第31話 それぞれの魔法 3

「――君たちに教えることは何もない」


 同じ場所で魔法を使っていた少年と少女を見たコルヌは、爽やかに言い切った。


 二人は揃って不満げな顔をする。


「開口一番それですか」

「先生、真面目にやってください」


 呆れたように呟いたメルクリオの隣で、ユラナスが腕を組む。コルヌも負けじと真剣な表情をつくった。


「大真面目だよ。君たちは四年生の〈冠の教室クローナ〉あたりにぶちこんでもやっていける。よって、先生から言えることはない。以上」


 それを聞いた二人は「ええー」と低い声を漏らした。普段ほとんど話さないくせに、こんなときだけ仲良しである。


「楽しみにしてたんですが……」


 ユラナスが、ため息をついて自分の周囲を飛んでいた水の竜を消し去る。その言葉に、メルクリオがうなずいた。


「俺もです。〈撃滅〉の魔法使いから助言もらいたかった」

「え、タウリーズ先生ってそんな物騒なあだ名がついてるの?」

「それ俺じゃなくてうちのご先祖の二つ名な!? しかもかなーり前のご先祖だからな!?」


 コルヌは大慌てで弁明し、咳払いする。生徒の皮をかぶった番人は、しれっと顔を逸らした。わかってからかっているのだろう。


 少年はちらちらとこちらをうかがい、少女も澄み切った期待のまなざしを向けてくる。


 コルヌは、参った、とため息をついた。


「そうだなあ。しいて言うなら……」


 呟いて、思考する。それから緑の瞳をまっすぐ二人に向けた。


「君たち二人に共通していることだけど、なんでもできちゃうぶん、その力に物を言わせて無茶をしているように見える。いつもじゃないけどな」

「というと?」


 ユラナスが黒茶の瞳をきらめかせた。


「このくらい平気だろうと思って、高度な魔法を連発することはないか? 転移魔法とか」

「転移魔法はさすがにないですよ」

「あくまで例えな」


 すぐさま切り返してきたユラナスに、コルヌも言葉を投げ返す。一方のメルクリオは、わかりやすく目を逸らしていた。……ここしばらくの騒動や業務のことは、コルヌのもとにも報告が来ている。問い詰めるまでもなかった。


 ユラナスも多少は身に覚えがあるのか、むう、とうなっている。そんな二人を順繰りに見て、コルヌは表情をやわらげた。


「どんなに優秀な魔法使いでも、人だ。万能の精霊や神様じゃない。どこかで必ず限界はくる」


 少女はしきりにうなずき、少年はただ沈黙している。


「二人は、それを忘れないように。決して無理をせず、難しいことは仲間に頼るといい。同級生が六人もいるんだからな」


 ――ユラナスはどうかわからないが、メルクリオにこの言葉は響かないだろう。それどころか、かえって混乱させることになる。


 彼に万能の存在であることを求め続けてきたのは、コルヌたち大人なのだから。


 それでも彼は、言わずにいられなかった。



     ※



 ユラナスと別れたメルクリオは、ひと気のない演習場の東端をぶらついていた。


 教師に「教えることはない」と言われた以上、あのまま魔法を垂れ流していても無意味だ、と判断したのだ。ユラナスも同じ結論に至ったのか、コルヌを見送るなり魔法を止めて、呪文の研究らしきことを始めていた。


 心地よく張り詰めた空気の下で、ただそぞろ歩く。木々のざわめきと、踏みしめた芝生の音を聞いて、深く息を吸った。


「なあ、ルーナ」

『なんでしょう』


 正面を見たまま呼びかけると、虚空から返答があった。


「周囲のアエラに不審な動きはないか」

『今のところないですね』

「そうか」


 メルクリオは、相槌を打ってあくびをかみ殺す。


「……暇だ」

『たまには暇もいいじゃないですか。寝る時間も取れないよりはましです』

「くそう、まだ蒸し返すか」


 澄ました少女の声を聞き、メルクリオはげんなりと顔をしかめる。


 ボーグル脱走騒ぎ以降、徹夜を余儀なくされるような事件や仕事は持ち込まれていない。助手がいることもあって、きちんと眠る時間を確保できるようになっていた。


 魔法暴発事件の続報もなかなか入らない。平和なのはいいことだが、かえって不気味なようにも思えた。


『……おや?』


 ルーナが声を潜める。メルクリオも、片眉を跳ね上げた。


「誰かいるな。生徒か?」

『おそらく、そうですね』


 応答ののち、月光のアエラがしぼんだ。


 メルクリオは、一応注意しつつ歩を進める。ほどなくして、木陰に人の姿を見つけた。


 亜麻色の髪をひとつに束ねた少女が、静かに呪文を紡いでいた。清流のような詠唱に合わせ、彼女の内なるアエラがぐうっとうねって上がってくるのがわかる。周囲のアエラも細かく揺れて、茫洋とした光を放ちはじめた。


 そのアエラが大きく動くかと思われた瞬間、一斉に散った。光も消えて、アエラは再び天に還る。


 少女は惜しそうにそれを見届けて、ため息をついた。うつむいて木陰に座り込む。


 メルクリオは、歩調を変えずに歩み寄った。


「ティエラさん」


 声をかけると、彼女ははっと顔を上げた。慌てたように腰を浮かす。


「あっ、メルクリオさん! すみません、お邪魔でしたか」

「いや、そんなことないけど……。俺は暇だったからぶらぶらしてただけ」

「そ、そうなんですか」


 メルクリオが首をかしげると、ティエラは戸惑った様子で座り直す。メルクリオはなんとなく、木の幹にもたれかかった。


「ティエラさんこそ、ずいぶん離れたところでやってるんだな」

「はい。みなさんの様子が見えない方が、集中できるかと思いまして……」


 ティエラは、橄欖石ペリドットのごとき瞳を空へ向ける。


「先ほど、タウリーズ先生にアエラを安定させる瞑想を教わったので、それをやってから魔法を試してみたんです。でも、また失敗しちゃいました。なかなか上手くいかないものですね」


 照れたように笑う。その横顔にはけれど、傷ついたような色がにじんでいた。しばし彼女を見つめたメルクリオは、つとめて穏やかに口を開く。


「前々から気になってたけど、ティエラさんはアエラが安定しないのか?」

「……はい。どうも、体質の問題らしくて」


 うなずいたティエラは、笑みを消して、膝の上で両手を絡めた。


「普通、人のアエラはゆっくりと増えて濃くなっていって、五、六歳くらいで安定するそうです。でも、私は生まれたときからアエラが多かったみたいで。それで、制御しづらいのだそうです」


 ぽつぽつとこぼれる彼女の言葉を、メルクリオは静かに聞いていた。彼が相槌を打つと、ティエラは目を丸くして振り返る。


「……怖くないですか?」

「ん? なんで」

「いえ……。この話をすると、たいてい怖がられるので。入試のときも大騒ぎになりましたし」


 ティエラの声が尻すぼみに消える。メルクリオは、あー、とこぼして頭をかいた。


「俺は、別に。


 少女は瞠目し、細く息をのむ。唇がわずかに動いたが、結局言葉は紡がれなかった。


 なんとなく精霊の方を見ていたメルクリオは、意識をティエラの方へ戻す。


「魔法使いにとっちゃ天賦の才みたいなものなんだろうけど。抑えられるようになるまでは、大変だよな。前触れなく吐いたり、いきなり頭痛くなったり」

「はい……。前を通った建物の窓ガラスがいきなり割れる、なんてことも……」

「何それ危ない」


 灰青色と若草色がかち合う。二人は、どちらからともなく吹き出した。少しの間笑いあったのち、メルクリオは何気なく問う。


「専属の医者とか家庭教師とか、つかなかったのか? 王族なんだから、いくらでも優秀な人を手配できるだろうに」


 一瞬の沈黙。そののちティエラは――オロール王国第三王女は、ほほ笑んだ。


「ええ。お医者様も家庭教師もつけていただきました。ですけど、彼らでも手がつけられなかったようなのです。制御も魔法の勉強も成果が出ず、何度もアエラの暴走を起こしてしまって――最終的には、お父様から『王宮内ではどうしようもないからグリムアル魔法学校に入りなさい』と言われました」


 匙を投げられた、ということか。あるいは、あまりに成果が出ないので、医者も家庭教師も解雇されたのかもしれない。


 メルクリオは頭を抱えた。耳元からも呆れたような気配が伝わってくる。


魔法学校ここに丸投げかよ。無茶苦茶だな」

「本当に。先生方も同じように思われたでしょうね」


 ぼやいた少年に、王女が微苦笑を向ける。彼女はそれから両手を広げて、見つめた。


「だからこそ、ちゃんと魔法使いにならないといけないんです。なのに……」


 消えそうなささやきは、痛みと不安をはらんで落ちる。そちらを一瞥したメルクリオは静かに体を起こした。


「自分のアエラを体に留めることはできてるんだから、あとは工夫次第でどうとでもなるよ。……ティエラさんは、アエラを抑えることを意識しすぎている気がする」


 え、とこぼしたティエラは、両目をしばたたいてメルクリオを振り仰いだ。彼は軽やかに反転して、彼女と向き合う。


「ティエラさん。そこに落ちてる葉っぱを取ってもらっていいか?」


 ティエラの足もとに落ちている、黄色っぽい葉を指さす。彼女は怪訝そうにしつつも、それを拾って立ち上がった。丁寧な所作でメルクリオに葉を渡す。


「ど、どうぞ」

「ありがとう」


 お礼とともにそれを受け取ったメルクリオは、乾いた葉を顔の前にかざす。


「――魔法を使うっていうのは、こういうことだ」

「……え?」

「今俺がやったのと同じことを、アエラにやるんだよ」


 ティエラは、意味がわからない、というように顔をしかめていた。けれど、少しして目覚めたような表情になる。その変化を見届けて、メルクリオは口角を上げた。


「魔法で何をしたいか――もっと言えば、アエラに何をしてほしいか。それをきちんと伝えて、叶えてもらったらお礼も言う。少なくとも俺は、そういう気持ちで魔法を使ってきた」


 葉を高く掲げる。それと同時に口を開いた。


「『舞い踊る空の子らよ。地よりでし命の欠片を運び、新たな命の糧とせよ』」


 詠唱が終わるやいなや、ぱっと手を離す。落ちかけた葉はどこからか吹いた風に舞い上げられ、遠くの空へと流されていった。


 葉が飛んでいくのを目で追っていたティエラは、それが完全に見えなくなると感嘆の息を吐く。


「そっか……。だから、メルクリオさんの詠唱は優しいんですね」


 今度は、メルクリオが両目をしばたたいた。


「優しい、か?」

「はい。とても」


 ティエラはやわらかく目を細めた。一点の曇りもない。


 メルクリオが再び頭をかいたとき、遠くから覚えのある声が聞こえてきた。


「どうだ、ティエラさん。……と」


 小走りでやってきたコルヌ・タウリーズは、メルクリオを見て足を止める。


「メルクリオさんも一緒だったか」

「お邪魔なようなら退散しますよ」


 メルクリオは平然と言って、体をひるがえそうとした。しかし、ほかならぬティエラに止められる。


「あ、待ってください。もう一回魔法を試そうと思うので、ご迷惑でなければ見ていってください」


 メルクリオは驚いて振り返る。コルヌも意外そうに二人を見比べていた。


「いや、でも」

「メルクリオさんにも見ていただきたいのです」


 王女の言葉とまなざしは、妙に力強い。どこかの助手を彷彿とさせる姿に、メルクリオはたじろいだ。迷ったすえ、木の前に戻る。


「……まあ、一回くらいなら……」

「先生は構わないぞー」

「ありがとうございます!」


 嬉しそうに頭を下げたティエラは、すぐに背筋を伸ばして深呼吸を始める。少し後、ひっそりとした声が演習場を包み込んだ。

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