第3話 ユキアさんはからかうのがお好き


★ユキア・シャーレイ



 勢いよく地面に激突して、数秒後。


 ユキアは、何事も無かったかのように起き上がった。軽く身体を伸ばしたり捻ったりしてみる。


「……ふむ。痛みも軋みもなし。百メートルぐらいは落ちてきたようだが、この程度では傷一つ付かんな」


 ストレイの肉体の頑丈さに、改めて感謝する。


 ユキアに限らず、世界各地で見つかるストレイはどれも未知の物質で作られており、総じてとてつもなく頑丈だ。刀で斬ろうが金槌で叩こうが、びくともしない。


 ユキアの身体も、質感は普通の肌だがナイフも針も通さない。同じく未知の物質で作られたストレイの刃物ならば通るが、そうでもない限り傷がつくことはないのだ。感覚はあるので、感触やくすぐったさなどは味わえるのだが。


「それにしても、さっきの青髪……」


 ユキアを崖下に突き落とした少年のことを思い出す。彼がいなければ、今頃ユキアはリウのワイヤーで拘束されていただろう。


 あのワイヤーもストレイなので、ユキアの肌に傷をつけられる可能性が高い。今ユキアが無傷でいられるのは、あの少年のお陰というわけだ。


 ――というか、現状彼だけがリウの近くに置き去りにされていることになるよな……!? 早くあの場所に戻らないと……!


 遅れて恩人の危機に思い至り、飛び起きる。ここまで逃がしてもらった立場ではあるが、元々ユキアはリウの首を狙っていたのだ。あの少年がどのような人物で何故あの場所にいたかは不明だが、リウの仲間ということはないだろう。もしリウと敵対しているなら協力したい。


 ユキアの身体能力なら、崖の上に戻るのもほとんど時間はかからない。少年がリウに殺される前に合流しなくては……。


「って、ん?」


 少し離れた場所で、ぐしゃりという音が鳴った。何かが高い所から落ちてきたようだ。


「まさか、さっきの青髪か!?」


 リウに突き落とされてしまったのだろうか。恐ろしい可能性に息が詰まる。


 だがユキアが駆け寄るよりも先に、木々の向こうで蒼い炎が揺らめくのが見えた。音が鳴ったのと同じ場所だった。


 ――な、なんだ……?


 何らかの道具が発火したのかもしれない。森で火事になったら大変だが、炎の色が普通じゃないのが気になった。


 蒼炎は、すぐに掻き消えた。遅れて、ガサガサという音。茂みをかき分けて、青髪の少年が姿を現した。


「君は……あれ、無事なのか……?」


 少年の身体には、傷らしい傷は見当たらなかった。先ほどの音からして即死していてもおかしくなかったが、腕の一つも折れていない。代わりに、何故か左足の靴が消え裸足になっていた。


「話は後だ! 今はここを離れるぞ!」


「え? え?」


 ユキアの疑問を投げかける前に、少年がこちらの手を掴んできた。身体ごと引っ張って、森の奥へと走り出す。


「な、なんだ? 何を……」


「話は後だっつってんだろ! とにかくついて来い!」


「む……わ、わかった」


 事情はわからないが、切羽詰まった状況らしい。一先ずは恩人の言葉に従い、移動を優先する。


「だが、走るならボクの脚の方が速い。ちょっと失礼するぞ」


「え、うおっ!?」


 少年の身体を、ひょいと抱え上げる。俗に言うお姫様抱っこだった。ユキアの身体は、腕力も脚力も人間より遥かに優れているのだ。


「意図はわからんが、こっちでいいんだな? 間違っていたら言ってくれ」


「男としての立場に不安を覚える状況だけど、とりあえず問題ねえ! そのまま進んでくれ!」


 人間一人ぐらい、大した荷物にもならない。少年を抱えたまま、ユキアは飛ぶように森を駆けて行った。





 少年の指示に従い、二十分ほどかけて走り続けた。


 森を抜け、草原を駆け、さらに別の森に入り奥まで進んだところで、少年を下ろす。


「そろそろいいか?」


「ああ。助かった」


 少年はしばらく走ってきた方角を振り返っていたが、やがて安心したように息を吐いた。何者かの追跡を警戒していたみたいだった。


「……訊きたいことは色々あるが、まずは名乗り合おう。ボクは、ユキア・シャーレイという」


「知ってるよ、旅人界隈じゃ有名人だからなお前。記憶喪失の人型ストレイで、賞金稼ぎしながら同族探してるんだろ?」


「ああ、まあそんなところだ」


 自分の存在が多くの人に知れ渡っているのは、なんとなくわかっていた。ウサギ耳の人型ストレイなど目立つに決まっているし、噂にもなりやすい。行く先々で他の人型ストレイの情報を探っているので、記憶喪失であることも含めて広まっているようだ。


「それで、君は?」


「オレはシアン・イルアスっつって、同じく旅をしてる。旅の目的については、悪いけど言えない」


「ふうん……? 何やら事情がありそうだな」


 気にはなるが、話したくない内容をわざわざ聞き出すようなことはしない。一先ずはスルーしておく。


「――うおおっ!?」


「……ん?」


 シアンと名乗った少年は、突然その場から飛び退いた。見ると、赤色のネズミが足元を通り過ぎていった。


 首を傾げる。


「ただのネズミじゃないか。病原菌ぐらいは持っているかもしれんが、そこまで過敏になるほどか?」


「ネズミは昔から嫌いなんだよ。あのすばしこい動きでちょこまか這いまわんのが気持ち悪くてな」


 悪態を吐きながら、シアンは頻りに足元を気にする。結構本気でネズミを嫌っているらしい。


 ……いや、嫌いというよりはむしろ。


「あ、ネズミが君のズボンを駆け登ってるぞ」


「マジで!? え、どこだ!?」


「嘘だ」


「……は?」


 シアンは自分の脚をバンバン叩いていたが、続く虚偽宣言により動きが停止する。


 ぎぎぎ……と錆びついた扉みたいな動きで恨みがましい視線を向けてくる。こちらはニヤニヤ笑いで見返してやる。


「……お前、意外と性格悪いな」


「君は意外と、からかい甲斐のある男だな」


 嫌いなのではなく、苦手のようだ。それもだいぶわかりやすく。なんというか、ユキアのやんちゃ心を刺激してくる。


「そう気にすることでもないだろう。誰しも苦手なものの一つくらいあるものだ。チュウチュウ」


「唐突な鳴き真似やめろ」


「むしろそういう弱点があった方が人から好かれやすかったりするものじゃないか? 積極的にアピールしてみるのはどうだ?」


「お前がからかいたいだけだろ。気にするなとか言いながらノリノリで弄ってんじゃねえか」


 シアンはため息を吐いて、森の奥へと目を向けた。


「お前には残念なことだろうが、この森にネズミはそこまで多く生息してねえよ。森を縄張りにしてる別の存在がいるからな。お前の耳なら、とっくに気づいてんだろ」


「確かに君が慌てふためく姿を見られないのは残念だが……なるほど、先ほどから聞こえている音はそれか」


 ユキアのウサギ耳がピコピコと動いて、周囲の音を探る。森に入った時から、遠くの方で大量の羽音が聞こえていた。


 そして音の発生源は今、二人のいる場所へと向かってきていた。


「……蜂の群れか。音からしてかなりでかいな。こっちに来るぞ」


 やがて木々の向こうから、何十という数の蜂が姿を現した。


 一匹一匹が、人間の子供ぐらいある。尻から突き出した針は長く、人体など容易く貫通しそうだ。


 黄色と黒の縞模様が蜂らしい特徴だが、ところどころに光沢を帯びた鱗の生えた部位があり、トカゲのような尻尾も生えていた。


「蜂型キメラ『キラーキラービー』。針には猛毒があるから気を付けろよ。つっても、ストレイの身体には効かねえか」


 ……合成獣キメラ

 ユキア達のいる『ルサウェイ大陸』に数多く生息する生き物だ。複数の動物の特徴を持ち、縄張り意識が強い。獰猛な性格の個体が多く、旅人が襲われ殺されることもしばしばだ。


「お察しの通り、この身体は生半可な毒も無効にする。この程度のキメラ撃退は容易いが、そういう君はどうだ? さすがに猛毒を受けるのはまずいだろうし、ここはボクが任されようか?」


「お姫様だっこされた上キメラからも守ってもらうとか立場無さすぎるだろ。心配には及ばねえよ、戦闘の心得はある方だ」


 鼻を鳴らし、シアンは蜂の群れへと飛び込んでいく。


 一匹の蜂が、シアンに飛び掛かった。抱き着くようにして針を突き立てようとするが、寸前でシアンの身体がひらりと舞った。


 独特の足運びだった。まるで瞬間移動したかのように、気づいた時には蜂の真後ろに回り込んでいた。


 一瞬だけ、小さな蒼炎が閃く。


 直後、蜂の身体は胴体から真っ二つに切断された。二つの塊が、ぼとりと地面に落ちて転がる。


 ――なんだ……? 今、何をしたんだ?


 遠目から見ていても、シアンが行った攻撃は視認できなかった。蒼い炎が見えた気がしたが、それで蜂の身体を焼いた風にも見えない。


 他の蜂も次々とシアンに襲い掛かるが、一匹たりとも捉えられない。そして、またもや謎の攻撃で斬り捨てられていく。


 目を瞬かせるユキアに、動きながらシアンが声をかけてくる。


「おい、なにぼーっとしてんだよ。キメラ撃退は容易いんだろ? お前も手伝えよ」


「あ……ああ!」


 シアンの攻撃方法については謎だったが、今はキメラを蹴散らすのが先か。


 ユキアは勢いよく跳躍し、砲弾のような勢いで蜂の身体を蹴り砕いた。

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