第15話 殺せない暗殺者


★シアン・イルアス



 七年前――初めて殺人を犯した日から、シアンの人生は暗闇に落ちた。


 人殺しとして育てられたはずなのに人殺しとして生きられず、身体が拒否してしまった。表向きは周りと同じ振りをしながらも、シアンの心は『民』の中で孤立していた。


 その孤独感は、ずっとシアンの意識に張り付いていた。人殺しであり人殺しでない、どっちつかずの蝙蝠男。この世界のどこにも、自分と同じ異端者はいない。長と戦い死ぬかもしれない未来へ歩み続けられたのも、自分の居場所がどこにもないと感じていたからだ。


 そんなシアンの身を、ユキアは本気で案じた。会って間もないにも拘らずシアンの生き方に強く口出ししてくることには疑問を覚えたが、それはすぐに氷解した。


「君がボクと、似ているからだ」


「君はボクと同じように、崖から落ちても毒針に刺されても、死なない。ボクの知る限り、最もボクに近い存在だ。だからこそ、協力関係とは言え君のことは仲間だと思っているし、死ぬのは嫌なんだ」


 ――ああ……こいつは、オレと同じなのか。


 ユキアもまた、この世に一人だけの存在なのだ。ずっと孤独感を抱え、仲間を探し求めてきた。


 シアンとユキアは、互いに相手を理解し合える唯一の二人……なのかもしれない。


 ……だからこそ、苦しませたくないと思った。


 ユキアが戦争を起こして、大勢の人の死を背負うことになるのは絶対に避けたかった。だから、脅してでもやめさせた。


 だが、それで話は終わらなかった。


「ならその差は、ボクが埋める」


「リウから情報を聞き出した後も、君と共に『民』と戦う。もちろん他の人型ストレイの情報は探るつもりだが、同じくらい君の生存も大事だ。君が殺されないよう、全力で力を貸す」


「――――っ」


 長との戦いにユキアを巻き込むなど、あり得ないと思った。


 そんなことをしたら、間違いなくユキアは死ぬ。一人が二人になったからといって、勝てる可能性が限りなく低いのは変わらないのだ。


 また、死なせてしまう。自分のような人でなしが生きている所為で、また人が死んでしまう。それが、とても恐ろしかった。




 だが。気づけばシアンは、拘束を解いてユキアの提案を受け入れていた。




 ――馬鹿げてる。自殺志願者が一人増えただけでしかねえのに。


 ユキアの強引さに負けたというのもあるが、一番の理由は違う。


 シアンもずっと、自分の孤独感を埋めてくれる者を求めていたのだ。そしてようやく出会えた自分に近しい人物と、これからも共に戦いたいと思ってしまった。


 仲間から離れたくないという、孤独に凍えた心の叫びに突き動かされてしまったのだ。


 ――結局は、オレの心の弱さだ。それは自覚してる……けど、なんとなく、この叫びは無視しちゃいけないような気がする。


 自分でも、不安な選択ではある。とはいえ受け入れたからには、責任を持たねばならない。


 仲間として、相棒として、ユキアは絶対に死なせない。命を捨てる戦いではなく、勝って生き残る戦いをしなくてはならない。


 追い立てられるように決意した、長の打倒。その目的に、今ようやく正面から向き合えたような気がした。





「それにしても、君の隠密技術は度を越しているな。『民』は皆、そのレベルの技を当然のように習得しているのか?」


 再びサンセマムに向かって二人で歩いている途中、ユキアが問うてきた。


 軽く砂は払っていたが、彼女の身体はところどころ汚れている。仕方なかったとはいえ地面に押さえつけてしまった身としては、ちょっとした引け目を感じてしまう。


「いや……オレの場合はちょっと特別でな。確かに気配を消す方法とか、敵の意識から逃れる足運びとかは『民』から教わったものではあるんだが……」


「……? 妙に歯切れが悪いな」


 ユキアに顔を覗き込まれ、視線を明後日の方向へと逸らす。


「なんでかオレは昔から、隠れたり奇襲したりする技術を覚えるのがすげえ得意なんだ。他はそうでもねえのに、気配遮断とか意識誘導とか一部の技はすぐにマスターしちまって、他の『民』をすぐ追い抜いちまうほどだった」


「それはすごいな……だが、君の序列は『民』の中では低かったんだよな?」


「いくら隠れるのが上手くても、ほとんど人を殺せないんじゃ人殺しとしては落第ってことだ」


 無理やり戦場に突き出され、やむを得ず人を殺す機会はあった。だが基本的に自分からは殺さないので、『民』からの評価は低いままだったのだ。


「つまり君は、隠密限定の天才といったところか。地味だが役に立つ場面は多そうじゃないか」


「少し、違う」


「違う……?」


「隠密はもちろん得意だけど、さっき言った通り奇襲も得意なんだよ。敵意を消したまま完全に隙を突いたり、別方向に敵の意識を逸らして隙を生んだり……確実に敵を仕留めるための技術がな」


 隠れるのは、あくまで目的のための過程に過ぎない。重要なのは結果であり、そのための能力なのだ。


「『民』の奴らが言うにはな。オレには類まれなるの才能があるんだと」


「――――」


 どうすれば、敵の意識の外に出られるか。そして、どうすれば気づかれないまま敵を殺すことができるのか。


 それがシアンには、はっきりと見えてしまうのだ。


「もしオレがこの才能をちゃんと伸ばせてたら、『民』の上位に食い込むのは確実だったらしい。でも知っての通り、オレは殺人に拒否反応を起こす出来損ないだ。隠密に利用することはできても肝心の暗殺ができねえ」


『民』達は、甚だ疑問だっただろう。シアンは天才的な能力を持って生まれてきたにも拘らず、部分的にしか活かそうとせず殺しから逃げ続けていたのだから。


 宝の持ち腐れ、などという言葉では生ぬるい。能力と身体がまるで噛み合っていない。深海魚が登山の才能に目覚めるようなものだ。


 生き物として、歪すぎる。


「まあお前の言う通り、隠密と奇襲だけでも役に立つ場面は多い。『民』と戦う際にも、存分に役立たせてもらうつもりだよ」


 シアンがクソ雑魚ストレイである『紅滴腫こうてきしゅ』を使い続けているのは、昔から使い慣れているというのもあるが、暗殺の才能を発揮しやすいからでもある。キメラ相手なら問題なく殺せるし、人相手でも十分暗器として使える。


「……そうだな。実際ボクは君に負けたわけだし、才能自体は間違いなく本物だろう。正直、すごく頼もしい」


 そう答えたユキアの口調は、今までと変わらなかった。


 暗殺の才能という物騒なものを明かすことでまた関係に隙間が生じる可能性も考えていたが、杞憂だったようだ。


「それに、こんなことを言っていいのかわからないが、『殺さない暗殺者』ってなんかすごくカッコよくないか?」


「どっちかっつうと『殺せない暗殺者』だけどな……。お前ってちょっと、精神年齢低めな部分あるよな。こう、十四歳ぐらいっつうか」


「む……実質十年しか生きていないようなものだし仕方ないだろう」


 口を尖らせるユキアに苦笑しつつ、内心では安堵する。歪な才能も、彼女にとっては格好いい要素なのか。


「……ユキア」


「うん?」


涅槃ネハンは、『魅魁みかいの民』最強の男だって聞いてる。オレは前まで、刺し違えてでも殺せりゃ最高って思ってた。けど、これからは違う。その最強の男を、オレ達は超えるんだ」


「……ああ。その言葉を、待ってたよ」





★シャルマ・ジナー



 二人がサンセマムへと歩く姿を、三百メートルほど離れた場所から視認している者がいた。


 シャルマ・ジナー。先ほどカバ車を盗賊から守った少年だった。乱立する岩塊の一つの上で、スナイパーライフルのスコープを覗き込んでいる。


「ようやく見つけたよ。この辺りは見通しが悪すぎて、高所からでも人が見つけづらすぎるな」


 フードを被った少年を監視するようムクドリから頼まれた後、シャルマはすぐに高台に上り対象を探した。しかし岩塊が邪魔で、一度見失った者を見つけるのにだいぶ時間がかかってしまった。


『言い訳は結構よ。二人の場所を教えて』


 シャルマの右耳に付けた金属のアクセサリーから、ムクドリの声が聞こえてくる。


 ストレイ研究の結果発明された、市販の通信器具だ。器具同士で、遠距離でも音声のやり取りができるようになる。クリップのようなもので挟んで様々な場所に固定することができ、音量調節などもできる便利な品だ。


 ムクドリはカバ車をサンセマムまで送り届けた後、再び岩塊地帯へと戻ってきていた。通信で話しつつ、別行動でを探していた。


「岩石地帯の中の、やや南の方だよ。サンセマムを目指してるみたいだけど、街道には行かず直接向かってる。なるべく他の旅人と会わないようにしてるのかも」


『そう……『魅魁の民』だからかしら』


「サンセマムの木札を持ってたのなら、あそこを拠点にしてるのは間違いないよね。でも人のいる場所ではさっきみたいにフードや帽子で髪と顔を見えづらくしているんだろうな。今は周りに誰もいないから、二人とも脱いでるけど」


『それぞれ、どんな特徴?』


「男の方は鮮やかな青髪で、僕より少し年上。意外と若いね。……女の方は、意外だけどユキア・シャーレイだ」


『はあ?』


 通信越しのムクドリの声が、驚きに高まる。


『ユキアって、記憶喪失の人型ストレイよね? 賞金稼ぎをしてるって話だったと思うけど、なんで『魅魁の民』なんかと一緒にいるのよ?』


「僕に訊かれても……でも、『対等な協力関係』って感じに見えるよ。僕はあの男の足運びを見てないけど、あいつが『魅魁の民』なのは間違いないんだよね?」


『ええ。一緒にいるのなら、ユキア・シャーレイも『魅魁の民』の仲間なのかしら』


 実際、『魅魁の民』である少年はユキアに心を許しているように見える。自分が人殺しであることを隠しながら接しているような感じではない気がした。


「…………」


 あの青髪の少年が『魅魁の民』ならば、少なくとも逃がすわけにはいかない。もし仮に違ったとしても後で謝ればいいし、奇襲の好機を失うよりずっとマシだ。


「とりあえず、二人とも無力化しよう。どの道あの男からは他の『魅魁の民』の情報を聞かなきゃいけないし、ユキアとの関係もその時に訊けばいい」


『そうね。私も二人がいる方向に向かってるから、近くまで行けたら指示をお願い』


 再びムクドリの声音に、静かな熱が灯る。シャルマもすっと目を細めて、青髪の少年を睨みつけた。


 ――あなたが本当に『魅魁の民』なら……僕達の怒りを、少しでも思い知れ。

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