第26話 大図書館の訪客
凪いだ
「……タウリーズ? 先生と、同じ?」
「そうか。コルヌがこの学校の教員をやっているな」
男性、クロノスは今思い出したと言わんばかりに目を瞬く。それから、淡々と補足した。
「コルヌと私は従兄弟同士だ」
「従兄弟?」
エステルが繰り返すと、クロノスは無言でうなずいた。その相貌を少女はまじまじと見てしまう。言われてみれば、面影があるような、そうでもないような。
クロノスは口もとに指をかけ、考え込むそぶりを見せていた。けれど、ふいに顔を上げる。
「〈鍵の教室〉と言ったか。もしかして、あなたは彼の教え子か?」
「あ、そうです。タウリーズ先生は、担任の先生です」
エステルがまごつきながら答えると、彼は軽くお辞儀をしてきた。
「
「いえいえそんな! お世話になってるのは私の方です!」
エステルは顔の前でわたわたと手を振る。今日は慌ててばかりいる気がした。その様子を見て、クロノスはふっと笑いの吐息を漏らした。
「――そうか。それはよかった」
そう呟く姿が、息をのむほどに美しくて。エステルは少しの間、呆然としてしまった。
ふいにコートの裾がひるがえる。クロノスが、エステルの隣に並んでいた。
「私もこれからグリムアル大図書館へ向かうところだ。同行をお許しいただけるだろうか」
エステルは、その声掛けで我に返る。思わず声を張り上げてしまった。
「は、はい、もちろん! 大丈夫ですよ!」
「感謝する」
クロノスは嫌な顔ひとつせず、それどころか丁寧に頭を下げてきた。エステルは困惑しつつも歩みを再開する。どうやら、とても真面目な人らしい。担任教師とはずいぶん印象が違っていた。
さくさくと。土や枯草を踏みながら歩く。つい先ほどまで感じていた焦りがどこかへ飛んでいったことに気づき、エステルは苦笑した。
「そういえば、かんさいん? ってなんですか?」
ふと浮かんだ疑問を口に出す。すると、クロノスが足を止めた。みずみずしい草葉を思わせる瞳が、少女を探るように見た。
「……メルクリオは何も説明していないのか?」
「そういえば聞いてないです」
「……そうか」
クロノスは眉間にしわを寄せて額を押さえる。しかし、その顔を上げたときには、静かな表情に戻っていた。
「大図書館監査員は、王国の行政機関の役職のひとつ……いわば役人の一人だ」
「役人」
またしても繰り返し、エステルは肩をこわばらせる。父のことがあったので、役人にはあまりいい印象を持っていないのだ。見たところ、クロノスは彼女が知っている横柄な役人とは違う気がするけれど。
緊張する少女をよそに、男性は淡々と続ける。
「グリムアル大図書館の運営状況を定期的に確認し、それを王宮に報告するのが主な仕事だ。逆に、王国からの依頼や報告を大図書館に持ってくることもある。監査員、と名はついているが、大図書館と国の仲介役と思ってくれればいい」
「あ、だから助手のことも知って……?」
「そういうことだ」
いつだったか、メルクリオが「グリムアル大図書館は国が管理する組織、ということになっている」と教えてくれた。あのときは、国への報告も番人がやっているものと思っていたが、そういう人は別にいたということだ。
エステルは納得してうなずき、足を動かす。クロノスもそれにならった。
「ってことは、メルクとは長い付き合いなんですか?」
「いや、そうでもない。私が監査員になったのは二年前だ。付き合いの長さで言えば、コルヌの方が上だろう」
「……タウリーズ先生って、どういう立場なんだろう……?」
そんなやり取りをしながら歩いているうち、遠くにグリムアル大図書館の影が見えてきた
※
館内全体に澄んだ音が響き渡り、虹色の星たちが風のごとく流れてくる。その光に乗ったアエラの気配で、メルクリオはクロノスの来訪を知った。
「そういえば、今日だったか?」
ここ最近慌ただしすぎて、監査員の来訪日などすっかり忘れていた。報告書だけは欠かさず書いていたのが救いである。少し慌てて必要な書類をかき集めた彼は、軽く床を蹴って、二階の柵を飛び越えた。
「『翼なき身は、大気をまといて翼とす』」
淡々と唱えた呪文は一切のよどみなくアエラに行き渡る。メルクリオの体は、体重などないかのように浮いた。
ゆっくりと一階を目指して飛んでいたメルクリオは、広間に人影をふたつ見出して目をみはる。だが、次の瞬間には小さな驚きを押し隠し、大図書館監査員と対峙した。
「ようこそ、監査員殿」
少し声を張って呼びかけると、相変わらず真面目な青年は深く頭を下げた。
「お出迎え感謝する、番人殿。お手間を取らせて申し訳ない」
「今さらいいよ、そういうのは」
メルクリオは苦笑して、わずかに視線を逸らした。クロノスの隣に立つ助手が、口を半開きにして二人を見比べている。
「――もう挨拶を済ませたんだな」
「ここへ来る途中、一緒になったんだ」
淡白に答えたクロノスはそれから、目をすがめる。
「それより。彼女に監査員の話をしなかったな、メルクリオ?」
静かに咎められたメルクリオは、視線を逸らして頭をかいた。
「悪い。ここんとこバタバタしてて、忘れてた」
「忘れ……」
クロノスは、信じられない、といわんばかりの表情で見つめ返してくる。メルクリオが目を戻して「悪かったよ」と繰り返すと、彼は黙って額を押さえた。
気まずくなったメルクリオは、助手の方に顔を向ける。
「……ところで、エステルはどこまで聞いたんだ?」
「かんさいんがどんな人か、っていうのは聞いたよ。あと、タウリーズ先生の
「あーうん。知ってた知ってた。最初に聞いたときには、俺たちも驚いたけどな」
エステルはとりあえず、戸惑いから立ち直ったらしい。いつもの調子で喋り、半歩踏み出してきた。メルクリオが腕を組んでうなずいていると、隣で相棒のアエラが膨れ上がる。
『顔立ちはともかく、話したときの印象は全然違いますからね』
笑い含みの言葉とともに、光球姿の精霊が現れた。エステルが「あ、ルーナ!」と手を振り、クロノスが目をみはる。
『こんにちは、クロノス。お仕事お疲れ様です』
「お久しぶりです、ルーナ殿」
クロノスは、やや慌てた様子でお辞儀をする。ルーナはその様子をほほ笑んで見守っていた。腰に手を当て、小さくため息をついたメルクリオは、床に降り立って監査員を促す。
「それじゃ、いつものお仕事といこうか。クロノス」
「ああ。よろしく頼む」
すぐさま背筋を伸ばしたクロノスが、それに応じて一般書架の方へ歩き出す。その後ろから、エステルが走り寄ってきた。
「ねえねえ。これ、私も一緒の方がいいの?」
無邪気な問いに、メルクリオは目を伏せる。
「あー、どうするか。学生には退屈だと思うけど」
「初めてなのだから、一緒に聞いてもらった方がいいんじゃないか?」
クロノスが真顔で提案する。そのかたわらでエステルがつま先立ちをして、元気よく挙手した。
「私、聞いてみたい!」
主張は純粋で、単純だ。好奇心に輝く碧眼を向けられて、メルクリオはがりがりと頭をかいた。
「……まあ、それなら来なよ。話がわかんなくなったら言ってくれ。仕事振るから」
「わかった!」
エステルは嬉しそうに答え、番人の隣に並んだ。
監査員への報告は、まず歩きながら口頭で行う。それから必要な書類を手渡す、という流れだ。というわけで、三人と一体はしばし一般書架をぶらついた。
ここ最近の大きな出来事から報告していく。魔法学校の新年度に合わせて始まった潜入調査の進捗。未納の〈封印の書〉の暴走について。そして、新たに採用した助手のこと。
「エステルのことは、学校からすでに報告が行ってるよな」
「ああ。私も事前に聞いてきた」
「正直なところ、お偉いさんの反応はどうなんだ?」
メルクリオは、少し声をひそめる。大図書館には
クロノスも彼と同程度の小声で返してきた。
「芳しくないな。学生、それも新入生を大図書館の関係者にするというのはいかがなものか――という意見が多かった」
予想通りの答えだ。メルクリオは眉一つ動かさなかったが、クロノスはわずかに顔をしかめた。
「君を嫌っているリアン学長がこれを認めた、という点を怪しんでいる者もいる。大図書館の番人が、よくない手を使ったのではないか――とな」
エステルが顔と肩をこわばらせる。メルクリオはこれに気づいていたが、あえて知らぬふりをしてため息をついた。
「まあ確かに、番人権限振りかざして魔法学校の新入生を取り込むのは『よくない手』かもな」
「彼らが言いたいのは、そういうことではないと思うが……」
「わかってるよ」
クロノスはおそらく気づいている。メルクリオとエステルが、外の人間に言えない秘密を抱えていることに。
彼なりに心配してくれているのだろう。それを承知の上で、メルクリオは軽く手を振った。
「お偉いさんが考えてるような『よからぬこと』はしてないよ。エステルは大図書館に入りたがったし、リアンには……ちょっと強引だったけど、話を通したし。さっきも言った通り、条件つきでの助手採用だし」
「そうか。では、そのように報告しておこう」
クロノスは、少女を一瞥したのち、うなずいた。それから、ふっと顔の力を抜く。
「上層部も、今のところは『不審な点はあれど容認せざるを得ない』という考えのようだ。大図書館内の人事には口出しできないし、エステルさんに関しては『番人と共に凶暴な“名無しの魔族”を再封印した』という実績がある。リアン学長が認めている以上、この件を理由に王国が動く可能性は低い……と、私は見ている」
「あんたがそう思うならそうなんだろ。とりあえず安心したよ」
クロノスは役人の中では若手だが、それなりの経験と実績を積んできている。その上、今は王国の表に出せない部分を見ることも多いはずだ。その彼がこう言うのだから、そこまで警戒する必要はないのかもしれない。
しばし様子を見よう、ということで、助手に関する話は終わった。その後は、新たに入った書物のことや先日納品した写本の話など、細かい業務の話題に移る。このあたりでエステルが目を回しはじめたので、メルクリオはいったん彼女に本の点検をお願いした。
「今日は二十八番書架を頼む」
「はーい! ……あ、よかった。ここから近い」
最近飛行魔法を勉強しはじめ、その難しさにおののいているというエステルは、書架の位置を確かめてわかりやすく安堵していた。指定の書架の方へ歩いていく少女を見送った二人は、その影が見えなくなると、正面に向き直る。
〈封印の書〉の様子、メルクリオの生活のことなどを報告し終えると、クロノスが小さく息を吐いた。
「大図書館内部の方は、大きな問題はなさそうだな」
「ああ」
メルクリオが短く相槌を打つと、緑の瞳が今までと違う色を帯びる。それは、静かで暗い、憂いの色。
「君の方は、どうだ。困っていることなどはないか」
「ないよ。どうした、急に」
報告書をさっさと渡してしまおうか、と考えていたメルクリオは、紙に触れていた手を止める。クロノスはすぐに答えなかった。少し目を伏せ、形の良い眉を寄せる。
「俺も……反対だったんだ」
「何に?」
「君が潜入調査をすることと、グリムアル大図書館に助手を入れることに」
しぼり出すような言葉を聞いて、メルクリオは目をみはる。なぜかルーナの方を振り返ってしまった。しかし、彼女は黙したまま浮いているだけだ。
「珍しく上層部と意見が一致した。……理由はまったく違うと思うがな」
静寂の狭間に落とすように、青年は言葉を紡ぐ。いつもはかたく引き締められている口もとが、わずかに震えた。
「俺は、君が自ら傷つきにいっているように思えた。……だから、反対だった」
いつも理路整然と物を言う彼には珍しい、どこか不安定で要領を得ない言葉。それは、少年の心をわずかに揺らす。
けれどメルクリオは、表情を変えなかった。わざとらしく鼻を鳴らす。
「そんなつもりはないけどな。潜入調査の件は、リアンに押し切られただけだし」
「……そうか。それなら、いい」
クロノスは顔を上げ、ぽつりと答える。けれど、表情は晴れないままだった。
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