第4話 シアンの抱える秘密


★シアン・イルアス



 かつてルサウェイ大陸に、人はいなかった。


 夥しい数のキメラが各々縄張りを作り、時に争い合う。異常な生態はキメラだけに限らず、様々な特殊性を有した植物もそこら中に生えている。そんな、自然に満ちた大陸だった。


 変化が起こったのは、今から二百年前。


 神様が、二人の男女をルサウェイ大陸に使わしたのだ。一人は、とてつもなく頑丈な肉体を持つ男エンディ。もう一人は、何度傷ついても立ちどころに回復してしまう女セレネ。二人は姿かたちは人間と変わらないが、老いることがなかったという。


 エンディとセレネは愛し合い、子供を産んだ。何人も、何人も。町が作られ、子供達もまた子供を生み、人は増えていった。


 やがて町は大きくなり、他の場所に移住する者達も現れ始めた。彼らもキメラと戦いながら住処を作り、町を築いていった。エンディとセレネも旅をして、自分の子供や孫が作った家々を見ては驚き喜んだ。


 それから百数十年経った今、大陸には至る所に人の町が点在している。


 エンディとセレネは、いつしか姿を消していた。人を地上に産み落とすという使命を果たしたため、神のいる場所へと帰ったという説もある。



 ……ルサウェイ大陸に伝わる、子供でも知っている人類の歴史だ。





 シアンはユキアと共に、キメラ蜂の群れを追い払った。


 十数匹も殺せば二人の強さを理解したらしく、残りの個体は逃げていったのだ。全滅させたわけではないので、いずれまた襲ってくるかもしれない。


 一先ず二人は、見つけた広場で腰を下ろし食事にしていた。


「ボクの身体はとてつもなく頑丈だけど、作り自体は人間とほとんど変わらないんだ。精々、ウサギの耳と尻尾があるくらいさ。だから物を食べることもできるし、普通の生き物のように眠ったりもするよ」


 パンをほおばりながら、ユキアが言う。それをシアンは、向かい側で干し肉を噛みちぎりながら聞いている。


 食事に際して、彼女の身の上話を聞いていた。十年前に地下遺跡で発見されたことや、老探検家に育てられたことを聞き、ストレイとしての肉体へと話題が移っていた。


「この白い髪も、鋏では切れないし燃やすこともできないんだ。ちょっと触ってみるかい?」


「良いのか? んじゃ遠慮なく……おお、意外と柔らかいんだな。ウサギの毛と人間の髪の中間って感じだ」


 手を伸ばし、ふわふわとした感触を味わう。なんだか癖になりそうな触り心地だった。


 と、ユキアの赤い瞳がいたずらっぽく細まる。


「よかったな、初めて女子の身体に触れることができて」


「え、髪ってそういう判定になるのか!? というか、なんで初めてだと断定した!?」


「見るからに異性との付き合い経験がなさそうだったからな」


「失礼すぎるだろ!? いやまあ間違ってはいねえけど!」


 ユキアの言う通り、シアンは女性と触れ合う機会のない人生を送ってきた。のだが、そんなにわかりやすいのだろうか……。


 確かに、(少なくとも外見は)同年代の女性と二人きりになっていることに緊張していないといえば嘘になる。ユキアが着ているコートの下はシャツもズボンも丈が短く、正面からだとへそや脚がよく見えるのでなおさらだ。


「髪だけでは物足りないか? なんならウサギ耳も触っておくか? 今度は生身の身体だぞ? 女子の体温を感じられるぞ?」


「純粋な好奇心で触ってみたくはあったけど、その振りの後に触るのはやだな……」


 どうもネズミの一件から、ユキアにはからかい相手として認識されてしまっているようだ。ちょっと悔しい。


「ともあれだ。ボクが思うに、二百年前に現れたと言われている二人の使者――エンディとセレネはボクに近い存在だと思うんだ。ストレイも彼らも、神様がいた場所から来たということに変わりはないからね」


「あー、身体が成長しないっつうのも共通してるしな。つかそもそも、お前が使者の女の方……セレネ本人って可能性もあるんじゃねえのか?」


 十年前に目覚めるよりも前の記憶がないユキア。二人の使いも数十年前から姿を消したと言われているし、その内の片方と同一人物だとしてもおかしくない。


 その場合ユキアは、今大陸に住む全人類の母のような立ち位置になるが……。


「それはないだろう。セレネの肉体は驚異的な回復力を持っていたとされるが、逆に言えば簡単に傷が付いていたということだ。ストレイの強靭な肉体を持つボクとは特徴が異なる」


「ん、そっか。伝承じゃ頑丈な体を持ってたのはエンディの方だもんな。となるとお前は、二人に続く三人目の使者……みたいな感じになんのか?」


「その使者達も謎が多いし、実際のところはわからないけどね」


 シアンも使者達の文献を軽く読んでみたことがあるが、様々な説が飛び交っていて明確な情報は得られなかった。ストレイと同じく、彼らについては今でも研究が進められている状況なのだ。


「そんなわけで、ボクはかつてエンディと愛し合っていた人妻じゃあない。残念だったな」


「オレが人妻好きだという前提で話を進めんな」


「二百年前から愛し合うカップルの間に入ろうとする気概だけは認めるが、さすがに分が悪いと思うぞ」


「話を聞けよ! べつに間に入ろうとしてねえんだよ!」


「チュウチュウ」


「脈絡なく鳴き真似ぶっこむのやめろ」


 なんだかもう、やりたい放題なユキアだった。どっと疲れを感じ、深く嘆息する。


 利発そうな顔立ちで、意外と品性の欠けたことを言う。ユキアの喋り方も相まって、異性と話すが故の緊張も段々薄まってきた。


 ふと思う。これだけ好き勝手言われているのなら、こちらも多少踏み込んだ質問をしてもいいのではないか。


「あのさ。訊いていいものか迷ってたんだけど、お前の喋り方ってあんまり女性っぽくないよな?」


「ん、まあそうだな。どうした? 今度はエンディの方と同一人物だと疑っているのか?」


「いや、そんだけ露出してたらさすがに女だってわかるっつの。単純に気になっただけだよ。話しづらかったら聞き流してくれ」


「べつに隠すような話でもないさ。ちょっと変な癖がついちゃっただけって感じだし」


 首を傾げる。ユキアは残ったパンを口に放り込みながら続ける。


「十年前に目覚めた時、ボクは記憶喪失で右も左もわからなかった。身体は今と同じでも、中身は赤ん坊みたいなものだったんだ。でもほら、ボクって可愛いだろ?」


「自分で言うのもどうなんだろうな……」


「見目は良いけど中身が不安定すぎるボクに対して、始め下種な下心を持って近づく男が何人かいたんだ。その手の輩を警戒したお爺さんは、ボクを男として育てたんだよ。男物の服を着せて、男性らしい言葉遣いを覚えさせてね」


「ははあ……」


 割と切実な理由だった。


 人類が大陸で暮らし始めて二百年経つが、全体的な治安は良いとは言えない。リウのような危険人物もいるし、他にも盗賊行為を繰り返すアウトローも多くいる。


 ユキアの顔が良いのは事実だし、今のように地に足の付いた人格を有していなかったのなら狙われてもおかしくない。


「今から四年前……お爺さんが亡くなって旅を始める頃には、ボクも十分な知識を身に着けていた。ボクの戦闘スタイルなら動きやすい服の方が合ってるし、その時に男装もやめたんだ。ただ、記憶のないボクにとってこの喋り方は唯一確立された自分のキャラだったんだよ。服装は変えても、今更女性的に振舞うのは逆に違和感があって、口調だけは継続することにしたんだ」


「……なるほど」


 六年間も男として振舞っていれば、定着もする。


 ユキアの可愛いというよりはかっこいい寄りの魅力も、男性として育ったためだろう。もし女性として育っていたら、もう少し淑やかな性格になったのだろうか。


「……ふぅ」


 食事を終え、水筒の水を飲んで息を吐くユキア。そこで、思い出したように顔を上げた。


「そういえば、シアン。結局聞けていなかったが、さっきは何故崖の近くから急いで移動したんだ?」


「……ああ」


 言われてみれば、話すタイミングを見失ったままになっていた。


……気を引き締める。ここからの会話は、


「……さっき慌ててあの場を離れたのは、リウが追ってくるのを警戒してたんだ」


「リウが?」


「詳しい話はできねえけど、オレはあいつに命を狙われてる立場にある。どうにか崖下に逃げることはできたけど、あいつなら間違いなく死体を確認しに下りてくる。だからその前に、お前共々逃げておく必要があった」


「……君が逃げるのは自由だが、ボクも一緒に逃げなくてよかったんじゃないのか? ボクはリウの首を狙っているわけだし」


 ユキアが眉をひそめて問うてくる。当然の疑問だが、生憎とそれは認められない。


「ユキア。悪いけど、リウを捕まえるのは諦めてくれないか?」


「……なに?」


 ユキアが目を細める。


「この理由についても詳しい話はできないし、だから納得は難しいかもしれないけど、それでも聞き入れてほしい。あいつを追うと、お前に良くないことが起きる。だから今後は、別の賞金首を追ってくれ」


 無茶を言っている自覚はある。だが、シアンに話せるのはこれが限界だった。


 先ほどユキアを逃がした時と同じ。彼女に、死んでほしくないのだ。


「……ボクの身体は、岩にも潰されないし火にも焼かれない。そんなボクに、明確に危険が及ぶと?」


「ああ」


 即答する。確信しているからだ。


「それは、ボクがリウに殺されるということか?」


「詳しくは答えられない。でも、死ぬぐらい大変な目には遭う。オレはそうなってほしくないから、お前には手を引いてほしい」


「……わざわざ隠れていた岩場から姿を現してまでボクを助けてくれた君の言うことだ。嘘は言っていないだろうし心からの言葉なのだろう。だが、初対面のボクをそうまでして生かそうとするのは何故だ?」


「…………。人を見殺しにするのが、嫌だからだ」


 ここで、ユキアは質問をやめた。


 目を瞑り、腕を組み、シアンの言葉を反芻する。

 核心的な情報はほとんどなく、ただただ感情を押し付けるだけの稚拙な説得だ。それでも、思いは伝わったはずだ。


 だが――


「断る」


 ユキアの返答は、短い拒否だった。


「リウは、ボク以外の人型ストレイに会ったことがある様子だった。それについて問いただすまでは、奴を諦めることはできない」


「……、」


 シアンの顔が険しくなる。


 ユキアは静かに、けれど強い意思を感じさせる口調で続ける。


「……シアン。ボクは十年前に目覚めてから、一度たりとも自分と同じ存在と出会ったことがないんだ。周りにいるのは常に、自分に近い形をしているだけの別の存在だ。ウサギみたいな耳もない、ちょっと転べば傷が付く、数十年もすれば老いてしまう……ボクとは違う生き物だ」


 ユキアは視線を落とし、自分の手のひらを見つめた。外見上は人間の肌と変わらない、けれどナイフも針も通さない手のひらを。


「ボクに優しくしてくれた人も、仲良くしてくれた人もたくさんいた……だけどボクは、常に心のどこかで孤独を感じていた。自分は本来この場所にいるべき存在じゃない、彼らは真の意味でボクの仲間ではない、みたいにね」


「……」


「だからボクは、旅をしている。自分の正しい居場所や、本当の意味での仲間を探すために」


「…………」


「そうして、今日ようやく真実に近づけるかもしれない人物に出会えたんだ。ボクはなんとしてもリウにもう一度会って話を聞きたい。君がボクを心配する気持ちはなんとなく察せられるが、残念ながら聞き入れることはできない」


 そう、締めくくった。

 まっすぐにシアンの瞳を見据え、はっきりと否定した。


「…………」


 ユキアの視線には、何を言われても揺るがないという頑なさが見て取れた。だから、シアンは何も言えなかった。


「君はリウと何らかの因縁があるようだが、ならば奴が知っているという人型ストレイについて、何か知らないか?」


「……いや。それについては、オレも知らねえ」


「ふむ。とはいえ奴に関する情報は少しでもほしいところだ。シアン……君がボクを心配する気持ちを踏みにじるのは実に申し訳ないが、隠していることを話してほしい」


「……だけど、そりゃ」


「その結果ボクの身に降りかかる危険は、全てボク自身が引き込んだことだ。君を恨むことはない。……そうだな。もし拒否したとしても、話してくれるまで君に付きまとうことにしよう。もしかしたら君を狙うリウと再会できる可能性もあるし、一石二鳥だな」


 シアンが少しでも責任を感じないよう、敢えて悪ぶって話すユキア。……どうやら、意志は相当固いらしい。


 やがて、シアンは深く息を吐き出した。


「……わかった。そこまで言うなら、話してやるよ。ひたすら付きまとわれるのも勝手に動き回られるのも困るからな。後悔するな、とは言わねえ。お前は絶対に後悔するからな。ただその責任はオレに押し付けるなよ。オレはあくまで、お前に強制されて嫌々話すんだ」


「ああ、それで構わない。話してくれ」


 なおも口調を崩さない。その揺るがない姿に少しだけ唇を噛み、シアンは話し始めた。

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