第29話 それぞれの魔法 1

 そして、秋休みが明けた。静かだったグリムアル魔法学校に、生徒たちの笑い声が戻る。


 大図書館の番人の潜入調査も、当然のように再開した。彼はまた、魔法学校の一年生『メルクリオ・シュエット』として過ごすことになる。


 休み明けの翌日。一年生〈鍵の教室クラヴィス〉ではさっそく魔法実践の授業が行われた。その内容は、『自分の得意な魔法と改善点を見つけること』。生徒たちが好きに魔法を使って、それを見た教師から助言をもらう。さらには生徒自身でも改善点や困った部分を探していく、という流れだ。


 基礎の段階を終えて、国内随一の魔法学校らしい授業へと様変わりしていく。


「よーし。みんな、十分に距離を取ったな? それじゃあ、好きに魔法を使ってくれ。思いつかない人は、自分が一番使いやすい魔法でいいぞ」


 東演習場に散らばった〈鍵の教室〉の面々は、教師の号令で一斉に詠唱を始めた。ばらばらの言葉が混ざり合い、薄曇りの空の下で色とりどりの光が舞い踊る。


 この授業を担当するコルヌ・タウリーズはのんびりと演習場を歩き回っていた。まるで散歩のような風情だ。


 冷たい風を浴び、生徒に気づかれぬよう身震いした彼は、そこである一点に目を留める。演習場の中心部で、赤い短髪の少年が長い木の枝を握りしめていた。両足を広げて踏ん張り、息を止めるほど力を入れている。そして、感覚を研ぎ澄ませてみれば、木の枝のまわりでアエラが流動していた。


 コルヌが何食わぬ顔で見守っていると、少しして細く渦巻いていたアエラがぱっと散る。盛大に息を吐きだした少年が、膝に手をついた。


「マルセルさんのそれは……ひょっとして、武装魔法の練習か?」


 そこでようやく、コルヌは彼に声をかけた。ぜえぜえと荒い呼吸を繰り返していた少年――マルセル・グラディウスは、教師に気づくと慌てて起き上がる。


「あっ。えっと……そうっす! どうしても武装魔法が使えるようになりたくて」

「武装魔法は剣術や体術とのかみ合わせがいいからな」


 マルセルが嬉しそうにうなずいた。しかし、その顔がすぐに曇る。


「でも、なかなかできるようにならないんすよね……」

「そうなのか。長いこと練習してるのか?」


 教師の問いに、少年は「ちっさいときから」と力なく答える。コルヌは顔をしかめて考え込んだ。その間に、言葉が続く。


「アエラ使づかいがうまいユラナスに見てもらったことがあるんすけど……『集中力が足りない』って言われちゃいました。すぱっと」

「すぱっと、かあ」


 コルヌは思わず苦笑した。


 武装魔法とは、戦闘時、剣や体にアエラをまとわせて強化するものだ。人間が扱う魔法の中で唯一、呪文がなくても発動できる魔法だが、そのぶん膨大なアエラと想像力、そして集中力を要する。


 マルセルの場合、体内のアエラの量は申し分ない。魔法の基盤となる想像力もなかなかのものだ。ただ、大元のアエラの制御が上手くできずに悩んでいる。


 魔法使いの卵とみなされた子供は、大抵の場合、十歳頃までに自分の中のアエラを操るための訓練を終える。訓練をしてもアエラが不安定な子は、体に何か問題があるか、ひとつのことに集中するのが苦手かのどちらかだ。マルセルは今のところ、体に異常は見つかっていないという。


 ユラナス・サダルメリクの評価はおそらく間違っていない。


 コルヌは少し考えて、頭をかいた。


「武装魔法じゃないと武術に合わせられないってわけじゃない。武装魔法が難しそうだったら、ほかの魔法を使うことも考えていいと思うぞ。人それぞれ、得手不得手というものがあるし」


 むう、と少年が不満そうにうなる。コルヌは笑って己の顔を指さした。


「先生も武装魔法は苦手だ。戦いながらあれを維持するのはきつすぎる」


 からりとした言葉を聞いても、少年のしかめっ面は緩まなかった。彼はそのまま木の棒を握り直す。


「……でも、やっぱり武装魔法を使えるようになりたいっす。もう少しやってみます」

「そうか」


 コルヌは肩をすくめる。無理に止めることはしない。代わりに軽く背中を叩いた。


「まずはきちんと背筋を伸ばす。呼吸は止めるな」

「は、はい?」

「息を吸って、吐く。これを一回一回意識してみろ。それに慣れれば、少しは集中が続きやすくなる」


 怪訝そうだったマルセルの表情が、みるみる輝く。「はい!」と元気よく返事をしたマルセルを明るく励まし、教師はその場を離れた。


 深呼吸しだした少年を振り返り、眉根を寄せる。


「グラディウス……。ハマル将軍は、どんな教育をしてきたのかね」


 ハマル・グラディウス――マルセルの父親は、周辺諸国に勇名をとどろかせた軍人だ。今は後進の育成に励んでいると聞く。戦力としての魔法、兵力としての魔法使いは重要視しているが、魔法自体に興味はない。そんな人だ。


 マルセルが武装魔法にこだわるのは、そのあたりに理由があるのかもしれない。


「……ま、焦ることはないさ。まだ一年生だ」


 誰にともなく呟いて、コルヌは『散歩』を再開した。



 次にコルヌが見つけたのは、木のそばに生えている植物にぶつぶつと話しかけている少女だった。漏れ聞こえる呪文が途切れたところで、木陰から顔を出してみる。


「精が出るな」

「うわっ!」


 少女――ヴィーナ・ヴェル・マーレは素っ頓狂な声を上げて飛びのいた。担任教師の顔を見るなり、げんなりと肩を落とす。


「タウリーズ先生……おどかさないでください」

「ははは、すまんすまん」


 生徒に咎められた教師は、頭をかいて木の反対側に回る。ヴィーナの前にかがみこんだ。


「どうだ、育ったか」

「一応効果はありましたが、思ったようにはいきません」


 ヴィーナはすまして答え、足もとの植物に視線を落とす。鋭い葉をもつ植物の先端には、季節外れの赤い蕾がついていた。


 コルヌは顎に指をかけ、ヴィーナを一瞥する。一年生としては出来すぎているのだが、本人は不満らしい。


「スズメの怪我は治せたのに、花を咲かせようとするとアエラが上手に動かないんです。何が足りないんでしょう」


 少女が紫色の目をきつく細めた。コルヌは、しばしうなってしまう。現時点では明確な答えを出すことは難しい。しかし、そう言っても彼女は納得しないだろう。


 悩んだ末、少しだけ話をずらしてみることにした。


「ヴィーナさん、ほかに得意な魔法はあるか?」

「……火を出したり、風を吹かせるのは得意です」

「じゃあ、これは使いづらいっていう魔法は?」

「水を操ったり、先生のように土や岩を動かすのは苦手です」


 少女は鋭い語調で答える。その間も蕾から目を離さなかった。コルヌは顎をなでながら彼女の視線を追う。


「ふむ。それなら、属性の偏りがあるかもな。花が咲くためには風や日の光も必要だが、水が足りないと枯れてしまうし、土の養分が足りなくても育たない」


 ヴィーナが首をかしげた。赤みがかった金髪がさらりと揺れる。それを見ながら、教師は左の人差し指を立てた。


「つまり、自分があまり得意じゃないもののことも気にしてみよう、ってことだ。あとは、仕組みを理解するのも大事だぞ」

「仕組み、ですか」

「そう。花を咲かせたいのなら、花が咲くまでの過程と、それに必要なものを学ぶこと。そうすればアエラの動きもわかりやすくなるし、呪文も組み立てやすくなる」


 蕾をにらんでいた少女は、それを聞いてやっと顔を上げる。コルヌの方をじっと見てから、ひとつうなずいた。


「なるほど。勉強してみます」


 しかつめらしくうなずいたコルヌはけれど、思い出したように眉をひそめる。


「あと、許可なく野鳥に触っちゃだめだぞ」


 注意されたヴィーナは、不思議そうに目を瞬いた。


「なぜですか?」

「病気を持ってるかもしれないからだ」


 もっとも伝わりやすかろう理由を挙げて注意する。ヴィーナは素直に「わかりました」と言った。ひそかに息を吐いて、コルヌはひらりと手を振った。


「じゃ、また来るよ」


 短く告げて、その場を離れる。背後から、再びか細い呪文詠唱が聞こえてきた。

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