第6話 女王蜂
★シアン・イルアス
シアンは食事を終え、ユキアと共に森を歩いていた。
飛び交う小さな虫を手で払い、茂みをかき分け、二人進んでいく。
「手を組むことになった上で、この後どうするかって話なんだが」
話を切り出したのは、シアンだった。ユキアは警戒のため耳をくりくり回転させながら応じる。
「一先ずはこの森を抜けるのが先決だろう。その後は、拠点にしている町に戻るか。もうすぐ日も暮れるし、リウを再び見つけるにしても改めて情報を集める必要があるしな。君もサンセマムで宿を取っているのだろう?」
サンセマムというのは、ここから一番近くにある小さな町だ。というより、この近くに他に町はない。ユキアの言う通りシアンはサンセマムの宿で部屋を借りており、旅の荷物もそこに置いていた。
「というか、何故リウから逃げる際にサンセマムの方ではなく別の森がある場所へと走らせたんだ? 奴は賞金首だし、町に逃げ込むのが一番安全だろう」
「そう思うだろ? つまりリウもそう予想してくるし、サンセマム方面に追ってくるはずだ。もしオレ達がキメラやアウトローに足止めでも喰らってたら、リウに追い付かれて挟み撃ちになっちまう。だから敢えて別の森に逃げ込んだんだよ」
町の外では、いつどんな敵が現れるかわからない。様々な危険を想定しておくのが、ルサウェイ大陸を歩くコツだ。
もっとも、シアンがこの森に来たのはリウから逃げるためだけではないが。
「で、だ。もちろんこの後サンセマムに戻るのは確定なんだけどな。その前に、お互いの戦闘技術をもう少し見ておこうと思うんだよ」
首を傾げるユキア。大きな赤い瞳が、先を促してくる。
「ここで問題だ。普段オレは何をして生活費を稼いでると思う?」
「生きたネズミを丸ごと飲み込む大道芸とか?」
「仮に千年生きてもやらねえわそんな仕事」
「そうだな……君もそれなりに戦闘に慣れているようだし、ボクのように賞金首を捕まえるか、キメラを狩って売り捌くかかな」
「……まあ、そういうことだ。正解は後者な」
途中明らかに無駄な会話があったがスルーした。
キメラの身体は普通の動物と比べてかなり特殊で、色んな用途に使える。硬い骨は加工して武器にできるし、革から防具も作れる。普通に肉を食用にすることもある。狩ったキメラは、町で高く売れるのだ。
「なるほど、だから君はこの森を縄張りにしているキメラを把握していたんだな」
「旅するなら行く先の周辺に生息するキメラを調べるのは普通だけどな」
身体が頑丈なユキアの場合、ほとんどのキメラは危険でもなんでもないので調べる必要がないのだろう。羨ましい話だ。
「そんで、この森を縄張りにしてるキメラ……『キラーキラービー』な。あいつらの中には女王蜂ってのがいて、そいつは他の個体よりも遥かに強力な毒針を持ってんだ。薬屋なんかに持ってけばそれなりの金になるし、キメラハンターとしてはできれば手に入れておきたい」
「ほう。つまり女王蜂狩りをボクに手伝ってほしいというわけか。ついでに、互いの戦闘スタイルを把握して連携をしやすくしておくと」
「ああ。いきなりリウと戦闘になるよりは、そっちの方がいいだろ?」
「そうだな、異論はない。では早速、ボクの耳を役立たせてもらおう。どの方角から羽音が多く聞こえるかを知るくらい、造作もないことだからな」
ユキアの先導に従い、しばらく森を進んでいく。
大きなウサギ耳の精度はさすがと言うべきか、シアンの耳でもはっきりとわかるほど、蜂の羽音はどんどん大きくなっていった。
「見えたな。あれが、キラーキラービーの巣か」
二人が身を隠した茂みから五十メートルほど先に、巨大な一本の木が生えている広場があった。
その木の側面に、とてつもなく大きな蜂の巣がくっついている。
枝にぶらさがっているわけではない。そもそも、そんなレベルの大きさじゃなかった。人が住む家と比べても遜色ないほどの塊が、大木の幹に張り付いている。
「一匹の大きさが人間の子供ぐらいあったから予想はしてたけど、やっぱ巣もでけえな」
「それに、近くを飛び回る蜂の量も尋常ではないな。あの大きさの虫が群れを成していると、おぞましさで足が竦みそうになるぞ」
ある程度距離を取っているが、ひっきりなしに響き渡る羽音がビリビリと鼓膜を痺れさせてくる。ユキアも、今は耳をペタンと下ろしていた。
「そんであれが、女王蜂か」
巣の上空、夥しい数のキメラ蜂が飛び交う中、ひと際大きな個体がいる。体長は二メートルを超えており、胴体のほとんどが青色の鱗で覆われていた。
女王蜂は、常に群れの中心にいる。というより、群れ自体が女王蜂に合わせて周囲を動いていた。その有り様は、名前の通り女王を守る護衛達のようだ。
「キラーキラービーに限らず、女王蜂ってのは唯一卵を産める蜂だからな。蜂達にしてみりゃ、繁殖のために絶対守り通さなきゃいけない存在なわけだ。あの群れを掻い潜って女王蜂に近づくのは至難の業だろうな」
「……え、なんだって? 耳閉じててよく聞こえなかった」
「キラーキラービーに限らず、女王蜂ってのは唯一卵を産める蜂だからな。蜂達にしてみりゃ、繁殖のために絶対守り通さなきゃいけない存在なわけだ。あの群れを掻い潜って女王蜂に近づくのは至難の業だろうな」
「……なんかゴメン、まさか全部言い直してくれるとは」
二人の空気が少しだけ弛緩したが、すぐに気を引き締める。
「実際、ボクの飛び蹴りで女王蜂を叩き潰すというのは危険が大きいな。取り巻きが邪魔すぎるし、下手に近づいて女王蜂の毒針を喰らったらマズい」
「……あれ、お前は毒効かねえんじゃなかったっけか?」
「確かに高い耐性はあるし、ボクの肌なら毒針も通さないよ。でも一部のキメラの猛毒だと、完全には無効化できないことがあるんだ。特に、口などから体内に入った場合にね。死にはしないが、高熱や腹痛に苦しんだりする。もし眼球に受けたら、失明するかもしれない」
「へえ……全ての攻撃に対して無敵ってわけでもねえんだな」
多くのキメラには、ボスとして群れを率いている特別強力な個体がいる。それらは他の仲間よりも身体が大きかったり、特別な体質を有していたりする。キラーキラービーもそうだが、毒を持つキメラのボスなら毒の強さも段違いになるのだ。
そしてユキアの毒耐性は、ボスキメラの毒まで完璧に防げるものではないらしい。それでも、普通は即死するレベルの毒が腹痛程度で済むのだから十分すごいが。
「とはいえ、近づかなくても攻撃手段ぐらいはある。取り巻きの毒なら体内に入っても効かないだろうし、まずはボクに任せてもらおう」
「なんかオレの出番が一向に来なさそうだけど、そこまで言うなら任せてみよう」
ユキアが、茂みから出て巣へと接近した。蜂達が一斉にユキアの方を向き、群がってくる。
次々に毒針を突き立てようとするが、ユキアの皮膚には一ミリも通らず、滑って逸れたり逆に針が折れたりしていた。
そんなキメラ蜂達を、ユキアは片っ端から蹴り潰していく。
「ふん、雑魚が何匹集まろうとボクの敵じゃないな。羽音がひたすらうるさいだけだ」
鼻を鳴らし、蜂の群れをものともせずに進んでいく。そして、落ちていたこぶし大の石を拾い上げた。
それを、女王蜂目掛けて投擲する。
「らぁっ!」
男らしい掛け声と共に、銃弾のような勢いで石が宙を飛ぶ。相変わらず、人間離れした腕力だ。
だが蜂達が、自らの身体を軌道上に滑り込ませてきた。石は蜂の身体を貫きながら進んでいったが、僅かに方向が逸れ女王蜂の横を通り過ぎて行った。
「自分を盾にするとは見上げた騎士道精神だな! だがいつまで守りきれるかな?」
迫りくる蜂を蹴散らしつつ、ユキアは次の石をぶん投げる。続いて、すぐさま三発目。
どの投石も一発目と同じく取り巻きによって軌道をずらされたが、絶え間なく行われる連続攻撃で徐々に守りが薄くなっていた。
そして四発目にして、ついに石は女王蜂の腹部を大きく抉った。剥がれた鱗の欠片が、いくつも舞い落ちる。
「よし……! その傷ならまともに飛べないだろう…………なんだ?」
勝ち誇るユキアだったが、直後に表情が歪む。
その原因は、キラーキラービーの巣だ。女王蜂が負傷した瞬間、十数匹の蜂が一斉に巣の中から飛び出してきたのだ。
蜂達は、皆ゼリーのような蜜を抱えていた。皆で女王蜂に群がると、その蜜を傷口に塗りたくっていく。
すると、蜜は意思を持ったように自ら傷口を覆い、形を変化させた。内側の蜜は体内組織へと変わり、外側の蜜は鱗に覆われた外面へと変わる。ものの数秒で、女王蜂は無傷の状態まで戻っていた。
「回復した……!? って、うわ!?」
ユキアは目を瞬かせていたが、復活した女王蜂が肉薄してきたことで慌てて後退した。
「女王蜂の毒針はさすがにヤバい……! シアン! 一旦逃げるぞ!」
「お、おう……!」
シアンがいる茂み近くまで戻ってきたユキアと共に、巣から離れる。
だが数歩も走らない内に、蜂の群れに取り囲まれてしまった。女王蜂も、少し離れた位置から二人を狙っている。
「こいつら、ボク達を逃がさないつもりか……!?」
「女王蜂を殺しかけたんだし、明確に敵として認識されたみたいだな。丁度良いや、オレのストレイのお披露目といこうか」
「え、意外と余裕だな? 君は人間なんだから、毒針に刺されたら死んじゃうんじゃないのか……?」
「まあ、なんとかなるだろ」
軽い口調で言いながら、飛びつこうとしてきた蜂を避ける。
シアンが手を掲げると、手首から糸のように細い刃が飛び出し蜂の身体を斬り裂いた。
刃は蛇のように動き回り、シアンの周囲にいる蜂を次々に斬り捨てる。
「な、なんだそれ……? 手から、赤い糸みたいなものが……」
「残念、糸じゃねえよ。ただの血だ」
ユキアにもよく見えるように手首を向ける。浮き出た血管から、一筋の血液が空中へと伸びている。
「オレのストレイは、簡単に言えば血液操作だ。自分の血を体外に出して、硬度や動きを自在に操れる。体の中に仕込める暗器みたいなものだな。……今お前が思ったことを当ててやろうか? 『い、意外と地味……』」
「そ、そんなこと思ってないよ!?」
ユキアはぶんぶんと首を横に振るが、声高に否定する辺りちょっと疑わしい。
「オレ自身、地味だと思うよ。オレの戦闘スタイルは隠れたり逃げ回ったりしながら搦め手を攻めるタイプでな。戦闘技術を見せつけたがる奴が多い『
『人を
曰く、戦闘や殺人の技術は最も人を魅了するものであり、その技を誰よりも極めることが人類の到達点なのだと。
『民』の中でも微妙な解釈の違いはあり、直接的な攻撃手段でなくとも戦闘を有利にする技術なら美しいとする派閥も存在する。シアンが戦闘を学んだのは、そんな派閥だった。
「こうやって囲まれてる状況はそこまで得意じゃねえけど、キメラの単調な動きぐらいなら十分避けられるな」
「というかその血の刃、肉を内側から突き破る形にならないか? 攻撃する度に身体に穴が空いちゃうんじゃ……」
「まあな。ただオレの場合は大丈夫――――ユキア!」
「え――――」
ユキアの背後から、いつの間にか女王蜂が接近していた。ユキアは周囲の蜂の相手に気を取られていたため、気づくのが遅れたようだ。
――やっぱりこいつ、身体が頑丈な分危険には鈍感だ!
女王蜂の毒針が、ユキアの顔面に向けられている。もし目に毒が入れば、失明する可能性もあるのだったか。
「――――!!」
血の刃をユキアの首に引っ掛け、力尽くで倒れ込ませる。毒針はギリギリで空を切り、女王蜂は再び上空へと逃亡する。
だがこの一瞬、シアン本人は無防備になっていた。
「ぐ……っ」
一匹の蜂が、シアンの胸に毒針を突き立ててきた。
鋭い針が身体を突き破る感触。毒が回る感覚。
刺された位置が悪い。毒はすぐに心臓に達し、シアンという人間の命を破壊していく。
視界の端で、倒れたユキアが目を見開いていた。シアンの名を呼んだようだが、もう耳もよく聞こえない。
もう、死は免れない。力が抜け、身体が倒れていく。思考がぐるりと回転する。意識が暗転し、感覚が消失し、全てが落下する。
この日、シアンという少年は蜂の毒によって死を迎え――――
――――――――数秒後に蘇生した。
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