第27話 異端の魔法使い

 メルクリオは、今度こそクロノスに書類を手渡した。そこであることを思い出し、目をみはる。


「しまった。これ、重要なことが書いてないじゃないか」

「重要なこと?」

「今日起きた魔法の暴発について」


 クロノスも、ああ、とまばたきする。


「それはしかたないだろう。起きたばかりのことだ。学校で聞いた話を報告しておくから、心配いらない」


 大図書館監査員は、いつもの調子で言い切った。しかし、メルクリオはしかめっ面のまま眉間を押さえる。


「どこまで聞いてきた?」

「事故の概要とその経緯だ。調査を始めたばかりなので詳しいことはまだわからない、と言われた」

「やっぱりか」


 軽く息を吐いたメルクリオは、青年を見上げる。


「その件について、共有しておきたい話がある。それこそまだ調査中だけど、早めに知っておいた方がいいと思うから」

「そうか。そういうことなら、聞こう」


 クロノスは一瞬驚いた顔をしたが、すぐにうなずいた。この場で話を聞く気満々らしい彼に、少年は軽く手を振る。


「応接室で待っててくれ。エステルを呼んでくる」

「なるほど。わかった」


 その後、メルクリオはクロノスを応接室に連れていき、その足でエステルの様子を見にいった。ちょうど二十八番書架の下の段を点検し終えたところだった。選り分けられた本を預かり、そのまま一緒に応接室へ戻る。


「そういえば、クロノスさんも魔法使いなんですか?」

「いや。私には魔法の才がなくてな。この役職に就く前は、魔法とは無関係の書類仕事をしていた」

「それじゃあ、グリムアル大図書館ってびっくりすることだらけなんじゃ……」

「そうだな。骸骨頭の紳士に背後を取られたときには、終わった、と思った」

「あ、あはは……。あれは魔法使いでもびっくりしますよー……」


 そんな二人の会話を聞き流しながら、メルクリオはお茶を淹れた。もうもうと湯気を立てるお茶を二人のもとへ運び、自分も椅子に座る。お茶を淹れる前に置いた小さな袋の隣にカップを置いた。


「ギャリーさんは今でも苦手か?」

「苦手だな。彼の悪戯にはどうにも慣れない。いつもこちらの不意をついてくるし」


 メルクリオがからかうと、クロノスは真顔でうなずく。


 いつも真面目な青年は、おどかされるたび真面目に驚く。ギャリーにとっては格好の獲物だろう。番人は、館長と目を合わせて苦笑した。それから、咳ばらいをひとつして、本題に入る。


「さてと。魔法の暴発について、なんだけど……。現場を見に行って、ひとつわかったことがある」

「そういえば、嫌なことがわかった、って言ってたね」


 エステルの言葉にうなずいて、メルクリオはかたわらの袋をつかむ。口を開いて、その中身をテーブルの中心に出した。硬い音とともに、金属の破片が落ちる。


「これは……」

「授業で使われてた金属の塊の破片。許可をもらって借りてきた」


 エステルとクロノスは、吸い込まれるように破片をのぞきこむ。ふたつの金属片を見比べて、エステルが首をかしげる。


「色が違うね」

「そう」


 メルクリオは、青緑色の破片を指さした。


「こっちが、現場に多く落ちていた破片。授業で使われてた青銅の塊だ。担当教師に確認を取ったから、間違いない」


 その指を滑らせ、隣にある白い破片の上に置く。


「こっちは、現場の中心部分に集中的に落ちていた破片だ。ここからが問題なんだけど……」


 青銅の破片より大きなそれを、メルクリオはエステルの前にかざした。


「エステル。表面に何か見えないか」

「んん……? 何かって……」


 エステルは、顔をしわくちゃにして破片を凝視する。ややして、不思議そうにまばたきした。


「……あれ? なんか、彫ってあるような……」

「私も見ていいだろうか」


 クロノスが控え目に挙手をする。メルクリオは「どうぞ」と言って、彼の方に破片を動かした。破片を見てすぐ、緑色の瞳がチカリと光る。


「本当だ。小刀で彫ったような溝があるな」

「やっぱり!」


 隣でエステルが歓声を上げる。一方のクロノスは、金色の眉をしかめた。


「これは……文字か?」

「ああ。おそらく、呪文だ」


 メルクリオが答えを提示すると、二人は驚いた様子で振り返る。クロノスがわずかに腰を浮かせた。


「確かか?」

「まだ検証中だから断言はできないし、詳細もわからない。けど、ほかの破片と合わせたら古代文字の一部が見えた。魔法を使うための古代語――呪文だと考えていいと思う」

「で、でも。呪文を書いたり刻んだりする方法って、今はほとんど使われてないんだよね?」


 エステルが戸惑ったように手を挙げる。それを聞いて――クロノスが、ぎょっと目をみはった。


「つまり……『ほとんど使われていない』はずの手法を使う魔法使いが、学校の道具に細工をしたということか?」

「その可能性が高い」


 うかがうような問いに、メルクリオはぴしゃりと返す。エステルが頬をひきつらせ、クロノスは眉間にしわを寄せた。


 それでも、大図書館の番人は容赦なく話を続ける。


「何かを彫った跡があるのは、この白い破片だけだ。そして、もともとの金属の塊には、白い部分は見当たらなかったそうだ。――細工をした『何者か』は、呪文を刻んだ白いものを塊の中に隠したんじゃないか、って推測されてる」

「魔法ではそんなことも可能なのか……」


 クロノスが唖然として呟く。しかし、それまで黙っていたルーナが、否定に近いことを口にした。


『理論上は可能ですが、かなり難しいですよ。金属の内部にだけ空洞をつくり、“中に何か入れた”とわからないようにそこへ物を移動させる――精霊ですら気を張るようなわざです』


 クロノスだけでなく、魔法使いの二人も顔をしかめてしまう。アエラを文字通り自分の一部として操る精霊がそう評す魔法を、どれほどの魔法使いが使いこなせるだろうか。


「それってさ……犯人は、めちゃくちゃ物知りで強い魔法使い、ってことじゃない?」

「そういうことだな」


 うなずきながら、メルクリオは破片をしまう。その横でエステルが突っ伏した。


「ほんとだ、嫌なことだったあ」

『〈封印の書〉の暴走も同一犯の仕業だったりしたら、面倒どころじゃないですね』

「さらに嫌な話やめて! あり得そうなのが怖い!」


 少女の悲鳴に、メルクリオは心の中で同意する。クロノスも似たような胸中なのか、軽くため息をついていた。


「調査と検証が進んだら、もう少し詳しいことがわかってくると思う。とりあえず、犯人が手ごわそうってことだけは上に伝えておいてくれ」

「……承った」


 袋の口を閉めながらメルクリオが締めくくると、クロノスは苦々しそうにしつつも頭を下げた。真剣そのものの返答に、メルクリオは微苦笑する。


「楽にしろとは言わないけど、少しは肩の力抜きなよ。多分、今からそんな調子じゃ身が持たない」

「……そうだな。こんな頭の痛い事案が持ち上がるとは思わなかった」


 そろりと顔を上げたクロノスの方に、少しカップを近づける。それから、自分のカップを持ち上げた。


「それは同感。長いこと番人やってるけど、ここまでややこしい仕事は初めてだ」


 ふっと笑ってお茶に口をつける。クロノスも、やっと口もとをほころばせた。


 二人を見比べながらお茶を飲んでいたエステルが、そこでぴたりと動きを止める。そのことに気づいて、少年と青年は彼女を振り返った。


「……そうだ。メルクに聞かなきゃって思ってたことがあるんだ」

「ん? なんだよ、怖い顔して」


 メルクリオが軽い調子で問うと、エステルは顔を曇らせる。静かにカップを置いて、彼を――彼と精霊を見据えた。


「メルクも精霊契約者なんだよね。ルーナと契約してるんだよね。体に……何か起きてるの?」


 メルクリオは目をしばたたく。つい、ルーナと顔を見合わせてしまった。なぜ唐突にそんなことを訊くのかと思ったが、直後、授業のことを思い出す。


「何かあったのか?」


 クロノスが、二人を気遣うように問うてきた。エステルがうつむく一方で、メルクリオは雑に頭をかく。


「今日の授業で精霊契約の話が出たんだよ」

「ああ、なるほど」

「急いでする話でもないと思って、契約のことまでは言ってなかったんだけど……かえって心配させたみたいだ」


 呟いてから、メルクリオは己の胸を軽く叩く。その音で、エステルが顔を跳ね上げた。


「お察しの通り。俺とルーナも魔法的な契約を交わしてる。体にもまあ、影響は出てるな」

「影響って、何?」

「成長が止まってる」


 恐る恐る問うたエステルに、メルクリオはからりと返す。そして、こう付け足した。


「よくあることだ。っていうか、番人は館長と契約した時点で体の成長が止まる。俺はルーナと十二歳のときに正式な契約をして……以来、ずっとこのままだ」


 黒くどろりとしたものが、胸の奥にわだかまる。メルクリオはそれをいったん抑え込み、何事もないようにお茶に口をつけた。


 エステルは呆然とした様子で話を聞いていたが、ややしてむっと顔をしかめる。


「十二歳のとき、って……メルク、今何歳なの?」


 至極当然の問い。しかしそれを向けられた張本人は、腕を組んで長々とうなった。その果てに思考を放棄し、椅子に身を投げ出す。


「忘れた」

「はい!?」


 答えになっていない答えを投げて寄越されたエステルが、素っ頓狂な声を上げる。彼女は憤然と立ち上がり、メルクリオをにらみつけた。


「ちょっと! 私、真剣に聞いてるんだけど!」

「俺も真剣だよ。真剣に忘れた」


 助手の少女が「なにそれ……」とうめく。メルクリオは、無言でルーナに目配せした。彼女はすまなさそうに羽を下げる。


『すみません。私も、はっきりとは……。十年くらいは頑張って数えてたんですけど』

「そうだったのか? 俺なんて、十五過ぎたあたりからめんどくなってやめたのに」

「本人が先に諦めるというのはどうなんだ……」


 クロノスが呆れたような視線を向けてくる。彼は、力が抜けたように座り直した少女をちらと見てから、口もとに手を当てた。


「そうだな……。私が着任したのが二年前、その前に何年か空白期間があって、前任の大図書館監査員が十年以上務めていたはずだから……少なく見積もっても、三十歳は超えていると思う」

「さんじゅっ……」


 エステルが絶句する。彫像のごとく固まってしまった彼女をながめ、メルクリオは頬杖をついた。


「って言っても、俺はこの間まで大図書館にこもりきりだったし、交流のある人間もほとんどいなかったからな。クロノスの方がよっぽど大人だよ」

「それは仕方ないだろう。大図書館の番人は、仕事以外での外出ができないんだから」


 クロノスは気まずそうにカップを持ち上げる。メルクリオも、適当な相槌を打ってカップの中身を飲み干した。助手がしかめっ面でお茶をにらんでいることには気づいていたが、声はかけないでおいた。



 少し雑談をした後、クロノスを送り出す。それからやや遅れて、エステルも寮へ帰っていった。メルクリオの目には、わずかながら落ち込んでいるように映った。


 グリムアル大図書館の正面扉前。ゆっくりと遠ざかる後ろ姿を見送ってから、メルクリオは首をかしげた。


「どうしたんだろうな、エステル。急に元気がなくなった」

『あなたのことを考えているのでしょう。優しい子ですから』


 耳元で、ルーナが呆れたように言う。メルクリオはますます頭を傾けたが、少しして彼女が言わんとしていることに思い当たる。今さら苦味がこみ上げた。


「やっぱ、精霊契約のことは話さない方がよかったか?」

『まあ、黙っている意味もなかったでしょうけどね。授業でバラされてしまってはどうしようもありません』

「……それもそうか」


 ルーナとふたりでため息をつく。教師たちに授業の内容を考えてもらった方がいいか、とも思ったが、何も知らない生徒の好奇心を無理に止めるのもよろしくない。


『メルクは、一年生の子たちを見ていて、思うところはありませんか。クロノスにはああ言っていましたが』


 ふいに、ルーナが問うてくる。その声がわずかに震えていることには気づいたが、メルクリオは気づかなかったふりをして笑った。


「そりゃあるよ。山ほど。でも、今さら気にしたってどうしようもないだろ?」

『それは……そうですが……』


 ルーナはそこで黙り込んでしまう。わかりやすく羽を下げている精霊を見上げ、少年は軽く手を振った。


「さ、残りの仕事を終わらせよう。どうせ明日もバタバタするだろうから」

『……はい』


 メルクリオは、相棒をともなって身をひるがえす。大図書館に戻る直前、ふと空を見上げた。


 頬をなでる風は、日に日に冷たくなってゆく。季節は、時は、前へ進んでいるのだ。


 そんな当たり前のことを実感して――とてつもなく、虚しくなった。



     ※



「おや。アルバリからの定期報告?」


 ひょっこりと書斎に顔を出したルクールが、机に置いたままの紙をのぞきこんでいる。それを振り返って、アルタイルはうなずいた。


「ああ。……予想通り、大図書館の番人が大きく動いたようだ。学生の中にまぎれて、こちらの動向を探っているらしい」

「なあるほど、そう来たか」


 ルクールは、重ねられた紙の一枚を拾い上げて目を通す。と言っても、見ているだけで真面目に読んではいない。


「大丈夫かなあ。嗅ぎつけられない?」

「今のところは心配しなくてもいいだろう」


 アルタイルは、本を手に取りながら淡白に答える。一冊を抱え、次の一冊に手を伸ばしたとき、背後から妙に陽気な声がした。


「おやおや。あの学校、シリウスの娘もいるの? しかも番人と同じ教室? 臭うなあ」


 ――妙なところにばかり注目する。苦々しく思いながらも、アルタイルはうなずいた。


「そうだ。どうも、番人と仲がいいらしい。大図書館について何か知っている可能性もある……と、アルバリは考えているようだ」


「ええ? それ、放置していいの?」

。それに、大したことはできんさ。十五にもならぬ子供だ」

「だといいけどねえ。子供だからって甘く見てると、痛い目みるかもよ?」


 ルクールは、紙を机上に戻す。本を抱えて反転したアルタイルに、悪戯っぽく笑いかけた。アルタイルは顔をしかめ、帽子のつばをつまんで下げた。


「……肝に銘じておこう」


 ついでに報告書を回収したアルタイルは、早足で書斎を出る。当然のようにルクールがついてきた。


「ところでアルタイル、室内で帽子かぶるのは、ちょっとどうかと思うよ」

「そういう習性なんだ」

「どんな野生動物、それ?」

「外部の人間に会うわけでもないし、構わんだろう」

「そりゃそうだけど」


 薄暗く狭い通路を進む。気の抜けたやり取りをしながら、アルタイルは次の作戦に向けて忙しなく頭を働かせていた。

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