え切った声は、真っ青な瞳は、無色の表情は、ユキアの心を凍り付かせた。従うべきだと、本能的に思い知らされた。


 身体から、力を抜く。降参の意味合いだったが、シアンの拘束は解かれない。


 この戦いで重要なのは、ユキアが『民』の情報を他人に明かすという方針を変えるかどうかだ。形だけの降参など意味はない。


「……ユキア」


 シアンの声に、感情が戻った。喉を掴む指も毒針を持つ手も揺るがなかったが、表情に人間的な温度が感じられるようになっていた。


「オレはな。『民』に属してた時に、十三人の人間を殺したんだ。一時的に地上に連れて来られた時は小さな村に住んでた奴らを殺したし、たまに地上から拉致された一般人と戦わされたこともあった。みんな、何の罪もねえ奴らばっかりだったよ」


「……?」


 唐突な告白に眉をひそめる。

 シアンは静かに、自分の過去を吐き出し続けた。


「オレが殺した人間達はな。夢の中で、オレの手足を引っ張ってくるんだ。『こっちは暗いぞ、こっちは寒いぞ』って。『いつまで光のある場所にいるつもりだ、はやくお前も堕ちてこい』って。毎晩毎晩、何度も何度も、ひっきりなしに。十歳の頃、初めて殺人を犯した日からずっとな」


「――――」


「五年経って、『民』から逃げ出した後も悪夢は続いた。オレは何度も過去を忘れて穏やかに暮らそうと考えたけど、夢の中の奴らがそれを許してくれないんだ。人殺しに平穏なんて訪れちゃいけないんだって……まともに眠ることすらさせてくれない」


「…………」


「オレは平穏から追い立てられるように、『民』の長を殺すことを決めた。それを決心したら、夢の中の声が少しだけ減ったんだ。オレは確信した。これだけが、オレに許された唯一の道なんだって」


 ……罪を清算するために命をかける立派な生き方、などではない。


 他に、生き方がなかったのだ。罪の意識が精神の奥深くまで食い込み、平穏に耐えられなくなってしまった。


「オレなんかが長を殺せる可能性なんてゴミみてえなもんだ。仮に殺すことができたとしても、オレが平穏や安眠を取り戻せるかどうかもわかんねえ。でもオレは、この道を進むしかねえんだ。他の生き方なんて、許されてねえから」


「…………」


 それはなんて、悲痛な決意だろうか。


 生まれた時点で属していた集団に人殺しを強制され、その罪に押しつぶされかけ、確実に死ぬような戦いに進まざるを得なくなる。なんて、非道な人生だろうか。


「だからそんな地獄を、お前にも味わわせるわけにはいかねえ」


「……え?」


「お前が『魅魁みかいの民』の情報を各地で明かして戦争が起これば、確かに『民』は滅ぼせるのかもしれない。でも間違いなく、数千人の人が殺される。十三人殺しただけで毎日悪夢に襲われるのに、もしお前が数千人の犠牲を『自分の所為』だと認識しちまったら、どうなる?」


「――――!」


 人を殺すことによる、罪の意識。それを誰よりも知っているからこそ、シアンはユキアに情報を開示させたくなかったのだ。


 思えば、昨日『民』の情報をユキアに出し渋ったのも、ユキアの身を案じてのことだった。シアンは常に、ユキアが傷つかないように行動していた。


 無論それも、自分の罪の意識を軽減させるためではあるのだろうが……。


「…………すまなかった。全面的に謝罪する」


「……うん?」


「君の内面も考えず、冷静さを失った勢いで、君を罵倒してしまった。考えなしの言動を、繰り返してしまった。……ボクが、悪かった」


 絞められた首を震わせて、謝罪の声を紡ぐ。


 呼吸が苦しい。物理的に喉が圧迫されているからではなく、胸が詰まって息が上手くできないからだ。


「『民』の情報を明かすのは、やめるよ。数千人の命を背負うなんて、ボクにはできない」


 それに何よりも、ユキアが戦争を起こして数千人の人を死なせたら、間違いなくシアンが責任を感じてしまう。自分がユキアに『民』の情報を話さなければ、こんなことにはならなかった、と。


 そうしたら、間違いなくシアンの心は罪悪感に押しつぶされる。戦争の結果長が死んだとしても、彼の安眠はきっと訪れない。


「でも……繰り返すが、やっぱりボクは君に死んでほしくない」


 強い感情を籠めて、宣言する。青い瞳が、僅かに見開かれた。


「死んでもいいなんて考えないでくれ。ボクに似ている君が死ぬのは嫌だし、死ぬべき人間だとも思わない。君は長に勝って、平穏に生きるんだ」


「生きるんだって……そりゃオレも生きられるなら生きたいけど、単純な力の差はあるだろ。現実問題、勝てる見込みは少ねえんだよ」


「ならその差は、ボクが埋める」


「あ……?」


 シアンの表情が険しくなる。指が更に、喉に食い込んできた。


 それでも、言葉を止める気は微塵もない。シアンの内面を知ったことで、ユキアの中には一つの決意が生まれていた。


 なんとしても彼の死を止めたいという、強い決意が。


「リウから情報を聞き出した後も、君と共に『民』と戦う。もちろん他の人型ストレイの情報は探るつもりだが、同じくらい君の生存も大事だ。君が殺されないよう、全力で力を貸す」


「……何言ってんだよ。そんなこと、」


「昨日も言ったことだが、ボクが『民』と戦うのはボク自身の意思だ。命を懸けるのも、ボクの勝手な行動だ。君を恨むことなんてないし、君が責任を感じる道理もない」


「…………」


 シアンの目が、逡巡するように細まる。突き付けられた毒針が、かすかに震えていた。


「それでもボクを巻き込ませたくないというのなら、その毒針を突き立てろ。さすがのボクも、片目を失ってなお君に付きまとうのは難しいだろうからな」


「…………遠回しなストーカー宣言、やめろっつの」


 シアンは深く息を吐き出して、ユキアの喉から手を離した。毒針も、腰に付けられた袋に仕舞う。


「お前はリウとの戦いに限った話でも貴重な戦力なんだ。マジで片目潰すなんてするわけねえだろ」


「む……そう、なのか……?」


 起き上がりつつ、首を捻る。本気だと思ってしまうぐらいには迫力のある脅しだった。


「……そんだけ覚悟決まってんなら、わざわざ拒絶したりはしねえよ。『民』について知ってるお前はどの道奴らに狙われる可能性が高いし、だったら一緒に戦った方が生き残れるかもって考え方もあるしな」


「ん、そういえばボクも、一人になるのは危ないんだったな」


「忘れてたのかよ……」


『民』達はまだ、ユキアが彼らのことをシアンから聞かされたという事実を知らない。だがユキアが人型ストレイの情報を得るためにリウと接触すれば、バレてしまう可能性は十分ある。そうなった時のために、協力関係は維持していた方が互いに生存率は上がるだろう。


「ともあれ、拒まないのであれば改めてよろしく頼むぞ。色々あったが、ボクと君はやはり仲間だ」


「……おう」


 共に立ち上がったところで、また拳をぶつけ合わせる。苦笑しながらも、シアンは応じてくれた。




「……ところでシアン。生まれて初めて女の子を組み伏せた感想は? 実はドキドキしてた?」


「クソォ、弄りネタ増やしちまった!」

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