第21話 妖精の悪戯 3
双子が言っていた出口はすぐに見つかった。ほんの少し開きかけた扉。それを思いっきり開け放ち、肌寒い外へ飛び出す。
グリムアル魔法学校にいくつかある中庭のひとつ。木々の狭間に花々が植えられた、芸術品のような空間だ。今は実りの季節ゆえか、色とりどりの花弁ではなく、黄緑色の草葉が隠れた楽園を彩っている。
草地へ下りるなり、エステルは中庭を見渡す。自然の色彩の中に潜む黒色は、すぐに見つけることができた。
「いた、ボーグル!」
しかし、エステルが駆けていくと、ボーグルは逃げてしまう。エステルはすかさず方向転換し、木陰へ飛んでいった魔族の方へ走る。伸ばした手が毛の端をかすめた瞬間、彼はまた飛んでいく。
そんなことを何度か繰り返して。とうとうエステルは頭を抱えた。
「ああああもおおおおお」
頭をかきむしった少女は、遠くの花壇の陰からのぞく黒をにらみつける。ボーグルは相変わらず、ぴょんぴょんと跳ねながらその場に浮いていた。
どうやって捕まえてやろうか、と相手の挙動を観察し――その途中、エステルは目をしばたたく。
じっとこちらをうかがう瞳。それは幼い子供のように無邪気だ。
こちらをあざ笑っているのだと、ずっと思っていた。けれど、本当にそうだろうか。
「ボーグル……ボーくん」
声を張って、名を呼ぶ。ルーナが口にしていた、おそらくはあだ名であろうそれを。
「あなた、遊んでほしかったの?」
小さく飛び跳ねてまばたきした魔族に、問いかけた。
冷たい風が、ふたりの間を吹き抜ける。
ボーグルは、しばらくその場で静止していた。しかしあるとき、黒いからだを震わせると、風のような勢いでエステルの方へ飛んできた。
「うわあっ!?」
エステルはひっくり返った声を上げてのけぞる。その拍子に体勢を崩して、尻餅をついた。おしりをさすって顔を上げたエステルは、眼前に大きな埃の塊が浮いているのを見る。もちろん、ただの埃でないことは、大きな目玉ですぐにわかった。
「ボーくん」
うかがうように呼べば、魔族はぐるぐると彼女のまわりを飛びはじめる。唖然としたエステルの鼻先にとまったかと思えば、近くの木の上へ飛んでいき、また戻ってきた。
『これは、すっかり懐かれましたねえ』
「ルーナ」
ボーグルの動きに注意しながらも、エステルは横を見る。いつの間にか、薄羽を持つ金色の光球が姿を現していた。彼女は、ボーグルに視線を移すなり、楕円形の目をすがめる。
『ボーくん。勝手に抜け出してはいけないと、いつも言っているでしょう。私もメルクリオも困ってしまいますよ』
呆れながらも淡々と言い聞かせるルーナ。彼女に目を向けたボーグルは、心なしか縮んだようだ。さながら母と子である。
ボーグルの体の端がもぞもぞと動く。少女の声が、つくりものめいたため息の音を紡いだ。
『そうですね。遊びたかったし、みんなに驚いてほしかったんですよね。でも、それは大図書館の中だけにしてください。外でやりすぎれば、あなたが傷つけられるかもしれませんから』
ルーナの言葉に、ボーグルが再び縮む。両者を見比べていたエステルは、おずおずと精霊の前で視線を留めた。
「やっぱり、遊びたかったんだ」
『そうみたいです』
「でも……なんで私だったの?」
学校内でも何やら悪戯をしたふうだったが、最初の「悪戯」はエステルの頭上に本を落とすことだった。
ルーナはふむ、と呟いて、両目をボーグルの方へ動かした。黒い塊の端が細かく動く。そのたび、ルーナの薄羽が震えた。相槌を打っているようだ。
『エステルからほんのりと番人のアエラを感じたので、思わずちょっかいをかけてしまったそうです。いっぱい追いかけっこをしてくれて嬉しい、とも言っています』
「あ、あはは……」
答えの後半を聞いて、エステルは乾いた笑いを漏らす。予定外の仕事を早く終わらせたかっただけなのだが、ボーグルにとっては遊びだったらしい。
「あれ? でも、番人のアエラってどういうこと?」
答えの前半を噛みしめ、エステルは首をひねる。ルーナが彼女のまわりをひらりと舞った。
『グリムアル大図書館に出入りしているうちに、残り香のようなものが移ったんでしょうね。いつも彼が魔法を使っていますから』
そういうこともあるものなのか。感心してうなずいていたエステルはけれど――自分のものではない足音を聞いて、顔を上げた。
「〈封印の書〉第千八百一番、『さびしがりやのボーグル』」
同時、愛想に乏しい声が独特な呪文を紡ぐ。
エステルとルーナは瞠目し、ボーグルが瞳を輝かせた。
中庭と校舎を繋ぐ扉の方から、メルクリオが歩いてくる。彼の手には、小さな緑色の冊子があった。彼は全員の視線を受け止めると、あいた手で頭をかいた。やはり眠そうな表情である。
「メルク!?」
「おー。世話かけたな、エステル」
いつもよりぼやけた声で答えた少年は、あくびをかみ殺した。
「それは全然気にしてないけど、仕事は?」
「終わった。というか終わらせた」
「お、終わらせたって……」
メルクリオは、頬をひくつかせるエステルのそばを平然と通り過ぎる。そして、小さな魔族の前に立った。
「ボーグル」
魔族の名を呼ぶその声は、いつもの彼と変わらない。
黒いからだが小刻みに震える。エステルは思わず息をのんだ。
張りつめた沈黙。その中で、灰青の瞳が細められた。
「ごめんな」
静寂の中庭にこぼれ落ちた、かすかな謝罪。
それを聞いて目をみはったのは、エステルだけではない。ボーグルも、元々大きな両目をさらに開いていた。
ボーグルにほほ笑みかけた番人は、そのからだを受け止めるように、両手を揃えて差し出す。
「俺やルーナと遊びたかったんだよな。それなのに、ひと月もふた月もほったらかされたから……さみしくて飛び出しちゃったんだよな」
ボーグルの両目がうるむ。彼が手に飛び乗ると、メルクリオは額を少し近づけて、悪かった、とささやいた。
「ちゃんと一緒にいる時間を作るよ。だからさ、さみしいときは大図書館を飛び出す前に教えてくれ。俺のところに来てくれ。な?」
ボーグルの瞳が上下する。どうやら、うなずきの代わりらしい。「よし」とメルクリオが相好を崩した。
「学校に出てくるのはだめだからな。館長や新しい助手を困らせたくない」
ボーグルが小さく跳ねる。大きな瞳が、きょろりと動いてエステルを見た。
「そう。この子は番人の助手、グリムアル大図書館の一員だ」
どうやら「助手」の一言に反応したらしい。メルクリオが補足すれば、ボーグルは嬉しそうに跳ねた。その反応がなんだかこそばゆくて、エステルは頬をかく。
メルクリオは少しの間、喜ぶボーグルを見つめていたが、彼の反応が落ち着くと抱えていた冊子を取り出した。
「大図書館に戻ったら、もう少し話をしよう。とりあえずは〈封印の書〉に入っててくれ。これ以上、誰かに見られたら大変だからな」
メルクリオが冊子を開くと、ボーグルは両目を上下に動かし、自分から冊子の方へ飛び込んだ。古びたページが輝き、黒い塊を覆って吸い込む。
ボーグルの姿が消えると、メルクリオは冊子を閉じて小脇に抱える。細長く息を吐き、エステルたちの方を見ようとしたらしい。けれど、その拍子にふらついて、目もとを押さえた。
「メルク!」
エステルは、少年の方に駆け寄った。肩を支えて、のぞきこむ。メルクリオは、彼女の視線から逃れるように顔を背けた。
「へいき。ただの立ち眩みだ」
「それは平気じゃないよ! 休んで休んで!」
エステルはぎょっとして、メルクリオを強引に座らせる。ぐいぐいと引っ張られた本人は、抗う力もないのか、されるがまま草地の上にへたり込んだ。
うつむいてうなるメルクリオのもとへ、ルーナがすいすいと飛んできた。楕円形の目がいつもよりわずかにつり上がっている。
『メルク……。あなた、自力で転移魔法を使いましたね?』
精霊の言葉に、顔を上げたメルクリオがうっとうめく。一方、エステルもつぶれかけたカエルのような声を上げてしまった。
「……なんでわかった……」
『大図書館からここまで、この短時間で歩いてこられるわけないでしょうが』
言われてみればその通りだ。エステルは、番人と館長をおろおろと見比べる。館長が薄羽を張り、厳しく番人を見つめていた。
『寝てない体で魔法を使うこと自体危険なのに、よりにもよって転移魔法ですか。おばかさんですか。粉々になりたいんですか?』
「……悪かったよ」
『あなた、以前のエステルの無茶を怒れる立場じゃないですよ。頭を冷やしなさい。というか寝なさい』
「ハイ」
お小言を浴びせられている少年は、すっかりしおれてしまっている。言い返す元気もないらしい。ルーナは目を思いっきり狭めてぼやいた。
『〈封印の書〉の魔族のこととなると、すぐ無茶するんですから』
ぴんと張った薄羽で、黒い頭をぺしぺしと叩く。そうしてから、ルーナはエステルの方を見た。
『エステル。申し訳ないんですが、コルヌを呼んできていただけますか?』
「あ、う、うん」
エステルはうなずいた。しかし、直後に授業のことを思い出してうろたえる。
「あ。でも次、タウリーズ先生の授業だ」
『あー……それなら、授業が終わってから連れてきてください。それまでメルクは私が見張っていますから』
「わかった」
エステルは今度こそ力強く答えて、ローブの裾をひるがえす。その後ろから、小さくメルクリオたちの会話が聞こえてきたが、内容までは聞き取れなかった。
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