第22話 『さびしがりやのボーグル』

 放課後。エステルはグリムアル大図書館に足を運んだ。またしても番人に呼び出されたからだが、彼女自身も嬉々としてそれに応じた。メルクリオと、ボーグルの様子が気になっていたからだ。


 今日はルーナが広間で出迎えてくれた。


「メルクは? 大丈夫?」

『昼間よりは回復していますよ。仮眠を取らせましたから』


 エステルが問うと、ルーナは胸――ではなく羽を張る。この館長と番人の間でどのようなやり取りがあったのか、昼間の様子から容易に想像できた。


 苦笑した彼女を、精霊は奥まで連れていってくれた。もちろん、転移魔法で。


「お邪魔します」とエステルが応接室の扉を開けた瞬間、黒い塊が勢いよく飛んできた。それは、のけぞったエステルの額にぶつかって跳ね返る。痛みはなく、代わりにやわらかい感触が皮膚をかすめた。


「ボーくん!」


 額をなでたエステルは、縦横無尽に飛び回る物体を見て声を弾ませる。呼ばれたボーグルも、大きな両目をきらきらと輝かせていた。


「ボーグル。嬉しいのはわかるけど、いきなり突進するのは危ない」


 淡白な、けれど温かみのある声が悪戯魔族をたしなめる。グリムアル大図書館のあるじが、椅子に座って彼をながめていた。その姿に気づいたエステルは、元気よく手を挙げた。


「あっ、メルク! 来たよ!」

「はいよ。いらっしゃい」


 メルクリオはいつもの調子で挨拶を返して、「まあ座れ」と自分の向かいを手で示す。それに従ったエステルは、一息ついたのち、いまだ飛び回っているボーグルを見上げた。


「ボーくんも一緒だったんだね」

「ああ。現状説明ついでに、ちょっと遊んでた」


 語るメルクリオの顔は、昼間よりも血色がよい。そのことに、エステルはひとまず安堵した。彼女の内心を知ってか知らずか、対面の少年は気だるげに頬杖をつく。


「潜入調査をするって話は、前にしてたんだけどな。改めて詳しく話しておいた。どうしても、今までより自由時間が確保しづらくなってるからな」

「学校に入る前は、定期的に遊んでたの?」


 中庭でのやり取りを思い出す。エステルは、ほとんど確認のつもりで問うていた。案の定、メルクリオは肯定する。


「そ。週に一度は構うようにしてた。このボーグルは寂しがりやだから、そのくらいしてやらないと、勝手に〈封印の書〉を飛び出して悪戯を始めるんだ。今日みたいに」

「そ、そうなんだ……」


 悪戯を始めたボーグルの厄介さは、エステルも散々思い知らされた。たとえ凶暴性がなくとも、あれを何度も繰り返すのは骨が折れる。そんな苦労をするくらいなら彼に寂しい思いをさせない方がよっぽどいい、ということなのだろう。


「ま、話の通じない連中に比べればかわいいもんだけどな」


 灰青の瞳が、宙を滑る黒い塊を追いかける。その視線に気づいたのか、ボーグルは高度を落として、メルクリオのまわりを飛びはじめた。


「ちょっと加減してなー。おまえ毛と埃の塊だから、あんまり激しく動かれると、俺の喉と鼻がやられる」


 ボーグルの動きを追いながら、少年は間延びした声で注意する。注意された当人は変わらず楽しそうだ。通じているのかどうかはわからない。


 その様子をながめていたエステルは、ふと口を開いた。


「……ボーくんは、なんで封印されてるの?」


 ずっと燻っていた疑問が、口を突いて出た。


 ボーグルが動きを止め、メルクリオが瞠目する。その反応を見たエステルは、慌てて発言を取り消そうとした。けれど、彼女が何かを言う前に、メルクリオが動く。エステルの方へ、静かに何かを滑らせてきた。


 それは、小さな冊子。緑色の表紙に黄色い文字が書かれた、〈封印の書〉だ。


「魔族を知りたければ〈封印の書〉を読め、ってな。気になるなら見てみろよ」

「え? 〈封印の書〉って私でも読めるの?」

「読めるよ。元々は普通の本だからな。今はボーグルが外にいるから、うっかり発動させる危険もないし」


 メルクリオはあっけらかんとかたわらの魔族を指さす。彼は、しきりに目を上下させていた。


 エステルは、本を――『さびしがりやのボーグル』の文字をまんじりと見つめる。それから、両手でそっと本を持った。


「……失礼します」


 ボーグルの方を見て、軽くお辞儀をする。なんとなく、そうしなければいけないような気がした。


 また、ボーグルの目が上下に動く。それを許可と取った少女は、慎重に表紙を開いた。



     ※



『さびしがりやのボーグル』


 オロール王国のある町に、一匹の悪戯妖精ボーグルが住んでいました。


 ボーグルは、ほかの仲間たちと同じように、人間たちに悪戯をしながら過ごしていました。


 ただ、このボーグルは、ほかのボーグルと少し違いました。とても寂しがりやだったのです。


 寂しがりやのボーグルは、自分のそばから人間がいなくなるのが嫌でした。ですから、人を怖がらせる悪戯をあまり好みませんでした。人間は、ボーグルを恐れると、彼が棲み処とする暗い場所や埃っぽい場所を避けるようになるからです。


 それでも、悪戯をすることはやめられませんでした。それは、彼らの習性だからです。寂しがりやのボーグルはいつも、習性と寂しい気持ちの間で悩んでいました。



 ある夜、ボーグルは墓地に来ました。誰もいない墓地の上を飛び回っていると、そこに数人の人間がやってきました。分厚い服を着込み、大きな袋や穴を掘る道具を持った人間たちは、大声で何かを話していました。


 ボーグルは人間たちの近くの墓の裏に隠れ、魔法でその墓を少し揺らしました。人間たちは、わっ、と叫んで飛び上がります。その姿を見て、ボーグルは少し元気になりました。


 続けて魔法を使い、笛のような音を出します。そして、こちらを見た人間たちに、その大きな目玉を向けたのです。


「ゆ、幽霊だあっ!」

「天罰だ、精霊の怒りだ!」


 人間たちは悲鳴を上げて、一目散に逃げていきました。ボーグルは、ちょっぴり悲しくなりました。


 人間たちの姿が見えなくなると、ボーグルは墓石の裏から滑り出ました。


 そのとき、すぐそばに黒い影が現れ、赤い目が光りました。


『おい、悪戯いたずら妖精ようせい


 低い声が響きます。ボーグルが驚いてそちらを見ると、別の墓石の前に、黒い犬が佇んでいました。狼よりも大きな犬でした。


われの許可なく墓石を揺らすな。まったく、おまえたちはいつもそうだ』


 大きな犬は、ボーグルをにらんで言いました。ボーグルが謝ると、犬は不満そうに鼻を鳴らしました。


『……だが、まあ、盗掘者を追い払ってくれたことには礼を言う。本来はそれも我の領分なのだがな。たまには“天罰”の趣向が変わった方が、奴らも恐れてくれるだろう』


 先ほどの人間たちは墓あらしだったのです。今になってそれを知ったボーグルは、ひどく驚きました。


 ――あなたは墓あらしを追い払っているのか? ボーグルがそう問うと、大きな犬はつまらなそうに答えます。


『それも、務めのひとつだ。我はここで墓と死者の番をしている』


 犬はそう言うと、ボーグルに向かって大きな尻尾を振りました。


『そら、帰った帰った。ここは死者と闇の領域だ。悪戯妖精の来るところではない』


 ボーグルは、慌ててそこから飛び去りました。


 けれど、見た目より優しげな黒い犬のことが、気になってしかたありませんでした。



 次の日、ボーグルはまた墓地に行きました。黒い犬は「悪戯妖精」をあきれて見上げました。


『おまえたちの来るところではない、と言っただろう』


 あなたに会いたかったのだ、とボーグルは訴えました。犬はまた、鼻を鳴らしました。


『我のアエラに毒されても知らぬぞ』


 犬は優しい声でそう言いました。



 それ以降、ボーグルは、人間に逃げられて寂しくなるたび墓地に行きました。黒い犬は次第に「帰れ」と言わなくなり、ボーグルと話をするようになりました。


 犬とボーグルは、会うたびに色んな話をしました。ボーグルがしかけた悪戯のこと。犬が見た人間のこと。ピクシーや幽霊、ほかのボーグルから伝え聞く、各地の仲間たちの様子など。


 時には、ボーグルが犬の仕事を手伝うこともありました。初日のように下心のある人間を追い払ったり、不審な動きをする魂や幽霊の様子を知らせたりしました。



 ふたりがすっかり仲良くなった、あるとき。人間と仲間たちが戦った、という話をたくさん聞くようになりました。不安そうなボーグルに、黒い犬は言います。


『どうやら、“異界”のものどもがこちらに入ってきたらしい。大ごとにならねばいいが……』



 彼らの願いをよそに、戦いはどんどん激しくなり、やがて『大戦』と呼ばれるようになりました。こちらの世界で長く人間と共生していたものたちも、人間から敵視されるようになりました。ボーグルすらも何匹か消滅させられ、寂しがりやのボーグルも墓地以外の行き場を失いました。


 そんなとき――黒い犬が、墓地を出る、と言い出しました。


『こうなっては致し方ない。我も人間と戦おう』


 ボーグルは、慌てて犬を止めました。危険すぎる、と。なぜ今異界のものたちにつくのか、今まで人間に寄り添ってきたではないか、と。


 しかし、犬は聞き入れませんでした。


『我も、元を辿れば異界のものだ。いくら人とともに暮らそうとも、その事実は変わらん。人間と彼らが決裂した今、本来の役目を果たすまでだ。それに――これ以上、友が傷つけられるのは我慢ならない』


 犬はそう言い、ボーグルに笑いかけました。ボーグルは、大きな両目から涙をこぼしました。


 いかないで。君まで置いていかないでくれ。自分を友と呼ぶのなら、どうか一緒にいてくれ。


 ボーグルは懇願しました。しかし、黒い犬の決意が変わることはありませんでした。


 次の日の夜明け前、墓地を出る前に、黒い犬はボーグルに言いました。


『おまえもここから逃げろ。逃げて、人間の来ない場所に隠れていろ。悪戯妖精はいくさに向かぬ。どちらにもつかず、戦わず、ただ終わりを待て。いいな』


 ボーグルは泣きながらうなずきました。それを見て、犬はボーグルに背を向け、墓地から去っていきました。



 その後、ボーグルは言われた通り墓地を出ました。あちらこちらをさまよって、ひと気のない森の中の小屋で泣きながら過ごしました。



 しばらく後、小屋に森妖精プーカがやってきました。彼はボーグルに、戦いが終わったことを教えてくれました。


 ボーグルは森を飛び出し、かつて暮らした町へ戻りました。墓地へ行き、犬の姿を探します。しかし、そこに犬はいませんでした。


 ボーグルは待ちました。人々に悪戯をして暮らしながら、長い時間、待ちました。けれども犬は帰ってきませんでした。


 ボーグルは寂しくなりました。いくら人間に悪戯をしても、寂しいままでした。あるときとうとう泣き出して、町を飛び出しました。


 以来、寂しがりやのボーグルは、友を探して各地を飛び回っているそうです。

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